血と骨

弟が3人いる。
そのうち1号は両親とも私と同じ。2号、3号は父親が違う。
両親の離婚後、私と1号は父方にいたけれど、私は13の時に家出をして母の元に行った。それ以来20年程生き別れていた1号に再会したのは2011年だ。
行政書士の仕事をしている1号は、得意の技を使って戸籍謄本等取り寄せ、私を探し出して会いに来た。
「いや、我々の父親がもうそんなに長くないので、もし会っておきたいのなら知らせておこうと思って」
f:id:mame90:20180818153824j:plain
あの時点で「もってあと1、2年」なんて話だったのに、なかなか訃報が届かず「まだ生きているのか」と思っていたが、6月に死んだ。
正直な気持ち、「ああ、やっと死んでくれた」と思った。
もう30年、あの人とは完全に連絡をとっていなかったので、生きていても死んでいても関係ないとも思いながら、それでも死んでくれて楽になった。
ともかく周りが言うのだ。
「死ぬ前に会ってあげたほうがいいんじゃない?」「会わないと後で後悔するよ」「いろいろあったかもしれないけれど、それでも血の繋がった親じゃないの」
ドラマみたいなことを。
残念だけどドラマみたいにはいかないのだ。

f:id:mame90:20190326193430j:plain
不良少女とよばれて」を見る猫。
あの人が、メロドラマみたいにしたかったことはイヤというほど知っている。
酒を飲んでは夜中に暴れ、殴られ、蹴られ、引きずり回され、外に放り出され、そうしてほとぼりが冷めると涙ながらに言ったものだ。
「男手一つで子供を育てることがどれだけ大変なことか」「俺がどんな苦労をしながらお前たちを育てているか」「それもこれもお前たちを愛しているからだ」
ともかくそうして自分に酔いたいのだ。
だから病床で長らく音信不通だった娘に再会し、手に手をとって涙ながらにわかりあい天国に旅立つ、というのがあの人の理想のシナリオだったことだろう。
そうは問屋がおろさない。
f:id:mame90:20190619200457j:plain
お断り
絶対に会わないと決めてもずっと、責められているような気持ちもあった。
40過ぎて許すこともできない自分は大人げないんじゃないか、とか。形だけでも会いに行くことが「大人の流儀」なんじゃないのか、とか。なんだかんだ言って、社会不適合者のあの人に一番似ているのは自分だよな、と思ったり。
そうしてはあれこれ思い出して眠れなくなったり憤ったりもしていたこの8年。
死んでくれてやっと楽になった。
もう嫌な気持ちも全部持っていってもらおうと思った。
f:id:mame90:20180908121333j:plain
弟1号から連絡が来た日、一応は「何かすることある?」と聞いたけれど、手続きも火葬も全部弟がやってくれた。
相続放棄の手続もしてくれるらしい。ホント助かる。
それで、7月末に書類作成のため1号と会った。
1号は去年、行政書士として独立して仕事を始めた。そして8月には子供が生まれる。そんな最中に父が死んだ。だがしかし、1号はすごい。
独立してからこの方、営業活動で葬儀屋さんとの付き合いが多かったらしい。そのため父親が死んだ際も知り合いの葬儀屋さんに手配してもらって、すぐに出棺、火葬できたという。
また、その繋がりから、海洋散骨ビジネスを始めることにしたらしく、このクソ忙しい時期に、すでに船舶免許も取得したらしい。
なんというフットワークの軽さ。そして強さ。やはり独立して仕事をしようという人間は心構えが違うもんだな、と驚く。

加山雄三  『海 その愛』
だが1号の凄さはそれだけに留まらない。
なんと、海洋散骨ビジネスのために20万円もする粉骨ミルを購入したというのだ。

この時点でワタクシ若干ビビる。
な、なに、そんなの普通に売ってるの?…ていうかそんな事していいの?法律的に…何か…資格とか…。
「いや、元はね、イワシとか食品用のミルを作ってる会社なんだけどね、最近はほら直葬も多いし散骨希望も多いから、いつの間にかそっち方面がメインになっちゃったみたいでね」
「法律的には全然大丈夫だよ。火葬してあれば問題ない。だから最近は散骨業者が乱立しててね。それに伴って市区町村が条例を定めてる場合もあるけどね」
「火葬した骨であればゆうパックなんかでも普通に送れるよ。だから送ってもらって散骨するっていうのもできるんだよ」
1号はニコニコと答えてくれる。そそそ、そうなのか…。

