めぐる季節
- 作者:橋本 治
- 発売日: 1998/04/01
- メディア: 文庫
プロ野球も開幕したが、何より高校野球だ、春季大会だ。
久々の保土ヶ谷球場。春の保土ヶ谷は本当に気持ちいい。
今年の円陣。
何度も春がめぐる間に私もすっかり年をとったんだろう、今までは大人っぽく見えていた選手たちがものすごく子供に見えるようになってきた。
体は大きいし、いっちょ前に男みたいな顔してるけど子供なんだなあ…としみじみしてしまいながら、高校生たちの青い春を見つめる。
春は曙。その曙を楽しむかのように朝4時に起き、始発で向かうは国技館。
今日は夏場所の稽古総見だったのだ。もう夏場所か。
旧暦の名残とは言え、夏なのか。
早朝からずらっと並ぶ尻の数々を去年も見たな。
去年の仙台場所、すぐ近くにいるこの超イケメンは誰なの?と思いつつドキドキしてサインももらえなかった琴恵光。
あの時初めて知ったので、去年の稽古総見の時には全然見ていなかった。
季節がめぐり、今や大好きな琴恵光が目の前にいるというのに、望遠レンズを忘れてきた自分を引っぱたいてやりたい。
大関昇進の期待もかかり、かわいがられる高安。
去年は期待の新人、宇良くんがかわいがられていたっけ。
こんな風に月日が積み重なり、季節がめぐるのを定点観測していると、時々少しだけ我が身を振り返って切なくなることもある。
みんなどんどん立派になっていくから。すごいなあ、と思うから。
嬉しくて、ほんの少し切ない。
それが春ってものか。でも夏もそうか。秋もそう。
季節がめぐるってそういうものか。
山があるから
ちょっとガタガタしているが、赤い線でなぞったのは鉄道路線。
かねてより、これだけ電車が走っているのにもかかわらず、北上するのがなぜこんなにも大変なのかと考えていた。
かつてひまにまかせて箱根駅伝の往路を踏破したことがある。もちろん1区ずつ、5日間にわけて。
その経験が私に変な自信を抱かせており、ある日自宅から立川まで15kmの距離を歩こうとした。地図にある通り、電車での北上は乗り換えが多く面倒なので、それならばいっそ、と。
そうして私は気づきました。多摩丘陵の存在に。
丘陵というからには緩やかな丘だとでも思うでしょうが、ジブリの「耳をすませば」で聖司くんが「お前をのせて坂道登るって決めたんだ!」と若い情熱を迸らせるこの斜度だ。
ひいひいと坂を登りながらしみじみ電車が通っていないワケを理解した。多摩丘陵を避けていたのか。
しかしそんな無茶をせず、電車やバスを使えば多摩丘陵の存在なんてまたすぐに忘れてしまう。
その存在を再び思い出したのは電動アシスト自転車を購入してからだ。もちろん電気がアシストしてくれるので、聖司くんのように情熱と愛情を迸らせなくても坂を登れる。けれどやっぱり「ひいい」と思う。何より下りが怖い。命の危険を感じることもある。
多摩丘陵って山だな。そして川沿いは平らなんだな。浸食万歳。
そんな風に地形を実感しながら自転車で出かけるとあちこちに遺跡が存在することに驚く。わが町はこんなにも古墳や横穴墓に囲まれていたのか。
荏子田横穴
赤田2号墳
市ヶ尾横穴群
稲荷前古墳
大塚・歳勝土遺跡
本町田遺跡。
これは、神奈川県立生命の星・地球博物館作成の縄文海進時の神奈川県。
古鶴見湾から上の方が冒頭の地図の地域。
そうだよな、これだけ丘陵地帯ってことは、縄文海進の時にも陸で、尚且つ水辺だったんだな。そりゃあ人が住むわけだ。遺跡があるわけだ。
ニュータウンやら東名高速やら作ろうとしたらざくざくそんな遺跡が出てきたんだろう。復元住居の後ろには大体団地がそびえ立っている。
なるほどなるほど。
