ネーミング・オブ・キャッツ

スマホの写真フォルダが勝手にアルバムを作ってくれるのはいいとして、そのネーミングセンスはどうなのか。

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ネコだにゃん
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圧倒的な語彙力のなさ。

猫に名前をつけるのは とても難しいことなのです
信じられないかもしれないけれど 猫には3つの名前がある
(中略)
猫は独特な名前を求めている
もっと威厳のある名前を
誇り高くいられるために
顔をあげて生きるために
               ミュージカル「キャッツ」より

アルバムに名前をつけるのは、猫に名前をつけるよりもよっぽど簡単だと思うが、ナメすぎじゃないか。「こんなにかわいい!」「かわいい!」て。


さてさて、映画版キャッツを見てきた。
あの海外で酷評続きのアレだ。テイラー・スウィフトなんか出ちゃってるやつだ。

舞台版は何度も見たことがあったので、映画化されるという話を聞いた時点で見に行こうと思っていたが、あまりの酷評に躊躇していた。
しかし父が「キャッツ絶対見たいんだ、一緒に行こうよ」と無邪気に言うではないか。
「海外でものすごく評判悪いらしいよ」とは伝えたが「そんなはずないよ!!」と父は純粋な心でキャッツを信じていた。

そんなわけで、まあどんなもんか見てみようという好奇心もあり、公開初日に行ってきた。
そして「ああ、舞台って本当によく計算されてできていたんだなあ」としみじみ感心した。

ともかくカメラワークが悪い。
海外のレビューでは「猫の見た目が気持ち悪い」とか「ゴキブリが気持ち悪い」とか言われていたが、何が一番気持ち悪いかってあのぐるぐる回転するカメラワークだ。しかもやたら揺れるのだ。その辺のYoutuberが撮ったのかとさえ思う。
CGで背景もあれこれ作り込んでいるので、画面の情報量が多すぎて目がまわる。


登場人物が多い作品というのは背景がシンプルな方がいいし、猫が目まぐるしく動くところは視点を固定して、自分の好きな猫を探すほうがいい。
でも映画だとカメラを固定するなんてできないもんな。
いろいろ説明も必要だし、わかりやすく単純化もしなければいけないんだろう。
あれも苦肉の策なのだろうか、と同情もするけど、グロールタイガーの扱いの酷さに憤りもする。

今回字幕版で見たが日本語訳もまあまあひどい。特にオールドデュトロノミーが初登場するところ。なんかもうちょっとあるんじゃ…。
オールドデュトロノミーは舞台版ではヒゲぼーぼーの麻原彰晃みたいなおじいさんだったのに、映画版ではジュディ・デンチが演じる利発なおばあさんになっていた。
仙人的存在だと思っていたのに、突然「腹に一物ある策士」みたいな存在になったオールドデュトロノミー。

こちら舞台版

舞台版に比べて猫の数は増えていたが、名前を与えられている猫はわずかのようだった。シラバブはヴィクトリアに吸収合併されていたし、グリドルボーンも出てこない。
ヴィクトリアが主人公のような扱いをされていて、カメラがやたらとヴィクトリアに寄るので、最後の方は「ヴィクトリアもういいよ。お前の物語じゃないんだよ」とちょっと辟易してしまう。
可愛い女優さんなんだけど、常に同じ顔なんだよな…。
映画のために加えられたテイラー・スウィフトの歌もイマイチだった。

帰り際そんな話を父と延々していたところ、父が「せっかく見たんだからなにかいいところも探そうよ!」と言う。
なんてピュアハートなんだ、父よ。
うーん、うーん、映画版キャッツのいいところ…うーん…なかなか出てこない。あの映画のいいところってどこだ。あの映画を一体なんと名付ければいいんだよ。
猫に名前をつけるより、そっちの方が難しい。

