君拾帖

■くんしゅうちょう■  すきなことだけてきとうに

なんでカンガルー

昔飲み屋で、ジャズとブリティッシュロックと村上春樹が好きな意識高い系、自称ピアニスト(無職)のヤマちゃんと「村上春樹の作品って唐突に動物出てくるよね、カンガルーとか」なんて話をしていたら、ヤマちゃんが「カンガルーのこと歌ってるバンドとか結構多いスよ、俺、結構カンガルーの出て来る歌、チェックしてるんス」とか言い出し、驚いたことがある。

そ、そうなの、みんなそんなにカンガルーのこと歌ってたの…。スピッツ渡辺美里くらいしか知らなかったよ?

♪君はセンチメンタル・カンガルー tiny tiny tiny tiny kangaroo…♪
…そんなに小さかったら、それはカンガルーではなく、ワラビーなんじゃないのか。カンガルーより小さいのがワラルー、さらに小さいのがワラビーで、あの種族は大きさで呼び名が変わるだけで特に明確な定義付けはないんだって。この前wikiで見た。

♪飛びすぎたあとの若いカンガルー…♪
なんでも発情期のカンガルーは1日に100km走ることもあるんですって。すごい若気の至り。エロで頭がいっぱいでムハー!!!っとなった勢いのまま東京から静岡あたりまで走れるんだな…。何が草食系だ!!草食系男子って結構すごいじゃないか。
他にもSKE48「12月のカンガルー」とか、ダニー飯田とパラダイス・キング とやらの「悲しきカンガルー」、くるり「かんがえがあるカンガルー」とか。
こんなこと言ったら怒られるかもしれないけれど、カンガルーの出て来る歌は大概「別にカンガルーでなくてもいい」。なんでカンガルー?

俗説によると、カンガルーの名前の由来は「オーストラリアに上陸したキャプテン=クックがカンガルーを見て「この動物は何か」と現地のアボリジニに聞いた際に「カンガルー(分からない)と言われたのを勘違いした」との事らしい。
カンガルー、わからない。

マンガにも唐突にカンガルーは現れる。中原アヤラブ★コン」では主人公リサが、恋人が受験に落ちて失踪しカンガルーを育てているという悪夢を見る。…なんで?

何か意味ありげな顔でじっと見つめてくるから?
でもね、そんなこと言ったら、動物ってわりとみんな、何かしら哲学的な顔をして、ふと立ち止まったり見つめてきたり、いきなり伏し目がちになってみたり、意味ありげな顔をしているものよ?うんこ中ですら。
アルパカだって、鹿だって。亀も牛も、コアラだって。

けれど牛よりも、鹿よりも、カンガルーを題材にした時に醸し出されるニューエイジ感。
それはやっぱり村上春樹のせいなんだろう。

カンガルー日和 (講談社文庫)

カンガルー日和 (講談社文庫)

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)

この2冊の中に含まれている「カンガルー日和」と「カンガルー通信」という短編。なんでもサリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日」のオマージュなんだとかで、それも納得な頭のおかしさ。
どちらも、4匹のカンガルーのいる動物園が出て来る。一頭が雄、二頭が雌、もう一頭は赤ちゃんカンガルー。カンガルー日和では、恋人と一緒にカンガルーの赤ちゃんを見に行くのに相応しい日を検討して、ようやく訪れたカンガルー日和に動物園に行くんだけど、赤ちゃんはもう結構大きくて袋に入ってなくて、彼女ががっかりする。

我々が立ち去る時にも父親カンガルーはまだ餌箱の中に失われた音符を探し求めていた。母親カンガルーと赤ん坊カンガルーは一体となって時の流れに体を休め、ミステリアスな雌カンガルーは尻尾の具合を試すように柵の中で跳躍を繰り返していた。
 久しぶりに暑い一日になりそうだった。


