人間的な、あまりに人間的な

年末に上海に行ってきた。
休みがあるからどこか行こう、飛行機に長時間乗るのは嫌だから近場にしよう、台湾は「パワースポットで恋力アップ!」みたいな女子が多そうだから避けよう…と思っていた矢先に江蘇省の観光サイトを見かけ
蘇州!蘇州夜曲!上海から近いのか!と上海・蘇州に決定した。
昨今中国は経済の成長著しく、まあ、私などの目に入る光景と言えばSNSで見かけるキラキラの夜景や近代都市の風景や、旅行雑誌の可愛らしいシノワズリ雑貨やら、上記の観光サイトのお美しい光景で、「華やかな都会への旅行」だと思ってた、私。

利根川と海の眩しい青空の国から3時間

雨のそぼ降る茶色い国、中国へ。茶色いなあ。これが大陸の川か。
シャレオツな空港を出て、客引きの怒声をかいくぐって長距離バスに乗り、蘇州へ。これがまた恐ろしく渋滞して隣のおばはんがキレる。私に同意を求めているようだが、中国語がわからないので「Sorry」とか言うと、「お前じゃ話にならない」とばかりに席を移動される。

すっかり暗くなった窓の外に燦然と輝くプロパガンダらしきもの。
宿泊した蘇州の安宿は、なぜか夜毎に誰かがドアの隙間からエロの斡旋広告を差し込んでくる。あまりの衝撃に写真に収めたが、写真フォルダを見るたびに動揺するので消した。…私が日本人と知って、奴らは体操着ブルマの写真を差し込んでくるのか。…だとすれば私が女に見えなかったか。それとも中国でもエロのニーズは体操着ブルマなのか…。

中国にもファミリーマートがあって、入店チャイムも同じ音なので、ものすごくホッとする。が、驚くべきはレジ前にバン!とコンドームが置かれていること。そればかりか!堂々と大人のおもちゃが置かれていること。驚きのあまり二度見。おしゃれなパッケージしてたって、それはそれ。
なに?一人っ子政策終わったから?そんなに張り切る?

朝ごはんを食べたこの食堂の壁には政府からと思われる「みんな腹八分目にしようね、食べ物も無駄になるし、健康にも悪いよ」的な事が書かれたポスターが貼ってあって、「こんだけ人口が多いと、食べ物が足りなくなるよなあ、大変だ」としみじみしたのだが、コンビニのあの様子じゃ、更にどんどん人口増えちゃうのでは。いや、だからこそ、あんなに大々的にコンドームを売っているのか…。

さて、ここにも書いたけれど、他所様の洗濯物がやたらと気にかかる下世話な性分です。ええ、中国においてさえ。いや、むしろ中国だからこそ。あの方々の大胆不敵さ…。

遠くから恐る恐る撮る、ハンガーに履かされた赤いパンツ。衝撃的だった。

また別の地の赤パンツ。そうか、中国ではパンツはハンガーに履かせて干すのか。赤パンツはメジャーなのか。雨でも洗濯物は干すのか。もう驚かない。

翌朝上海へ。上海は都会だから大丈夫、と思いきやそうでもない。この国の人達はきっと洗濯が大好きなんだろう。ホテルから工事現場の宿舎が見えたが、朝、工事現場のおじさんたちはみんな洗濯物を干していた。だがしかし、なぜ、その辺の電柱にも干してしまうのか。

旅行雑誌に必ず載る、上海で訪れるべき必須ポイント外灘の朝。スモッグで空が茶色く、太陽の形がはっきり見える。これが黄砂なのか大気汚染なのかは何なのかは知らないが、あまり洗濯物を干すにいい環境とは思えない。

だがそれで怯むような彼らではないのだ。高層マンションだってこの通り。高層階でも外に干す。風で飛ばないのか心配になる。

この、各戸に取り付けられた、店のアーケード用みたいな長い棒。これが備え付けの物干し竿なのだろうか。どうやって取り込むのかも気になる。

お店の路地裏も、見上げればそこに洗濯物。
なんという逞しさ、人間らしさ。そうね、生きるって食べて生殖して洗濯する日々だよね。
どこの誰だよ、「食べて、祈って、恋をして」とかぬるいこと言ってるやつは。
どこの誰だよ、夜景見て蟹食べてお買い物してオシャレー!みたいな観光ガイド書いてるやつは!
中国、それはあまりに人間的な国。格差もしたたかさも、逞しさも優しさも、不器用さもぶっきらぼうさも、欲も洗濯物も。
良くも悪くも。

