C'est la vie
別にキリスト教徒ではないのだけれど、死ぬまでに一度、サンティアゴ・デ・コンポステラの巡礼路を歩きたいと思っている。
帆立貝の殻をリュックにつけて、900kmばかりの道をひたすら、50日近くかけて歩く。最後は地の果て、フィニステラまで行くんだ。新大陸発見前まで、人々はその地が地の果てだと信じていたんですって。
先日、NHKBSプレミアムの「世界ふれあい街歩き」でサンティアゴ・デ・コンポステラの回があった。
当然、たくさんの巡礼者に出会う。アルゼンチンから来て35日間歩いた男性はこう言っていた。
「雨の日も、寒い日も、暑い日も、上り坂の日もあるけど、それでもやる価値がある」
雨の日も、寒い日も、暑い日も、上り坂の日もある。
それは人生ね。人生とおなじことね。
*
さて、8月末頃から始めたテレビ体操もかれこれ2ヶ月。
新しい朝 - 君拾帖
気がつけばいつしか、オープニング画面が秋色に。
お姉さんたちの背景にも落ち葉がついたり。
一部に「可愛い♡」と評判のお兄さんが髪を切っていたり。地肌透けててヤバかった…。
ああ、この先、こういうことで季節を実感したりしていくんだなあ、と先のことを考えてびっくりしたりもする。
まだ2ヶ月。たった2ヶ月しかやってないのに、来年もやってるつもりでいるんだな。本当にできるのかしら。
今のところはなんとかかんとか朝晩続けてきている。けれどここまでだっていろんな日があった。
うまく動けなくて「こんな簡単なこともできないなんて」と自分にしょんぼりする日もあったし、今まで普通にできていたことが何故か急にできなくなった日もある。
眠くて眠くて、テレビ体操の10分間が永遠のように感じられた日、旅先でyoutubeを見ながら体操した日、余計な事ばかり考える日、昼近くまで寝ていて、昼頃ようやく体操する日。
酔っ払って体操をしたら気持ち悪くなって、途中「ここまでのところで体調に変わりはありませんか?」と問いかける、テレビの中の先生に「変わりあります、もうダメです」と答え、途中でやめてしまった日もある。あれ以来、先生の優しい問いかけがあるたびに「今日は大丈夫です」と心の中で答えている。
テレビの中のお姉さんに「タイムマシンにでも乗らなきゃそんな柄の衣装買えないでしょ」と思った日。
真ん中のお姉さんがいつもコアラに見えて、勝手に「コアラちゃん」と名付けた日。先生もわりとコアラっぽい。
帰りが夜中になった日でも、帰宅後になんとかかんとか体操をして、積み重ねてきたこの2ヶ月。
我ながら、結構偉いな、と自画自賛もしている。
これから先、寒くなって、どんどん朝起きるのがめんどくさくなって、寒さに震えながら体操したりするんだろう。
オープニングが冬の絵柄に変わったり、お正月の絵柄になったりもするのかしら。
イヤイヤやる日も、元気な日も、風邪をひいてる日もあるんだろう。雨の日も、寒い日も、暑い日も、上り坂の日も。
それが人生。
新世界の神となる 2017夏/青春5日目
青春18きっぷ、最後は伊能忠敬記念館目指して佐原に行こうかと計画していたが、日光に行ったら「そもそもなんで家康は神様になって、日光はパワースポットだとか言われてるのか」なんて事が気になりだして、久能山東照宮に行ってみようと決めた。
5:48横浜発東海道線沼津行き→7:29三島発東海道線島田行き→8:30静岡着→8:51しずてつジャストライン日本平線
日本平動物園に寄ってから久能山目指して日本平ロープウェイ駅へ。
籠をイメージしたロープウェイはガッツリ葵の御紋入り。
でた、「東照大権現」
家康の遺言とその後の動きは大体下記の通り。
「遺体は久能山に葬り、葬儀を増上寺で行い、位牌は大樹寺に納め、一周忌が過ぎてから日光山に小さな堂を建てて勧請せよ、関八州の鎮守になろう」
1616年4月17日 家康没 久能山に埋葬 二代将軍秀忠の命により久能山東照宮創建
1617年3月15日 家康の御霊を乗せた神輿が久能山を出発
1617年4月4日 日光山座禅院に着
朝廷より東照大権現の神号と正一位の位階の追贈を受ける
1617年4月8日 奥院廟塔に改葬儀式を経て正式に鎮座
1617年4月17日(一周忌) 遷座祭
1634年9月 三代将軍・徳川家光が日光社参
寛永の大造替が始められ、今日見られる荘厳な社殿への大規模改築が行われた。
1644年 日光の旧社殿を群馬県太田市世良田町に移築。世良田東照宮創建。
■家康は「日光山に小さな堂を建てて」と言っているのになんであんなデッカくなっちゃったのか。周囲の人間の政治的判断によって、そうなっちゃっただけか、それとも家康的にも「小さな、って言ったけど、俺が誰だかわかってるよな、お前ら」って感じなのか…。
■大体、なんで神になる?しかもそれが未だに信仰されるのは何故?パワースポットとか言ってありがたがるのは何故?