…何を言っているんですかねえ。
カンガルー通信の方はもうちょっとヤバくて、デパートの商品管理課の男性が、苦情を寄せた女性に手紙を書くのだ。

とにかくカンガルーを眺めているうちに、あなたに手紙を出したくなりました。
あるいはあなたは不思議に思うかもしれませんね。どうしてカンガルーを眺めていたら私に手紙を出したくなるのか、カンガルーと私のあいだにいったいどんな関係があるのか、と。でも、そんなことは気にしないで下さい。どうでもいいことなんです。カンガルーはカンガルーだし、あなたはあなたです

いや、気にするよ。でも気にしたらダメなんだろう。「カンガルー(わからない)」んだから。
カンガルーも大変だよ。じっと見られてこんなこと考えられていたらね。なぜ人は動物を見ながら、何らかの意味をそこに見出したくなるのかしら。

コアラを好きでいると、オーストラリアの動物に関する写真や情報がどんどん入ってくるようになるし、大体動物園のコアラのそばにはカンガルーがいるもので、この前久々にカンガルーを見てきた。そして「なんでカンガルー?」と思いながらカンガルー達を見つめる。
しどけなく横たわるもの。尻をかくもの。大きく真っ黒な目でじっと見つめてくる。まつ毛は長い。ときどき唸り声をあげて喧嘩をする。ゆっくり2,3歩飛んでは立ち止まってじっと虚空を見つめる。

そんな姿を見ていたら、うっかり何か意味を見つけたくなる。
でもそんなものいらないんだ。カンガルーはカンガルー。「カンガルー(わからない)」
それでいい。

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仁義なき戦い

友人ヤマダは学生時代明治大学に通っていて、時折講義の途中にヘルメットを被った学生運動の人が教室にやってきてあれこれ主張を叫び出すのだと言っていた。
もう20年近く前だが、その当時でさえ「え!!学生運動の人ってまだいるの?」と驚いた。ヤマダはしみじみと「何と戦ってんだろうな、アイツら」と言っていた。

ホント、何と戦っているんでしょう…。
友人はどういうわけだか一回り以上年上の学生運動あがりの男性とお付き合いを始めてしまった。これがまた面倒くさい人で、政治や世間やあれこれに不満は尽きないが、最近では自転車の運転マナーにうるさく、自作のビラを配りながら辻辻で説教をするのだ。私も説教をされた。
何なの?戦うことが生きることなの?何でそんなに戦いたいの?

…ウザいです…サンタマリア…。
不毛な戦いと言えば、課長が先月からずっと咳き込んでいたのだけれど、なかなか病院に行かなかった。「ただの風邪だから」「薬飲んでるから」「俺は病院なんて滅多にかからないから」と強がって。
男の人って時々そういう不思議な戦いをしていることがある。「風邪は気合で治す!」とか「薬なんて飲まない!」とか「エアコンは使わない!」とか。「花粉症って認めたら負けだから」とか言いながら鼻水をズルズルすすっていたり。
なんでもいいから鼻かみなさいよ!

しかし、そんな事を言いながら、私もまた不毛な戦いをしていたのだ。これはきっと女性に多いと思うけれど「そんな贅沢するなんて!」という悲しい意地。
食洗機なんて贅沢、フードプロセッサーなんて贅沢、湯沸かしケトルなんて、ホットカーペットなんて。「全自動洗濯機なんて贅沢だ」と最近までずっと二槽式洗濯機で頑張っていた友人もいる

去年買って一番良かったものは電動アシスト自転車。2桁万円。山坂の多い街なのに無理する必要なんてないや、行動範囲も広がるからいいや、と勢いで買ったら「どうしてもっと早く買わなかったの?」と思った。
いやあ、こんなに快適で、しかも年間のバス代を考えたら1年位で元がとれるんだから、戦う必要なんてなかった。何と戦ってたのよ、私。

去年友人が「うちもついに家の電気をLEDにしちゃったわ、リモコンで調光もできるし便利なのー」と言い出した時、「わざわざそんなのにする必要ないし。まだうちの電気使えるのに贅沢だし」と嫉妬混じりに思っていた。
が、先日雪の日に、帰宅後ウキウキ浮かれて長靴履いて雪をかきわけて遊んでいたら、うっかり39度の熱を出してしまった。インフルじゃなかったのがせめてもの救い。