冷徹と情熱の間

弟の娘はおそらくそろそろ3歳になるのだと思うが、生まれてから1度しか会ったことがない。
まだ座布団の上で寝るくらい小さかった頃だ。そっと足に触れて「ふにゃふにゃかと思いきや、赤子というのは割りとみっちりと肉がつまっているものなのだな」と驚いた。「抱いてあげてください」ってお嫁さんに言われたけど、子どもを持ったことのない者にとって、「赤子は最大級の壊れ物」という思いが強く、恐ろしくてとてもじゃないけど抱き上げることなどできなかった。

実は特に「可愛い」だとか「姪っ子ちゃん♡」という気持にもなれなくて、自分はひどく冷たい人間なのかと友人たちに話したら、「まあまだ赤子のうちはね。喋りだすとすごく可愛いよ」とみんな仰る。今思えばあれは相当気を遣ってくれていたのだろう。みんな姪っ子や甥っ子の写真を待ち受けにしていたり、毎日電話していたり、甥姪の運動会に応援に行ったりしてるもの。

姪っ子に、全く何の興味もない。そればかりか、いつか再会する日を恐れてさえいる。あの頃と違ってもう口も聞けるようになっているはず。何を話せばいいの…?伯母ってどうしたらいいの。
自分でも冷たいと思ってる。昔はその自分の冷たさを申し訳なくも思ったけれど、40過ぎると図々しいもので「しょうがないじゃん、もう変わらない」と開き直っている。

それなのに、コアラの成長はやたら気にかけている。家族でもないのに。コアラでもないのに。孫に夢中なお婆さんの心境で片道2時間半の道のりをせっせと埼玉まで通い、ストーカーのように見つめる。

10月。なんだか最近寝てばっかりだし、心なしかお腹が大きいような気がするけど、冬に向けて脂肪でも貯めるのかもしれないし、と思っていた。

11月。太ったなあ、ジンベラン。ていうか、やっぱりお腹、大きい気がするんだけど・・・。

12月。あ、やっぱ赤ちゃんか!赤ちゃんがもうとっくに生まれてて、お腹のポッケの中で生きてるのね?そうだよね、あれは絶対。
そんな風に、ずーーーーーーーーっと気にかけていた。コアラのことは。

お正月も家族で集まりもしなかったし、姪っ子にお年玉なんて思いもしなかったのに、コアラにお年玉やらなきゃ!と(コアラ基金への募金なのだけど)いそいそと正月2日も動物園に出かける。

1月13日にはついに赤ちゃんに会えた。嬉しさのあまり、無事に成長することを願って神社にお参りまでした。

母と子の姿におおお、といっちょ前に暖かい気持ちにもなるし、生き物や命ってすごいなとだって思う。

私がコアラじゃないから、コアラがしゃべらないから、ガラスの向こうにいるから、近づけないから、触れないから、いくらでも優しさを注げるのかもしれない。
しょうがない、と開き直り切ることもできずに、自分の冷たさ、子どもっぽさを少しばかり心苦しく思っていた矢先、しいたけ占いのこんな記事を見つけて「その通り過ぎる」と驚愕した。
昨今、女子に大人気のしいたけ占い。きのこに惹かれる性質上、しいたけというその名に呼び寄せられ、2年ほど前から割りと心の支えにしている。
蟹座の私。しいたけさん曰く
「恋人とか身内に対しては若干厳しい態度をとって、その分アイドルとか猫を「むひょー」とかわいがる」
「「キャー!」って「かわいい!」と思えるものには絶対服従をする」
「しつこいけど身内には厳しい」

なーんだ良かった、蟹座だからか。身内に冷たくてコアラに絶対服従なの、蟹座あるあるか。あーよかった。
…星占いなんてバカバカしいって言う人もいるだろうけど、心が楽になるようなこと言ってくれたらそれを支えにしたいじゃない。
姪っ子よ、あなたがコアラ好きな女の子に育つなら、いつかきっと私達楽しくお話できる日が来るかもしれないわ。

曲がり角ごとの驚き・22 猫またぎ

子供の頃はよく猫を拾った。放っておけなくて、猫ごと家を追い出されたこともある。
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父撮影
全盛期には家に猫が4匹いた。
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父撮影
まだ目もあいていない、耳も寝たまま、手のひらに3匹いっぺんに載るような生まれたての子猫の面倒だって一生懸命見た。
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父撮影
これは実家にいたシャナさん。