昨日一番トキめいたのは予告編で見た「トップガン マーヴェリック」


夏に公開予定らしい。
音楽が懐かしい、トム・クルーズがカッコいい、アメリカが元気だったあの頃!
でもまた公開前になって海外から酷評レビューが出ちゃったりするのかしらね。
それでもきっと父はまたトップガンを信じるんだろう。キャッツを信じたように。
見習いたい、あのピュアハート。

おもてなし力

相撲を見始めて早5年。
初めて国技館に連れて行ってもらった4年前のことを今も鮮明に覚えている。


あれから国技館開催の場所は毎回見に行って、いつも相撲先輩のつるちゃんとまるちゃんに色々と教えてもらって楽しく観戦してきた。おかげで初日も中日も千秋楽も、優勝決定戦も、断髪式も稽古総見も見ることができた。

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2018年夏場所千秋楽の協会ご挨拶
いつもそうしてパーティーの後方で受け身で相撲を見ていた私に、ついに宣教師としてパーティーの先頭に立つ機会がやってきた。
くみちょうさん(id:Strawberry-parfait)とまみこさんが相撲を見たいと言うので、初場所のチケットを取ることに。
相撲先輩のつるちゃんとまるちゃんに「初場所は初めての方をご案内する予定なの」と連絡すると「まめ、相撲観戦人口を広げてえらい」「布教活動頑張ってる」とお褒めの言葉をいただく。
いや~、しかし、二人がしてくれたみたいにあんなに上手にご案内できるかしら、とちょっと緊張。
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運良く2日目のチケットが取れた。
千秋楽も楽しいは楽しいのだけど、ここ最近力士の休場がとても多くて、千秋楽になると番数が少ないので早めの日程ばかりで申し込んでおいた。これが本当に正解で、2日目は横綱2人とも出ていたけれどその後すぐ休場になってしまった。横綱土俵入り見れないんじゃ寂しいもんな。

あとでくみちょうさんのブログを拝見したら、私が初めて相撲観戦したときと全く同じように両国駅の扁額や、はためくのぼりにトキめいていて、「そうそう、そうですよね」と懐かしく思った。
館内を一巡して、ちゃんこも食べて、入待ちへ。
この時点でなんだかもう結構振り回してしまっているような気がしてドキドキしていたけれど、つるちゃんのために栃煌山の入りはちゃんと撮らねば!と日差しの強い中粘らせてもらった。
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つるちゃんの大好きな栃煌山。いつも13時半までに入ることはもう調べがついているのだ。
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私もなかなか顔と名前の一致しない力士が多くて、お二人に上手に解説してあげられないのだけれど、さすがに琴奨菊はわかるので「あれ、琴奨菊ですよ」とドヤ顔でお伝えし、「テレビで見たことある!」との言葉にホッと胸をなでおろす。知らない人ばっか見てるんじゃ面白くないだろうし。
でもすみません、もう少しだけ…と我が身の都合で立ち続ける。
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大好きな琴恵光が見れて嬉しかった。キャー!男前!キャーーーー!
もう、お二人のご案内どころじゃなく、はしゃぐ。
その後ちゃんと焼き鳥もビールも買って、余裕を持って席に戻って十両土俵入り。照ノ富士が戻ってきて本当に嬉しい。
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照、めっちゃカッコよかった。
私があんまり解説が上手じゃない分、後ろにいるやたら相撲に詳しい男児の解説に助けられる。ただ応援力士は大体いつも私と男児は逆であった。ミーハー男児め。まあ、子供だからしょうがない。
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千代丸を応援していた男児には悪いが琴恵光の勝ちだぜ。うへへ。

力士を知らないと、知らない人が出てきて同じことが続くばかりなので退屈しちゃわないかしらと、くみちょうさんやまみこさんを若干心配しつつ、呼び出しリッキーの説明や照強の塩の話などする。
いやはやホント日頃から相撲中継とかちゃんと見て解説の人からいろんなエピソードを聞いて勉強しておかないと、人様を案内するなどなかなか難しいのだ。
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改めて、相撲解説者のすごさも思い知るし、つるちゃんまるちゃんのすごさも思い知る。師匠の教えを次につなげるというのはなかなか難しいもんだ。
我が身のおもてなし力の足りなさを痛感。

