TERIYAKI

長らく一人暮らしをしているので、自炊はするし、毎日会社に弁当も持って行っている。
そう言うと誰も彼もが「えら~い」とか「女子力」だとか「マメ」だとか言い出すけど、そういう定型文いらんのじゃ。
一日のメインを弁当にして、弁当のために料理をし、残り物を家で食べれば弁当生活もそんなに大変なことでもない。むしろ昼休みに混みあった社食やコンビニやお店に行くほうがよっぽど面倒でマメだな、と思う。
自炊だって、面倒な料理を作るわけでも新しい料理に挑戦することもなく、自分の乏しいレシピで大雑把なものを大量に作り毎日食べているだけだ。
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きのう何食べた?」のシロさんみたいに食費のやりくりに充実感を見出すわけでもないし、佳代子さんみたいに料理で気持ちがリセットされるほど料理好きなわけでもない。

だけど料理マンガやレシピ本、料理家のエッセイやお弁当ブログを読むのは好きだ。
スポーツ観戦と同じで「見てるだけ」なのがいいんだろう。
人の弁当を見るのも好きだ。

これはシンガポール動物園でショーを待っている間にお弁当食べてたご家族。アイスクリームの容器を活用しているのがいい。そうだよね、そういうの捨てないで使うよね、わかる。

スペインでは、観光バスに乗ったら前に座っていた西洋の青年がおもむろにリュックからぬか漬けでも漬けられそうなでっかいタッパーをとりだし、中にザラザラとつまったシリアルをガバッと手づかみで食べ始めたことがあった。
…それが君の弁当なのか…と驚いた。別にいいんだけど、余計なお世話だけどジップロックフリーザバッグを使えばかさばらないですよ…。心の中でそう呼びかけたが、まあ、彼にしてみればシリアルを絶対に割りたくなかったのかもしれない。
さて、4月からNHKで「BENTO EXPO」という新番組が始まった。NHK WORLDで海外向けに放送している番組を日本用にリメイクした番組のようで、世界の人たちのお弁当が見れるというので早速録画してみた。
ともかく外国人は見た目のインパクトに超こだわるな、というのが印象だった。イタリアントマトをカービングでロブスターに作り上げ、ご飯の上にどかんと乗せる。…すごい…。
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もちろんレシピも紹介してくれる。海外向けなので、英語でやってるものの吹替だ。
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これはそぼろを作るための材料。左上のウスターソースのようなものはなんと照り焼きソース。海外で人気の弁当作家マキさんは「市販の照り焼きソースを使えばそぼろもとっても簡単~!10分でできちゃうよ!」などと外国の通販番組のような笑顔で言う。
市販のテリヤキソース!市販のテリヤキソース!!TERIYAKIソース!
…海外ではそんなものが売られていたのか…。
驚いた勢いのまま、輸入食品業に就いているお料理好きの友人に「ねえ、テリヤキソースが海外で売ってるらしいんだけど、日本には売ってないよね?」と聞いたところ、「焼き鳥のタレは売ってた気がするけど、照り焼きはないんじゃない?」とのこと。
「ずるくない?海外だけこんな便利なもの使えるなんて!あなた輸入しなよ!輸入してよ!!」と懇願したが、キッコーマンがちゃーーーーーんと日本でも売ってた!
…し、し、知らなかった…。全くもって知らなかった。
こんな便利な商品が売られていたことを。
お料理上手の人たちが「照り焼きなんて簡単だよー」「砂糖と醤油とみりんだけ」とドヤ顔で言うのを、いつも少し妬ましく思って生きてきた。
なにせ冒頭で述べた通り、料理が好きなわけでもないし、全くもって得意でもないのだ。
鬼門は粉と照り焼き。
ああ、いやだ、いやだ。粉をはたくとか片栗粉をまぶす、とかもうそれだけでイヤ。材料に粉の文字があるだけで難易度は10倍くらいに跳ね上がる。白い粉、ダメ、絶対。
そして照り焼き。憧れはあった。
何度かチャレンジはしたけれど、どうもうまく照りが出ない。みりんを使わないとダメなのか、と普段は使いもしないみりんを買ってはみたものの、なんというかテリテリしてなかった…ぐったりしてた。食べたけど。
でも、世の中にはテリヤキソースが売られているのだ。キッコーマンからもエバラからも、ハインツからもオタフクからも!
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…なぜあんな無駄な時間を…。そして無駄な出費を…。お高いみりんなんて買う必要なかったのだ…。
テリヤキソース万歳!これで何でもテリッテリにしてやるぜ!照り焼きコンプレックス解消だぜ。
ありがとう、キッコーマン。ありがとう、エバラ、オタフク、ハインツ。
おかげさまでこれからの人生、上を向いて歩いて行ける。