劇団四季の裏で紙袋に詰めて捨てられていたのを拾ってきた、シンバとナラ。ガラケー時代の写真サイズ。
たくさんの猫達と関わってきたこともあって、憚りながら猫の扱いにある程度自信を持っていたし、猫に愛されているとも思っていた。猫は私を愛してくれると思っていた。
今だって、猫を見かければひと目もはばからず「にゃ~んこ先生~♡」とにゃーにゃー近寄っていく。
が、そうして近づいて撮った写真の数々を見て、最近気づいたことがある。
もしや、猫は私が嫌い。

これは両国回向院で出会った猫。すごいメンチ切ってる。「なんやお前!」くらいの。
猫なで声で「先生!」とか言って近づいたけど、完全に相手にされてない。

これは山梨昇仙峡で出会った猫。絶対警戒してる。

城ヶ島。「ひとのシマで何デカい顔晒しとんじゃ」くらいの威嚇。

そして真鶴。
「うわ、何コイツ、やば!キモ!」みたいな避け方…。

中国蘇州のキジトラ。「食べ物も持ってない奴が話しかけんじゃねーよ!うぜえ!」的な。

「お前、それ以上、一歩でも近づいたら許さねえぞ」とでも言わんばかりに警戒レベルMAXの城ヶ島の猫。

…ねえ、ひどくないですか?
こんなに、こんなに愛してるのに、この仕打。そりゃあ最近はコアラに夢中ですよ。正直猫よりコアラが好きですよ。でも今までずっとあなた方を心底愛してきた私を跨いで避けて通ろうなんて、ひどい、酷すぎる。
まるでストーカー認定されて避けられてるみたい。まあ、確かにいい年のおばはんに「にゃんこ先生~♡」なんて寄ってこられるのはキモいかもしれませんけどね。
それでもやっぱり猫が好き。コアラはもっと好き。
そのうちコアラにも「あいつマジキモい」とか嫌われたりするんだろうか…。
嫌われてもつきまとうよ?割りとストーカー気質あるからね、私。

バカみたいな事ばかり

「山に登る」と言えば、「登山て何が楽しいんですかね、わざわざ苦しい思いしてバカみたい」と言われることがよくあるし、ミュージカル関連の仕事をしていた時には「ミュージカルってダメだね。タモリさんも言ってたけど、突然歌い出す意味がわからない。バカみたい」と言うニセタモリが必ず現れた。
「正月は駅伝」と言えば「箱根駅伝があんなに盛り上がる意味がわからない。箱根までなんでわざわざ走るの?バカみたい」と言い出す人は一定数いる。
かつて私もそうだった。

箱根まで走ってどうすんの?なんでわざわざ山道走るの?
今だって、走っている学生を見ながらしみじみ思う。「バカみたいって言えば、バカみたいだよな…。こんなペースで、たった5人で東京から箱根まで5時間位で走っちゃうんだもんな」

相撲友達のまるちゃんが、鶴見中継所のすぐ近くに住んでいて「まめさん、今年は帰省しないから駅伝見がてら遊びに来て」と言ってくれたので、お言葉に甘えて正月早々ビール担いでまるちゃんの家にお邪魔してきた。
まるちゃんは神戸出身で、初めて今の家に住んだ時、正月にヘリコプターは飛んで来るわ、周囲は騒がしいわで、「何か事件か!!」と驚いたらしい。そうか、関西の人は箱根駅伝の地理感覚とかもあまりないもんな。

まるちゃんの家でビールで乾杯してから、「行ってくるね」と沿道へ。鶴見中継所は五重六重の人垣で近寄れないので、人垣の途切れる中継所手前まで歩いていって待ち受ける。選手は一瞬で走り抜ける。バカみたいに必死な顔をして。

でも、考えてみれば人間が生まれてから死ぬまで、この天と地の間ですることなんて、どれもこれもバカみたいだ。
繁殖が目的なのに惚れた腫れたの恋愛だの、バカみたい。どうせ食べたってうんこで出るだけなのに「あそこの店が旨い」「これが美味しい」と騒いでバカみたい。政治がどうだこうだの、経済がどうだこうだの、お前が世界を動かしてるわけでもなかろうにバカみたい。SNSだのブログだの、あなたが何していようと他人は興味ないのにバカみたい。