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異様な盛り上がりだった遠藤-白鵬
そんな訳で今日は真面目に相撲見て勉強しています。
いつかつるちゃんまるちゃんみたいに上手にご案内できるといいな。
うちの父もそのうち国技館に連れて行かねばならないので…。

卵の思い出

鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。
             ヘルマン・ヘッセデミアン

とか言うとカッコいいけれど、卵にまつわるエピソードを思い出そうとすると、どうしても生活臭い、ちょっとしみったれた、どこか切ない話ばかりな気がする。

やれ昔は卵が貴重品で、だの「クラスの女の子が家でアヒルを飼っていたので、アヒルの卵の目玉焼きをお弁当に持ってきてクラスメイトにからかわれていた」だの。
卵、という存在があまりに身近なせいか、他人のエピソードを聞いても、まるで自分が体験したかのように生々しく身近に感じたりもする。
向田邦子の「薩摩揚」というエッセイには、足の悪い女の子のお母さんが遠足の日に見送りに来て、級長だった向田邦子に風呂敷包みいっぱいの茹で卵を手渡す場面が描かれている。

ずっしりと重い包みの中は茹で卵で、「みんなで食べて下さい」という意味のことを聞き取りにくい鹿児島弁でいって、子供の私に頭を下げた。私は今でも、茶色の粗末な風呂敷と、ほかほかと温かい茹で卵の重みを辛い気持で思い出す。

新装版 父の詫び状 (文春文庫)

新装版 父の詫び状 (文春文庫)

学生時代、日韓学生会議という学生交流団体に所属していて、夏にみんなで韓国に行ったことがある。同期にマサコという非常に変わった女の子がいて、まるでムンクの「思春期」という絵の中の女の子みたいに、いつ突然叫びだすやもしれない緊張感を常に湛えていたのだけれど、そのマサコがソウル行きの飛行機に搭乗するやいなや、いきなり茹で卵を食べ始めた。あたりに漂う茹で卵臭。そこは一気に成田でも飛行機の中でもなく、硫黄臭漂う箱根へと変貌した。
恐る恐る「なんでいきなり茹で卵?」と聞くと彼女は真顔で答えた。
「飛行機に乗るのが初めてだから気持ちを落ち着かせたい」
「ゆ、茹で卵を食べると気持ちが落ち着くの!?」…と誰もが思っていたけれど誰も口に出せずに黙り込んだ。
あの腫れ物感と茹で卵の匂いのやるせなさは向田邦子のエッセイのようだった。

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子供に大人気のこの物語さえ、最近では卵を奪われた鳥の気持ちの方が気にかかる。

さて、12月にはくみちょうさん(id:Strawberry-parfait)に忘年会で神保町の中華料理屋さんに連れて行ってもらった。くみちょうさんが以前から何度も「美味しい」と絶賛していたお店。とてもスパイスが効いていて、中華とエスニックの融合みたいな感じで美味しかった。
そこでくみちょうさんが「ピータン豆腐」を注文してくれたので、本当に久々にピータンを食べた。

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こんな感じのやつ。
人生で一番最初にピータンと出会ったのは、学生時代アルバイトをしていたバーミヤンだ。これまでウェイトレスをしていたけれど、ちょっと接客に疲れて厨房のアルバイトに応募したのだ。あれは本当に体力、瞬発力、判断力の問われる仕事だった。毎日餃子に追われた。