Sukiyaki Kyu Sakamoto FULL SONG ReEdit STEREO ReMix HiQ Hybrid JARichardsFilm 720p

余計なこと

何かにつけて平成最後の平成最後の、と言われる昨今。
元号は令和だという。発表があったあの日の午後はずっと頭の中でエリック・クラプトンがカッコよくギターを奏でていた。

レイ~ラ~♪

さて、ようやく暖かくなり始めた3月の終わり、かねてより動作の怪しかった給湯器もいよいよお湯を出せなくなった。
ついにこの時が来たか…、と不動産屋さんに電話をしたところ「もう少し早目に言ってくださいね」と仰られたが、私は知っているんですよ、早く言ったところで、完全に壊れるまでは対応してもらえないということを。
何はともあれ、ガス会社のお兄さんが来て、様子を見てくれる。
そして彼は言う。
「こんな古い給湯器、僕は初めて見ました。1984年製です。僕が生まれる前です。これがどんな故障であれ部品は全くありませんので直せません。大家さんには交換の方向で見積もりを出します」

そして「今日は何もできなくてホントすみません、直せなくてすみません」と何度も頭を下げて帰って行った。
あの申し訳なさそうな顔から察するに、「は?直せないってどういうこと?お風呂はどうすればいいんですか!!家賃から割り引いて!」などとお怒りになるお客様も多いのだろう。

だが、私はそんなことでは怒らない。
なぜならば、不動産会社の24時間緊急対応センターでアルバイトをしていたことがあるからだ。
まあ、さんざん怒鳴られたとも。
「お湯が出ないなんて死ねっていうのか」「無断駐車を今すぐレッカーしに来い」「同棲相手に閉め出された。貸借人は私なのだからあの男を追い出して!」
時には自殺や夜逃げの連絡が警察から来ることもあった。泥棒に入られた家もあった。
家、というものはこんなにも様々なドラマをはらんでいるものなのか、不動産屋さんの仕事というのは、葬儀屋さんや金融関係と同じくらいに生々しいものなのか、と痛感した。

ですから、私は給湯器が壊れたくらいで怒りませんよ。給湯器が直らないことも、修理の施しようがないほど年季がたっていることも知っていましたよ。大家さんに見積もりを出して許可が出るまで時間がかかることだってちゃーんと承知していましたよ。

ただな。兄ちゃんよ。上記の発言において、いらん情報があるのだ。私はそれが引っかかって仕方ないのだ。
「僕が生まれる前です」
これだ。 
なんだ、唐突に。なぜ君の個人情報が出てくるのだ。いらんがな!知らんがな!

常日頃より密かに疑問に思っていることがあった。
職場などで何か昔のことなどを話していると、遠くからわらわらと「えー知らなーい」「生まれてませーん」という者がやってくる。
初めは若さアピールの一環かと思ったが、30過ぎた者もやってくる。お前と話してなくてもやってくる。
以前にブラタモリ豊洲の回で、平成元年頃まで豊洲に晴海線という鉄道が走っていたという話の際、林田さんが突然「私が生まれたころですね」と言い出したことがあった。タモリさんは「ふ~ん、そう」と苦笑し、林田さんも「余計なことを言いました」と笑って謝っていた。
ホントそうなのよ。林田ちゃん、どうして突然余計なこと言い出しちゃうのよ…。

なぜ彼らは「えー知らなーい」と言うためにわざわざやってくるのだろうか。なぜ、わざわざ他人に「僕が生まれる前です」「私が生まれたころです」などと個人情報を明かしていくのか。
知らないなら黙ってればいいじゃないか…。個人情報は大切に保管したらいいじゃないか。
ガス屋のお兄ちゃんだってせめて「平成が始まるより前ですね、昭和ですね」とか言ったらいいじゃないのさ。なんでお前基準なんだよ、キリストかよ。

Hey!Say!

Hey!Say!

