ままならない 2017夏/青春4日目

鹿鳴館 (新潮文庫)

鹿鳴館 (新潮文庫)

11月、秋の終わり、天長節が舞台のこの戯曲の中で、主人公朝子は切々と嘆く。
ああ、ままならないものでございますね。何というままならない…
澄んだ秋空を見ればこの戯曲が読みたくなるし、大仰な台詞回しで「なんっという、ままならない…っ」と言ってみたくもなる。

大正元年に造られたネオ・ルネサンス様式のJR日光駅駅舎
青春18きっぷでやってきた1泊2日の日光。寺に行けば「人生はままならないものだ」と諌められるし、まあ確かにあれこれままならない。

こういうスナックに、ふらっと入れるほど大人に成る日はいつ訪れるの?
まずもって、夕ご飯を食べるお店がなかったし、朝にかけて小雨が振る。なんでわざわざ1泊したかって、それは霧降高原をハイキングしたかったからだ。しかし、雨…。始発のバスは見送って、雨が止むのを待って出発。
そうそう、駅前のコンビニでお弁当を買おうと思っていたが、駅前にコンビニはなかった。…ままならねえ…。

霧降高原の一番ポピュラーなコースはこの斜面を階段で延々登る道。上に展望台もあるらしい。

しかし私は下るつもりで来た。下ると滝に出るはずなのだ。別にすごく滝が好きとか、見たいとかってわけじゃないけど、あったらつい寄るじゃない?滝。


というわけで大山ハイキングコースなのですが、この時点で若干想定外。
初夏に、私は課長の薦めで尾瀬に行って参りました。尾瀬はさすが有名な観光地だけあって、完全に整備された木道をひたすら歩く場所でした。登山靴を持っていく必要なんてなかった。
課長も後で言っていました。「失敗したよー、もっと軽装備で良かった。今度は荷物減らす」
…先に言ってよ!
そういう経験の下、私は日光霧降高原のハイキングコースをナメていた。有名な観光地のハイキングコースだもの、イヤってほど整備されているのでしょう。また尾瀬も行くし、とわざわざローカットのトレッキングシューズを買って、軽装備で出かけた私の前に広がるは箱根の如き藪。あらやだ、ゲイター持ってこなかったじゃない…。ままならないものでございますね。

それでもいつかは藪をぬける、と思うでしょうが、藪、沢、藪。


牧場に出た!…と思ったって、この芝はぐしゃぐしゃに湿って、一足ごとに水が滲み出て来るんだぜ。

おかげさまでおろしたての靴はこの惨状。ぼ、防水スプレーしてあるから…汚れだってはじくんだから…(震え声

やだ、北海道みたいじゃない!…とかキュンとしてみるが、実は北海道に行ったことはない。

想定外に晴れるもまだまだ湿った藪を行く。

そして怒涛の滝ラッシュが始まる。

ちょっと遠回りすれば滝があるよ!あっちも滝だよ、こっちも滝だよ。

なんだかもう、だんだん滝はどうでも良くなってくるのだ。滝、おなかいっぱいだよ。僕もう疲れたよ。

そうして。
一番メインの、有名所の、目標としていた霧降の滝は見ず、丁度来たバスに乗ってしまう。
ままならないわねえ。
しかし思い返してみれば、私はいつもどこかに行くたびに「ままならない」「想定外」「こいつはびっくり」「なんたること」とままならなさを嘆いたり笑ったりしているし、結局のところ、そうしたくてどこかへ出かけているんだろうとも思う。
と、総括したところで最後にもう一度輪王寺の教え。

昼過ぎのJR日光→宇都宮→渋谷で夕方帰宅。泥まみれの靴で乗る都会の電車の恥ずかしさよ。
ああ、ままならないものでございますね。何というままならない…。

四諦 2017夏/青春3日目


己の無知に直面した際、いつも頭に流れる曲。
知らなかったよーーーーー♪
知らなかったよー。足尾銅山日光市だとは。わたらせ渓谷鐵道の終点からバスで小一時間で日光市街に着くのだとは。
そうとも知らず私は9月頭に日光に行こうとホテルの予約まで済ませてたよー。

これは去年の12月。陽だまりハイク気分ででかけた奥日光で降りしきる雪に身も心も震えつつ心の中で歌っていた。「知らなかったよー。日光がこんなに寒いとはー」

7:16渋谷発湘南新宿ライン宇都宮行き→9:14宇都宮着→9:32宇都宮発日光線→10:21日光着。
9月頭の日光はおかげさまで晴天。

だが、知らなかったよー。明智平ロープウェイが5分で、何一つない展望台に到着し、中禅寺湖華厳の滝を眺めるだけのスポットで、往復730円だなんてー。このやろう。
もうここから、華厳の滝は見たから、華厳の滝エレベーター550円には乗らないからな!