土日は開店前から入って、仕込みをする。
餃子マシンを立ち上げ、試し焼きをする。米を沢山研いで、すぐに炊く分とストック分に分ける。ザーサイを塩もみして味付けし、小皿に10段くらいセットする。フライヤーに油を張って電源を入れる。卵を一つ一つ確認しながらボウルに割り入れたあと、混ぜて濾して卵液を作る。調味料やタレを全部、きれいに洗ったホテルパンにセットする、トマトやレタスを切っておく。小さなセイロにシウマイを10段くらいセットする。引き出し型の蒸し器の電源を入れて、温度があがったらシュウマイと、そして大きなセイロに4つくらいピータンを入れて蒸す。
初めて見るピータンは、わけのわからないものに包まれた爆弾みたいで、しかも蒸している間なにか泥のような変な匂いがするので恐ろしかった。
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蒸しあがったピータンの藁と泥を洗い落とし、殻を剥くと、コーヒーゼリーみたいな色の卵が出てくる。それを言われたとおりに恐る恐る切っていると、社員の人が「ピータン食べたことない?じゃあ1個味見してごらんよ」と言って食べさせてくれた。
あれが人生最初のピータンだった。
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昨日は、中華食材をあれこれ買いに中華街へ行ってきた。そうしたらピータンを見つけてしまい、「あ、こないだ食べたピータン豆腐が作れるな」と買ってきた。久々だし一応ネットで食べ方を調べると「そのまま殻を剥く」と書いてある。「え?蒸さないの?」と驚いて、更にいろいろ調べたところ、そのままでも食べられるが蒸すことによって臭みが消えて食べやすくなるとのこと。
ああ、そうか。だからバーミヤンではわざわざ蒸していたのか。今更納得して、私もピータンを蒸した。

台所にもわっと広がる、あの泥のような独特の匂い。
それを嗅ぎながら、あのハタチの頃の、餃子に追われた日々を思い出していた。本当に忙しくて大変だったけど、楽しかった。ランチのピークがすぎた後、みんなが休憩に入った静かな時間に油を掃除したりディナーに備えて補充をしたりする地味な時間が好きだった。ものすごい大失恋をしたのもあの頃だった。泣きながら洗浄機を回していた。
ちょうど卵の中から抜け出して大人になろうとしていた時期だ。
あの日がなかったら、きっと自宅でピータンを食べようとは思わなかったな。
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久々に見たピータンのきれいな松葉模様。

卵の思い出っていうのはどうしたっていつも生活くさくてしみったれて、カッコ悪い、生々しくてやるせない。
あーあ、いろいろあったな、と少し笑ってしまいながらピータン入りのお粥を食べた。

沼に落ちて

あけましておめでとうございます。

2年前の年末は蘇州と上海へ行った。その時知っていた中国語は「你好」「謝謝」「再見」くらいだったが、漢字とカタコトの英語でなんとか乗り切った。

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盲人按摩て…!!なんという鬼直球…!!、と驚いて撮った写真
時は流れ、ずーーーっと放ったらかしにしていた語学アプリからお知らせメールがやってきた。「今度中国語コースも始めたからやってみて」
久々に語学アプリを開き、ヒマなこともあり面白そうだからとヒンディと中国語とフランス語を始めてみた。でもフランス語はまず、むにゃむにゃしてて何言ってるかわからない。ヒンディは文字がヤバすぎた。文字と発音の組み合わせがまったくわからない。そこへ行くと中国語の素晴らしさよ。漢字ではないか!!!漢字知ってるし!!
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ムリすぎ。
けど、よくよく見れば、文字これだけだもんな。西洋人が漢字を覚えるときの絶望に比べれば全然マシなんだろう。
しかしもはや私には新たな文字を覚える気合はないので、漢字わかる!と中国語コースをすすめることにした。
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どんなシチュエーションなのか…
別にただの趣味なのでゲーム感覚で面白いなと思ってやっているだけなのだが、ちょっとハマり、Youtubeでも中国語関連の番組を見たりする。
するとまあ当然のことながら「歌で勉強しよう」「ドラマで勉強しよう」という語学にありがちトピックにぶち当たる。その中で紹介されていた中国の時代劇「琅琊榜」。
これがヤバすぎた。
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どれくらいヤバいかと言うと、全54話(1話約40分)を3日で見終えるほどに。
この私が…!私ともあろう者がニューイヤー駅伝も、箱根駅伝すら見ないほどに。リアル野球盤の録画すら忘れるほどに!!
延々と見続けてしまうので、猫にも「早く寝ろ!」「俺達のメシは!」と激怒される正月だった。
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オレ達は育児放棄された可哀想な猫です!
夜中まで見続けたので、見終わったら少し風邪もひいた。
最後まで見終わったら、今度はゆっくり1日1話ずつ見ようと思っていたが、2度めは「ああ!これがあの時の伏線だったのか!」などと気付くことも多く、ついつい2話、3話と見てしまう。FODの1ヶ月無料期間を使って見ているが、このままではこの1ヶ月の間に54話を3周はするだろう。
…これが世の中で言われる「沼」というヤツなのか…。
「沼にハマる」ってこういうことなのか。普通の生活ができなくなるのだな…と痛感した2020年の始まり。