山があるから電車はそこを避けて通り、山があるから遺跡があるのか。
当たり前のことだと笑われるかもしれないが、今更ものすごく腑に落ちた。
自転車に乗ると、地形と歴史を体に叩き込まれるし、己の無知も思い知るな。
曲がり角ごとの驚きⅥ 貝ともにいまして
地図に貝塚と出てきたのでふらっと立ち寄った。
割りとカジュアルにその辺にあるもんなんだな、貝塚。
これは神奈川県立生命の星・地球博物館に展示されていた縄文人が食べた貝。アサリ、ハマグリ、マガキ、オキシジミ、今と変わらぬラインナップ。
こちらは横浜市歴史博物館に展示されていた弥生時代の食事。
貝の煮物だかスープだか。
これだけ昔から、人は貝を食べ、貝とともに生きてきたのだ。
深川江戸資料館の復元長屋にあるむきみ屋。貝をむき続ける仕事…。
同じく深川江戸資料館復元長屋の共同ゴミ捨て場。割れた茶碗、ホタテ貝。
構成要素は貝塚と変わらないのだな、となんだかしみじみする。
貝とともに生きてきたので、貝殻もあれこれ利用される。
国芳の「朧月夜猫の草紙」では鮑の貝殻が猫の食器として描かれている。
現代語訳の本を購入したのだが、当たり前のように「江戸時代、猫の食器と言えば鮑の殻」と書かれていて、そそそそうなのか・・・と恐れ入る。
海外の人も貝殻を活用。サグラダ・ファミリアの手洗いボウルは巨大貝殻。
貝モチーフだらけの門扉。
スペインにはサンティアゴ巡礼の道があり、巡礼のシンボルが帆立貝なので、そのせいかもしれない。
ちなみになぜ、帆立貝がシンボルなのかについては諸説あり
・聖ヤコブが持つ杖にホタテ貝が付いていた
・聖ヤコブの生家は漁師でホタテ貝を紋章としていた
・巡礼者がホタテ貝を食器代わりに使っていた
・巡礼者がサンティアゴへ行った証明にガリシアの海岸でホタテ貝を拾ってきた
などと言われているだそうだ。
そうか、スペインの巡礼者も貝を食器にしていたのか。
尚、「貝の家」というのもスペインの巡礼の道にあるらしい。
居酒屋みたいな名前だな…。
三崎港近くの民家の植木鉢に刺された帆立貝。そう言えば植木鉢にはよく貝殻がまかれている気がする。カルシウム補給だろうか。
城ヶ島小桜姫神社の絵馬は帆立貝。なるほど…こんな活用法もあるのか。
それでこちらは我が家のエアプランツを仕込んだサザエの貝殻。
伊豆でご飯を食べたお店の入り口に「ご自由にお持ちください」と山積みにされていた。浮かれはしゃぐ私をお店の人が生温い目で見つめていたっけ。
でもほら、これで私も貝とともに生きていける。人々が昔からそうしてきたように。
ちなみにタイトルに拝借したのは「神ともにいまして」という賛美歌だが、なんとドラマ「私は貝になりたい」の挿入歌に使われたらしい。
どこまでも貝がつきまとうな。貝はいつでもあなたのそばに。
あばずれ
数年前、なぜだかクリームパンに凝りだして、あちこちのクリームパンを食べてはブログにあれこれ書いていた。
批評ってほどのものでもなく、ただただクリームパンにかこつけてつらつらと。
110ものクリームパンの記事。
110個のクリームパンを食べ続けてわかることは、世の中にはハズレのクリームパンの方が多いということだ。
まるでヤマト糊みたいに粘度が高くて味の薄いカスタードクリームや、やたらと香料の強いカスタード。クリームとパン生地のバランスが悪すぎるものもあれば、水でふやけたようなぐにゃぐにゃのパン生地もあった。
それでも、パン屋があればついふらふらと入ってはクリームパンを探し回っていたあの頃。
あまりに裏切られすぎて「もうクリームパンなんて信じない」と思ったり、「これもまたまずいんじゃないか」と怯えながらも義務感のようにクリームパンを手にとっていた。