湯葉御膳食べて中禅寺湖チラ見して、東照宮へ。
平成の大修復が終ったというので、見てみようかとわざわざ金曜日の有給を取ってきたのだ。平日のほうが少しでもすいているだろうと思って。

だのにー、なぜー、私は修復中の輪王寺の方にふらふらと吸い寄せられてしまうのー。

若者なのかしら。
現在修復中の輪王寺本堂には特設の天空回廊というものがあって、横から、上から屋根の修復工事の具合を見ることができる。

石川島播磨が頑張ってるんだな。

修復完了の暁には、この景色を見られるのは鳥だけか、と思うとなかなか感慨深い。
ここまでは仮設の武骨な階段をコツコツと歩いて登ってこなければならず、老人の団体客も、外国から来たらしい老夫婦も諦めていた。
そのプレハブ階段の踊場には逐一ありがたい教えが貼られている。

それでいいではないか。

そしてこれ。とかく思い通りにならないのだ。思い通りにならなくていいのだ、受け入れるしかないのだ。
東照宮前を通り過ぎ、家光公のご霊廟大猷院へ。


団体客をつれたガイドさんのお話をチラ聞きしたところ、この大猷院、東照宮と造りは大体同じなのだけれど、家光が家康に敬意を払って、黒を基調とした抑えた色合いにしてるんだとか。お!センスいいじゃん、家光!…と思ったが、あの東照宮を元の質素なものからあそこまでド派手にしたのは家光とのこと。あの方派手好きなんですってよ。
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写真撮影不可の金閣殿がとても良かった。東照宮ばっかり持て囃されるけどここ、素晴らしいじゃないの!としみじみ満足しながらゆったり眺めて、二荒山神社も寄って…なんてことしてたら東照宮参拝の時間はもうない。
拝観券売り場のお姉さんに「今からですと宝物館か美術館のどちらかしか無理です」と選択を迫られ、宝物館に行って、家康礼賛&美化1000%のアニメーションビデオ見る。「こんなにも礼賛?ちょっと宗教っぽい…あ、神様なんだから宗教か」と変に納得。
家康の遺訓もしみじみ読む。

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。

そうか。そうなのか。人生は重荷を背負って遠い道を行くものか。及ばざるは過ぎたるより勝るのか。そして人生は思い通りにいかないから、思い通りにしようなんて思うべきではないものなのか。

今日一日で、ずいぶんと諌められたような気がする。
うーん、うーん。まだ若いつもりなのか、イマイチ納得行かない部分もある。でも受け入れるしかないのだな。
夜の日光市街に営業中の飲食店がほぼなくて、魚民で夕ご飯食べる羽目になるのも仕方ないのだ。思い通りにはいかないのだから。不自由を常と思えば不足なし。
ビール飲んだらそれでいいではないか。

時間の厚み

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以前、ユーロスペースで「ロイヤル・コンセルトヘボウ オーケストラがやって来る」という映画を見た。オランダの王立オーケストラの創立125周年記念ワールドツアーを追ったドキュメンタリーで、演奏する側、聴く側の人生に音楽が重なってくる。中でも冷戦下、強制収容所に収監されていたロシアの老人の話は強く心に響いた。

映画のキャッチコピーは「聴くものが人生を重ねる時、音は初めて音楽になる」
見終わった後にずしっとくる、いいコピーだなと思った。音楽ってそういうものだったのか、と新しい景色を見たような気持になる。

さて、私がコアラを見るために足繁く通う埼玉県こども動物自然公園の最寄り駅、東武東上線高坂駅には「彫刻プロムナード」なるものがあって、歩道にたくさんの彫刻が展示されている。
なぜ?地元の彫刻家?と疑問に思いながら、常日頃バスの窓から眺めていたが、東松山市のホームページによると「1982年、当市で彫刻展と講演を開催したことが縁となった、故高田博厚氏の彫刻」とのことらしい。

