I NEED YOU
先日、国技館でむしゃむしゃ焼き鳥を食べながら友人に「こないだ、突然コアラが見たくなっちゃってさ、一日中コアラのこと考えてた」とそっと打ち明けた。
友人はきっと「何を言っているのだ、こいつは」と呆気にとられたことだろう。しかし私もまた友人の返答に呆気にとられていた。
「まめって意外に動物とか見るの好きだね」
何を言っているのだ、こいつは。うっかり真顔になっちまうぜ。
好き、とか嫌いとか。
「コアラ可愛い」って言ってる私可愛い、とか。
癒される~♡とか。
そんな生ぬるい、甘ったるいことではなく今の私には切実にコアラが必要なんだよ!コアラなくしてこの乱世を生きていけないんだ!会いたくて会いたくて震えてるんだ!!
職務質問にあったっておかしくないほど切羽詰った表情で、土曜日は20年ぶりの多摩動物園。入園するなり一直線にコアラ館を目指す。
幼稚園の親子レクみたいな集団がたくさんいるのを追い越して兎にも角にもコアラ館へ。
子どもたちにコアラを譲ってやる余裕なんかない、この目でコアラを見るまでは。
コアラはどこだ、コアラはいねがー!
なまはげ、もしくは「杉野は何処、杉野は居ずや!」と叫ぶ軍神広瀬中佐の如く、私はコアラを探し求めているのだ。
途中目につくのはコアラの描かれたマンホールの蓋。否が応でも期待が高まる。
これがコアラ館。かつてはずらっと行列ができていた。小学校の遠足で多摩動物園に来たが、混雑していたことばかり記憶に残っていて、コアラを見たんだかどうだか覚えていない。
そうしてやっと、微動だにせずに眠るコアラに出会えた。
燃えつきたジョーみたいに眠る。
オランウータンやアジアゾウをぐるっと眺めてもどってきても、お変わりなし。
後から祖父と少年が入ってきた。
「なんだよ、起きろよ」とぼやく祖父に少年は「コアラは20時間寝るんだから仕方ないよ!」とコアラ知識を披露していた。負けじと祖父も「コアラのエサ代が動物園で一番高いんだぞ」とコアラ知識を披露。
…そうだよな。20時間寝ていて、4時間しか起きていないんだもんな。
コアラのこんな表情を見れるのは飼育員さんの特権なのだろう。
それにしてもかつてあれほど栄華を誇った多摩動物園のコアラ館はこんなにも寂しい場所になってしまったのか。
調べていたからコアラが1頭しかいないのは知っていた。知っていたけど寂しいものだな。
そのうち、多摩動物園にコアラはいなくなってしまうのではないか。土産物屋でもコアラグッズは非常に少なく、「多摩動物園ではコアラはもうオワコンなんだな」と寂しくなる。
が、取り急ぎこれだけは買って来た。乱世を生き抜くために。
そして月曜日、いそいそと会社の机の前にコアラの写真を貼った。
同僚はきっと「何してんだこいつ」と思っていることだろう。
でもこれがないと私、月末のバタバタを乗り切れない。誰に笑われようとも、今、コアラなしでは生きられない。
曲がり角ごとの驚きⅧ 大根というモード
出会いはいつでも偶然の風の中byさだまさし
これは江戸東京博物館に展示されていたデザインスタンド。
人々の暮らしがどんどん近代化されていく中で、ただ単に便利さだけを追い求めた物ではなく、デザインを楽しむ余裕が出てきたとかなんとか、そんな流れの中での展示の一つで、これ、電気で光るんですよ、大根が。
なぜまた大根が光る必要があるのか、どういう理由でこれを求めるのか、「あらオシャレ」なんて思えるのか。当時そんなにお安いものでもなかろうに…とぐるぐる考えてしまう。
そんな折、町田市立博物館で、こんな皿を見かけてしまい、また大根か!!と驚愕する。
更に府中市美術館に国芳を見に行ったら川中島合戦図に大根が現れ、何の呪いかと思う。
なんでも上杉謙信の有能な家臣であった柿崎景家さんの家紋が大根だったとのこと。なんでだよ。
事ここに至ってはもう我慢ならない、一体なぜこんなにも大根なのか、調べてやる!