ちなみに行政書士として独立した際のホームページ作成は弟3号に依頼したそうだが、海洋散骨ビジネスにあたっても3号にHP作成してもらうらしい。
「だから、この前父親の骨を粉にする時、3号くんに写真撮ってもらってさあ」
え!!!!!
まって、あの人の骨、自宅で粉にしたの?自家製!?手作り!?
しかも公式サイト用の写真撮りつつ!?ええええ!
驚く私に、1号はまたしてもニコニコと言う。
「ほら、ミルも買ったから一番最初に試してみようと思って」
f:id:mame90:20190804213904j:plain
そんな「新しい圧力鍋買ったから、角煮を作ってみようと思って」みたいな…。
お、お、恐ろしい子すぎる。すごい。強い。素晴らしい。

ちなみに相続放棄の手続に当たって1号は長らく音信不通だった親戚筋にも連絡をとっているらしく、あれこれ恨み言を言われたりもしているらしい。
「なんかさあ、勝手に生きても、勝手に死ねないんだね」としみじみ言うと、1号は「そうだねえ。人間は一人じゃ死ねないよ。片付けてくれる人がいないとさ。まあ、でもなんとかなるもんだから。大丈夫」と笑う。
そうか、なんとかなるか。
つくづく1号の強さにも敬服するし、行政書士になってくれて、あれこれやってくれることをありがたく思う。

「父親さ、あの時代の人にしてはすごく立派な骨だったよ」と言う弟に「ああ、そこすごい遺伝してる。私骨太だもん。骨折したことない」と言うと、弟も「やっぱり!自分もそうなんだ!」との事。
否が応でも遺伝子がつながっているもんだから。

f:id:mame90:20181024081248j:plain
にゃんこ4姉弟
「今度山に登って撒いてくるよ」と言う弟。
あの人の死に目にも会いたくなかったし、遺体も見たくなかったけれど、なんとなく散骨には付き合ってもいいかな、という気持ちになった。
もちろん興味本位でもあるけど。

盆の踊り子

f:id:mame90:20180727190420j:plain
この土日は向かいの公園で盆踊りが開催された。
以前はまず土曜日の昼間からカラオケ大会があり、その後地元の中学校の吹奏楽部の演奏があって、それから盆踊りが始まる、という流れだったが、さすがにカラオケ大会は苦情が多かったのかここ数年開催されていない。
本当に良かった。
不思議なもので、盆踊りの曲が延々と流れるのは全然大丈夫なのに、素人さんのカラオケ大会を聞かされるのは苦痛だった。やっぱり民謡歌手の歌が相当上手だからかしら。
以前のブログにも書いたが、祭りの時期になると人々はやはり浮足だってしまう。
7月の中旬くらいから近所の小学校の体育館で盆踊りの練習が始まって、子供も大人もウキウキと出かけていたし、先週、公園に櫓が設置された後には、うちの前を歩くお散歩中のおじさんが携帯電話で即座に「もうねえ、櫓ができてるから!今週末の!お祭りの!」と誰かに報告していた。

f:id:mame90:20190629125902j:plain
よよよいよよよいよよよいよい!あ、めでてえなあ
そしてお祭り当日の土曜日の午前中、近所の整骨院のベッドで電気を流してもらいながら横たわっていると、先生とおばさんの会話が耳に入ってくる。
どうやらおばさんは盆踊りの踊り子さんらしく、この土日は夕方からずっと踊るのだそうだ。「えええ?大丈夫?盆踊りだからそんなにキツくないとは言えさあ、月曜日、起きれないんじゃない?仕事でしょ?」先生は言う。
更に「なに、練習まであんの?そんなのやってたんだ~」と驚く先生。
そのたびに「大丈夫よ~、夕方から2時間ちょっとだし」「まあ、好きだからさ」「月曜はホラ、あたし休みだから」「今年はまた新しい踊りもあるからさ」などとちょっと恥ずかしげに答えるおばさん。