スポーツなんて、その最たるもので、フィギュアスケートだって、ヒラヒラの服着て氷の上を滑走とか、もうバカみたいすぎる。サッカーやバスケットボールだってそうだ。いい大人が一つのボールを奪い合って、籠に入ったの入らないだので一喜一憂して、時には哲学者みたいな表情でスポーツを語りだしたりしてさ。バカみたいったら。
野球だってなんだ、あれは。木の棒でボールを打つとか、ゴリラかよ。バカみたい。

だけど、バカみたいなことを、バカみたいに必死でやっている人に心打たれる。
沿道で待っている間、となりの男性二人連れが言っていた。「結構寒いな。走る方も大変だけど、見る方も大変だよなあ。でも見てやらないとな」
踊る阿呆に見る阿呆。正月早々、寒空の下、一生懸命見える場所を探してここに来た私達もホントにバカみたい。「でも見てやらないと」っていうその言葉にしみじみ共感する。

少しふらついていた中央学院の子に、運営管理車の監督から声がかかる。「まっすぐ前を見ろ!まっすぐだ!白バイを見ろ!白バイについて行け!!」
そんな言葉がかかるくらいにふらふらになってまで走るなんて、バカみたいだ。やめてしまえばいいのに。沿道の人からも「あともう少しだぞ!頑張れよ!」と声がかかる。赤の他人なのにね。彼が走ろうがやめようが関係ないのにね。バカみたいだよね。

駒大がこの位置か…とびっくりしながら見送る。運営管理車から、大八木監督は肉声で「欲を出せ!欲を!」と声をかけていた。

競り合っていれば歓声は大きくなるし

襷がつなげるかギリギリの選手にはこれだけのテレビクルーがつく。「感動的シーン」が撮りたいからね。
「スポーツをお涙頂戴にしちゃってさ、バカみたい」それはそうよね。でも走ってる本人は他人の涙のために走ってるわけじゃないからね。じゃあ、何のためかって言われれば、それはきっとやっぱり何かバカみたいな理由なんだろう。

「あと1分。間に合うかな」
彼が通り過ぎたあと、前にいた子どもが呟く。周りの人もみんな同じ気持ちで彼を見送る。間に合わなくたって別に世界が終わるわけでもないのにね。




例え襷が途切れていたって、必死に大手町へ走る。ねえ、バカみたいだね。バカみたいでしょ?
でも生きてる間、人間がすることなんて全部バカみたいなことばかりなんだからね。必死でバカみたいなことをする人に、バカみたいに心打たれて、そうしてバカみたいに生きていくんだからね。
みんな。

悪魔が来たりて

あけましておめでとうございます。
不穏なタイトルですが健康的な話です。

さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。すると試みる者が来て言った。
      マタイによる福音書 第四章1-3

新約聖書に書かれている有名な話で、若きキリストが修行中に悪魔に試される。やれ「石をパンにかえてごらんなさい」「ここから飛び降りてごらんなさい」「悪魔に魂を売るなら富と国々をあげますよ」
それらをすべてキリストは理性的に拒み、そして雄々しく告げるのだ。
サタンよ、退け!
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お釈迦様にも似たような話があって、瞑想中に魔王が邪魔をしにくる。艶めかしい女を送ってきたり、「この世のあらゆる栄華をやろう」とか武力行使だとか。
しかし釈尊も雄々しく告げる。
悪魔よ、汝は敗れたり!
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宗教の経典によくありがちな「神様すごい」エピソードは胡散臭いものが9割方だけれど、この悪魔の部分だけは本当にしみじみと「悪魔、くるよね」と共感できる。
例えば勉強とか、ダイエットとか、日々の目標とか冬のコタツとか。そこかしこで悪魔はすぐに人を誘惑してくる。
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8月末から始めたラジオ体操。毎日朝晩行うことを自分に課した。あれから4ヶ月。悪魔は何度もやってきた。そして言った。「今日くらい、いいじゃん」「1日くらい大丈夫だって」「こんなラジオ体操くらいで何も変わらないよ?」
神ではない私は雄々しく「サタンよ、退け!」とは言えず、ちょっとばかりうんざりした気持で悪魔に心惹かれつつもなんとかなんとかやってきた。
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年末は上海へ旅行に行ってきた。これまで旅先でもyoutubeを用いて体操はしてきた。しかしネット規制の強い中国ではyoutubeにアクセスできない。vpn付きWi-Fiルーターは借りていくけど、データ容量の問題があるので、そうそうyoutubeにも繋げない。
年末の旅行中くらい体操はいいか、とも若干思った。しかし半ば意地もありclipboxに動画をダウンロードしていくことにした。隣の部屋のテレビの音が聞こえる蘇州の安宿で、私は朝晩ラジオ体操をしましたよ。隣の部屋の人は「何やってんだ」と思ったことでしょう。私だって思っていた。「中国まで来て何やってんだか」
悪魔は私に囁き続けた。「そこまでする必要ある?」「今日一日よく歩いて運動したんだし、体操はいいじゃん」
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でもまあ、正直言葉のまったく通じない蘇州の地で、ラジオ体操の日本語は心の支えでもあったので、蘇州でも上海でも私はせっせとラジオ体操しましたよ。
一番試されたのは帰国後、大晦日の夜だ。「旅行から帰ってきて疲れてるんだから」「今日くらいいいじゃん」
強力な悪魔が何匹も私の周りを飛び回ったが、「今日くらい」という所で我に帰る。
イヤ、だめでしょ。今日大晦日じゃん。1年最後の日はちゃんとしなきゃダメでしょ。サタンよ、退け!体操して22時に寝た。