おそらくこの皿のことなのだと思うが、戸栗美術館は下記のように述べている。
大根は、身近な食物でありながら小袖や伊万里の意匠となるような人気の意匠であったことを教えてくれます。(中略)
伊万里の絵付職人の、当時の流行に乗り遅れるな、という気概を感じることができます。流行の最先端や美しさを追い、個性を出したいという思いはいつの世も変わらないのかもしれません。
大根という個性…。
また、花邑という帯屋さんのブログによれば
大根は薬用としても用いられたことから、無病息災の意味合いで着物の意匠にも用いられています。
とのことで、大根が規則正しく並んだ帯の写真が掲載されている。
薬用だから、か。他にも薬用になる野菜はありそうなものだが。
双方のホームページ共に書かれているのが「大根は消化に良く胃に当たらないことから、俗にいう「大根役者(当たらない役者)」という言葉がうまれたのも江戸時代」という事。江戸時代にいろんな種類の大根の栽培が始まったらしく、大根が相当流行っていたのだろう。
NHK「美の壺」のサイトは「大根とねずみは江戸時代からよく使われた絵柄」だと言う。
大根は大黒様の掛詞。ねずみは子沢山の象徴。
つまり家族がさかえ、健やかであるようにという願いをこめられているのです。
大根は大黒様。…ちょっと苦しい気もするが、なるほどなるほど。
それで郵便局がねずみ年にこんな図案のはがきにしていたのか。
さて、「大根、意匠」と調べた時に避けて通れないのが浅草の待乳山聖天。
大根と巾着袋のモチーフがあちこちにあり、お供えは大根、そして大根柄のお守りが売っているらしい。
大根をお供えする理由は下記の通り。
大根は人間の深い迷いの心、瞋(いかり)の毒を表すといわれており、大根を供えることによって 聖天さまがこの体の毒を洗い清めてくださいます。
もう乗りかかった舟だ、と大根を見るために、雨の中、待乳山聖天へ行ってきた。
期待を裏切らない大根。
隙あらば大根。
撮影禁止の本堂の中も大根の山。
本堂の下には三浦大根の箱。
社務所脇には姉崎大根のダンボール。
熱に浮かされるかのように、大根のお守りを買ってきました。
これが私の人生で初めての大根柄の持ち物。
江戸のモードにやっと乗れたぜ。
こんなはずじゃ
こんな~はずじゃあなかったよね~♪
去年のGW。浮かれ気分で千畳敷。
高原のお散歩気分でロープウェイを降りたらそこは雪国だった。
去年の12月。浮かれ気分で日光。
木道を陽だまりハイクと思ったら笑っちゃうくらいに雪。
今年のGW。3年ぶりに西丹沢の檜洞丸へ。新緑が美しくて、水辺も多くて、歩きがいもあって、景色もよくて、とっても気持がよくてまた来たいと思っていたあの山。
シロヤシオはまだだけどミツバツツジは咲いてる。
富士山も見える。
しかし、苦しいです、サンタマリア。この山、こんなに登り一辺倒だったかしら。
前回は人と一緒におしゃべりしながら歩いていたから気が付かなかったのか。それとも3年の間に私の体力がガタっと落ちたのか。
このバイケイソウの木道を歩くのを楽しみにしてきたのに、ここまでこんなにキツかったっけ。こんなはずじゃなかったんだけど。
これだけ登ってきただけあって、景色は予想を上回る素晴らしさ。
下りの犬越路の怖さもまた予想以上。こんなにスリルとサスペンスに溢れた道だったかしら。怖さで指先がビリビリする。
風に吹かれるとか、ずるっと足を滑らせるとかしたら、真っ逆さまに落ちていける道。後で知ったことだが、4月の終わりにこの近辺で滑落事故があったらしい。
でも景色は素晴らしいんだ。
お花も咲いてるしね。
こんな鎖を登り降りするうちに余裕もなくなるし、足も上がらなくなるけどね。
なので、やっとの思いで沢まで降りてきたら、足が上がらず沢にはまったり。
あーあ。靴の中まで水が。
新緑は美しい。滝も美しい。でも今、頭の中にビールのことしかない。
何はともあれ生きて帰ってこれて良かった。山の神さまありがとう。
こんなにキツい山だったなんて想定外。
翌日、人生で最高レベルの筋肉痛で、スーパー銭湯の湯船の出入りも、どんな老人よりずっとよぼよぼだった。
人生初の液体バンテリンも買ったし、疲労のために風邪もひき、今日まで長引いた。
こんなはずじゃなかった。
こんなはずじゃなかったけれど、あれだけの景色を見た上に無事に降りて来られたんだから、まあ御の字か。
コアラが見たい
何年か前、上司が突然「パンダをここに連れてきてよ!俺はパンダが見たいんだ。パンダがこの椅子からぼてっと落ちたりするところを見て癒やされたいんだ」と言い出したことがある。
疲れてるのかしら、大丈夫かしらこの人、と思いつつ、職場の椅子から落ちるパンダの姿を想像して和んだものだ。
GW開けだし、毎日気温がジェットコースターみたいに上下するし…。
私は疲れているんだろうか。
今日、ふと目についたこの記事で、コアラの写真を見たら、なんだかもうコアラが見たくてたまらなくなってしまった。
コアラが見たい。ああコアラが見たい。どこならコアラに会えるんだ。
調べてみると現在日本にはコアラのいる動物園が8つ程あるが、維持費の高さからどこも縮小傾向にあるようで、検索しても不穏な話題ばかりが並ぶ。
ユーカリの栽培にも莫大なお金がかかるし、(なんでもコアラは30種ほどのユーカリの葉を食べるが、気まぐれに食べるユーカリの種類を変えるらしい)繁殖もなかなか難しく、日本のコアラの高齢化も進んでいるそうだ。
このご時世、コアラまで高齢化問題か・・・。
こうなったら、ラッコにシフトチェンジだ。
ラッコは貝が大好き。貝を割るための石を脇のポッケに入れているんだよ。眠る時は昆布を体に巻いて流されないようにするんだよ!
