あたりまえ
5月の満月はフラワームーンと言うそうで、5/7の日だった。
何度も何度も「危ない、もう持たない」と言われながら持ちこたえてきた祖母はフラワームーンの日に旅立った。
「そうか、ついにか。満月の日に旅立つなんておばあちゃんらしいな、猫もたくさん連れてジェリクル舞踏会かしらね」なんてしみじみした。
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その翌日、多摩動物園のコアラのニーナが亡くなったというニュースを見て驚愕した。
正直祖母の死よりもショックだった。人生で初めて出会った赤ちゃんコアラで、可愛くて可愛くて埼玉の動物園まで毎週通い詰めた。
2018年に多摩動物園に移ることになって、多摩にも何度も会いに行ったけれど、埼玉の時みたいにみんなと遊んだり飛び跳ねたりするでもなく、一人でじっと眠っていることが多くて心配だった。そうこうしているうちに、我が家に猫が来ることになり、動物園から足が遠のき、ニーナに赤ちゃんが生まれたというのも風の噂で聞いただけ。
埼玉にまた赤ちゃんがたくさん生まれているのも、ニーナのお母さんのドリーが亡くなったことも知らずにいた。
猫も大きくなってきたし、そろそろまた出歩けるかな、コアラにも会いたいなと思っていた。そんなの月並みすぎるけど。
大体12年位だというコアラの寿命だけど、ニーナまだ3歳じゃないか。人間で言ったらハタチかそこらじゃないか、ちいさい子供残してさ…。
ショックを受けながら久々に動物園関連のニュースを見ていたら、埼玉の動物園にクオッカが来たらしい。すごいことだよな、これからは埼玉に行けばクオッカに会えるのだ。会う気があれば会えるのだ。
当たり前のように会えるかもしれないけど、それは全然当たり前のことじゃないのだ。
ニーナが生きていたことも当たり前のことではなかったし、祖母がなんだかんだ長生きできたことも当たり前じゃないのだ。このコロナの日々で、「今まで当たり前だったことが当たり前じゃない」ことにたくさんの人が何度も気がついただろう。
その一方で「あの発言はおかしい」「あの人はおかしい」「それは常識がない」と、自分の「当たり前」を押し付けあうことも横行している。
当たり前なんてこの世に一つもない。本当にない。それがこの世の「当たり前」猫にお茶を零されて腹を立てたり、風呂を覗かれたりした日々をいつか「あの日に戻りたい」と思い出すんだろう。
そんな当たり前が失われたときに。