1984年=昭和59年生まれの給湯器も御年35歳。平成最後の今年まで頑張りぬいてくれ、台所と洗面所のお湯は出なかったが最後の力を振り絞って風呂のシャワーだけはお湯を出してくれていた。黙ってよく働いてくれた。
1週間後、無事給湯器の交換工事が済み、お湯も出るようになった。新しい給湯器は無駄にしゃべる。「温度が、一度、あがりました!」
…余計なことは言わなくていい!と、すぐさま黙らせた。

1984年かあ…。マリリン…?それは1986年。オメガトライブ…も1986年。平成の始まりは1989年、恋をした~oh君に夢中~♪なのは1993年…。
こんなこと言っていたらまたどこかから若い人が来て言うのだろう。「え~、知らな~い」「生まれてないです」
うっせえ、黙ってろ!
…と荒ぶりつつ、村上春樹なんか読み返す平成最後の春。

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)

水の都

うちの母は人にあれこれ口出しするのが好きなタイプで、そこかしこに余計な首を突っ込むが、受け入れられないことも多く、時に怒り、時にため息をつき、そして時には芝居がかった口調で、こんなことを言う。
「もういいわ。馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできないものね。」
知らなかったがイギリスの諺だったらしい。
You can take a horse to the water, but you can't make him drink.
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他人にヒントやチャンスを与えることはできても、その実行を強制することはできない、との意。
おかげで私も、職場で誰かが営業相手に「せっかく親切で言ったのに!」と腹を立てていたりすると、かの諺を口にするようになってしまった。
まあ、大概ぽかんとされて終わりですよ。
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さて、こちらが我が家の、ご飯を盗み食いする悪い猫。トースターも引きずり倒す悪い猫。そして下部尿路も悪い猫。
おしっこがキラキラしていたので病院につれて行ったあの日、先生は言いました。
「水分をたくさんとらせるようにしないといけない」
でもうちの子、水は割とよく飲むほうです…と答える私を遮って先生は「もっと必要だからウェットフードの量を増やして。水が流れるタイプの水飲み器なんかも使って工夫して」とおっしゃる。
水が流れるタイプの…あれか!

うーん、アレね。こんなパステルカラーのプラスチックを家に置きたくない…。あと電源が必要なのもイヤ。自分で水もよく飲むから大丈夫…と思っていたが。
いざ、帰宅して猫の水飲み具合を観察すると、なんだかあまり飲んでいないような気がする。おかしい。だってこないだまで、風呂場の水もなめてたし、洗面所についてきて水を飲んだりもしてたでしょう?
気にしていない時は水を飲んでいるように見えたのに、気にし始めると飲んでいない気がしてくる。脳裏をあの諺がよぎる。
馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない
…猫も、なのか…。
どうしたものかとあれこれ調べると、やはり皆さん苦労されているようだ。やれ、お皿を変えるといい、このタイプの水飲み器がいい、湯冷ましの水、冷たい水、お湯などいろいろ用意するといい、など。
そんな中でAmazonさんが私に不思議な商品を薦めてきた。
ヘルスウォーター ボウル M

ヘルスウォーター ボウル M

なんでも「2億8千万年前の地層から産出した、天然希土類元素の成分を含んだ鉱物とバイオセラミックスを焼成して作られた人工機能石を素材に、約1100度の高温で焼成した陶器」だと言う。
ユーザーレビューもすごい。「この器からしか水を飲まない」「半信半疑で買いましたが、本当によく飲みます」「騙されたと思って買ったが期待以上!」
なんだこの胡散臭い健康食品みたいなレビューは!…と最初は笑ってやりすごした。
だが、いろいろ猫の水問題を考えるうちに、私の中で作戦が決まった。その名も、「オペレーション水の都」
ともかくあちこちに水を置き、この家を猫にとって水の都にしてやる。ヴェネツィアだ!!溺れるほどに水を飲むがいい。
そんなわけであの胡散臭いボウルも買ってみた。
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思ったよりも大きく重く、裏には誇らしげに彫ってある。「MADE IN JAPAN」
まるで開港当時の横浜から世界に向けて輸出された商品のような武骨さだ。
同梱の説明書の文章もなかなか良かった。
伴侶動物の様子の変化に喜びの声をいただいています」
「すぐに使ってくれなくても様子を見ながらご使用ください」
部屋の隅にこのボウル、ご飯置き場に水飲み二つ、洗面所に一つ、台所の隅に一つ、あちこちに水を置いて猫たちに「水を飲むのだよ」とよくよく言い聞かせて様子を伺う。
その日こそ飲んでくれなかったが翌日。
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明るさの都合でパステルカラーに見えるけど、この器は抹茶色。