一人の人の彫刻だったのか。いろんな人の彫刻なのかと思っていた。
先日、動物園帰りにバスに乗らず、駅まで歩いてみることにした際、ようやくこれらの彫刻をきちんと見ることができた。
…いや、別に特に「見たい!」と思っていたわけではないけれど、歩いている最中、向こうが相当なインパクトで目に飛び込んできたのだ。

最初に出会ったのは新渡戸稲造
お!稲造じゃん!5000円札変わってから久々に会ったな、ていうか、すごいデコだな。おでこシックスパック。誰の作品?なんで稲造?
軽い気持ちで台座に作者名を探すと、コメントにぶつかる。

私の人物像は「似ていない」とよく言われる。ある一時の面(つら)しか見ていない者はそう思う。当然だろう。けれども、本当の肖像彫刻というものは、(私が考えているところでは)「人間」の容貌にそれが経てきた「時間」の層、その厚みが出なかったら意味を失うだろう。    作者

この時点で作者が誰なのか、私はまだ知らない。
が、「ひいいい、ここまで言い切るとは相当のお方なんでしょうねえ・・・すみません、すみません」と恐縮してしまう。
まあ、好きだよ、こんぐらい言う人。
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こちらは東松山市ホームページに載っている、横から見た新渡戸稲造。「髪の毛は、乗せるだけ」みたいな。

これは棟方志功

横から。やはりデコがすごい。ほぼ頭頂部まで後退している。

こちらはタゴールさん。インドの詩人で思想家。
どれも共通して額が強調されているので、作者の言う「経てきた時間の層、その厚み」ってデコのことなの…?なんて茶化しながらも、あのロイヤル・コンセルトヘボウの映画の「聴くものが人生を重ねる時、音は初めて音楽になる」っていうコピーも思い出していた。
積み重ねてきた時間、人生、そういうものに心打たれるようになったのは年をとった証拠かしら。


さて、こちらは埼玉県こども動物自然公園の赤ちゃんコアラ、ニーナ。去年9月27日に生まれたとのことで、もう1歳になる。会いに行ったのはお誕生日の少し前。もうすぐ1歳になるけど、まだママにひっついて眠る。

「いつまでも甘えん坊で困るわー」みたいなママ。

それでもやっぱり、顔がずいぶん大人になった。目元はママにそっくりね。


この頃に比べて、どうして大人に見えるのか、考えたらそれは、デコが広がって、顔が伸びて、鼻よりも目が高い位置に行ったから?

そう思うと、あの彫刻家の方が言う「経てきた時間の層、その厚み」って言うのはやっぱりデコに出るものなのかもしれない。
人は時間の厚みを彫刻で再現しようとしたり、音楽に重ねて胸震わせたり、コアラの1歳を祝ってみたり、少しさみしく思ったりしながら時を重ねてゆくの。

千穐万歳

国技館の入り口正面のショーケースには優勝杯やら内閣総理大臣杯、優勝旗、盾などがずらっと展示されている。

こちら日伊国交樹立150周年記念賞の生ハム原木らしきものと、座れそうなチーズ。手前のミキサーの上部みたいなのはたぶんチェコ国友好杯のクリスタルガラス。

国技館に行くたびに心奪われる大分県椎茸農協賞。どんこ!どんこ!どんこトロフィー!
甘栗詰合せみたいに見えるのは福井県賞の梅干し。それから宮崎県知事賞の牛やら、福島県知事賞の牛やら。
ちなみに宮崎県知事賞は牛1頭分の宮崎牛とフルーツ。福島県知事賞は野菜、果物、福島牛サーロイン10kg、そして米1トン。…1トン!!
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かつてプロ野球JA全農Go・Go賞というのがあって、受賞者は30万円と米一俵がもらえた。球場アナウンスで初めて「米一俵が送られます」と聞いたときには度肝を抜かれたし興奮した。一俵ってどれくらいなの?俵って見たことない!見たい、欲しい!米俵欲しいーーー!
…ちなみに米一俵とは60kgだった。ということは、優勝力士がもらえる1トンの米って…16俵強…。もはや年貢レベルだな…。相撲部屋ならすぐ消費してしまうのかしら…。