「好っきだねええ!あんまり無理しないでよ?痛くなったら来てよ?」と送り出す先生の声を聞きながら踊りに夢中な人がこんなにも身近にいたのだな、と驚く。
f:id:mame90:20140223134029j:plain
だがしかし、驚きはそれだけではないのだ。

夕方自治会長かどなたかのご挨拶がキーンというマイク音と共に近所に響きわたり、盆踊りが盛大に始まる。
しかしそれはもはや私の知っていた盆踊りではないのだ。東京音頭、地元の音頭、アラレちゃん音頭、ドラえもん音頭、炭坑節が鉄板かと思っていたがそんなのは古すぎた。
地元の音頭(歌は鳥羽一郎。近所に住んでいるので)、炭坑節、WAになっておどろう、そしてなんか知らんラテン音楽

Boney M - Bahama Mama
Bahama Mama!という曲らしく、「バハマ音頭」という名で神奈川県藤沢市の盆踊りで踊られているものらしい。この曲は確か去年もかかっていた。
明るい曲なのに、暗がりに揺れる提灯の向こうから響いてくると、なにやら物悲しくも聞こえてくる。コパカバーナ的な。
また、来年はオリンピックなのだなあ、としみじみ思い出させる東京五輪音頭。

東京五輪音頭-2020- の踊り方 ~ゆうゆう踊ろう~ / How to dance TOKYO GORIN ONDO 2020 (basic tempo)
うちの母親は子供の頃、祖母の影響でしょっちゅう三波春夫を聞かされたらしく、子供の頃の鼻歌は大利根無情や東京五輪音頭だったらしい。
そんなわけで大人になってもおばはんになっても家の中で時折三波春夫を口ずさんでいたので、私も図らずも知っていた東京五輪音頭。オリンピックの顔と顔~♪。
すっかりリニューアルされてた。

何よりおどろいたのはこれだ。

荻野目洋子/ダンシング・ヒーロー(Eat You Up) MV [New Dance Ver.] (Short Ver.)
荻野目洋子のダンシング・ヒーロー
ちょっと前に大阪の登美丘高校ダンス部が踊って話題になったのは知っていたけれど、盆踊りにまで進出しているとは思わなかった。
正直、この曲はベストテンや夜のヒットスタジオでリアルタイムで見ていた世代だ。
まさかまさかまさか、それが30年の時を経て、和太鼓のビートに乗せて盆踊り会場で流れるとはね・・・。
会場の司会は地元の中学生らしい女の子たちで「お母さん方も張り切って踊ってください」などと棒読みで煽ってくる。
ああ、ああ、こりゃああの整骨院にいた踊り子おばはんも、腰やられるわな・・。
f:id:mame90:20190710113625j:plain
Wikipediaによると、「盆踊りとは、盆の時期に死者を供養するための行事、またその行事内で行なわれる踊り」のことだ。
死者に供養ったってね。生きている私だって驚いたのだ。お盆に帰ってきたご先祖様なんて何が起きたかわからないくらいだったんじゃなかろうか。ラテン音楽やら荻野目洋子やらが流れているんだもの。

そんなわけでエンドレスリピートされる衝撃のラインナップのおかげで、祭りから一夜明けた今日も会社にいてさえ、頭の中に延々と盆踊りメドレーが流れていた。
エア盆踊りだ。祭りはまだ終わっちゃいない、私の頭の中で。
踊り子のおばさんは完全燃焼できただろうか。真っ白に燃え尽きたろうか。そして今日は整骨に行ったのであろうか。
見知らぬ踊り子のおばはんのことまで気にかかる、これが祭りの威力。夏の魔力。

日々を数える

このブログを始める前は「90億の神の御名」というブログを書いていた。
タイトルはアーサー・C・クラークの短編小説からもらった。小説の中ではチベットの僧侶たちが90億の神の御名をリストに抽出する作業を何世紀も行っていて、すべての名前をリストに載せ終わった時、世界は終わると信じている。