そんな私がクリームパンを語るには、薄暗い飲み屋の片隅で煙草をふかす疲れた顔のあばずれみたいな風情がお似合いだ。
「いろんなクリームパンを見てきたのよね」
「次こそは、次こそはっていっつも期待しては裏切られてね」
「それでも毎回クリームパンに引っかかっちゃうんだから、あたしもバカな女だね」
「小洒落たお店の気取ったヤツほど食えないクリームパンでね」
あの頃一番好きだった、誠実かつ堅実なセブンのクリームパンは、もうなくなってしまった。
古いiPhone4Sの中は今でもクリームパンの写真でいっぱい。
世の中に、ラーメン好きの男性は多くいて、ラーメンを食べ歩いてブログをあげたり、体を壊すほどにラーメン二郎に通いつめたりする人もいる。
あの人達はラーメンに対してあばずれにならないのだろうか。
「またハズレかもしれない」と怯えながら暖簾をくぐったりしないのだろうか。
ラーメンはクリームパンに比べて当たりハズレが少ないの?
それともAKBなどのアイドルへの熱中具合のように、男の人は丸ごと信じて夢を抱き続けられるものなのかしら。
ラーメンが自分を裏切るはずがない、ラーメンが美味しくないと思うのは自分が悪い、なんていう風に。
今朝、会社の近所の裏道にまるでたばこ屋みたいな見た目のパン屋があって、本当に久々にクリームパンを手にとった。
別れた男に会った時みたいなきまずさで。
「また傷つくかもしれないよ」と自分に言い聞かせつつ。
外側のパンは給食のコッペパンみたいで照りのない、地味な見た目。
怯えながらかじったクリームは癖のない、普通のクリームパン。
普通のクリームパン!
私、まだ普通のクリームパンに出会えるんだ…。
そんな風に恐る恐る喜ぶ、私は正真正銘クリームパンのあばずれ。
架空と現実
モンシロチョウの幼虫の住み家であり、潰した青虫とおなじ匂いのする甘藍が、この漫画のクライマックスを支配する輝かしいキャベツたりえようか?ぼくは現実の甘藍を拒否し、架空のキャベツに夢想の核をおくことを選んだのである。
(中略)
そこでぼくは、書物のうちなる架空の言葉を、架空なままに受けとって楽しむことで、自分としてはどうにもうまく関係づけのできない現実の事物から遠ざかることにしたのである。
大江健三郎「壊れものとしての人間」より
年の離れた弟が高校受験に失敗した時に言った言葉が傑作だった。
「高校ってホントに落ちるんだな」
当たり前じゃないかと笑いつつ、その「現実感のなさ」がわからなくもなかった。
「受験」なんて世間で大騒ぎされているお祭りが自分の身の上にも現実の重要な出来事として降りかかるのか、まるでフィクションの世界にいるようにふわふわする感覚。
きっと厳しい大人は呆れ返ることであろう。現実逃避だと。その通りですね。
でも私もそうだった。そして今でもわりとそうだ。
子供の頃住んでいた町は、丹沢山地に程近く、すぐ後ろにたつ富士山を丹沢の山々がきれいに隠してしまっていた。
だから思っていた。テレビや図鑑にのっているあの富士山は、きっとどこかすごく遠いところにあるんだろう。
もしくは実在しないに違いない。
まさかあの丹沢の後ろに実在しているなんて思わなかったから、今でも富士山を見ると「こんな近くにあったのか」と少し不思議な気持ちになる。
去年の夏はスペインに行った。
父が「死ぬまでに一度サグラダ・ファミリアが見たい」と言うので、この機について行かなければ、私も一生見ることはないだろうと思ったのだ。
これを見に来たのに、いざ目の前にして、ガイドブックと同じだな、本当に普通にあるんだな、と思いながらガイドブックと同じ写真を撮って、なんだかこれが現実なのかフィクションなのかわからなくなる。