しかし、ラッコもまた、コアラと同じ状況下にあるようだ。
サンシャイン水族館 | ラッコの展示終了について
アラスカラッコ(展示中止) | 横浜・八景島シーパラダイス - YOKOHAMA HAKKEIJIMA SEA PARADISE
なんてこった…。
この先コアラもラッコもそう簡単に見れなくなるのか。しかも高齢化とか少子化とか、そんな世知辛い理由で…。
サンシャイン水族館や八景島シーパラダイスなんていつでも行けるけど混んでるから行かなーい、などと贅沢を言っていた私のバカ。
今や関東でラッコを見られるのは茨城県大洗水族館だけだ。
家族でオーストラリアに行った時、「コアラを抱っこできる動物園なんて子供っぽいから行かない」と個人行動に出た高校生の私のバカ。
もう多摩動物園のコアラだって1頭しかいやしない。
横浜市の金沢動物園でも5月2日にコアラが1頭亡くなったそうだ。
人間もコアラもラッコも、暗いニュースが多いもんだな。
だからこそ今、コアラが見たい、ラッコが見たい、椅子からぼとっと落ちるパンダが見たい。
めぐる季節
- 作者:橋本 治
- 発売日: 1998/04/01
- メディア: 文庫
プロ野球も開幕したが、何より高校野球だ、春季大会だ。
久々の保土ヶ谷球場。春の保土ヶ谷は本当に気持ちいい。
今年の円陣。
何度も春がめぐる間に私もすっかり年をとったんだろう、今までは大人っぽく見えていた選手たちがものすごく子供に見えるようになってきた。
体は大きいし、いっちょ前に男みたいな顔してるけど子供なんだなあ…としみじみしてしまいながら、高校生たちの青い春を見つめる。
春は曙。その曙を楽しむかのように朝4時に起き、始発で向かうは国技館。
今日は夏場所の稽古総見だったのだ。もう夏場所か。
旧暦の名残とは言え、夏なのか。
早朝からずらっと並ぶ尻の数々を去年も見たな。
去年の仙台場所、すぐ近くにいるこの超イケメンは誰なの?と思いつつドキドキしてサインももらえなかった琴恵光。
あの時初めて知ったので、去年の稽古総見の時には全然見ていなかった。
季節がめぐり、今や大好きな琴恵光が目の前にいるというのに、望遠レンズを忘れてきた自分を引っぱたいてやりたい。
大関昇進の期待もかかり、かわいがられる高安。
去年は期待の新人、宇良くんがかわいがられていたっけ。
こんな風に月日が積み重なり、季節がめぐるのを定点観測していると、時々少しだけ我が身を振り返って切なくなることもある。
みんなどんどん立派になっていくから。すごいなあ、と思うから。
嬉しくて、ほんの少し切ない。
それが春ってものか。でも夏もそうか。秋もそう。
季節がめぐるってそういうものか。
山があるから
ちょっとガタガタしているが、赤い線でなぞったのは鉄道路線。
かねてより、これだけ電車が走っているのにもかかわらず、北上するのがなぜこんなにも大変なのかと考えていた。
かつてひまにまかせて箱根駅伝の往路を踏破したことがある。もちろん1区ずつ、5日間にわけて。
その経験が私に変な自信を抱かせており、ある日自宅から立川まで15kmの距離を歩こうとした。地図にある通り、電車での北上は乗り換えが多く面倒なので、それならばいっそ、と。
そうして私は気づきました。多摩丘陵の存在に。
丘陵というからには緩やかな丘だとでも思うでしょうが、ジブリの「耳をすませば」で聖司くんが「お前をのせて坂道登るって決めたんだ!」と若い情熱を迸らせるこの斜度だ。
ひいひいと坂を登りながらしみじみ電車が通っていないワケを理解した。多摩丘陵を避けていたのか。
しかしそんな無茶をせず、電車やバスを使えば多摩丘陵の存在なんてまたすぐに忘れてしまう。