概ねそんなところが気にかかっているが、まあ、日光だろうが久能山だろうが、東照宮に来れば家康礼賛、家康美化のエピソードしかないよな。そりゃそうだ。
唐突に現れる司馬温公の甕割り絵看板。「司馬温公の優しいエピソードが久能山東照宮拝殿正面にも彫られている!家康公から私達へのメッセージ!」っていうのは相当なこじつけじゃないのか。久能山東照宮作ったの家康じゃないし…。
尚、裏からこうして顔を出して写真撮影が可能。センターは溺れ役。
これでもか!!徳川だぞ!と言わんばかりにキンキラ。
疑問点についてネットやNHK番組等でざっと調べた。簡単に調べただけなので間違っていたらごめんなさい。
●深く関わってる人:家康、秀忠、家光、天海僧正、春日局、等
●実力で権力を勝ち取る社会だと争いが絶えない。
→・誰が権力者になるかを年功序列や肩書で決める社会の仕組みを作る
・武家諸法度などを取り決め、武断政治から文治政治へ
●西国大名が天皇を担ぎ、徳川に謀反するとまた争いが起こるので、天皇に対抗するために自分も神に!!
→「豊国大明神」の神号が贈られた豊臣が滅亡したことを思うと「明神」は良くないから「権現」に!
●当初、日光東照宮は秀忠の建てた小さく質素なものだったが、家康を崇拝していた家光が、父に反発するためと、徳川の威信を示すために現在の絢爛豪華なものに建て替えた
それに付随して皇室との婚姻関係を結んだり、参勤交代で各大名の財力を削いだり。
風水的パワースポット感をアピールしてみたり。
東照宮に行くとあちこちで「平和を望んだ家康公」「人々が安定した暮らしができるように」と言われているが、つまり「徳川の権力が盤石で、謀反を企てるものがいなければ世は泰平」「だから徳川に逆らうなよ」ってことか。
権力の一極集中=とりあえず平和。まあ、それは確かに。
宗教は為政者が国を統治するために作った、なんて話を遠い中東の話だと思ってきたけれど、割りと身近だったんだな。
そして「じゃあ神になるわ、朝廷もOKしてくれたから」「家康公、神様だって!」「天下統一したもんね、神!」と受け入れてもらえるのは、やっぱりこの国の「死んだら神様」「すごい人は神様」「何にでもどこにでも神様はいるから一人増えても別に」みたいな「万物に神宿る、八百万の神」の考え方によるものなんだろう。
一神教の国だったら、なんと不敬な!!とお怒りになるかもしれないけれど、この国の神様は割りとカジュアルで人間臭い。
悪い神様もいるし、すぐに「山の神さまがお怒りだ」とかって怒っちゃうし。年末には出雲にでかけちゃう、神も仏も一緒に暮らすし。宣言すれば大体神様。
万物に神が宿るので、炊飯器にもトイレにも神様がいるようなこの国で暮らしていると、連日世間を賑わす、宗教が原因の戦争やテロがどうもよく理解できない。加えて、靖国参拝があんなに騒がれるのもあまり理解できない。だって死んだら誰でも神様なんだもの…。ただそれだけの事じゃないのかしら。戦没者慰霊ってそんなにいけないことかしら。
こちらは川越の東照宮
兎にも角にもそんなわけで、家康公は神となり、神格化して祀り上げることで徳川の権力は盤石となり、全国各地に東照宮が創建され、日光は再興し、日本史における江戸時代のウェイトにより修学旅行先としても重宝され、江戸の北にあるってことからパワースポットとの称号も得て、女子たちもたくさん訪れるのでしょうね。
ちなみに久能山東照宮博物館には家康公の時計のレプリカとともに、家康愛用の鞍も展示されていた。