いろんな妄想を胸に眺めていたショーケースの中身が取り出される日。千穐楽
ついにその日に国技館に行くことができた。

13時半の段階ではまだ、各賞はすべてケースの中に大人しく鎮座していて、「一体いつ頃取り出されるんだろう」「どこから取り出すんだろう」「取り出す瞬間が見たいけどそれどころじゃないわねえ」とそわそわする。相撲ファンの大先輩、つるちゃん、まるちゃんの2人でも取り出すタイミングは知らないらしい。

きっと我々が「優勝決定戦だー」とわーわー興奮している間に粛々と取り出されたのであろう優勝杯が日馬富士の手に。

続いて優勝旗も。フラッシュが一斉にキラキラ光る。

海上自衛隊の音楽隊の人たちはここから演奏していたのかあ…としみじみする。

内閣総理大臣杯。内閣官房副長官の西村さんて方、まるで選挙演説みたいな口ぶりで表彰状を読み上げるので、きっと不器用な人なんだろう、と思う。見どころはやはりトロフィーが重くてなかなか持ち上がらない所。トロフィーの重さは約40kg。普通の男の人には結構キツいんだろう。力士はもちろん軽々受け取るけれど、それを土俵下で受け取る親方衆が平気で担いでもっていく姿にいつも驚く。結構いい年のおじさん達なのにさすが。

千穐楽の呼出さんたちは忙しそうだ。内閣総理大臣杯を持ち上げる際に偉い人のフォローに入ったり、土俵にあがる人を介助したり。

毎度話題になるピエール・エルメのマカロンを捧げ持ったり。

モンゴル国総理大臣賞は、ラーメンマンみたいな人が支えてるトロフィー。
その後NHK杯やら何やらいろいろあって、ついにアレが見えてくる。

どんこ!!!
どんこトロフィーを支えるは、呼出の大将(ひろまさ)くん。フレッシュなえなりかずきみたいだと、ずっと気になっていた。結構いい声。まだ二十歳。

大将くんがどんこ番!!と、妙に興奮して何枚も写真を撮った。なんど見てもいい。
見ているだけで干し椎茸の香りが漂ってくる。こんなトロフィーにぎっしりつまった干し椎茸なんておいくらくらいするのかしら。宝石みたいなお値段だったりするんじゃないのかしら。優勝賞品の中で一番羨ましい。一番欲しい。二番は米。1トンもいらないけど。一俵ください…。

三賞の授与も終わって、いよいよ秋場所が本当に終わりに近づく。
これは出世力士手打ち式。来場所から番付に載る若い力士がお神酒を振る舞われるんですって。「頑張れよ!」なんて掛け声が飛ぶから、ちょっと高校野球見ているときみたいな気持になる。
それからみんなで三本締め。三本締めに参加するなんて何年ぶりのことだか。



行事さんを胴上げして、土俵の神様がお帰りになるらしい「神送りの儀式」

神様がお帰りになったら土俵を壊す。
ああ、本当に秋場所が終わったんだなあ。
休場力士が多くて波乱の場所だったけど、千穐楽を見に来れて良かった。
いつか千穐楽が見たいっていう夢が叶って良かった。
千穐楽に来れたことも、テレビで放映されない最後の最後の儀式まで見れたことも、どんこトロフィー授与を見れたことも、友達と「また千穐楽来ようね」って約束したことも、全部幸せ。千穐万歳!

曲がり角ごとの驚きXⅦ あの日へ行きませう

あの日、青春18きっぷで行った登呂遺跡の登呂博物館では「登呂発掘と静岡市の近現代」という企画展が開催されていた。
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キャッチコピーは「あの日へ行きませう」
なんともノスタルジックで、それに相応しく、戦後のレトロな品々や映画ポスターが展示されていたが、そんな三丁目の夕日的なノスタルジイよりも心をぎゅっと掴むのは、登呂発掘にまつわる様々なエピソードだ。

この遺跡は太平洋戦争末期の昭和18年住友金属プロペラ製造所建設の折に発見されたとのことで、戦時下のため調査もロクにできず、脚光も浴びず、報告書も刊行できなかったらしい。当時ものすごく貴重だったというガラス乾板の写真がいくつも展示されていた。写真1枚撮るのもずいぶん覚悟が必要だったんだろう、と胸打たれる。

なにぶん戦時下だから、いくら本格的に調査をしたくても「非常時に遺跡なんてどうでもいいだろ」とばかりに軍需工場建設工事は進められてしまうし、発掘された丸木舟や土器も遺跡も米軍による空襲で被害を受けてしまう。