高熱に震え、少し眠っては起きて水を飲んだり体温を測ったりするときに、逐一起き上がって壁のスイッチで電気をつけなければならないのが本当にしんどくて、「ああ、こんな時こそリモコンで操作できる電気が必要なんだ」と痛感した。
それで熱が下がるなりすぐに、LEDシーリングライトを探す。

驚いたことに、今LEDのシーリングライトって5000円もしないんですよ!!!調色ができるやつだともうちょっと高いけど。
なーんだ、こんなお値段で買えるのか…もっとずっとお高いのだと思っていた。
考えてみれば我が家の電気は私が高校生の頃からもう四半世紀ほど使用していた、紐がついてるナショナルのやつだ。ナショナル!
…いいよね、そろそろ買い替えても。いいよね、もうリモコンで操作しても。いいよね、いつまでも戦わなくても。
それでニトリ通販で即購入した。

そんな話を相撲友達にしたら、友達がふふっと笑って言った。
「私もね、今の会社に入って初めてのボーナスで食洗機買ったの。一人暮らしで食洗機なんて贅沢だってみんなに言われるんだけど、私はずっとアトピーで辛かったから、洗い物から開放されるってだけで本当に嬉しくてね」
その嬉しそうな顔を見たら、ああ、そっか、それは良かったね、いい買い物したね、と胸がきゅっとした。

ねえ、私達もう、そんなに無理してあれこれ戦わなくていいよね。楽に生きていいよね。
生きることって別に戦うことじゃないわよね。
便利さを享受することは何も悪いことじゃないよね。

さ、リモコンで電気消して寝よう。これからは病に臥しても寝たまま電気がつけられるんだ!

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曲がり角ごとの驚き・23 岸辺のアルバム


毎日寒くて縮こまっているけれど、駅の旅行ポスターによれば、もうちょっとしたら河津桜が咲き始めるらしい。これはいつだったかの靖国神社の桜。
ここ数年春になると、毎年出社前に千鳥ヶ淵に桜を見に行く。うっとりと桜に見とれながら、それでいて、私は目の端に、お堀にぷかぷかと浮かぶみかんの皮もしっかりと捉えているのだ。
それは毎年ある。

人は。いや、「人は」なんて大仰に言うようなことではないだろうが、しかし人は。
人には、岸辺でみかんを食べ、その皮を投げ捨てるという習性があるように思われる。

真鶴。

等々力渓谷

香川県ことでんの車窓から。反対側は海。
鮮やかなオレンジが目につくたびにいつも思う。人はそんなにもあちこちでみかんを食べるものなのか。いつもバッグにみかんを忍ばせているものなのか。そして、みかんの皮を投げ捨てたくなるものなのか。
驚いたことに、それは中国でも同じだった。

蘇州、平江路歴史街区の1本裏通りの民家の窓。干してあるのか捨ててあるのかわからないが、この家の人はみかんの皮をここに溜め込むのだな。

蘇州、北塔報恩寺の裏の庭園、池のほとりの置物の下にそっとみかんの皮。
こんなのを見ると、国粋主義者は眉を吊り上げて言うでしょう。「日本に落ちてるみかんの皮も全部中国人が捨てたんだ!!」

いいや、違うね。
中国人が大挙して日本にやってくるもっとずっと前から、20年も30年も前から、子供の頃からずっと、私は水辺でみかんの皮を見てきましたよ。
この日本のあちこちに、常にバッグにみかんを忍ばせ、隙あらばみかんを食べ、皮をぽいと投げ捨てる人々がいるのだよ、間違いなく。

食堂でご飯を食べてさえ、手持ちのみかんを取りだして食後のデザートにしてしまう者がいるのだよ。
みかんの皮はいくつもいくつも見てきたが投げ捨てる決定的瞬間は見たことがない。しかしきっと投げ捨てる人たちは言っているのだろう。「みかんは土に還るから」「みかんは自然のものだから