「三方ヶ原の戦いで敗走中の家康が恐怖のあまり馬上で脱糞し、浜松城に入城した後に家臣から脱糞した旨を咎められて「これは味噌だ」と家臣に言い放った」という逸話があまりに強烈に印象に残っていたので、ああ、ここで脱糞…、としみじみ見つめてきた。
脱糞する神もいる。そう、日本ならね。
きのことみれば
わりときのこが気にかかる性分。
きのこにまつわるエトセトラ - 90億の神の御名
きのこ狩り - 90億の神の御名
きのこの食べ方 - 90億の神の御名
これは昨年、天城縦走してきた時に見かけた、たわわに実るきのこ
これは9月の日光霧降高原。こう毎日毎日雨続きでは、各地のきのこが相当ヌメヌメテカテカ輝いているんでしょうね。
不謹慎と知りつつこっそり作成している私のきのこ中毒データベースもそろそろ更新が忙しい季節。クリックしたら大きくなるよ!
尾瀬沼で、初めて実物を見たベニテングタケ↓
↑こっちはブナピーらしきもの。こういうのに人は引っかかるんだろうな。私は絶対騙されないからな!と思いながらしげしげと見つめる。
なぜ人は、きのことみれば採りたくなるの?あまつさえなぜそれを「あ、きのこじゃん!食ってやろ!」って思えるの。
それが高齢者ならまだわかる。採って食べるのが当たり前だった時代の人たちだから。
しかし、今年の夏のこのニュースには度肝を抜かれた。そこそこ都会な名古屋の30代の男性陣がBBQ中、その辺に生えてたきのこを焼いて食べて下痢嘔吐。…どうして?どうして人はきのこに挑みたくなるの?
山友達のおじいさんもその手のタイプで、2年前の9月、突然電話をかけてきた。
「あ、まめさん?僕ね、昨日まで入院してたんだけれどもね。夜中に突然目の前でルーレットが回りだして、僕にとってあなたは非常に縁のある大切な人だというお告げが出てね。そのまま倒れて運ばれた。その日山に行って、きのこをとってきて夕食にした。一応きのこも病院に持っていったがきのこが原因ではないと思う。おそらく熱中症だろう。ともかくそういうことでルーレットがぐるぐる廻るもんだからあなたに電話をかけた」
有無を言わさずこれらのことを一気にまくし立てるおじいさん。しかも話は何度もループする。…正直もういよいよヤバいと思った。そしてきのこの話が出たときには「きのこか!!!」と深く納得した。
おじいさんはきのこが原因じゃないって言うけど、絶対きのこだと思う。きのこによる幻覚症状でしょ、ルーレットって…だって。
登山後、わざわざ来た道を戻ってまで、きのこを採取して帰ったのだそうだ。なぜそこまでするの、おじいさん…。
さて、毎年秋は会社の人間ドックの季節。5年前、初めて人間ドックを受けた時レディース部門のおじいさん先生が「ポリープがあるから取るね」と言った。
ポリープ???よくわからないけれど、この状況でイヤとかダメとかどうして言えよう。お前の好きにするが良い、とまかせていたらなんとあれ取るだけで6000円とか。
まあ仕方ないのかと渋々納得したその翌年。おじいさんはまた言う。「ポリープまたできてるから取るね」
…また6000円かよ…。しかし診察台の上にNOという選択肢は残されていないのだ。更にその翌年もまた。
どこに行ってもきのこに出会うタイプ。
私が乗り気でないのを察してか、おじいさん先生はついにもちゃもちゃと説明をしてくれた。
「あのね、ポリープってね、きのこと同じなのよ。別に害はないんだけど念のため。またできちゃうと思うけどね」
