あの頃は


和田アキ子 ♪古い日記

小学校高学年の頃の担任の先生がなにかにつけて「あの頃は~ハッ!」と歌っていた。和田アキ子の歌らしいということは噂で知っていたが、曲名を知ったのは今日だ。曲の内容はいまだに知らない。「あの頃は~」しか知らないのだ。

それはさておき、あの頃は~…。
あの頃は、私は周りの子より大食いだったし早食いだった。
中学高校と大学社会人、女子たちはいかに少食に見せるか、ダイエットをするか、お弁当箱を小さくするかに躍起になっていたけれど、そんなこと露とも思わなかった。
誰しもだいたいそうであるように中学高校が食欲のピークで、食パン1斤平気で食べられたし、緑のたぬきをおやつにペロっと2つ食べて母に怒られた。社会人になってからも、社食のご飯は大概の女子が小ライスを選ぶところをいつも普通ライスだったので、食堂のおばちゃんに顔を覚えられていた。
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そんな訳でずっと自分は大食いだと思ってきたが、弟の弁当箱のサイズを見たとき、若い男子が居酒屋でものすごい量を注文するとき、法事のあとの精進落しで弟のお膳に親戚たちから分け与えられたご飯やおかずが山盛りになり、それらが綺麗に片付けられていくのを見たときなどに「あれ、私は全然大食いじゃないな」と衝撃を受けたものだった。
そして年齢とともにだんだん食べられなくなりだしたとき、ああ、もう私に老後がやってきたのだな、とさえ思った。

水曜日は、はてなのお友達くみちょうさん(id:Strawberry-parfait)とマミコさんに神保町の素敵なお店に連れて行ってもらった。
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ラグビーワールドカップ南アフリカが優勝したから南アフリカのワインがいいですよ」とか勝手なことを言って、南アフリカのワインを頼んでもらった。最近お酒もあまり飲めないので私は味見だけ。
鳥ハツを根菜と煮込んだやつとか、クミンシードの練り込まれたパンとか、パプリカパウダーがしこたま振られていて、アボガドディップで食べるフライドポテトとか、どれもとっても美味しかったが、すぐにお腹いっぱいになってしまい、くみちょうさんとマミコさんに「少食なの?」などと尋ねられる。
…いや、全然そんな予定ではなかったのですが、図らずも少食に。。。

繰り広げられるくみちょうさんの大食いエピソードなどものすごかった。
私は人生において今まで一度も、食べすぎで腹痛をおこして夜中に病院に駆け込んだことなどない。この人ホントに本気でフードファイト出れるんじゃないかな…とさえ思った。
はー、もう私はちょびっとしか食べれない、下手すればシウマイ弁当さえご飯を残してしまう可能性を抱えたおばあさんだよ…。
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土曜日はこれまたはてなのお友達いもこさん(id:xx_green-heuchera_xx)と崎陽軒のランチバイキングへ。
前日から、シウマイ弁当食べたいなーと思っていたけど「明日は崎陽軒だから」とガマンしていた。当日、体調もバッチリだ。横浜駅へ向かう道中で既におなかがすいていた。
おかげさまで、私、久々にたくさん食べることができた。いもこさんの2倍はゆうに食べたと思う。
久々に言われた。「まだ食べられるの?すごいね」
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シウマイも20個くらい食べた。デザートももちろんたくさん食べた。
ああ、私まだこんなに食べられるんだ、まだいける、まだ全然大丈夫。謎の希望が胸に満ち溢れる。

以前、谷川俊太郎の講演会に行ったとき、谷川俊太郎が言っていた。
「僕くらいの老人になると、朝目が覚めて、体中どこも痛くない日がそんなにない。どこも痛くないというだけで幸せです」
そうなのか…としみじみ聞いていたが、今その気持をなんとなく理解する。たくさん食べられる日があるというだけで幸せです。
生きる希望が湧いてくる。まだ頑張れるな、と思う。

まあ、その後、たくさん歩きまわってもお腹もすかなかったし、夕ご飯も食べなかったけども。
あの頃は、あの頃なら、きっとまだパフェなんかも食べれたのかもしれない。
胃腸の強靭さも遥か遠くになりにけり。