そうね、みかんの皮はいつか土に還るでしょう…。
けれど私の心の岸辺にはいつも、黄色いみかんの皮が咲いているの。

…まあ、別に「ゴミを捨てるな!」とか目くじら立てているわけではないのです。ただ、いつも、ちょっとしたシュールさと鮮やかな色が思い出になって心に積み重なっていく、ただそれだけのこと。

岸辺のアルバム (光文社文庫)

岸辺のアルバム (光文社文庫)

TBSオンデマンドで「岸辺のアルバム」を見始めた2月。

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人間的な、あまりに人間的な

年末に上海に行ってきた。
休みがあるからどこか行こう、飛行機に長時間乗るのは嫌だから近場にしよう、台湾は「パワースポットで恋力アップ!」みたいな女子が多そうだから避けよう…と思っていた矢先に江蘇省の観光サイトを見かけ
蘇州!蘇州夜曲!上海から近いのか!と上海・蘇州に決定した。
昨今中国は経済の成長著しく、まあ、私などの目に入る光景と言えばSNSで見かけるキラキラの夜景や近代都市の風景や、旅行雑誌の可愛らしいシノワズリ雑貨やら、上記の観光サイトのお美しい光景で、「華やかな都会への旅行」だと思ってた、私。

利根川と海の眩しい青空の国から3時間

雨のそぼ降る茶色い国、中国へ。茶色いなあ。これが大陸の川か。
シャレオツな空港を出て、客引きの怒声をかいくぐって長距離バスに乗り、蘇州へ。これがまた恐ろしく渋滞して隣のおばはんがキレる。私に同意を求めているようだが、中国語がわからないので「Sorry」とか言うと、「お前じゃ話にならない」とばかりに席を移動される。

すっかり暗くなった窓の外に燦然と輝くプロパガンダらしきもの。
宿泊した蘇州の安宿は、なぜか夜毎に誰かがドアの隙間からエロの斡旋広告を差し込んでくる。あまりの衝撃に写真に収めたが、写真フォルダを見るたびに動揺するので消した。…私が日本人と知って、奴らは体操着ブルマの写真を差し込んでくるのか。…だとすれば私が女に見えなかったか。それとも中国でもエロのニーズは体操着ブルマなのか…。

中国にもファミリーマートがあって、入店チャイムも同じ音なので、ものすごくホッとする。が、驚くべきはレジ前にバン!とコンドームが置かれていること。そればかりか!堂々と大人のおもちゃが置かれていること。驚きのあまり二度見。おしゃれなパッケージしてたって、それはそれ。
なに?一人っ子政策終わったから?そんなに張り切る?

朝ごはんを食べたこの食堂の壁には政府からと思われる「みんな腹八分目にしようね、食べ物も無駄になるし、健康にも悪いよ」的な事が書かれたポスターが貼ってあって、「こんだけ人口が多いと、食べ物が足りなくなるよなあ、大変だ」としみじみしたのだが、コンビニのあの様子じゃ、更にどんどん人口増えちゃうのでは。いや、だからこそ、あんなに大々的にコンドームを売っているのか…。

さて、ここにも書いたけれど、他所様の洗濯物がやたらと気にかかる下世話な性分です。ええ、中国においてさえ。いや、むしろ中国だからこそ。あの方々の大胆不敵さ…。

遠くから恐る恐る撮る、ハンガーに履かされた赤いパンツ。衝撃的だった。

また別の地の赤パンツ。そうか、中国ではパンツはハンガーに履かせて干すのか。赤パンツはメジャーなのか。雨でも洗濯物は干すのか。もう驚かない。

翌朝上海へ。上海は都会だから大丈夫、と思いきやそうでもない。この国の人達はきっと洗濯が大好きなんだろう。ホテルから工事現場の宿舎が見えたが、朝、工事現場のおじさんたちはみんな洗濯物を干していた。だがしかし、なぜ、その辺の電柱にも干してしまうのか。

旅行雑誌に必ず載る、上海で訪れるべき必須ポイント外灘の朝。スモッグで空が茶色く、太陽の形がはっきり見える。これが黄砂なのか大気汚染なのかは何なのかは知らないが、あまり洗濯物を干すにいい環境とは思えない。