飲んでる!!
言い聞かせたのが効いたのか、洗面所のジップロックコンテナからも、そして台所の隅の釜めしの釜からも。
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2億8千万年前の土のボウルには悪いが、私が見る限り、猫たちの一番のお気に入りは釜めしの釜のように思う。
何はともあれ、飲んでくれるならそれでいい。

馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない。猫もそう。
だが、それならばここを水の都にして、水を飲むチャンスを増やしてやればいいのだな!チャンスを増やして「信じ、待ち、許す」のだ。
まるで荒廃した学園の立て直しに成功した教師のような心持になってくる。
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そう、山下真司だ。スクール☆ウォーズだ。
「お前たち!よく水を飲んだ!!」「俺はお前たちを信じている!」
そんなアツい気持ちで猫に話しかけたり、撫でたりしている。この水の都で。
…別に春先だから頭がおかしくなってるんじゃなくて。

風に吹かれて

若さというのは傲慢なもので、母から「子供の頃は木の冷蔵庫を使っていた。冷却用の氷を買いによくおつかいに行かされた。流し台は石だった」という思い出話を聞かされた時には「木!石!!…なに?この人石器時代の人なの?」と思ったものだ。
しかし、平成も終わろうという今、自分の来し方を振り返って「あの頃は携帯電話なんてなかった」と言えば、今の若い人には「は?じゃあどうやって連絡とってたの?法螺貝?狼煙?」とでも言われるであろう。
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春分の日はとてもよく晴れた気持ちのいい日だった。
あの日はCSの日本映画専門チャンネルで朝10:40からずっと「愛という名のもとに」の一挙放送をやっていた。
そう、そしてあの日は風に吹かれて過ぎていった。
見てしまったのだ。延々と。12話。ざっと9時間。

愛という名のもとに DVD-BOX

愛という名のもとに DVD-BOX

1992年のドラマで、あの頃私は高校生。正直ほとんどリアルタイムでは見ていなかったので、きちんと見るのはこれが初めてだった。
まあ驚いた。唐沢寿明の若さにも、いきなり「風に吹かれて」をみんなで暗唱しだすことにも、卒論が手書きなことにも。
ワープロくらいあったよね?あの時代だって。そんなに…そんなに大昔?
もちろん携帯電話なんてない。唯一それっぽいのは代議士の息子である唐沢寿明が乗る車に搭載された車載電話だ。
みんな家の電話しかないのにすぐに連絡がつく。どうしてみんなそんなに家にいるの?いられるの?
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1986年に放送された倉本聰の「ライスカレー」を久々に見たときにも「なんでみんな人の職場に勝手に電話したり、仕事中に人の職場にふらっとやってきたりするの?」と驚いた。
だが、それは1992年の「愛という名のもとに」でも同じで、職場に私用電話がかかってくる。そしてそれは平気で取り次がれるし、挙句電話の内容によってはそのまま職場を飛び出してしまう。
…そんなことがまだ許されていたのか…。バブルも崩壊した時代に。
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何より驚くのはたばこで、今だったら苦情がくるほどにバンバンたばこを吸う。人の家に行ってさえ、すぐに煙草に火をつける。当たり前のように。
そして江口洋介自動販売機で煙草を買うシーンも出てくる。ああ、懐かしのあの!誰でも買えた自動販売機!
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早稲田と青学のミックス色ジャージの大学、大学最後のレガッタで優勝した面々の卒業して3年後の物語。
職業は左の江口洋介から順に、無職、代議士の秘書、教師、デパートの店員、区役所の窓口、モデル、証券会社の営業マンだ。
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野島伸司セント・エルモス・ファイアーにインスパイアされて書いた脚本とのことで、モデル役は髪型もデミ・ムーア意識。不倫の愛に苦しんで1話目から自殺未遂。不倫相手が森本レオで、その狡さがもうやたら生々しい。森本レオ、リアルでもあんなだったんだろうか、と思ってしまう。
ふぞろいな秘密

