With
6月中旬に原則出社に戻ってから毎日のように「なんで行かなきゃいけないの~」「なんのためなの~」と贅沢にもイライラしたり、売り上げのため無理矢理延長された繁忙期にギャーーー!となっていたが、ここへきてようやく50%テレワークに戻った。万歳!万歳!万歳!
在宅勤務の間、初めはピアノ曲等仕事に邪魔にならない曲を流していたが、最近ではよく南野陽子やら斉藤由貴やら昔のアイドルの曲を聴いたり、中島みゆきを聞いたりしている。
フルの動画がなかったのでトレーラーだけど、3:06~
「With」という曲の中で中島みゆきは歌う。
With...そのあとへ君の名を綴っていいか
With…淋しさと虚しさと疑いとの代わりに
いい歌なんだけど、いつも「ウイーッス」といかりや長介が脳内に湧いてくるのが難点。
With…。最近の若い人は違うかもだけど、私の世代ならその後に綴られる名は「T」でしかなかった。小室哲哉オンリーだった。
今そのあとに綴られる名と言えばコロナに他ならない。望むと望まざるとに関わらず、withしていくしかないので。
旅行に行けない難点はあるけど、テレワークさせてくれるいい所もある。
再び始まるテレワークライフを前に私は決めました。「猫の写真をちゃんと撮る」
旅行に行かず、外出もなんとなく気が乗らず、野球も相撲も見に行けない日々の中、カメラは棚の奥にしまい込まれたままだった。
いやいや、この可愛い猫とこんなにいちゃいちゃ過ごせる日々の貴重さよ。1歳の日はもう戻らないのだぞ、スマホなんかでお茶を濁している場合じゃないぞ、家にいるのだから、休憩がてら思う存分猫の尻を追い回そうではないか。
そう心に決めて、在宅なんちゃって岩合さんだ。
かわいいねえ、いいこだねえ、と岩合さんぽく言いながら。
Withコロナの時代をWith猫たちで、WithカメラでWithテレワークで、淋しさと虚しさと疑いを乗り越えて生きていくのだ。
ここ二日ほどそうして追い回していたら、猫は若干迷惑そうな顔をしていた。
今日は半日動物病院に預けている。なぜならこれからバルサンを焚くのだ。
Gとはwithしない。その名は綴らない。決して。
色即是空
10代の頃、恋人と同棲を始めたばかりの友人が「カーテンがないので、窓に毛布をかけている。彼氏が実家からもらったらしい般若心経毛布。しかも紫」と言うのを聞いて、みんなで大笑いしたことがある。
般若心経毛布!!それも紫!!
その後深夜の通信販売番組で紹介されていた般若心経毛布を見て、そんなにも需要があることにも驚いたし、結構なお値段であることにも驚いた。
さて、今年の四万六千日。東京生まれ東京育ちの父親が、今まで一度も浅草のほおずき市に行ったことがないというので、今年は連れて行こうと有給をとっていたが、コロナの影響でほおずき市は中止になった。
それで父を連れ出すのも止めにして、一人ふらっと横浜の弘明寺へ。不要不急で県をまたぐのも良くないだろうしね。
今年5月に亡くなった祖母が昔この辺りに住んでいた。
小さな頃、横断歩道の向こうに祖母が見えて、嬉しくて信号無視して走り出し、祖母が悲鳴をあげたこともあったな、とか、まだ小さい弟たちと、このがちゃがちゃした商店街を歩いたな、とか、受験の時に祖母が弘明寺でお守りを買ってくれたな、とか、なんだかんだ思い出が多い。
そんなに頻繁に来たわけでもないのに、不思議なくらい景色もよく覚えていた。
よく調べずに来たのだけれど、ラッキーなことにちょうど護摩祈祷が始まったところだった。以前成田山で偶然護摩祈祷をやってもらえたことがあって、いたく感激したので、なんたる幸運!天からの誕生日プレゼントか、と本当に嬉しかった。
若干密な空間で、お坊さんたちと参拝者が一斉に般若心経を唱えるのにはやっぱり感動して心が震える。そして太鼓が叩かれ、鐘が叩かれ、会場のボルテージとともに炎が大きくなっていく。
すごいな。完全に演出効果を計算しつくしたライブだぜ。昔の人もテンション爆アゲ間違いなしだ。
おまけに途中からほら貝まで参戦するではないか!生ほら貝!!初めて!!…と私の興奮は最高潮に。
真鶴で一度ほら貝を吹く体験をしたことがあるが、あれは素人に簡単に吹けるものではない。すごいわー。なんという肺活量。そんな肺を持つ、あの厚みのある胸、素敵!