小学校にあがる頃、父親が子供用の図鑑をずらっと揃えてくれた。「昆虫」は気持ち悪いから見なかった。「人体」も苦手だった。印象に残っているのは「日本」という図鑑で、各県の特徴などが写真付きで載っているが、そこに千鳥ヶ淵の桜の写真があった。
まずもって皇居の存在自体が子供の私にとって現実のものと思われなかったし、お城の周りに「千鳥ヶ淵」なんて素敵な名前の場所があって、桜も美しくてボートが浮かんでるなんて完全にお伽噺の世界のように思えた。
ここ数年、九段下の会社に勤めるようになって、生まれて初めて靖国神社や千鳥ヶ淵に行った。
そして毎年千鳥ヶ淵の桜を見るようになった。
見るたびにいつもあの図鑑を思い出す。そしてあの図鑑の中の世界に今いること、あの世界が実在したということに何度だって驚いている。
きっとまだ現実感がないんだ。
曲がり角ごとの驚きⅤ 201603築地・はたらくくるま
「11月には豊洲に移転しちゃうから、築地を見ておく?」と水産物輸入業に従事していた友人に誘われ、人生初の築地市場に行ったのは去年の3月。
朝3時30分、ホテルの窓から見下ろす場外。こんな時間でも車がたくさん。
場内では、高速で行き交うターレーに圧倒される。乗ってみたい…。
大量のトロ箱を延々と積み上げるブルドーザー。
そびえ立つフォークリフト。
叙情あふるる「食事の店しれとこ」のトラック。羅臼か…。
今にも田中邦衛や唐十郎がふらっと現れそう。
いちばん驚くのはどこにでも無造作にある、この荷車?リヤカー?台車?何?
なんでも「小車」というらしい。
市場の「小車」 (こぐるま): 築地 魚がし 小田原町
年季の入った働き者。
駐車場?
チャリのおじさんに牽引されていたり。
マグロが安置されていたり。
こういう場所でのホンダ率の高さよ。世界一の働き者スーパーカブ。
ジャイロも多い。
フュージョンも頑張る。
自転車だって頑張る。ガムテープでチェーンカバーを補強されて。
自転車屋さんも早朝から働く。言わばピットクルーみたいな存在だもんな。
尚、屈強なスタンド、屈強な荷台を持たぬママチャリは焼き網使用でそれなりに運搬可能に。
人もくるまも、皆誇り高く自信に溢れ、エネルギーに満ちているように見えて、
おかしな言い方かもしれないけれど、まるで日本じゃないみたいだった。
移転問題が早く落ち着く所に落ち着くといい。
ロビンソン
新しい季節に大きな買い物をした。電動アシスト付き自転車。
パナソニックの買うつもりが一目惚れでYAMAHA PAS。二桁万円。震える。
でもまあこれで、免許を持たない私でも、電車とバスをやたらと乗り継がなければ行けなかった場所にも行けることだろう。
リス園だとかズーラシアだとか。
河原の道を自転車で走る私。
思い出のメコン川。
大げさなエピソード@高知城。「ITAGAKI may die, but liberty never!」
尚、板垣は刺されて死んでない。天寿を全う。
疲れてなさそうな屈強な肩でぶら下がる猿。
しかめつらまぶしそうなライオン。
「お父さん!見て!すんげーデッケーふんころがし」と男児。
同じセリフ同じ時、私も思わず口に出しそうだった。
スペインでありふれたビール「mahou」のレモン味。
マホウ!と思ったけど実はマオウだって。激甘。
誰も入れないリスだけの国。お触りは可。
母の手を絶対離れない子猿。
大きな力。
水中に浮かぶアザラシ。死体みたいだけど死んでない。
ルララと鼻歌うたって自転車で帰る。
宇宙の風になるほどのスピードは出さず。