ふぞろいな秘密

嫁入り前の娘は実家暮らしが当たり前で、一夜の過ちがあれば「責任だ」「結婚だ」と大事になる時代。
そして答えは風の中、といった感じでドラマも終わる。

どれだけ歩けば人として認めてもらえるのだろう?
いくつの海を越えたら白い鳩は砂地で安らげるのか?
友よ、 その答えは風に吹かれている。
答えは風に吹かれている

神宮外苑イチョウ並木の下、これをみんなで暗唱して。
死んでしまった仲間も一緒に。

ああ、そんな時代であったか…。平成4年とは。
あの頃私は高校の教室で世界史の先生から「人生の答えを他人に求めてはいけない、求めると変な宗教に走り出す」などと教わっていたっけね。
そう、答えは風に吹かれているのだから。

風に吹かれて1日が終わり、風に吹かれて平成も終わる。
すごい速さで物事が変わっても、時代がいくつも変わっても、答えはいつも風に吹かれて。


Bob Dylan - Blowin' in the Wind (Audio)

どういう神経

二月二十七日

黄色い水仙のアップリケはきれいだな
と書いてある手紙を読んで
何を言いたいのか分からないと言うのは
どういう神経か分からない
            谷川俊太郎 「詩めくり」

やっぱり谷川俊太郎は天才だな。
私もこれくらい堂々と言いたいものだ。
ジップロックコンテナは便利だな
 と書いてあるブログを読んで
 何を言いたいのか分からないと言うのは
 どういう神経か分からない」
なんて。

詩めくり (ちくま文庫)

詩めくり (ちくま文庫)

きらきら光ったらあぶないよ、とは猫をひきとる前から友人に言われていた。そんなのわかるかしら、と不安げに言うと、友人は「すぐにわかるよ」と言った。
そしてある日、きらきら光るものを見つけたのだ。おしっこシートの上に。それはまるで味の素のような小さな結晶。
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…ついに来たか…来てしまったか。きらきら光る結晶を前に、目の前が暗くなった。
このきらきら光る憎いやつの名はストルバイト。猫の尿結石だ。人間と同じで男子のほうがかかりやすい。

職場の猫飼い先輩オスカルさん(仮名:ご主人はフランス人)のスコティッシュくんも尿疾患があるという。それで「キラキラしてた…」と告げると「あああ!でも早期発見なら薬で治るから!ひどくなるとトイレで動かなくなる。そうすると病院代は1回で2万5千円」とのお話をいただいた。
ヤバい、これはすぐさま病院に連れて行かなければ。
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ねこまき「ねことじいちゃん (メディアファクトリーのコミックエッセイ)」より

しかし。そこでハタと考える。人間なら病院に行ってから紙コップに採尿すればいいが、猫はそうそう都合よくおしっこしてくれないだろう。おしっこを持っていかなければ診断してもらえないのでは?二匹いるのをわけてそれぞれ採尿できるだろうか・・・。
不安に駆られ動物病院に電話で問い合わせたところ、採尿していくと早いが、そうでなくても大丈夫だとのこと。しかし、オスカルさんは「採尿していかない場合、尿道に管を入れられるので、痛そうで可哀想」だと言う。
そうなのか。ただでさえ2月に去勢してタマをとったばかりのデリケートなヤングボーイズだ。管を入れられるなんて私だって震え上がるほど嫌だものな。それなら採尿しよう、頑張ろう。
システムトイレはこんな時のために、おしっこシートをひかずにおれば、下の容器におしっこが溜まり、回収できるという構造になっている。
その夜の私は、徹夜してもかまわぬほどの覚悟で、常にトイレをチェックし、おしっこはまだかー、おしっこしないのかー、と猫の様子を伺っていた。
そして採取できたのがこれだ。

使用したのはジップロックコンテナの130ml。絶対にまちがって食品に使用しないよう油性ペンで印を書いた。


そして翌朝まで冷蔵庫に保管。

人は言うだろう。冷蔵庫に猫のおしっこを入れるなんてどういう神経?
ジップロックをおしっこ保管に使うなんて、どういう神経?
それらの雑音に対して、私も谷川俊太郎のように堂々と言いたいのだ。
ジップロックコンテナは便利だな!!!!
翌朝はこれら二つのコンテナをさらにジップロックフリーザバッグに入れて病院に持参した。

こちらが我が家のストルバイト王子。
二匹分の尿検査と薬の処方、点滴、注射、診察でしめて1万円。猫の医療費のなんと高額なことよ。

もちろん完治してほしいが、これからも尿には注意が必要だ。そんな時に役立つもの、そう、それはジップロック
ジップロックは便利だな。本当の本当に便利だな。
今日言いたいことはただそれだけ。

