バカみたいな事ばかり

「山に登る」と言えば、「登山て何が楽しいんですかね、わざわざ苦しい思いしてバカみたい」と言われることがよくあるし、ミュージカル関連の仕事をしていた時には「ミュージカルってダメだね。タモリさんも言ってたけど、突然歌い出す意味がわからない。バカみたい」と言うニセタモリが必ず現れた。
「正月は駅伝」と言えば「箱根駅伝があんなに盛り上がる意味がわからない。箱根までなんでわざわざ走るの?バカみたい」と言い出す人は一定数いる。
かつて私もそうだった。

箱根まで走ってどうすんの?なんでわざわざ山道走るの?
今だって、走っている学生を見ながらしみじみ思う。「バカみたいって言えば、バカみたいだよな…。こんなペースで、たった5人で東京から箱根まで5時間位で走っちゃうんだもんな」

相撲友達のまるちゃんが、鶴見中継所のすぐ近くに住んでいて「まめさん、今年は帰省しないから駅伝見がてら遊びに来て」と言ってくれたので、お言葉に甘えて正月早々ビール担いでまるちゃんの家にお邪魔してきた。
まるちゃんは神戸出身で、初めて今の家に住んだ時、正月にヘリコプターは飛んで来るわ、周囲は騒がしいわで、「何か事件か!!」と驚いたらしい。そうか、関西の人は箱根駅伝の地理感覚とかもあまりないもんな。

まるちゃんの家でビールで乾杯してから、「行ってくるね」と沿道へ。鶴見中継所は五重六重の人垣で近寄れないので、人垣の途切れる中継所手前まで歩いていって待ち受ける。選手は一瞬で走り抜ける。バカみたいに必死な顔をして。

でも、考えてみれば人間が生まれてから死ぬまで、この天と地の間ですることなんて、どれもこれもバカみたいだ。
繁殖が目的なのに惚れた腫れたの恋愛だの、バカみたい。どうせ食べたってうんこで出るだけなのに「あそこの店が旨い」「これが美味しい」と騒いでバカみたい。政治がどうだこうだの、経済がどうだこうだの、お前が世界を動かしてるわけでもなかろうにバカみたい。SNSだのブログだの、あなたが何していようと他人は興味ないのにバカみたい。

スポーツなんて、その最たるもので、フィギュアスケートだって、ヒラヒラの服着て氷の上を滑走とか、もうバカみたいすぎる。サッカーやバスケットボールだってそうだ。いい大人が一つのボールを奪い合って、籠に入ったの入らないだので一喜一憂して、時には哲学者みたいな表情でスポーツを語りだしたりしてさ。バカみたいったら。
野球だってなんだ、あれは。木の棒でボールを打つとか、ゴリラかよ。バカみたい。

だけど、バカみたいなことを、バカみたいに必死でやっている人に心打たれる。
沿道で待っている間、となりの男性二人連れが言っていた。「結構寒いな。走る方も大変だけど、見る方も大変だよなあ。でも見てやらないとな」
踊る阿呆に見る阿呆。正月早々、寒空の下、一生懸命見える場所を探してここに来た私達もホントにバカみたい。「でも見てやらないと」っていうその言葉にしみじみ共感する。

少しふらついていた中央学院の子に、運営管理車の監督から声がかかる。「まっすぐ前を見ろ!まっすぐだ!白バイを見ろ!白バイについて行け!!」
そんな言葉がかかるくらいにふらふらになってまで走るなんて、バカみたいだ。やめてしまえばいいのに。沿道の人からも「あともう少しだぞ!頑張れよ!」と声がかかる。赤の他人なのにね。彼が走ろうがやめようが関係ないのにね。バカみたいだよね。

駒大がこの位置か…とびっくりしながら見送る。運営管理車から、大八木監督は肉声で「欲を出せ!欲を!」と声をかけていた。

競り合っていれば歓声は大きくなるし

襷がつなげるかギリギリの選手にはこれだけのテレビクルーがつく。「感動的シーン」が撮りたいからね。
「スポーツをお涙頂戴にしちゃってさ、バカみたい」それはそうよね。でも走ってる本人は他人の涙のために走ってるわけじゃないからね。じゃあ、何のためかって言われれば、それはきっとやっぱり何かバカみたいな理由なんだろう。

「あと1分。間に合うかな」
彼が通り過ぎたあと、前にいた子どもが呟く。周りの人もみんな同じ気持ちで彼を見送る。間に合わなくたって別に世界が終わるわけでもないのにね。




例え襷が途切れていたって、必死に大手町へ走る。ねえ、バカみたいだね。バカみたいでしょ?
でも生きてる間、人間がすることなんて全部バカみたいなことばかりなんだからね。必死でバカみたいなことをする人に、バカみたいに心打たれて、そうしてバカみたいに生きていくんだからね。
みんな。