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これを機に中国の歴史ドラマいろいろ見てみようかな、と思っていたが、琅琊榜ひとつでこんなになるなんて怖すぎて他のドラマに手を出す勇気がない。
生活を賭ける勇気のある人は是非、一度見てみてほしい。

梁の時代の王権争いをテーマにした大河ドラマで、ものすごく面白い。
元気だった頃の東映時代劇みたいに、いい俳優といい脚本でできている。
悪役すら人間味に溢れている。
梁と言えば西暦500年頃だ。日本はまだヤマト政権ができるかどうかの頃で、相当中国に影響を受け、憧れ、学ぼうとしていた頃だろう。
ドラマを見ていても端々に日本の文化のルーツを感じる場面が出てくる。
着物の袂をおさえるマナーとか、旅立つ人をずっと礼をして見送るだとか、何よりお茶とミカン。
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謀議をしながらお茶を飲んでミカンを食べるシーンが多いので、こちらも遠慮なくお茶を飲んでミカンを食べながらドラマを見る。まるで自分も謀議の一員になったような気分だ。
あと面白いのが、宮廷のお妃様たちが「娘娘(にゃんにゃん)」と呼ばれているところ。
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裏切った女官たちが「にゃんにゃん!にゃんにゃん!!」と訴えたりしていると、私は放ったらかしていた猫の存在を思い出し、「にゃんにゃん!!」と猫に駆け寄ってはイヤな顔をされるのであります。
しばらくこの遊びは続くから、覚悟しておれ、にゃんにゃん。
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沼は深いのだ。

妄想民族

昨夜は父とレイトショーで周防監督の最新作「カツベン!」を見てきた。

なんと観客は私と父の二人きりであった。まだ封切りされて間もないのに何たること。スター・ウォーズターミネーターやアナ雪に押されているのだろうか。
映画の黎明期を題材にした物語なので、テンポはわりとゆっくり目で2時間半くらいある長い話だ。

一番最後にスクリーンに「かつてサイレント映画の時代があったが、日本には存在しなかった。なぜなら活動弁士がいたから」という説明が映し出されて、そうなのか、と驚き、父に「あれは日本独自の文化だったんだね」と感想を伝えたところ、父は得意げに「ほら、映画の中でもあの昔の弁士が言ってただろ、”言葉はいらない、見ればわかる”って。西洋の映画はそれなんだ」と言う。

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言葉はいらない。見ればわかる。何が起きたか。猫。

以前に河鍋暁斎歌川国芳の浮世絵で放屁合戦や水滸伝を見たときに、「ああ、漫画的表現というのは日本の伝統芸能なのだな」としみじみ感心したことがある。
また、そんな江戸時代の絵師たちが西洋画にものすごく刺激を受けていたという文献にも衝撃を受けた。彼らが何に驚いていたかって「見たものをそのまま描く」という西洋の手法に驚いていたのだ。

ああ、そうか。そう言えば日本では「見たものをそのまま描くってことしないよなあ」としみじみ思う。何故かしら。
何故見たものをそのまま描くということをこの国は選択しなかったのかしら。とても不思議だ。