目の黒いうちは

この前、同僚のタカハシさんが営業からの電話で「ちょっと待てよ!」と言われたらしく、「キムタクかよ!」と職場で盛り上がった。
どんな映画やドラマを見ていても、誰が言っても、「待てよ」と言われればキムタクを思い出してしまう。


別に意識高いアピールじゃないけど映画やドラマの吹替版が嫌いだ。
何がイヤってあの喋り方だ。吹替というのは必ずああいう喋り方をしないといけないと決まっているのか。
「おっと、こりゃ失礼?」「おいおい!今日はフライデーナイトだぜ?」


ビバリーヒルズ高校白書は別にそれでも良かった。でも、あまりに強烈すぎて、あれから吹き替え版の全てがビバリーヒルズにしか聞こえなくなった。
吹替ができる声優が限られているというのももちろんあるんだろうが、若い声優さんたちでさえあのメソッドを踏襲しているような気がする。そもそもアニメの喋り方も特徴が決まっているからか。
同じ声優がやっているからか、NHKを見てもアイカーリーとゲームシェイカーズの違いがまるでわからない。
ダウントン・アビーすらビバリーヒルズに聞こえてしまう。

そんな私にAmazonさんからオーディブルの無料体験の連絡がきた。

要は朗読されたオーディオブックを聴くというサービスだ。
最近目の疲れもあって、本を読む機会が減ってきた。PCやスマホによる老眼の若年化も進んでいるというし、こういうサービスもこれからどんどん増えるのだろうな。
ものは試しで30日間無料体験に登録してみた。
が、無料で聞けるプログラムはどれもつまらなそう。有料のものを1冊ダウンロードできるコインがついてくるので、とりあえず夏目漱石の「草枕」をダウンロードしてみた。

草枕

草枕

佐々木健という声優さんが読んでくれる。聞き始めて思ったけど、草枕自体がそもそもおっさんが山道を行きながら徒然に考えていることを文章にしたものなので、おっさんにぶつぶつ言われるのはジャストフィットだ。
なるほど、すごい!まあ、よく喋るおっさんだよ、と思いながら聴く。
ハムレットのように独り言をぶつぶつ言う男の物語もこういうメディアに向いているのではないか、と考えたりする。

が、草枕1冊聴くのに8時間ばかりかかるので、途中で飽きもするし、先が気になって自分で本を引っ張り出してきて読んでしまったりもする。
他の本をダウンロードしようと思ったが、まあどれもこれもいいお値段だ。
草枕だって3000円。太宰治の「斜陽」が2100円。他人様に読んでもらおうとすると、これも致し方ないことか。同じタイトルでも朗読する人によって値段が異なったりもする。
そんな中、大山のぶ代が読む「放浪記」の8分だけの抜粋が140円だったので買ってみた。

ドラえもん」というイメージがついている人が読むオーディオブックはどんな風に聞こえるのだろうか、という実験でもあったが、やはりドラえもんであった。
久々に聞くのぶ代の声に「ドラえも~ん!」と甘えたくなるほど安心したが、なにぶん読んでいるのは放浪記なので、不幸で貧乏でみじめな「あたし」だ。
ドラえもん、あたしって言うのか・・・。そう思ってしまう。

いやいや、これじゃとても無理だな。無理だわ。便利なサービスだとは思う。
でも月額会費が1500円で、なおかつオーディオブックの代金がかかる。そのオーディオブックがやたら高い上に、朗読者のイメージが強すぎると雑念が入って集中できない。

「本は、聴こう」とオーディブルは言うが、私はやっぱり本は読むよ。目の黒いうちはな。
映画だって字幕で見るよ。目の黒いうちはな。
白内障で目が白くなったりしたらお世話になります。その時はよろしく。

ウィーンはいつもウィーン

小学校高学年になると音楽の授業は音楽室に集められて、月に1度はレコードでクラシックを聴く音楽鑑賞があった。ドキドキしながら音楽室に行って、最初の音楽鑑賞はヨハン・シュランメルの「ウィーンはいつもウィーン」だったと思う。
変なタイトル、というのが感想だった。ウィーンがウィーンじゃない時があるのかよ、と。そんなことばっかり気になって曲自体はあんまり覚えていない。

Marsch Wien bleibt Wien!
こんなだったっけね。
大人になっていろんな経験を重ねると、なんとなーーーーく、このタイトルの意味が慮れるようになる。実家はいつも実家、みたいな。久々に帰った時の安心感と、実家ってマジで昔から実家だな!みたいな驚きや呆れや嬉しさ。

だが、語りたいのはそんなことじゃない。猫のうんこの話だ。うんこはいつもうんこ、ということだ。
久々に猫を飼うことになったとき、まず調べて驚いたのは猫のトイレのことだ。昔、猫を飼っていたときにはなかった「システムトイレ」なるものがこの世に誕生していた。システムトイレ!