きのこと同じで、なおかつ害がないのならどうして放置しておけないのか…。
まったくどいつもこいつもきのことみればすぐ狩りたがる!なんなの、あのきのこハンターどもは!今年はきのこ狩りさせないよ!と身構えて診察室に入ったら、そんな時に限ってポリープできてなかったみたい。今年は不作か。
6000円の出費は免れたものの、ちょっと拍子抜けなきのこシーズン。おとなしく中毒ニュース集めに励もうと思います。
曲がり角ごとの驚きXⅧ スキ+スキ=
古くはチョコレート+ミント、もはや日本においても完全に市民権を得たと言えるハニー+マスタード。ロイズがやりやがったチョコレート+ポテトチップス。朝マックのあの、甘い+しょっぱいベーコンっていうマックグリドル。もうついていけないチョコレート+ベーコン。チリパウダー+ライムのカクテル…。
いつも海外の人々のあの、好きなものへの純粋な情熱に心の底から感心する。体裁とか体面とか伝統とか格式とか侘びサビとか引き算の美学とか、そういう面倒な事に縛られず、臆面もなく「あれもスキ!これもスキ!」「好きなもの全部入れちゃう!」「スキ+スキ=HAPPY!!」って無邪気にはしゃげるあの感覚、すごい。
ドリンクバーでウキウキしながら全部まぜてくる小学生男子みたいなピュアハート。
*
ところで。
江戸時代、火消しは女にモテモテだったらしい。まあ「火事と喧嘩は江戸の華」とか言われて、不謹慎にも胸躍るあの火事場で夜毎炎と闘う男たちは非日常性も相まって7割増しで素敵に見えたことでしょう。
今ではうどん店で昼食を食べていただけでクレーム入れられてしまったり、いじめ自殺が話題になったり、なんとなくヒーロー感が薄れた感じもあるが、海外ではまだ消防士はものすごくヒーローのようだ。
子供たちのあこがれの職業で尚且つ女にモッテモテ。おまけにカレンダーも発売されている。それも様々な国で。
アメリカ。
カナダ。
そしてオーストラリア。
初めて消防士カレンダーの存在を知ったのが、この記事からだった。なぜこうもゲイゲイしく、みんなして脱ぎやがるのか。。。なぜ消防士なのか。
職場のフランス帰り女子にふとそんな話をした所、女子は「あああフランスにもカレンダーあります!しかも相当脱いでる!ほぼ出てる!」と仰る。なんだってーーー!?
こちらは普通に半裸なおフランス消防士。相当脱いでるリンク先は自己責任で→ワーオ♡
ね、ねえ…どの層に需要が…と慄きながら尋ねた所、フランス帰り女子は真顔で言いました。
「ゲイとレイディース、両方だと思います。独立記念日に消防士パレードがあるんですけど、女子がものすごく群がってました」
そうね…、ゲイとレイディース。うん、無敵のマーケット…。けど…公務員じゃないのかしら…?公務員がそんなに脱いでて大丈夫?
大体なぜ消防士限定なのか。警察はダメか。権力を匂わせるからか。軍隊はダメか。国家の威厳に関わるからか。火の使用により大きな発展を遂げてきた人類はやはり、火をコントロールする存在に強く惹かれるものなのか…。
考えれば考えるほど、画像フォルダに半裸の消防士の写真が蓄積されていく。
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2年ほど前、初めて消防士カレンダーの存在を知った時は「マニアな世界があるもんだ」と呑気に笑っていた。
だが今年。毎日毎日病的なほどにコアラの写真を見つめ、新たなコアラの写真を探し求める私の目に飛び込んできたのはこれ。
あああああああああああああああ!!!