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有名なこちらとか。
今で言うところの「映え意識」で盛り盛りだ。時空まで歪めるアレだ。
サービス精神旺盛というか、「俺の目に映る景色はコレだから。常に美しいものを見たいじゃん?」とか言う意識の高さ故か。
波のありえない高さ。そして富士山の鋭角さ。
そりゃあ太宰治も驚いて書きたくもなるだろう。

実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり、東西、百二十四度、南北は百十七度、決して、秀抜の、すらと高い山ではない。
                太宰治富嶽百景

だがしかし、我々観る側もこれを求めてきたのだ。見たままありのままを表現してくれるよりも、映えを意識して加工してほしかったのだ。事実を事実として見るよりも伝える側の美意識や想像力をそこに加えてほしいのだ。

活動弁士の物語でも随所でそういうことを感じた。
弁士の力でつまらない映画も面白くなり、面白い映画もつまらなくなり、悲恋がコメディにも、コメディがシリアスにもなり得る。
見ればわかる映画にいろんなフィルターをかけることができて、そして我々日本人は「見ればストーリーがわかる」ことよりも弁士のフィルター表現の方を選んだのだ。


面白いもんだな。想像の余地、妄想の余地が大好きなのだな、我々は。
だもんで寅さんの啖呵売だって大好きなのだ。あんな風につるつると話されたら、つまらないゴム紐でもしょうもない雑誌でも買ってしまうのだ。
帰り際、車の中で上機嫌で忠臣蔵の弁士を演じる父と、次は寅さんを見に行く約束をして別れた。
もう亡くなった寅さんはどんな風に蘇るのかしら。そこにだって、想像も妄想も止まらない。
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乾いています

ジーザスの生誕祭が近づく今日この頃ではございますが。
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ジーザス・クライスト・スーパースターというミュージカルは、青春期のジーザスの最後の7日間を描いたもので、最後に彼はこの写真の通り十字架に磔にされ、息も絶え絶えにこう言う。
「神よ…私は…乾いています」

劇団で働いていた頃、冬場にこのセリフは非常に多く使われた。
「磔になった気分」と言えば乾燥を伝えられたし、乾燥を感じればジーザスごっこをした。
そんな職場を離れ、早10年。
毎年冬になるたびに、「ああ、ここではアレは通じないな」と思いながら、心の中で一人そっとジーザスごっこをする。
「乾いています…もう…終わりです…」

年を経るごとに水分が保持できなくなり乾燥していくので、もう今年は職場の自分の机にこれを導入した。USB電源で使える加湿器。
通りすがりにいろんな人が「ああ!これいいですね、どこで買ったんですか」と声をかけてくれる。みんな乾いていたのだな、この職場で。
みんな十字架の上のジーザスのようになっていたのだ。私はそんなジーザスに癒やしを与えるマリアの如く、これはアマゾンで2000円、とお伝えする。
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加湿器の緩衝材をベッドにする猫
ゴルゴダの丘のように乾いているのは何も職場に限ったことではない
去年猫が来てから自宅にも加湿器を導入したが、それでも乾燥で体が痒くなることもあった。
もう己の体から十分な油は出ないのだ…。
ネットであれこれ調べると、風呂上がりに洗面器にお湯を張り、そこにベビーオイルを垂らして体にかけるとまんべんなく油が行き渡り乾燥しないと書いてあった。
試してみたが、シャワー派の私にとって、洗面器にお湯を張るのが面倒なのと、洗面器と風呂の床がすぐにベタベタになってしまうのが悩みどころだった。
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試行錯誤の末、風呂上がり、体がまだ濡れているうちにニベアをベビーオイルで伸ばしたものを全身にすりこんだ後、水分を軽くタオルで拭き取るという方法に落ち着いた。
ボディクリームみたいにぬるぬるしないし、香りがキツいこともなく、ベタベタもしない。おまけに乾いていない。
これが一番大事なことだ。乾かない!!!