名所旧跡を訪れた時に何に腹が立つかって、戦争が邪魔をしてくることだ。「関東大震災で焼失のため再建」なら納得がいくけれど、「室町時代から続いた梵鐘が太平洋戦争時の金属供出に出されたため、戦後再建」などと言われると「何してくれてんだよ!!」とムカムカする。ISISの遺跡破壊もそうだけれど、戦争って「取り返しのつかないことを正義面して行う」ってことなのか、と思うと、本当にどうしようもない、救いようがない。

戦後、昭和22年に本格的な発掘調査が始まって、日本中に一大考古学ブームが巻き起こる。壁に貼られた昭和22年7月の毎日新聞の切り抜きには「日本のポムペイ」という見出しが躍るし、昭和24年にはなんとラジオドラマ「登呂」というのが制作されたらしい。男女の恋愛劇だそうだ。弥生版「君の名は」みたいな感じか。
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もちろんアニメじゃない方よ

ラジオドラマまで作る…とニヤニヤしていたが、「戦後、自らの歴史的認識を失った日本人にとって“自らの手で歴史を掘り起こすことの重要性”…」という説明を読んでハッとする。
そうか、今まで信じてきたものが全部崩れ去ってしまったんだよな。神様だと思っていた天皇陛下は人間になってしまったし、誇り高き大日本帝国敗戦国になってしまった。何が正しいのか何が悪いのか、何を信じればいいのか、何のために家族が死んだのか。そんな状況の中で、アイデンティティを取り戻すための大きな希望だったんだろう。
NHKのサイトにも「戦争でうちひしがれた人びとの心の拠り所になり、食料や物資が乏しい中で精力的な調査が行われたことは、多くの国民を勇気づけた」と書かれている。

当時の新聞で発掘の様子は毎日報道されたそうで、「今もってしてもこんなに注目された調査はない」との事だった。

そんな訳で当時、「登呂もなか」やら「登呂まんじゅう」やらも売られていたらしいですよ。
今は登呂ようかん。トロベーさんも好きな味だって。お前、住居じゃん…。

こちらは発掘経費の領収証。煙草が経費で落ちるのはまあいいとして、アイスキャンディー六本は自分で買いたまえよ。

最後に、出口付近に貼られていた、昭和22年12月31日付静岡新聞の「今年の縣下十大ニュース」
1.静岡刑務所脱走事件
2.縣豫算十億円を突破
3.登呂遺跡発掘
4.静岡の五人殺し
5.蜜柑の公定価格撤廃
6.知事、地方首長公選
7.第1回スポーツ祭
8.璽光尊、御殿場に出現
9.下田港の黒船祭
10.二俣町の大火

…登呂発掘もすごいけど、1と4のインパクトがすごい。
しみじみ思うことは、いろんな「あの日」が今日までにあったこと。
弥生時代のあの日生きていた人の形跡を、戦争中のあの日に見つけて、どうしてもそれを守りたかった人がいて、戦後のあの日から調査が始まって、アイスキャンディー食べてたあの日があって、そんな他愛もないあの日が、弥生時代から、もっと前から、ずっと続いているっていうこと。

新しい朝

35をすぎたらめっきり夜更かしができなくなった。
ここ数年ずっと11時には大体寝てしまい、朝は5時半くらいに起きるという老人のような生活だ。友達と旅行に行くと「え、もう寝る?」と毎回驚かれる。

築地の朝

だが、もっと前は全然そんなんじゃなかった。毎日1時2時が当たり前だった。我が家は全員宵っ張りで、小学生の頃だってそれくらいまで起きていた。
その結果当然朝は弱い。林間学校に遅刻しそうになったこともある。高校の頃の五色沼合宿にも寝坊して一人で電車で追いかけた。ものすごく恥ずかしくていたたまれなかった…。
夏休みの間中開催されていたラジオ体操だって、40日中、1日出れるかどうかだった。

だから恥ずかしながらラジオ体操の歌も歌えない。学生時代のお泊まり会で徹夜した朝、「あれ歌わないと朝が来ないんだよ」と、突如大声で歌いだした友達の姿に大笑いしながらも「そういうのいいな」と憧れた。積み重ねてきた習慣があるっていいもんだ。