嗚呼!嗚呼!あああああああああ。ついにやりやがったか。そうよね、地元枠よね…。オーストラリアの特権よね。
「消防士=スキ!」「コアラ=スキ!」スキ+スキのこの暴挙。筋肉とコアラのマリアージュ。
ここここんなの鼻血でる。
すごいな…ものすごいことしてくるな。なんて無邪気且つ自由に「好き」の全部乗せしてくるのか。わたくしなんて慎ましやかな日本人だから「こんなことしていいのか…」とただただ恐れおののいて顔を覆ってしまうわ。
…でも指の隙間から見ちゃうタイプ。むっつりスケベって言うんでしょ、知ってるわよ。
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興奮のあまり購入も考えた。結構考えた。しかし熟考の末、買わない道を選んだ。
だって、消防士とコアラ。どちらも威力が強すぎて真っ向勝負なんだもの。コアラの可愛らしい魅力を消防士のセクシーな筋肉に全部持って行かれてしまうもの…。どうしたって、コアラ見るつもりが、ワーオ♡な半裸に視線を奪われてしまうもの。あんなの、部屋に下がってたら目がチカチカして興奮して眠れなくなるもの!!
第一、こんなカレンダーを残して、おちおち死ねやしないではないか。
…もし私が不慮の事故で死んで、家族が部屋に入ってきた時…。半笑いする弟の顔が見える。ドン引きする父の顔が見える。「キャー♡これもらっちゃおう」って持って帰る母の姿が見えすぎる…。
ああ、恐ろしい、恐ろしい。スキ+スキ=刺激物。でもスキ。
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「ああ、ままならないものでございますね。何というままならない…」
澄んだ秋空を見ればこの戯曲が読みたくなるし、大仰な台詞回しで「なんっという、ままならない…っ」と言ってみたくもなる。
大正元年に造られたネオ・ルネサンス様式のJR日光駅駅舎
青春18きっぷでやってきた1泊2日の日光。寺に行けば「人生はままならないものだ」と諌められるし、まあ確かにあれこれままならない。
こういうスナックに、ふらっと入れるほど大人に成る日はいつ訪れるの?
まずもって、夕ご飯を食べるお店がなかったし、朝にかけて小雨が振る。なんでわざわざ1泊したかって、それは霧降高原をハイキングしたかったからだ。しかし、雨…。始発のバスは見送って、雨が止むのを待って出発。
そうそう、駅前のコンビニでお弁当を買おうと思っていたが、駅前にコンビニはなかった。…ままならねえ…。
霧降高原の一番ポピュラーなコースはこの斜面を階段で延々登る道。上に展望台もあるらしい。
しかし私は下るつもりで来た。下ると滝に出るはずなのだ。別にすごく滝が好きとか、見たいとかってわけじゃないけど、あったらつい寄るじゃない?滝。
というわけで大山ハイキングコースなのですが、この時点で若干想定外。
初夏に、私は課長の薦めで尾瀬に行って参りました。尾瀬はさすが有名な観光地だけあって、完全に整備された木道をひたすら歩く場所でした。登山靴を持っていく必要なんてなかった。
課長も後で言っていました。「失敗したよー、もっと軽装備で良かった。今度は荷物減らす」
…先に言ってよ!