夏目漱石の「夢十夜」の中で一番好きなのは第一夜。女が死んで「百年、私の墓の傍に座って待っていてください」と言う。男はずっと座って待っている。

自分は苔の上に坐った。これから百年のあいだこうして待っているんだろうなと考えながら、腕組みをして、丸い墓石を眺めていた。そのうちに、女の言ったとおり日が東から出た。大きな赤い日であった。それがまた女の言ったとおり、やがて西へ落ちた。赤いまんまでのっと落ちていった。一つと自分は勘定した

そうして一つ二つと数え、だんだん数もわからなくなってくるが、ある日気が付く。
「百年はもう来ていたんだな」
百年という長さが、とても幻想的なもののように思える。

ミュージカル「RENT」の中で歌われる有名な曲「Seasons of Love 」の中では「Five hundred twenty-five thousand Six hundred minutes」と繰り返し歌われる。
525600分。1年間を分で換算した時の長さ。

Seasons of Love (HD)

数値化することで実感できるものもあれば、数字にすることで幻想的になるものもある。
よく言われる東京ドーム何個分、レモン何個分なんて「なんとなくすごいけどよくわからない幻想的なもの」だし、90億の神の名前だって荒唐無稽で幻想的だ。
108個の煩悩も、よくわからないけどなんだか感心せざるを得ないような雰囲気がある。
浅草寺の四万六千日も。
f:id:mame90:20190710113153j:plain
7月10日生まれの私、ずっと自分の誕生日は納豆の日だと思ってきたが、前のブログを書いていた頃、コメント欄で他の方に「四万六千日の日だ」と教えていただいた。
浅草寺の公式サイトによるとこういう謂れのある功徳日らしい。

7月10日は最大の功徳日で、46,000日分の功徳があるとされることから、特に「四万六千日」と呼ばれる。この数の由来は諸説あり、米の一升が米粒46,000粒にあたり、一升と一生をかけたともいわれるが、定かではない。46,000日はおよそ126年に相当し、人の寿命の限界ともいえるため、「一生分の功徳が得られる縁日」である。

1日で46000日分だ。すごい。そのため江戸時代の人が前日から押しかけて大騒ぎだったので、7/10だけじゃなく7/9、10の二日間を縁日にしたらしい。
そういえば雲田はるこの「昭和元禄落語心中(3) (KCx)」でも四万六千日が描かれていた。もちろん落語「船徳」の出だしと一緒に。
f:id:mame90:20190721124644j:plain:w400
杉浦日向子の「百日紅 (上) (ちくま文庫)」でも歌川国直が四万六千日の日に浅草寺で昔の友人と再会する場面が出てくる。
f:id:mame90:20190720222945j:plain:w400

今年は有給をとって、人生初の四万六千日に行ってきた。
外国人も含めものすごい人手だった。江戸時代もきっとこんなだったんだろうか。
f:id:mame90:20190710113505j:plain
百日紅を読み返してから行ったから、200年前の人、それも架空の物語がなんだか現実みたいに思えて「国直もここでほおずき買ったんだなあ」なんてしみじみする。

とにもかくにも、あと20年くらい、猫を看取るまで猫も私も健康で心穏やかに暮らせますように。猫と暮らす終の棲家としての家を買いたい、冷蔵庫も大きいのに買い替えたい。あ!宝くじも当たりたいです!
せっかく46000日分の功徳があるのに、思いつく願いなんてそれくらいのことだ。昔からきっとみんなそんなささやかな願いを観音様に託してきたんだろう。
f:id:mame90:20190710113848j:plain

1年は525600分。365回、日が昇って沈む。
毎日いろんなことがありながら、ささやかな願いを重ねながら、日々を重ねて100年がすぎる。四万六千日がすぎる。
江戸時代から300年。3回くらいの四万六千日が過ぎたろう。
たくさんの人達がささやかな願いと、ささやかな日々を重ねて。

T.G.I.F.