だがそれで怯むような彼らではないのだ。高層マンションだってこの通り。高層階でも外に干す。風で飛ばないのか心配になる。

この、各戸に取り付けられた、店のアーケード用みたいな長い棒。これが備え付けの物干し竿なのだろうか。どうやって取り込むのかも気になる。

お店の路地裏も、見上げればそこに洗濯物。
なんという逞しさ、人間らしさ。そうね、生きるって食べて生殖して洗濯する日々だよね。
どこの誰だよ、「食べて、祈って、恋をして」とかぬるいこと言ってるやつは。
どこの誰だよ、夜景見て蟹食べてお買い物してオシャレー!みたいな観光ガイド書いてるやつは!
中国、それはあまりに人間的な国。格差もしたたかさも、逞しさも優しさも、不器用さもぶっきらぼうさも、欲も洗濯物も。
良くも悪くも。

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冷徹と情熱の間

弟の娘はおそらくそろそろ3歳になるのだと思うが、生まれてから1度しか会ったことがない。
まだ座布団の上で寝るくらい小さかった頃だ。そっと足に触れて「ふにゃふにゃかと思いきや、赤子というのは割りとみっちりと肉がつまっているものなのだな」と驚いた。「抱いてあげてください」ってお嫁さんに言われたけど、子どもを持ったことのない者にとって、「赤子は最大級の壊れ物」という思いが強く、恐ろしくてとてもじゃないけど抱き上げることなどできなかった。

実は特に「可愛い」だとか「姪っ子ちゃん♡」という気持にもなれなくて、自分はひどく冷たい人間なのかと友人たちに話したら、「まあまだ赤子のうちはね。喋りだすとすごく可愛いよ」とみんな仰る。今思えばあれは相当気を遣ってくれていたのだろう。みんな姪っ子や甥っ子の写真を待ち受けにしていたり、毎日電話していたり、甥姪の運動会に応援に行ったりしてるもの。

姪っ子に、全く何の興味もない。そればかりか、いつか再会する日を恐れてさえいる。あの頃と違ってもう口も聞けるようになっているはず。何を話せばいいの…?伯母ってどうしたらいいの。
自分でも冷たいと思ってる。昔はその自分の冷たさを申し訳なくも思ったけれど、40過ぎると図々しいもので「しょうがないじゃん、もう変わらない」と開き直っている。

それなのに、コアラの成長はやたら気にかけている。家族でもないのに。コアラでもないのに。孫に夢中なお婆さんの心境で片道2時間半の道のりをせっせと埼玉まで通い、ストーカーのように見つめる。

10月。なんだか最近寝てばっかりだし、心なしかお腹が大きいような気がするけど、冬に向けて脂肪でも貯めるのかもしれないし、と思っていた。

11月。太ったなあ、ジンベラン。ていうか、やっぱりお腹、大きい気がするんだけど・・・。

12月。あ、やっぱ赤ちゃんか!赤ちゃんがもうとっくに生まれてて、お腹のポッケの中で生きてるのね?そうだよね、あれは絶対。
そんな風に、ずーーーーーーーーっと気にかけていた。コアラのことは。

お正月も家族で集まりもしなかったし、姪っ子にお年玉なんて思いもしなかったのに、コアラにお年玉やらなきゃ!と(コアラ基金への募金なのだけど)いそいそと正月2日も動物園に出かける。

1月13日にはついに赤ちゃんに会えた。嬉しさのあまり、無事に成長することを願って神社にお参りまでした。

母と子の姿におおお、といっちょ前に暖かい気持ちにもなるし、生き物や命ってすごいなとだって思う。

私がコアラじゃないから、コアラがしゃべらないから、ガラスの向こうにいるから、近づけないから、触れないから、いくらでも優しさを注げるのかもしれない。
しょうがない、と開き直り切ることもできずに、自分の冷たさ、子どもっぽさを少しばかり心苦しく思っていた矢先、しいたけ占いのこんな記事を見つけて「その通り過ぎる」と驚愕した。
昨今、女子に大人気のしいたけ占い。きのこに惹かれる性質上、しいたけというその名に呼び寄せられ、2年ほど前から割りと心の支えにしている。
蟹座の私。しいたけさん曰く
「恋人とか身内に対しては若干厳しい態度をとって、その分アイドルとか猫を「むひょー」とかわいがる」
「「キャー!」って「かわいい!」と思えるものには絶対服従をする」
「しつこいけど身内には厳しい」