その存在を再び思い出したのは電動アシスト自転車を購入してからだ。もちろん電気がアシストしてくれるので、聖司くんのように情熱と愛情を迸らせなくても坂を登れる。けれどやっぱり「ひいい」と思う。何より下りが怖い。命の危険を感じることもある。
多摩丘陵って山だな。そして川沿いは平らなんだな。浸食万歳。
そんな風に地形を実感しながら自転車で出かけるとあちこちに遺跡が存在することに驚く。わが町はこんなにも古墳や横穴墓に囲まれていたのか。
荏子田横穴
赤田2号墳
市ヶ尾横穴群
稲荷前古墳
大塚・歳勝土遺跡
本町田遺跡。
これは、神奈川県立生命の星・地球博物館作成の縄文海進時の神奈川県。
古鶴見湾から上の方が冒頭の地図の地域。
そうだよな、これだけ丘陵地帯ってことは、縄文海進の時にも陸で、尚且つ水辺だったんだな。そりゃあ人が住むわけだ。遺跡があるわけだ。
ニュータウンやら東名高速やら作ろうとしたらざくざくそんな遺跡が出てきたんだろう。復元住居の後ろには大体団地がそびえ立っている。
なるほどなるほど。
山があるから電車はそこを避けて通り、山があるから遺跡があるのか。
当たり前のことだと笑われるかもしれないが、今更ものすごく腑に落ちた。
自転車に乗ると、地形と歴史を体に叩き込まれるし、己の無知も思い知るな。
曲がり角ごとの驚きⅥ 貝ともにいまして
地図に貝塚と出てきたのでふらっと立ち寄った。
割りとカジュアルにその辺にあるもんなんだな、貝塚。
これは神奈川県立生命の星・地球博物館に展示されていた縄文人が食べた貝。アサリ、ハマグリ、マガキ、オキシジミ、今と変わらぬラインナップ。
こちらは横浜市歴史博物館に展示されていた弥生時代の食事。
貝の煮物だかスープだか。
これだけ昔から、人は貝を食べ、貝とともに生きてきたのだ。
深川江戸資料館の復元長屋にあるむきみ屋。貝をむき続ける仕事…。
同じく深川江戸資料館復元長屋の共同ゴミ捨て場。割れた茶碗、ホタテ貝。
構成要素は貝塚と変わらないのだな、となんだかしみじみする。
貝とともに生きてきたので、貝殻もあれこれ利用される。
国芳の「朧月夜猫の草紙」では鮑の貝殻が猫の食器として描かれている。
現代語訳の本を購入したのだが、当たり前のように「江戸時代、猫の食器と言えば鮑の殻」と書かれていて、そそそそうなのか・・・と恐れ入る。
海外の人も貝殻を活用。サグラダ・ファミリアの手洗いボウルは巨大貝殻。
貝モチーフだらけの門扉。
スペインにはサンティアゴ巡礼の道があり、巡礼のシンボルが帆立貝なので、そのせいかもしれない。
ちなみになぜ、帆立貝がシンボルなのかについては諸説あり
・聖ヤコブが持つ杖にホタテ貝が付いていた
・聖ヤコブの生家は漁師でホタテ貝を紋章としていた
・巡礼者がホタテ貝を食器代わりに使っていた
・巡礼者がサンティアゴへ行った証明にガリシアの海岸でホタテ貝を拾ってきた
などと言われているだそうだ。
そうか、スペインの巡礼者も貝を食器にしていたのか。
尚、「貝の家」というのもスペインの巡礼の道にあるらしい。
居酒屋みたいな名前だな…。
三崎港近くの民家の植木鉢に刺された帆立貝。そう言えば植木鉢にはよく貝殻がまかれている気がする。カルシウム補給だろうか。
城ヶ島小桜姫神社の絵馬は帆立貝。なるほど…こんな活用法もあるのか。
それでこちらは我が家のエアプランツを仕込んだサザエの貝殻。
伊豆でご飯を食べたお店の入り口に「ご自由にお持ちください」と山積みにされていた。浮かれはしゃぐ私をお店の人が生温い目で見つめていたっけ。
でもほら、これで私も貝とともに生きていける。人々が昔からそうしてきたように。
ちなみにタイトルに拝借したのは「神ともにいまして」という賛美歌だが、なんとドラマ「私は貝になりたい」の挿入歌に使われたらしい。
どこまでも貝がつきまとうな。貝はいつでもあなたのそばに。