以前にこんなツイートを見て驚愕したことがある。


そういえば確か、司馬遼太郎の「燃えよ剣」の冒頭でも、まだ多摩の農村にいた土方歳三が、祭りの夜は女を強姦しても許される、女子も織り込み済み、とやらで女を物色してる場面があった。「祭りだからしょうがない」みたいな。
祭りってすごいな。そうやって年に1回くらい「思い切りはっちゃけていいチャンス」ってのが人間には必要なんだろうな。
渋谷のハロウィンで痴漢が多発するのもそんな祭りの名残なんだろうか。
最近はこのシャイな国の人々も相当はっちゃけるようになってきたようだが、外国人のはっちゃけぶりにはなかなか叶わないものだなとしみじみすることもある。

Katy Perry - Last Friday Night (T.G.I.F.)
ケイティ・ペリーの「Last Friday Night (T.G.I.F.) 」ではバービー人形がBBQコンロで焼かれてるし、まあ脱ぐわ、動画配信しちゃうわ、映画「ted」では、あの熊のぬいぐるみちゃんは水商売のお姉ちゃんたちを家に呼んで大騒ぎした上に、お姉ちゃんの一人は床にウンコしてた。
f:id:mame90:20190714210850j:plain
テッド(字幕版)

テッド(字幕版)

イギリスのロックフェスでは、みんなその辺に穴を掘ってケツ丸出しで排泄するのだ、という話も聞いたことがある。

…すごいな。ゲロくらいもう大したことないんだろう。うんこしっこのレベルだもんな、はっちゃけ方が。
いくら若いからってさ、私の学生時代なんて、酔っぱらった友人ヤマダが新宿コマ劇の脇で腹出して寝てた、とか、転勤で青森に赴任したヤマダが洗濯物を段ボールに詰めて帰ってきて、新宿駅で段ボールをぶちまけ使用済パンツが散乱、くらいがせいぜいで、さすがにうんこしっこはなかったよ。
f:id:mame90:20190703193549j:plain
さて、我が家には毎日がホリデイな太ましい猫が2匹もいるわけですが、親バカながら、この人ら、我が家に来た当初は夜の運動会なども盛んだったものの、学習能力があるもので、人間の生活のペースを覚え、最近夜はきちんと寝てくれる。
しかし、その学習能力ゆえか、曜日感覚も身に着けたようで、どうも金曜日には「T.G.I.F!!!!!!」とはっちゃける模様。

めんつゆをぶちまけたのも金曜日。スズランテープが全部引き出されてわしゃわしゃになっていたのも金曜日。猫餌が市中引き回しの刑に遭い、床に散乱していたのも金曜日。

Rebecca Black - Friday
こんな感じでフライデー!フライデー!と盛り上がっちゃうんだろうか。猫のくせに。
しかもはっちゃけ方が外国人並みだ。
新品の猫砂の袋を引きずり回し、台所を猫砂だらけにした挙句、その上におしっこされていたこともある。トイレはすぐ隣なのに、なぜだか猫ベッドがおしっこでびしゃびしゃだったこともある。

更に、先日はなんと!
なんだか風呂場が臭いな、梅雨のせいか、と見たら浴槽に猫のうんこが落ちていた。
な!!!!なんで!!!!????なんで、ここにうんこ?
驚いたが、風呂にうんこがある、というシュールさに怒りを通り越して笑ってしまった。
私の名誉のために言うけれど、トイレの掃除には気を配っているし、風呂にうんこされる前日にはトイレは丸洗いして砂も全部交換した。
f:id:mame90:20190611065206j:plain
それでも金曜日の魔力には勝てないのだ。
はっちゃける日が必要なのは何も人間だけではない。猫にだって必要なのだな。
そんなわけで、金曜日となれば「イェェェェェェェェッッッッフウウウウウウウウ!フライデェェェェェェェェェェイイイッ!!」と駆け回り、脱糞したくもなるのだろう。

冒頭の阿波踊りのツイートのように、私も最近達観している。
まあ、金曜日だし、仕方ないかなって。
金曜日…怖い…。

この国のかたち

こうの史代の漫画、「この世界の片隅に」の中に、こんな1コマが出てくる。
f:id:mame90:20190706194327j:plain:w400
そして頁の隅にはご丁寧にこんな注釈がついている。