人生初の坊さん萌えも実感。
www.gumyoji.jp
般若心経が終わると、参拝者が護摩木を投じる番が来る。列に並んでいる間、お坊さんたちは延々と「鎮守国家、疫病退散」と繰り返す。
こんなにも必死になって疫病退散を祈る時代に生きているのだな、となんだか感慨深い。まるで聖武天皇の時代みたいじゃないか。
でも、そんな時代のあれこれのせいでこのところ暗いことばかり考えがちだった。暗い考えから逃れたくてお寺に来たので、護摩木をお炊き上げしてもらえて心が本当にすっきりした。
雷除けの札を一応買ったけれど、その後ろにある般若心経Tシャツもいいな、と密かに思っていたし、私も般若心経覚えよう、覚えてあのライブにまた参戦しようと思った。
最近ではこんな無印良品のBGMくらいオシャレ感ある般若心経もあるらしい。。。
かつて般若心経毛布をあれほど小バカにして笑っていたのに、今や般若心経Tシャツを買っちゃいそうだなんて…。
すべて世の物事は変わりゆくものね。色即是空、空即是色。
見つめるCat's eye
高校の頃の古典の先生が言っていた。
「見るってことは愛情なのよ。愛情がなくなったら相手の顔を見もしない。相手がそこにいるのに見向きもされない、そんな状態は一人でいる時より孤独なものです」
確かそんな話だったと思う。高校生の私には「二人でいるのに、一人より孤独」という言い回しが大人発言に思えて印象に残った。
さて、そんな大人発言について書いて置きながらここのところの私ときたら、全然大人ではなかった。
ずっとゲームをしていたのだ。今流行りのどうぶつの森などではない。スマホでチマチマやる地味なパズルゲームだ。数字を動かして大きくしていくような。
1年に一度、または2年に一度くらい、こういうゲームにアホほどどっぷりハマる時がある。熱病のように延々とやり続けて、そしてフッと熱が覚める。先週末、朝から夜まで延々とずっと、徹夜をしてまで、無心にやり続けた。
お前どんだけヒマだよ、どんだけヘタクソだよ、と人は言うだろう。
私だって自分でそう思う。
もちろん最低限猫にご飯をあげたし、猫のトイレの掃除もした。そんな時ふと鏡に写った自分の顔をみると生気のない死人のようで「ああ、ゲーム廃人ってこういう顔をしているのか」と怖くなる。
だが、狂ったようにまた延々とゲームを繰り返すのだ。ニャーニャーと訴える猫に生返事を返しながら。
呆れ果てた猫が、もうにゃーとも言わなくなった頃、20時間ぶりくらいに猫の顔を見て、あれ!と驚く。顔が妙にやつれている。いつものふっくらした顔ではなくなっている。目つきもなんとなく鋭くなっている。
椅子の上で寝る姿も、いつものように無防備でだらしない感じではなく、若干警戒態勢だ。
週末の間、最低限ご飯の世話とトイレの世話はしたけれど、こっちがキリのいい時、気づいた時だから、いつもの時間とも随分違っていたし、猫をよく見ることもなかった。毎日バカみたいに「可愛い子、大事な子」と繰り返しかけていた言葉をかけることもなかったし、撫でくりまわすこともしなかった。
そうすると1日ちょっとで、こんな顔になってしまうのか。与えられるべき愛情が与えられないとこんな顔になるのか、とショックを受けた。
そうして先生の言葉を思い出すのだ。
「見つめることは愛情なのよ」
ただ世話すればいいってもんじゃない。見つめて愛情をかけなければそれはネグレクトに当たるのだな、と改めて猫に申し訳なく思った。