学校でよくやるラジオ体操第1はできても、第2はイマイチ動きもよくわからないまま大人になった。

おかげで、朝型生活になった今でも、そんな自分を信じきれずにいる。
友達に「私の友達の中ではまめが一番朝に強いから」という理由で早朝試写会に誘われても「あ、あ、あ、ありがとう(本当は違うのよ)」と引きつって笑うし、同僚が「朝遅くまで寝てると気持ち悪くて…」と言えば(ああ、これが本当の朝型人間なのだな…)と羨望の眼差しを送る。
久々に会った弟が「まめちゃん、朝起きれないじゃん。え?最近早起きなの?年取ったね」と鼻で笑えば、(そうよね、そうなのよね…)と少しばかり傷つきながらも安堵する自分がいる。

熱海の朝

規則正しい生活ができるようになったのは転職して今の職場に来てからだ。
何せ早番とか遅番とか終電帰りもない。初めて出社した日には、帰ってきてもまだ明るい!!と感動したものだった。
そんな素晴らしい職場でイキイキと働く女子たちはさすがなもので、毎朝、NHKで放送している「テレビ体操」をやっていると言う。ああ、あの、真ん中に座ってる人がいるやつね…。
「いや、アレね、バカにできないって!本気でやると結構大変なんだから!」
まだ20代だった同僚は力説する。他の子も言う。「いや、ホント私も最近始めたんだけど、結構ヤバい」

広島の朝

そんな同僚たちの証言を「いやあ、面白い人達ね」「あれ、完全に老人向きじゃない…」と笑って何年もスルーしてきたが。
先日、名古屋へ行った折、宿泊先のホテルで朝テレビをつけたらちょうどテレビ体操が始まるところだったので、どれどれとやってみる。そして愕然とする。
「体が動かない!!!」
ラジオ体操一つまともにできなくなってる。垂直ジャンプが難しくなってる。なんか骨がゴリゴリボキボキ言う。やたらよろめく。なんてこと…なんてこと!こんなにも動けないものなの?

それに比べてテレビの中のお姉さんたちのなんと美しい動きであることか。皆さん体育大学出身らしい。そしてピアノもわざわざ芸大やら出ている方々が弾いてくださっている。贅沢だな、この体操。
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NHKテレビ・ラジオ体操
…この所、背中に肉がついてきたのを痛感したり、職場の大御所お姉さまの背中の食い込みに「ああはなるまい」と思ったりで、ヨガでも始めるか…と検討していたが、ヨガどころではない。まずはラジオ体操のできる体にならなければ…お金もかからないしな、と早速帰宅後からテレビ体操を毎日録画して朝晩やることにした。

ベトナムの朝

驚いたことにテレビ体操は土日祝に関わらず365日放送している。しかし8月末の北朝鮮のミサイル発射の日はさすがにJアラートのせいで放送が飛んだ。ミサイル飛んできたら体操もなしか…とそんなところで非常事態を実感した。
体操を初めてそろそろ1ヶ月。
おかげさまでよく知らなかったラジオ体操第2を覚えた。ラジオ体操の歌はやらないので覚えられない。朝型だという自信もまだない。垂直跳びは問題なく出来るようになったが腕を回すと相変わらずボキボキ言う。

近所の朝

もう亡くなってしまったが、随分前、父方の曾祖母のお兄さんが法事の折に言っていた言葉を思い出す。
「私は60の時に決心してラジオ体操を始めて30年になります。まめさん、何かを始めるに遅いということはありません」
41で決意して、今からどれくらい続けられるかしら。そのうち腕はボリボリ言わなくなるかしら。背中の肉はとれるかしら。
そして、いつか自信を持って「朝型です」と言える日がくるのかしら。
まあ、当座は迫り来る冬を乗り越えることが一番の難関なんだけど。

光射す方へ 2017夏/青春2日目

青春18きっぷの旅、2回目は渡良瀬渓谷へ。
6:37新橋発快速ラビット宇都宮行き→7:51小山着→8:00小山発両毛線高崎行き→9:01桐生着

9:30のわたらせ渓谷鐵道トロッコ列車に乗る。トロッコ列車ってよく知らなかったけど、このように窓がない電車。



窓がない分景色がよく見えるけど、トンネルに入ると寒いし、音がものすごくて耳がおかしくなりそうで、窓付き車両に避難する人が続出。
苦肉の策か、列車内にイルミネーションを点灯してくれる。

それにしても草木トンネル、全長5,242 mとの事で相当長い。出口はまだか、まだトンネルは続くのか、早く外に出たい…と、強風と轟音の中耐え続ける。
桐生から約1時間半で通洞着。足尾銅山の観光などができるらしいのでここで降りる。

…ああ、何もないな。

とりあえず足尾歴史館へ。入り口に掲げられた垂れ幕に驚く。世界遺産を目指しているのか!!

