Memento Mori
ある日、友人から相次いで連絡が来た。前の会社の営業さんが急に亡くなった、死因は不明だと言うのだ。
「Sさん、結婚してたよね」「辞めてからはどこどこで働いてたらしいよ」「山に登るみたいだから、山で何か事故があったのかしら」
そんな事をひとしきり話した後でも、まだ延々と考えてしまう。事故なのか、病気だったのか、自ら死を選んだのか…。
そうしてあれこれ考えて愕然とする。なんてたくさんの「死ぬ理由」があるのかと。
「生きる理由」「生きる意味」を誰もが探し求めていると言うのに、死んでしまう理由はいくらでもある。
そう思ったら、今この世界にいる人は自分も含めてもうみんな、「偶然今日も生き延びているすごい人達」なんだな、とまたしても愕然とする。
それなのに「生きる理由」なんて考えてしまうのは、まるで当たり前のように生きていられるからなんだろう。
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1977年のドラマで背景は1974年の多摩川水害だ。今とは言葉使いも結構違うし、何より戦争の記憶の強い人が多くいた時代で、息子役の国広富之は父親役の杉浦直樹を激しく糾弾する。
「父さんの会社が何をしているか知ってるか、自衛隊の小銃の受注や輸入を請け負って人殺しの手助けをしているんだ!」と。
杉浦直樹はそんな仕事をしなければならないことに苦悩している。
戦争が終わって30年たっても、まだ戦争の記憶が生々しくて「生きていることが当たり前でなかった時代」が近かったんだろう。
今、自衛隊の小銃の受注云々の話を聞いても、正直言ってそんなに衝撃を受けない。本当は衝撃を受けるべきことなんだろうけれど。「日本で使うわけじゃないから」「自衛のためだから」「有事のときしか使わないから」
でも、きっとどこかで誰かは死んでいるだろう。銃を持ってどこかへ行くってことは、そういうことだもの。
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第一話、ホームパーティーの片付けも終った夜更け、いしだあゆみが突然台所で泣き崩れる。「誰とも別れるのいや!ずっとこのままがいい」
「岸辺のアルバム」では「汚い部分は見ないようにして取り繕ってきた家族」が描かれていて、「金曜日の妻たちへ」では「都会的でおしゃれでそれぞれが自立した大人の暮らし、と見せかけて不器用な大人」が描かれている。気づかないふりで綺麗事だけ積み重ねてきても、そんな綺麗事が簡単に崩れてしまうことにある日気づいてしまうから、夜中の台所で不安に駆られもするんだろう。
どんなにアーバンライフを気取ろうが、オシャレに決めようが、誰も彼も結局おしっこしてうんこして生きて死ぬ。あと150年もすれば、昨日生まれたばかりの子どもだって死ぬ。今生きている人はみんないない。それを忘れていられることを「豊かさ」と呼ぶんだろう、きっと。
この前ようやくお母さんのポッケから出てきたばかりの埼玉のコアラの赤ちゃんが、2日ほど前に亡くなってしまった。丁度写真の整理をしていた時に知って「この子がもういない…」と絶句した。
子どもが大きくなるなんて、当たり前のことだと思っていたけれど、そうじゃない。
そうじゃないからこそ「七五三」なんて行事があるんだろう。3歳まで元気で来れたこと、5歳になれたこと、7歳になれたことは当たり前じゃなくてお祝いすべきことだったんだよな、乳幼児の死亡率の高かった昔。
今だって、突然命を落としてしまう子どもはずいぶん多くいるんだろう、私が知らないだけで。そして知りたくないから見ていないだけで。
死んでしまう理由の多い世の中で、一生懸命それを見ないふりして日々を積み重ねているけれど、ある日突然、「生きていることが当たり前でない」ことに気付かされる。
1歳半になるニーナの顔立ちが最近大人びてきたことを少しさみしく思っていたけれど、それがどれだけ贅沢でありがたいことか。「交通費かけて埼玉に行きさえすればいつでもコアラに会える」、それがどんなにすごいことか。
明日会社に行けば、同僚たちがみんないつも通り出勤してくる、それだって当たり前でないすごいこと。
いつか私が死ぬ日まで、いつかあなたが死ぬ日まで、お互い生きて、また会えたら、もうそれだけで奇跡のようなことなのにいつだって忘れてしまう。「いろいろあるけど豊かな生活」の中で。
誰かが死んでしまうまで。
さようなら、まだ名前もなかった小さな子。