計算ちがい

明日で我が家の猫もめでたく1歳。
「生まれたての子猫4匹を病院から引き取った」と友達からLINEが来たのは去年の3連休だったなあ。

f:id:mame90:20180928190609j:plain:w450
まだ目も開いていなかった頃
あれよあれよと言う間に男子2匹を引き取ることになって、猫が来る嬉しさの反面、「ああ、計算が狂ったなあ」と思うこともたくさんあった。

「子供ができたの」と言われた男の人の気持ちも、オメデタが発覚した時の女子の気持ちも、きっとこんな風だったんだろうな。
「いや、嬉しいよ。いつかはほしいと思っていたよ。でも今!?今なの?」
そんな気持ちなんじゃないか。
…と、友人たちに告げると爆笑された。「まめ、ついに理解したか!」「えー、わかっちゃったかー」と。
f:id:mame90:20181017082450j:plain
旅行も3つキャンセルしたし、猫用品を揃えるのも結構な出費だった。
おまけに猫のために部屋の模様替えまであれこれしなければならず、家具を買ったり、大移動させて筋肉痛になったり。
「あーあー、こんなはずじゃなかったよなあ、計算狂ったなあ、正直今から猫、断れないかな」と思ったこともある。

猫が来てからも、夜ごと繰り広げられる運動会に発狂しそうになったり、羽根布団におしっこされてブチ切れたり、「こんなはずじゃなかった」と思うことは山のようにあった。
育児をしているお母さん方もそんな気持ちだったろうな。またしても既婚女子の気持ちを理解してしまう。
「猫にご飯をあげなければ」と付き合いも悪くなった。あんなに通った動物園からも足が遠のき、大好きなコアラ、ニーナがお母さんになったことも知らずにいた。
山にも行かず、友達との旅行もお断り。仕事もリアルで「わたし、定時で帰ります」だ。
f:id:mame90:20190715221546j:plain
あれから1年、猫は計算違いに大きくなった。
いろんな「こんなはずじゃなかった」を乗り越えて、私も猫もお互いに付き合い方を学習してきたように思う。
でも「ああ、計算が狂ったな」と思うことはまだたくさんある。

例えば先週台風が来た時。
今まではどちらかと言うと台風にはワクワクしていた方だった。でも、猫がいるので「万が一」を考えてしまう。もしもの時に猫二匹を連れてどうすればいいんだろう、と不安になりながら、水を溜めたり非常用品を確認したり。いつも通り呑気に眠る猫たちにも「一緒に寝てよ!」と要求したり。
布団の中で、だんだん強くなる雨音を聞きながら、「独りの時はそんなに怖くなかったのにな。よく言われることだけれど、本当に独りじゃなくなると弱くなるものね」と考えた。

万が一、事故にあったら?病気になったら?災害が起きたら?家に帰れなかったら?…と不安になることも時々ある。
正直今まではある日死んだら死んだで仕方ないと思っていた。病気になってもまあしょうがない、災害が起きてもまあ、しょうがない。
でも今は、猫の寿命の間だけは無事でいたいと心の底から思う。
f:id:mame90:20190816114624j:plain

あと、猫とずっと暮す家が欲しい。家を買いたい。今よりもっと広い家。
あーあ、もっと貯金しておくんだった。計算狂ったな。

それから、猫が来てから、人が遊びに来ることが多くなった。そうするとなぜだか、家族でも友人でも、帰ったあとに妙に部屋がガランとするような寂しい気持ちになる。
ずっと独りで家にいてもそんなことは思わないのに。
他の生き物がいるっていうことは、自分の心の中にその分スペースができてしまうから「不在」を感じるようになってしまうのかもしれない。これもまた計算違い。

f:id:mame90:20190912202446j:plain
999の車掌さん的な眼光。

「猫を飼うことになりました」と去年、職場のおじさんに言ったら「今よりもっと強くなれますよ」と言われた。
あの言葉を時々思い出して、「強い?いや、弱くなったような気が…」と首をかしげたりしたけれど、もしかしたらそれは「計算違いを受け入れられるようになる」って意味だったんじゃないかな、と思い当たった。
独りでいる時は、人に振り回されて計算が狂うことが本当にイヤだった。
今だって好きではないけど、計算違いのことばかりだから、慣れたというかなんというか。

計算違いのイラだたしさ、計算違いの不安、計算違いの嬉しさ、計算違いの幸せ。
人生ってそういうものかしらね。
f:id:mame90:20181219222359j:plain