かつて足尾の街にはこのようなガソリン軌道車が走っていたらしく、それを再現したものに乗せてくれる。
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不勉強なものでまったく知らなかったのだが、足尾銅山は江戸時代に銅の採掘が始まって寛永通宝が鋳造されたが、その後採掘量が落ち込み、幕末から明治初期は閉山状態だったらしい。
それを今の古河グループ創始者の古河さんが買い取って有望鉱脈を次々に見つけて大鉱山になったのだそうだ。
そして、この足尾歴史館で説明してくれるおじいさんは親の代からずっと古河で働いてきた方のようで、非常に強い愛社精神が話の端々で感じられる。
このガソリンカーに対しても「当時、古河が住民のために無料で走らせて」と得意げだった。

フォードエンジンなんですってよ。
おじいさん曰く、「銅山は炭鉱と違って硬いので、炭鉱のような落盤事故はほぼない、安全な場所だった」「組合が強かったので最後まで閉山しなかった」「閉山してもみんな技術者なのですぐに次の仕事が見つかり、困ることはなかった」「退職の際に非常に高額な退職金や金杯がもらえた」との事。
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中でも驚いたのは「田中正造のせいで足尾のイメージが悪い、古河はきちんと対策をしている。閉山しても会社がある限り排水濾過を続けているのに」との発言だった。
そうかー。そうなのか…。「対策してるんだからしょうがないだろ」と言える立場の人もいるんだよな、当たり前のことだけれど。
どんな立場をとるかによって物事の姿は大きく変わるんだなあ…。
あまりの驚きに帰宅後、少し足尾銅山鉱毒事件について調べてしまったが、あの事件はまだ解決していないらしい。

若干もやもやとあれこれ考えてしまったが、気を取り直して銅山観光へ。家族連れも割りといるし、きれいだし、楽しめるだろう…と思いきや。

本日何度目かのトロッコ列車をこういう所でおろされて

こんな暗い坑道を行くのだけれど、ところどころに苦しげな顔をした蝋人形がいる。

明るい所で見る分には「はあ、なるほど、堀大工は酒と博打でお金を使い果たすのかー」と呑気にしていられるが

水のしたたる暗い坑道に奴らが何人も現れたらもう怖すぎて怖すぎて、ひい!と息を呑み、一刻も早く外へ出ようと早足で歩く。
途中で別ルートも案内されるが、無理無理無理です。最短で行きたい。

昔の人は更にこのずーーーーーーーっと奥まで堀りに行っていたらしい。絶対イヤだ。ジュディマリじゃないけど、暗くて狭いところは苦手なのよ。

ラブリーベイベー

ラブリーベイベー

ともかく人形を見ないように、うつむいて自分のつま先だけを見つめ、前のご夫婦の会話を心の支えに、離れないようについていく。

前にもこんなことがあったな、と思い出す。まだ弟たちが小さかった頃。
後楽園遊園地に連れて行ったら「楳図かずおのお化け屋敷」があって、弟たちと一緒に入ったのだ。でも怖くて怖くて3人でくっついて、下の誘導灯の矢印しか見ずに早足で出てきた。外に出た時の太陽の光の眩しさが嬉しかった。

今日も外の眩しさが嬉しい。でもまだ心の中に怖さが残っていて、外にも並ぶ人形のそばから一目散に離れる。




かつて栄えた名残すら、漂うレトロ感、時間の止まった感じすら、今の私には恐ろしい。早くどこかへ…もっと光の射す方へ。

ひと気のない町を歩き

わたらせ渓谷の眩しさに安堵し

レトロな駅で降りて

綺麗な緑の中をハイキングして


ダムに着く。草木ダム。でかい。

ハイキングコースのトンネルに「またトンネル!!」と震えはしたものの。
15:40神戸駅発→16:36桐生着→16:42桐生発両毛線高崎行き→17:31高崎着→19:35池袋着→19:53渋谷着で20:30頃帰宅。

本日の教訓。「一人旅は光射す方へ」