このタイプのトイレは2段式になっていて、上のすのこにヒノキ等のチップを入れ、うんこはチップの上に残る。おしっこはチップとすのこを通過して下のトレーに落ちるが、トレーにはおしっこシートがひいてある、という物だ。
謳い文句は「掃除が断然に楽!」「シートは1週間交換不要、チップは減った分だけつぎ足せばOK」「強力脱臭で匂わない」ということ。
はあ~、時代はずいぶん進化したのだなあ。昔みたいに固まるおしっこ砂がメインではないのだな。猫飼い先輩の友人も使用しているというので購入した。
確かにおしっこはにおわないと思う。すごい。高いだけある。が、うんこは違う。うんこの存在感。曲がりなりにも猫は肉食だ。久々に匂いをかいでオウ!!となった。
システムトイレは匂わないのではなかったか。使い方が悪いのか、と疑問にも思って調べた。使い方はあっている。
うんこのたびに毎回、オウ!と思いながら片づけて、猫には「うんこ泥棒!」とでも言うような目で見られる日が3日も続けばいい加減悟る。
現代の技術をもってしても、うんこを無臭にすることは不可能。うんこはうんこ。うんこが匂わなくなったら世も末だ。うんこは臭くてあたりまえ。
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朝、家を出て12時間後に帰宅すると、もう玄関を入っただけでわかるうんこの香り。成長とともにうんこもどんどんデカくなる。しかも二匹分だ。山盛りのうんこ。充満するうんこ臭。
この冬の間、私はどんなに寒くとも帰宅するなりすぐに窓を開け放ってきた。そしてコートも脱がぬまま、まず猫に餌をやり、大人しくさせておいてトイレ掃除に取りかかる。うんこを回収し、おしっこシートを交換する。1週間持つおしっこシートは高価な上に、1匹なら1週間もつが2匹では無理だ。それで安いシートを毎日交換することにした。
トイレがきれいになった頃、空腹も一旦落ち着いた猫たちが、追いうんこにやってくる。もう奴らの行動パターンはお見通しなので、私はちゃーーーんと待機しているのだ。そして追いうんこも回収後に掃除機をかける。

毎日の事なのでさすがに彼らももう掃除機を怖がりもしなくなった。
掃除機をかけ終わってから初めてコートを脱いで着替えるのだ。これが俗に言う「猫様の下僕」ってやつだな。まあしょうがない。
なにしろうんこが片付かなければこちらも落ち着かないのだ。
うんこの残った尻を壁にすりつけられることもある。お尻にうんこをぶらさげたまま部屋を歩き、そこらでポロリと落としてきたこともある。ゆるいうんこを踏みつけたその足で床を歩かれることも、ゆるいうんこをじゅうたんにすりつけられたこともある。

だからこそ、目の前でうんこをされたらすぐに片づけることにしている。「よしわかった!あとはお任せあれ!このワタクシ目に!」と。
そしてうんこの様子には常に注意を払っている。
うんこはいつもうんこ。それは真実であって真実ではないのだ。毎日違う。ゆるければ何が悪かったか考える。硬くてもまた考える。色味を見ても考える。仕事中もふとした隙に会社のパソコンで「猫 うんこ」などと検索する。
時折ハッと我に返る。なぜこんなにもうんこの事ばかり考えているのかと。それも猫のうんこだ。
ワクチン接種も去勢も終わり、投薬期間もすぎ、最近うんこも落ち着いてきた。
「いいうんこできたね~」と、ムツゴロウさんか岩合さんのように猫に声をかけたりする。
いい日も、悪い日も、毎日うんこを見続けてきたからこそ、今私は思うのだ。
「うんこはいつもうんこ」
うんこって本当にうんこだな!その安心感、驚き、呆れ、若干の滑稽さ。
そして生きていることの実感。