ご飯の時間がズレたことで、吐いたりもしていたし、愛情不足のせいか、やたら大食いになったりもしていた。
いつもどおりのふっくらした顔、甘えた態度、だらけた寝相に戻るまで半日くらいかかった。
申し訳なく思いながら、でも少し驚きも感動もしたよ。
自分に愛情が向けられているかどうか、猫はちゃんとわかるんだな。
そして君たちは「愛情は無条件に与えられて当然」と思いながら生きることができているんだな。元気を取り戻した猫たちは、最近毎朝ベランダに出て、通学途中の子どもたちを見守っている。
そして「猫ちゃん!かわいいー!」とか言われてアイドル気取りでいい気になっている。
見てもらって「可愛い」って言われて、そうだよな、それが愛情だよね。
Let It Go〜ありのままで〜
全くもって本当にそのとおりだな、とこのコロナ自粛生活で思う。安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは、生のよろこびを書きつづる。
太宰治 「葉」
小沢くんが出るからとつけたミュージック・ステーション。
いやはや驚いた。リモート出演する誰も彼もが真面目な顔で、時には素敵な笑顔で口を揃えて言うじゃないか。
「医療従事者の皆さん、本当にありがとうございます」
それだけならいい、その思いは私だって同じだもの。
でも、どうして誰も彼も自分の歌すら歌わずに「手を洗おう」だの「お家ですごそう」だの歌い始めるのか。あなたたち、そういうキャラ設定でしたっけ、と驚いてしまう。
だけどひしがれた暮らしをしていたら、そんな風に「善きこと」を口にして素敵な笑顔を浮かべたくなるものなんだろうね。
震災の後もそんな風だったっけね、絆、絆って言われたっけね。
そういう役目は由紀さおり安田祥子姉妹とか、NHK東京児童合唱団とかにおまかせでいいじゃない。花は花は花は咲けばいい。
そんなのばっかり見てるとね、私、キノコパワー!キノコパワー!!って叫びたくなるのよ。
盗んだバイクで走り出してもいい。「お前を蝋人形にしてやろうか!!」って大見得切るのもいいよね。
ママ、俺は今日人を殺しちゃったんだ、ママミア、ママミア!!とかバイシコーバイシコーって飛び跳ねるのもいいよね。
フッジッサーンフッジッサーン!と意味なくはしゃいだりね。
こんなに引きこもってたら「俺にカレーを食わせろ!俺はいつでも辛さにこだわるぜ!」ってキレたくだってなるじゃない?
そんなのテレビで歌ったら話題の自粛警察や不謹慎厨がイヤってほど湧いてくるんだろう。
でも本当の本当に、みんなそんなに幼稚園児みたいに「手を洗おう」って言われたがっていたんだろうか。
会社に言われるのはわかる。保健所に言われるのも政府に言われるのもわかる。
でも「イケてるアーティスト」にそんなこと求めていたんだろうか。
少なくとも私はゴスペラーズに素敵なハーモニーで「手を洗おう、しゅわしゅわあわわ」とか歌われるのにうんざりしたわ。
悪いけどそういうの求めてないんだ。
私はね、私はね、ブリジット・ジョーンズにおけるコリン・ファースのごとく、そのままのありのままのあなたたちを求めていたわよ。
レリゴー!レリゴー!ありのままでー!ってあの頃、みんな言ってたじゃない。
どうしてそんないい人笑顔マスクみたいなの誰も彼もが装着してしまうの?