この冬のテーマは「乾かない、そして風邪をひかない」
乾かないって本当に素晴らしいことだ。
顔も就寝前にニベアを塗り、さらにワセリンを薄く伸ばして蓋をしている。絶対に乾かないという強い意志の現れだ。
朝起きて顔を洗う際にしみじみ思う。「ああ、脂がのっているな」

脂(あぶら)が乗(の)・る の解説
1 魚や鳥などが季節によって脂肪が増え、味がよくなる。「よく―・ったブリ」
2 調子が出て仕事や勉強がはかどる。「演技に―・ってきた」
                  デジタル大辞泉より

やっぱり「乾いています…」とカサカサでいるよりも、脂がのって照り照りツヤツヤつやたまぐ方が素晴らしい。
乾燥して痒かったり、静電気が痛かったり、皮膚が突っ張って伸ばしにくいよりも、脂がのって水分も足りていると潤いがあって心にも余裕が出る気がする。冷えも防げる気がする。

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羽海野チカ3月のライオン」より二階堂さま
ジーザスは十字架の上で息も絶え絶えに「乾いています…もう…終わりです…」と言っていたが、そう、乾いていたらもう終わり。乾いている場合じゃないのです。
マリアだってあなたに香油を塗って落ち着かせてくれたじゃない?
油って大事だよ。みんな油塗って照り照りツヤツヤに潤いましょうよ。
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そんな訳で私は今脂がのっています。乾いてなどいない。
でもジーザスごっこはたまにやりたい。
私の演技にもきっと脂がのっているだろう。

猫とばあちゃん

先週母からLINEが来て、「ばあちゃんが危ない、みんななるべく早く病院に行ってやってほしい、年は越せないと思う」と言うので、日曜日に病院に行ってきた。

みんなが拍子抜けするほど祖母は元気でよくしゃべったけど、案の定、私のことも弟のことも覚えておらず「ばあちゃんもう誰だかわかんないけど、みんな来てくれてありがとね」「孫ったって何人もいるからね」「あらー、あんた血縁なの~」とけらけら笑っていた。
笑っていていつもの勢いでしゃべってくれていてよかった。
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子供の頃、山下公園で遊覧船に乗せてもらったときも、「今からまめを上海に売りに行くよ」と面白そうに笑っていたばあちゃん。
きっとそんなことはすっかりさっぱり忘れてしまっているだろう。
なにせ「2ヶ月前のことなんてもうばあちゃん無理よ、91だからね、昨日のことだって覚えちゃいない」と豪語していたくらいだ。

それでも大事にしていた猫のずっちゃんのことはきちんと覚えていた。
孫のことは忘れても、ずっちゃんのことは忘れない。
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うちの猫たちの写真を見せたところ
「あら!これはいい猫ね。ちゃんと手をそろえてしっぽで巻いて礼儀正しい!ばあちゃんにはわかる。これはいい猫よ」と大層褒めていただいた。
そして私には「あなたどこの子かわかんないけど」と言い、撫ですぎて毛がつるつるになった猫のぬいぐるみを抱きしめていた。
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いつか私にもいろいろ忘れてしまう日がくるけれど、それでも陽気に笑っていられるかしら。猫のことは覚えているかしら。
今日は猫とケンカして口もきいていないんだけど、そんな日のことも思い出すかしら。
いいことばっかり思い出すかしら。

もう91だし、大往生よね。万が一年が越せなかったとしても最後に元気なときに会えてよかったわよね。
そんな風に話して、まあみんなそれなりにちょっと覚悟して別れた。
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これはこの夏、銀座のギャラリーで見たくまくら珠美さんの「雪男曼荼羅」という猫の絵。

ばあちゃんは天国に行ったらきっと、子供の時から可愛がってきたたくさんの猫たちと再会してこんな感じになるだろうな、と思う。
真ん中にのしっと座って、ずっちゃんを抱いて、やたらめったらしゃべっているんだろう。
そう思うと、もうこの絵の白猫がばあちゃんにしか見えなくなってくる。

まるで猫みたいで、猫が大好きで、猫のことだけはちゃんと覚えているばあちゃん。
それでいいよね。それで結構幸せだよね。