なーんだ良かった、蟹座だからか。身内に冷たくてコアラに絶対服従なの、蟹座あるあるか。あーよかった。
…星占いなんてバカバカしいって言う人もいるだろうけど、心が楽になるようなこと言ってくれたらそれを支えにしたいじゃない。
姪っ子よ、あなたがコアラ好きな女の子に育つなら、いつかきっと私達楽しくお話できる日が来るかもしれないわ。

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曲がり角ごとの驚き・22 猫またぎ

子供の頃はよく猫を拾った。放っておけなくて、猫ごと家を追い出されたこともある。
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父撮影
全盛期には家に猫が4匹いた。
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父撮影
まだ目もあいていない、耳も寝たまま、手のひらに3匹いっぺんに載るような生まれたての子猫の面倒だって一生懸命見た。
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父撮影
これは実家にいたシャナさん。

劇団四季の裏で紙袋に詰めて捨てられていたのを拾ってきた、シンバとナラ。ガラケー時代の写真サイズ。
たくさんの猫達と関わってきたこともあって、憚りながら猫の扱いにある程度自信を持っていたし、猫に愛されているとも思っていた。猫は私を愛してくれると思っていた。
今だって、猫を見かければひと目もはばからず「にゃ~んこ先生~♡」とにゃーにゃー近寄っていく。
が、そうして近づいて撮った写真の数々を見て、最近気づいたことがある。
もしや、猫は私が嫌い。

これは両国回向院で出会った猫。すごいメンチ切ってる。「なんやお前!」くらいの。
猫なで声で「先生!」とか言って近づいたけど、完全に相手にされてない。

これは山梨昇仙峡で出会った猫。絶対警戒してる。

城ヶ島。「ひとのシマで何デカい顔晒しとんじゃ」くらいの威嚇。

そして真鶴。
「うわ、何コイツ、やば!キモ!」みたいな避け方…。

中国蘇州のキジトラ。「食べ物も持ってない奴が話しかけんじゃねーよ!うぜえ!」的な。

「お前、それ以上、一歩でも近づいたら許さねえぞ」とでも言わんばかりに警戒レベルMAXの城ヶ島の猫。

…ねえ、ひどくないですか?
こんなに、こんなに愛してるのに、この仕打。そりゃあ最近はコアラに夢中ですよ。正直猫よりコアラが好きですよ。でも今までずっとあなた方を心底愛してきた私を跨いで避けて通ろうなんて、ひどい、酷すぎる。
まるでストーカー認定されて避けられてるみたい。まあ、確かにいい年のおばはんに「にゃんこ先生~♡」なんて寄ってこられるのはキモいかもしれませんけどね。
それでもやっぱり猫が好き。コアラはもっと好き。
そのうちコアラにも「あいつマジキモい」とか嫌われたりするんだろうか…。
嫌われてもつきまとうよ?割りとストーカー気質あるからね、私。

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バカみたいな事ばかり

「山に登る」と言えば、「登山て何が楽しいんですかね、わざわざ苦しい思いしてバカみたい」と言われることがよくあるし、ミュージカル関連の仕事をしていた時には「ミュージカルってダメだね。タモリさんも言ってたけど、突然歌い出す意味がわからない。バカみたい」と言うニセタモリが必ず現れた。
「正月は駅伝」と言えば「箱根駅伝があんなに盛り上がる意味がわからない。箱根までなんでわざわざ走るの?バカみたい」と言い出す人は一定数いる。
かつて私もそうだった。

箱根まで走ってどうすんの?なんでわざわざ山道走るの?
今だって、走っている学生を見ながらしみじみ思う。「バカみたいって言えば、バカみたいだよな…。こんなペースで、たった5人で東京から箱根まで5時間位で走っちゃうんだもんな」