シェリー、俺ははぐれものだからお前みたいにうまく笑えやしないよ。
緊急事態宣言も解除された今、これでようやくあれこれの芸能人の方々も自らのアイデンティティを思い出して、悪ぶったりはっちゃけたりしてくれるだろうか、もうあんな作り笑いで「ステイホーム」とか口にしないでくれるだろうか、と胸をなでおろしている。
そしておかげさまで安楽な暮らしをしている私は絶望に満ちた顔で叫びたい。
言いたいことも言えないこんなポイズンな世の中で。
「満員電車乗りたくない!!!ずっとテレワークがしたい!!キノコパワー!!」
あたりまえ
5月の満月はフラワームーンと言うそうで、5/7の日だった。
何度も何度も「危ない、もう持たない」と言われながら持ちこたえてきた祖母はフラワームーンの日に旅立った。
「そうか、ついにか。満月の日に旅立つなんておばあちゃんらしいな、猫もたくさん連れてジェリクル舞踏会かしらね」なんてしみじみした。
www.tokyo-zoo.net
その翌日、多摩動物園のコアラのニーナが亡くなったというニュースを見て驚愕した。
正直祖母の死よりもショックだった。人生で初めて出会った赤ちゃんコアラで、可愛くて可愛くて埼玉の動物園まで毎週通い詰めた。
2018年に多摩動物園に移ることになって、多摩にも何度も会いに行ったけれど、埼玉の時みたいにみんなと遊んだり飛び跳ねたりするでもなく、一人でじっと眠っていることが多くて心配だった。そうこうしているうちに、我が家に猫が来ることになり、動物園から足が遠のき、ニーナに赤ちゃんが生まれたというのも風の噂で聞いただけ。
埼玉にまた赤ちゃんがたくさん生まれているのも、ニーナのお母さんのドリーが亡くなったことも知らずにいた。
猫も大きくなってきたし、そろそろまた出歩けるかな、コアラにも会いたいなと思っていた。そんなの月並みすぎるけど。
大体12年位だというコアラの寿命だけど、ニーナまだ3歳じゃないか。人間で言ったらハタチかそこらじゃないか、ちいさい子供残してさ…。
ショックを受けながら久々に動物園関連のニュースを見ていたら、埼玉の動物園にクオッカが来たらしい。すごいことだよな、これからは埼玉に行けばクオッカに会えるのだ。会う気があれば会えるのだ。
当たり前のように会えるかもしれないけど、それは全然当たり前のことじゃないのだ。
ニーナが生きていたことも当たり前のことではなかったし、祖母がなんだかんだ長生きできたことも当たり前じゃないのだ。このコロナの日々で、「今まで当たり前だったことが当たり前じゃない」ことにたくさんの人が何度も気がついただろう。
その一方で「あの発言はおかしい」「あの人はおかしい」「それは常識がない」と、自分の「当たり前」を押し付けあうことも横行している。
当たり前なんてこの世に一つもない。本当にない。それがこの世の「当たり前」猫にお茶を零されて腹を立てたり、風呂を覗かれたりした日々をいつか「あの日に戻りたい」と思い出すんだろう。
そんな当たり前が失われたときに。
お変わりなく
テレワークで妙に気疲れするのは顔が見えないから、想像力を駆使しないといけないせいもあるのかな、と最近気がついた。
いつもより少ない情報から、同じだけの判断をしようと思えばそりゃ疲れるよな。
そして新たに発見したいい部分は、久々に電話やskypeなどで連絡をとった遠隔地の人々と「お変わりないですか」とお互いの無事を喜びあえるところ。
若干イラっとするのはteamsが馴れ馴れしく人を下の名前で呼んでくること。
「Hi!まめ。お前のタスク遅れてるぜ!」「ヒカルがお前をチームに招待したぜ!」「トモヤスからメッセージだぜ!」
課長の下の名前とか完全に忘れてるからやめて!!外人の流儀ゴリ押しか!
連休が始まった。たとえテレワークでも連休は嬉しい。
朝は神奈川県知事から緊急エリアメールが来て、猫も私も大変慌てたが内容は「GWはがまんのウィークです、外出しないでください」とのこと。
そうですね、知事。拙者了解でござるよ。
知事に忠誠を誓い、ベランダで日向ぼっこをしながらお茶を飲んだり、猫と遊んだりしていたらふと思い出した。
…あれ?これ去年のGWとまったくもって変わらないのでは?