純綿:混ざりもののないもめんのこと。昭和十三年以降、糸や綿織物は「スフ(ステープルファイバー。粗悪な化学繊維)との混用が義務づけられ、純綿製品は貴重品となりました。

この単語を知っていたのは、戦中を軍国少女として生きた祖母が下着やら見るたびに「あら~、純綿?」などと嬉しそうな顔をしては、母に「純綿て!!綿100とか言えないの?」と呆れられていたのを見ていたせいだ。そうか、綿100%のことを純綿というのか、と子供心に思った。

さてさて、選挙の時期ではあるけれど、夏も来るけれど、別に反戦とか訴えたいわけじゃないです。おパンツの話をしようと思っているだけなのです、おパンツ。
中学生の頃、弟たちがまだ小さかったもので、母と一緒に「早くおパンツはきなさい!!」などと弟を追い回していた私は、学校でもうっかりその単語を口にしてしまい、「え、パンツに”お”つける!?」「おパンツって!!」と友人たちに笑われたものですが、大人になってみると、子育て中のお母さん方は大体「おパンツ」と言うので心の底からホっとしたものです。

f:id:mame90:20190706195612j:plain:w300
最近の子供用おパンツはオシャレだな…。
私も一応女子の端くれとして、20代、30代には「パンツには1軍、2軍、そして育成枠(寝る時用)があるよな」という矜持をもって生きてきた。外出時には1軍下着。もちろん上下セットで、レースとかついちゃったりするようなやつだ。しかし40代になるとだんだん、「もうレースとかいいかな、楽なのが一番だな」という気持ちになってきて、1軍と2軍は統合され、「外用」「寝る時用」といった区分になった。
f:id:mame90:20190703193836j:plain
猫はいつだってノーパン
寝る時用はやっぱり綿がいい。
つるつるおパンツじゃ眠れない。夢見る少女じゃいられない。ダンスはうまく踊れない。
純綿でボクサータイプがいい。オフェンス力よりディフェンス力が大事。
そんな訳で、寝る時用おパンツを買い足しにヨーカドーに行ってきた。以前にヨーカドーで購入したプライベートブランドのボクサーショーツが良かったので。
f:id:mame90:20190518172609j:plain
お相撲さんの廻しは絹。
ところがところがどうしたことでしょう…!
ごくごく普通のシンプルな純綿のおパンツは、軒並みLLから3Lしかないではないか!
昔、「海外に住んでいる日本人女性が何で苦労するかっていうと、パンツが買えないこと。向こうのパンツって大きすぎるから」という話をよく聞いたものだが、ここ数年で日本人女性の尻のデカさがそんなに変わったというのだろうか。

おかしい…。ここはビッグサイズの売り場なのか、普通サイズのおパンツはどこだ!…と探すと、通路の裏側にMサイズなどもあったが、どれもデザインが若い人向けで、なおかつ綿が含まれていなかったりする。レーヨンとポリエステル製だ。
中には「綿混」としか書かれていないものもある。
なんだよ、綿混って。一体どれくらい綿が含まれているんだよ!…と思うがその比率はどこにも書かれていない。この情報統制…戦時中か!!綿がそんなにも貴重な時代なのか、今は!…と愕然とする。
f:id:mame90:20190706203131j:plain

今に純綿のおパンツなんて手に入らなくなって、普通サイズのおパンツもなくなってどデカいのばかりになるんじゃないか。
私の知らぬ間にこの国はいったい、この国の女の尻は一体、どうなってしまったのか…。

ヨーカドーの片隅で、漠然とした不安に襲われる週末。
純綿にあんなに喜んでいた祖母の気持ちが、今ならすごくよくわかる。

時の流れに身をまかせ

隣の席のハルちゃんのお母さんは熱烈なキムタクファンなのだそうだが、最近はキムタクが劣化した、劣化した、と大騒ぎらしい。
いやあ、あの人だってもうあんな大きな娘さんのいるいい年だし、いつまでもセナじゃないでしょう…。