相撲友達のまるちゃんが、鶴見中継所のすぐ近くに住んでいて「まめさん、今年は帰省しないから駅伝見がてら遊びに来て」と言ってくれたので、お言葉に甘えて正月早々ビール担いでまるちゃんの家にお邪魔してきた。
まるちゃんは神戸出身で、初めて今の家に住んだ時、正月にヘリコプターは飛んで来るわ、周囲は騒がしいわで、「何か事件か!!」と驚いたらしい。そうか、関西の人は箱根駅伝の地理感覚とかもあまりないもんな。

まるちゃんの家でビールで乾杯してから、「行ってくるね」と沿道へ。鶴見中継所は五重六重の人垣で近寄れないので、人垣の途切れる中継所手前まで歩いていって待ち受ける。選手は一瞬で走り抜ける。バカみたいに必死な顔をして。

でも、考えてみれば人間が生まれてから死ぬまで、この天と地の間ですることなんて、どれもこれもバカみたいだ。
繁殖が目的なのに惚れた腫れたの恋愛だの、バカみたい。どうせ食べたってうんこで出るだけなのに「あそこの店が旨い」「これが美味しい」と騒いでバカみたい。政治がどうだこうだの、経済がどうだこうだの、お前が世界を動かしてるわけでもなかろうにバカみたい。SNSだのブログだの、あなたが何していようと他人は興味ないのにバカみたい。

スポーツなんて、その最たるもので、フィギュアスケートだって、ヒラヒラの服着て氷の上を滑走とか、もうバカみたいすぎる。サッカーやバスケットボールだってそうだ。いい大人が一つのボールを奪い合って、籠に入ったの入らないだので一喜一憂して、時には哲学者みたいな表情でスポーツを語りだしたりしてさ。バカみたいったら。
野球だってなんだ、あれは。木の棒でボールを打つとか、ゴリラかよ。バカみたい。

だけど、バカみたいなことを、バカみたいに必死でやっている人に心打たれる。
沿道で待っている間、となりの男性二人連れが言っていた。「結構寒いな。走る方も大変だけど、見る方も大変だよなあ。でも見てやらないとな」
踊る阿呆に見る阿呆。正月早々、寒空の下、一生懸命見える場所を探してここに来た私達もホントにバカみたい。「でも見てやらないと」っていうその言葉にしみじみ共感する。

少しふらついていた中央学院の子に、運営管理車の監督から声がかかる。「まっすぐ前を見ろ!まっすぐだ!白バイを見ろ!白バイについて行け!!」
そんな言葉がかかるくらいにふらふらになってまで走るなんて、バカみたいだ。やめてしまえばいいのに。沿道の人からも「あともう少しだぞ!頑張れよ!」と声がかかる。赤の他人なのにね。彼が走ろうがやめようが関係ないのにね。バカみたいだよね。

駒大がこの位置か…とびっくりしながら見送る。運営管理車から、大八木監督は肉声で「欲を出せ!欲を!」と声をかけていた。

競り合っていれば歓声は大きくなるし

襷がつなげるかギリギリの選手にはこれだけのテレビクルーがつく。「感動的シーン」が撮りたいからね。
「スポーツをお涙頂戴にしちゃってさ、バカみたい」それはそうよね。でも走ってる本人は他人の涙のために走ってるわけじゃないからね。じゃあ、何のためかって言われれば、それはきっとやっぱり何かバカみたいな理由なんだろう。

「あと1分。間に合うかな」
彼が通り過ぎたあと、前にいた子どもが呟く。周りの人もみんな同じ気持ちで彼を見送る。間に合わなくたって別に世界が終わるわけでもないのにね。




例え襷が途切れていたって、必死に大手町へ走る。ねえ、バカみたいだね。バカみたいでしょ?
でも生きてる間、人間がすることなんて全部バカみたいなことばかりなんだからね。必死でバカみたいなことをする人に、バカみたいに心打たれて、そうしてバカみたいに生きていくんだからね。
みんな。

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