猫が来たため、行くはずだった旅行をキャンセルし、家でのんびりしていた去年のGW。スーパー銭湯には行けないけど、基本的に変わりなし。
コロナ疲れが蔓延する世の中で、みんなが家にいてくれるよう、家での時間を楽しめるよう、いろんな企業がいろんな企画をしてくれていて、先日はホテルニューオータニの門外不出のレシピがネットで話題になっていた。
それで「あらやだ、コンフィ!!コンフィね!!」とすっかりトキめいて砂肝のコンフィを作った。
オイルでコトコト煮込む間、LINEで友人とチャットすると、だいたいみんな「食べることしか楽しみがないのでコロナデブまっしぐら」などと言いながらあれこれ素敵料理を作っている。
そんな話に影響されて「オイルサーディンもいいなあ、塩辛も作りたいなあ、今年はイカはどうなのかしらー」と思いを巡らせる中で、ふと10年前の転職活動時期を思い出した。
4月で仕事をやめたから丁度こんな時期だった。家にいる時間が増えたから、仕事が見つからないから、と私はせっせと保存食作りに励んでいたのだ。
あの頃とやっていることは変わらない。世の中の先行きだって不安だ。
でも仕事があって、それも在宅でできて、お給料を毎月ちゃんともらえて、家賃が払えて、ご飯が食べれて、おまけに猫がいる。あの頃に比べれば今の私は断然不安は少ない。
以前、人から「あなたの幸せはレベルが低い、普通に暮らせて仕事があるなんてそれは最低限だ」と言われたことがあるが、レベルの低いことに幸せを感じられる体質で良かったぜ!
また各種まんがサイトや動画配信サービス会社も、ステイホームのためにあれこれサービスしてくれる。
動物のお医者さんは全巻持ってるからいいんだけど、グリーンウッド!!「ここはグリーン・ウッド」が読めるぞおおおおおお!!と狂喜し、久々に読んではこの漫画に胸トキめかせていた中学生時代を思い出すのでした。
あと、U-nextも頻繁に1ヶ月無料体験を再開してくれるので、私は正月にハマッた琅琊榜のシリーズ2(全50話)を見終わり、そして「やっぱ1に限るな!!」と4周目になる琅琊榜を見ており、まるで正月の再来のように生活リズムを崩したりもしている。
そんなわけで、わりと去年と変わらぬGWです。
世の中いろいろあって、大変な人もたくさんいる中、変わりない日々が過ごせるのは本当にありがたい。
私はもう少しこの状況が伸びても頑張れる。
でも、いつかまた、これまでと変わりなく野球を見に行って、友達とご飯を食べられる日が戻って来たなら更に幸せ。
名前をつけてやる
テレワーク生活もかれこれ4週間。
通勤のない楽さもあるけど、なんだかやたらに気疲れして週末はアホのように寝こけてしまう。TV会議で同僚にその旨伝えるとみんな「わかる!!」と言っていた。
なんでこんなに疲れるんだろう。不慣れなせいもそりゃああるけど。もともと旧態依然として「印鑑取得!」「原本必須!」「FAX!」が旗印だった我社だ。緊急事態宣言に急ごしらえで始めたテレワークでは、書類はすべてPDFで送られ、それを処理する形になる。
いいんだけど、いいんだけど。
アドビのライセンスは買ってくれてないから、みんな必死で裏道を探し、情報共有をしている。こんな時にはこの手が使えますぜ!これで回避できますぜ!このままなんとかやれますぜ!うへへお主も悪よのう。
どんな時代も人々は法や制度の抜け道を捜すことに必死なのだ。そんなの江戸時代と何も変わってないのだ。まるで決死隊のようにMGR陣は交代出勤し、PDFをとる作業に徹する。当然負荷がかかったプリンターは故障し、救援軍を待つ。しかもそれがまた書類締めの日に起こる。
なんだよこの悲惨な戦況は。南方戦線か…。
しかし、この状況でもう愚痴をいうヒマもないのだ。ただただ泥沼をかき分けて、開墾しながら、掘削しながら進軍するしかないのだ。大体、各部署、各商材ごとのフォルダがあって、PDFはそこに放り込むスキームになっているが、時折どこからか無所属新人が紛れ込む。関所で気づけばいいが、みんな疲れ果てているので関所もスルーだ。
おのれ!曲者!誰か!出会え!と訴えてようやく所属先を探しあて、引き取ってもらう。名もなき野良PDFも多い。
私は訴えたい。ペットに対して責任を負うが如く、PDFに対しても責任を負いたまえ!名前をつけてやりたまえ!!そして自らの家でリードをつけて管理したまえよ!
この数日、幾度野良PDFを見かけては通報してきたことか。我が領内に紛れ込む、よそ者PDFに目を光らせてきたことか。
この私の目の黒いうちは、断じて野良PDFは許さない。
だがそろそろ私の目もつぶれそうだ。
誰よりも立派で誰よりもバカみたいな名前をつけてやってくれ、PDFに。頼む…頼むぜ…。