芸能人もすぐに劣化した劣化したなんて言われるから大変だな、と思う。
そういえばこの前、テレビで久々に森進一を見たらずいぶんと老け込んで美川憲一みたいな顔になっていたのでびっくりした。え!これが森進一?と。
襟裳岬を歌っていたが、肺がんもやったし、さすがに声量も落ちている。でも、それを補うだけのテクニックや貫禄、経験値があるし、それでいいんじゃないかしら、と思う。
人は、わけのわからないことで悩んでいるうちに老いぼれてしまうんだから。

森進一-襟裳岬
西城秀樹が亡くなったあと、一番驚いたのは御三家として出てきた郷ひろみのあまりに不自然な整形具合だった。え!!ヒロミ、さすがにそれはちょっとやりすぎでは…と思った。
郷ひろみも今年で64歳とのことなので、あれはもう9年前か…。ヒロミGO55歳のライブ、その名も「HIROMI GO CONCERT TOUR 2010“55!伝説”」に行ったことがある。ずーーーーっと昔からヒロミのファンだったのだろうおばさま方が多く、ペンライトではなくハンカチを振ったりしているのが新鮮だった。そして、55歳なのにあんなにもハツラツと踊れるヒロミの姿に、友人たちと「郷ひろみの凄いところって、ずーーーーーっと変わらず”郷ひろみ”の役をやってくれているところだよね」としみじみ感動しながら帰宅した。
そうやって、きちんと「郷ひろみの役」をこなそうとしてくれているから、あんなにも整形しないといけないんだろうか。芸能人て本当に大変だな。
f:id:mame90:20190630113601j:plain:w350
機械の体が欲しいとか、不老不死になりたい、なんて物語も多いけれど、不老不死って本当にいいものかしら。40代なのに20代に見える、って本当にいいことかしら、とちょっと考えてしまう。
私は昔から童顔で、28くらいまでは10代と間違われて居酒屋ですら年齢確認をされた。それがある日聞かれなくなったとき、なんだかものすごくショックを受けた。30歳になった時はものすごくヘコんで、今30と1分、30と2分…などとカウントしていた。
それから1年くらいたってやっと気づいた。30代って楽だな…!40代になったらもっと楽。人のことなんてどうでも良くなるし。

f:id:mame90:20190628215114j:plain
世の中に寝るより楽はなかりけり
もちろん体は如実に衰えてくる。でもそれもまた楽しい。「ああ、大人の階段登ってるな」という気持ちになる。
去年は老眼鏡を作った。度数はまだ0.5だけれども。
濃く見える!これが老眼鏡!とトキめいたが、会社で「これ老眼鏡なの」と言うと笑われる。いいさ、笑わば笑え。
各種不調に「ああ、更年期かなあ」などと言うと目を吊り上げて怒る友人もいる。「まだ早いから!!私たちまだそんな年齢じゃない!まだ女捨てないで!」
女捨てるも何もない。年齢とともに店じまいの準備が始まるのは当然のことじゃないか。
私は時の流れに抗って、いつまでも若くいようとするよりも、時の流れに身を任せ、静かに綺麗に枯れていきたい。先日、田辺聖子が亡くなった。
ニュースを見て驚いて息を呑んだし、「最後まで幸せでニコニコしてくれていたらいいな」と思った。そして久々に田辺聖子を読み返した。
この「週末の鬱金香」は短編集で、いろんな年代の女の話が収められている。田辺聖子お得意の20代後半から30代のハイミスもあれば、58歳、60歳、64歳なんて女性の話もある。そういう年代を大阪弁では「トシの緊(し)まった」と表現するんだなあと感心する。

みんないろんなことを経験して、少しずつふてぶてしくなりながら、一人で老いていく覚悟も固め、腹を据えて生活している。
男の人に胸ときめかせたりもして。
「人間がまともになるのは六十すぎてからや、思いますな」なんて会話もして。

ああ、いいなあ、と思う。
昔から年上の人たちの大人発言や大人スタイルに憧れてきたけれど、40になっても60過ぎの人の発言に憧れたりする。まだまだ憧れの先がある。きっと60になったらもっと楽に、もっと楽しく、素直に自由になれるんじゃないかしら、と思うと元気がでるし、年をとることが楽しみになる。