そういう経験の下、私は日光霧降高原のハイキングコースをナメていた。有名な観光地のハイキングコースだもの、イヤってほど整備されているのでしょう。
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それでもいつかは藪をぬける、と思うでしょうが、藪、沢、藪。
牧場に出た!…と思ったって、この芝はぐしゃぐしゃに湿って、一足ごとに水が滲み出て来るんだぜ。
おかげさまでおろしたての靴はこの惨状。ぼ、防水スプレーしてあるから…汚れだってはじくんだから…(震え声
やだ、北海道みたいじゃない!…とかキュンとしてみるが、実は北海道に行ったことはない。
想定外に晴れるもまだまだ湿った藪を行く。
そして怒涛の滝ラッシュが始まる。
ちょっと遠回りすれば滝があるよ!あっちも滝だよ、こっちも滝だよ。
なんだかもう、だんだん滝はどうでも良くなってくるのだ。滝、おなかいっぱいだよ。僕もう疲れたよ。
そうして。
一番メインの、有名所の、目標としていた霧降の滝は見ず、丁度来たバスに乗ってしまう。
ままならないわねえ。
しかし思い返してみれば、私はいつもどこかに行くたびに「ままならない」「想定外」「こいつはびっくり」「なんたること」とままならなさを嘆いたり笑ったりしているし、結局のところ、そうしたくてどこかへ出かけているんだろうとも思う。
と、総括したところで最後にもう一度輪王寺の教え。
昼過ぎのJR日光→宇都宮→渋谷で夕方帰宅。泥まみれの靴で乗る都会の電車の恥ずかしさよ。
ああ、ままならないものでございますね。何というままならない…。
四諦 2017夏/青春3日目
己の無知に直面した際、いつも頭に流れる曲。
知らなかったよーーーーー♪
知らなかったよー。足尾銅山が日光市だとは。わたらせ渓谷鐵道の終点からバスで小一時間で日光市街に着くのだとは。
そうとも知らず私は9月頭に日光に行こうとホテルの予約まで済ませてたよー。
これは去年の12月。陽だまりハイク気分ででかけた奥日光で降りしきる雪に身も心も震えつつ心の中で歌っていた。「知らなかったよー。日光がこんなに寒いとはー」
7:16渋谷発湘南新宿ライン宇都宮行き→9:14宇都宮着→9:32宇都宮発日光線→10:21日光着。
9月頭の日光はおかげさまで晴天。
だが、知らなかったよー。明智平ロープウェイが5分で、何一つない展望台に到着し、中禅寺湖と華厳の滝を眺めるだけのスポットで、往復730円だなんてー。このやろう。
もうここから、華厳の滝は見たから、華厳の滝エレベーター550円には乗らないからな!
湯葉御膳食べて中禅寺湖チラ見して、東照宮へ。
平成の大修復が終ったというので、見てみようかとわざわざ金曜日の有給を取ってきたのだ。平日のほうが少しでもすいているだろうと思って。
だのにー、なぜー、私は修復中の輪王寺の方にふらふらと吸い寄せられてしまうのー。
若者なのかしら。
現在修復中の輪王寺本堂には特設の天空回廊というものがあって、横から、上から屋根の修復工事の具合を見ることができる。
石川島播磨が頑張ってるんだな。
修復完了の暁には、この景色を見られるのは鳥だけか、と思うとなかなか感慨深い。
ここまでは仮設の武骨な階段をコツコツと歩いて登ってこなければならず、老人の団体客も、外国から来たらしい老夫婦も諦めていた。
そのプレハブ階段の踊場には逐一ありがたい教えが貼られている。
それでいいではないか。
そしてこれ。とかく思い通りにならないのだ。思い通りにならなくていいのだ、受け入れるしかないのだ。
東照宮前を通り過ぎ、家光公のご霊廟大猷院へ。
団体客をつれたガイドさんのお話をチラ聞きしたところ、この大猷院、東照宮と造りは大体同じなのだけれど、家光が家康に敬意を払って、黒を基調とした抑えた色合いにしてるんだとか。お!センスいいじゃん、家光!…と思ったが、あの東照宮を元の質素なものからあそこまでド派手にしたのは家光とのこと。あの方派手好きなんですってよ。
写真撮影不可の金閣殿がとても良かった。東照宮ばっかり持て囃されるけどここ、素晴らしいじゃないの!としみじみ満足しながらゆったり眺めて、二荒山神社も寄って…なんてことしてたら東照宮参拝の時間はもうない。
拝観券売り場のお姉さんに「今からですと宝物館か美術館のどちらかしか無理です」と選択を迫られ、宝物館に行って、家康礼賛&美化1000%のアニメーションビデオ見る。「こんなにも礼賛?ちょっと宗教っぽい…あ、神様なんだから宗教か」と変に納得。