まだ穂の開かない若い緑のススキも綺麗。秋風に揺れるススキも綺麗。綿毛を膨らませたススキも綺麗、そして枯れたススキも綺麗。
私もそうやって、時の流れに身を任せ、すっくり立って風に吹かれて枯れていこう。

ワル自慢

最近よく叩かれている「昔はオレもワルかった自慢」
ああいうアホエピソード、私は別に嫌いじゃないですよ。ウザいはウザいけど、そのアホさが微笑ましい。
「俺は辛さ20倍カレーにチャレンジしたことある」とか。
あの辛さマウンティングは小学生男子もやっていたし、おっさんになってもやってる人がいるので相当根強いな、と思う。あと大食いとか。
私の大好きな「The Big Bang Theory」というドラマの中でも、主人公の一人レナードが、「昔はオレぶっとんでたぜ、クレイジーだった」と一生懸命アピールする回があって、まったく男子はバカだねえ、とニヤニヤしながら見た。

The Big Bang Theory -5.22 The Stag Convergence- Sneak Peek 1

さて、我が家のアホ男子猫は現在進行形でヤンチャしているもので、帰宅するとよく事件が起きている。豆乳パックが食い破られ、土鍋が割られ、米が床に散乱し、パンが市中引き回しの刑に遭い…。
それでも最近はずいぶん落ち着いてきたので、友人と「そのうちさ、あの子らも、オレも昔はヤンチャしてたよ…なんてドヤ顔でワル自慢するんだろうねえ」「最近ずいぶん学習してイタズラしなくなってきたよー」「猫も結構賢いよねえ」なんて親バカな話をしていた。
そんな矢先。
金曜日、帰宅するといつもニャーニャーとまとわりついてくる猫が玄関先で狛犬のように待ち構え,おとなしく座っている。
あら、どうしたの、と台所に入った瞬間にすべてを理解し、私は立ち尽くした。猫はササっと逃げていく。
f:id:mame90:20190621185056j:plain:w350
シンク下の扉を開けて侵入し、ご飯を盗み食いした上、麺つゆを床にぶちまけていたのだ。
な!!なんじゃこりゃーーーーー!!!!
心の中ではジーパン刑事のように叫んでいたが、衝撃のあまり声がでない。

男子3人を育てたうちの母が昔言っていた。
「男子って定期的にシメないとどんどん調子に乗るとこある」
「怒るって結構演技力も大事」
そうですね、ホントそうですね。さすが男子育ての先輩。

そんな訳で定期的にやらかすヤンチャ猫に対して演技力も駆使し、最近では猫を最上級で叱る時に、段ボール箱を投げて怒りアピールをすることにしている。
猫の遊び用ににいくつか空の段ボール箱を置きっぱなしにしているのだが、これを投げると結構大きな音がでるので猫たちがビビる。つぶれたら捨てれば良い。
ゴリラのように段ボールを投げる私に、奴らは「あいつマジ、クレイジー」とばかりにベッドの下に逃げ込んで、息を潜めてじっとしている。
そして私は床にはいつくばって雑巾がけをし、散らばった猫餌をかき集める。何度拭いても消えない麺つゆ臭とベタつきに更に怒りが募り、再度段ボールを投げる。
f:id:mame90:20190622191929j:plain
傍から見たらこんな感じだ。
どうだ、私も相当クレイジーだろう。おっさんらは昔、クレイジーなワルだったかもしれないが、猫も私も現在進行形だぜ。
f:id:mame90:20190621195604j:plain:w350
フライデーナイト、怒り心頭なゴリラの夕食はヤケマック。カロリーとかビタミンとか知るかよ!!
昔はこれくらい余裕で食べれた、と大食い自慢したいところだが、やはり寄る年波でポテトが苦しい。

そんな金曜日から一夜あけて、床はまだなんだかべたべたする気がするし、めんつゆのシミがとれない。
f:id:mame90:20190621201242j:plain
だが猫は既に許されたような顔で伸び伸びとしていやがる。
なんてクレイジーでワルいヤツ!