家康の遺訓もしみじみ読む。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。
そうか。そうなのか。人生は重荷を背負って遠い道を行くものか。及ばざるは過ぎたるより勝るのか。そして人生は思い通りにいかないから、思い通りにしようなんて思うべきではないものなのか。
今日一日で、ずいぶんと諌められたような気がする。
うーん、うーん。まだ若いつもりなのか、イマイチ納得行かない部分もある。でも受け入れるしかないのだな。
夜の日光市街に営業中の飲食店がほぼなくて、魚民で夕ご飯食べる羽目になるのも仕方ないのだ。思い通りにはいかないのだから。不自由を常と思えば不足なし。
ビール飲んだらそれでいいではないか。
時間の厚み
以前、ユーロスペースで「ロイヤル・コンセルトヘボウ オーケストラがやって来る」という映画を見た。オランダの王立オーケストラの創立125周年記念ワールドツアーを追ったドキュメンタリーで、演奏する側、聴く側の人生に音楽が重なってくる。中でも冷戦下、強制収容所に収監されていたロシアの老人の話は強く心に響いた。
映画のキャッチコピーは「聴くものが人生を重ねる時、音は初めて音楽になる」
見終わった後にずしっとくる、いいコピーだなと思った。音楽ってそういうものだったのか、と新しい景色を見たような気持になる。
*
さて、私がコアラを見るために足繁く通う埼玉県こども動物自然公園の最寄り駅、東武東上線高坂駅には「彫刻プロムナード」なるものがあって、歩道にたくさんの彫刻が展示されている。
なぜ?地元の彫刻家?と疑問に思いながら、常日頃バスの窓から眺めていたが、東松山市のホームページによると「1982年、当市で彫刻展と講演を開催したことが縁となった、故高田博厚氏の彫刻」とのことらしい。
一人の人の彫刻だったのか。いろんな人の彫刻なのかと思っていた。
先日、動物園帰りにバスに乗らず、駅まで歩いてみることにした際、ようやくこれらの彫刻をきちんと見ることができた。
…いや、別に特に「見たい!」と思っていたわけではないけれど、歩いている最中、向こうが相当なインパクトで目に飛び込んできたのだ。
最初に出会ったのは新渡戸稲造。
お!稲造じゃん!5000円札変わってから久々に会ったな、ていうか、すごいデコだな。おでこシックスパック。誰の作品?なんで稲造?
軽い気持ちで台座に作者名を探すと、コメントにぶつかる。
私の人物像は「似ていない」とよく言われる。ある一時の面(つら)しか見ていない者はそう思う。当然だろう。けれども、本当の肖像彫刻というものは、(私が考えているところでは)「人間」の容貌にそれが経てきた「時間」の層、その厚みが出なかったら意味を失うだろう。 作者
この時点で作者が誰なのか、私はまだ知らない。
が、「ひいいい、ここまで言い切るとは相当のお方なんでしょうねえ・・・すみません、すみません」と恐縮してしまう。
まあ、好きだよ、こんぐらい言う人。
こちらは東松山市ホームページに載っている、横から見た新渡戸稲造。「髪の毛は、乗せるだけ」みたいな。
これは棟方志功。
横から。やはりデコがすごい。ほぼ頭頂部まで後退している。
こちらはタゴールさん。インドの詩人で思想家。
どれも共通して額が強調されているので、作者の言う「経てきた時間の層、その厚み」ってデコのことなの…?なんて茶化しながらも、あのロイヤル・コンセルトヘボウの映画の「聴くものが人生を重ねる時、音は初めて音楽になる」っていうコピーも思い出していた。
積み重ねてきた時間、人生、そういうものに心打たれるようになったのは年をとった証拠かしら。
さて、こちらは埼玉県こども動物自然公園の赤ちゃんコアラ、ニーナ。去年9月27日に生まれたとのことで、もう1歳になる。会いに行ったのはお誕生日の少し前。もうすぐ1歳になるけど、まだママにひっついて眠る。
「いつまでも甘えん坊で困るわー」みたいなママ。
それでもやっぱり、顔がずいぶん大人になった。目元はママにそっくりね。
この頃に比べて、どうして大人に見えるのか、考えたらそれは、デコが広がって、顔が伸びて、鼻よりも目が高い位置に行ったから?
そう思うと、あの彫刻家の方が言う「経てきた時間の層、その厚み」って言うのはやっぱりデコに出るものなのかもしれない。
人は時間の厚みを彫刻で再現しようとしたり、音楽に重ねて胸震わせたり、コアラの1歳を祝ってみたり、少しさみしく思ったりしながら時を重ねてゆくの。