おかげさまで今朝は寝坊したものの、新春特別バージョンのテレビ体操ができた。先生もピアノの先生もお姉さんたちも勢揃い。
良かった。テレビ体操を継続したまま年を越せて本当によかった。雄々しく叫びたい。「悪魔よ、汝は敗れたり!
心の中では天使が盛大にラッパを吹いていたけれど、テレビからはピアノの先生が弾くマリンバの音が響いていた。…先生、多才なのね…。
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何かをするとき、その何かの難易度がどうこうよりも、続けることが一番難しい気がする。続ける中で、何度も何度も悪魔が誘惑にやってくる。今年もこれから体操を続けるにあたり、毎日のように悪魔が来て「今日くらいいいじゃん」と囁くのだろう。今だって誘惑されている。今日はニューイヤーコンサート見てそのまま寝るのでいいじゃん、と。新年早々、悪魔との戦いだ。勝利し続ければそのうち悟りでも開けるんじゃないか。
雄々しく叫んで悪魔に勝利し続ける一年でありたい。「サタンよ、退け!
まあ、たかが体操なんだけどね。

クリスマス貝

年をとるとだんだんイベントごとに疎くなるのか、ハロウィンが盛り上がっていたのにも気づかなかったし、ボジョレーも知らぬ間に解禁となり、「今年のボジョレーは濃くて旨いよ」と言われ、買おうかなと思ったときには見当たらず。
おかげでクリスマスも「なんか今年はあまり世の中盛り上がってないわね、全然クリスマス感ないわー」なんて思っていた。
盛り上がっていないのはきっと私だけだったんだろう。
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23日はしこたま大掃除をした。手ががさがさになるほど必死に。「海が見たい・・・」なんてアンニュイに呟いてしまうほど懸命に。
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そんな訳で24日は真鶴へ。
ここ数週間ばかりどうも真鶴が気になっていた。子供の頃、磯遊びで転んで怪我をして「怪我からフジツボの卵が入って膝にフジツボが生えたらどうしよう」と数日怯えて過ごして以来、二度と訪れることのなかったあの地が、今なぜこんなにも気にかかるのか。
いや、でも真鶴、それなりに遠いし、海を見るならみなとみらいや鎌倉でいいか、とも思った。
しかし時はクリスマス・イブ。そんな日のみなとみらいや鎌倉は、キラキラ女子と男子でいっぱいなんだろう、やっぱり真鶴だ。
イブとか知るかよ。真鶴散歩して刺身定食とビール飲んで、ぐーすか寝ながら昼過ぎに帰る、これだ!完璧だ!
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漁師町っていいもんだ。愛想の悪い猫もいる。ゴミ捨て場のネットはもちろん漁網。必ず貴船神社がある。
そんなあれこれを眺めながら半島の突端へ向かう。そして出会う。
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遠藤貝類博物館。遠藤貝類博物館!!
なんてものがこの突端に!私を呼んでいたのはこれだったのか。このためにこそ、私は今日この真鶴の地へ来たのではないかしら。
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入り口の前にも、地元の人から寄付されたタカアシガニやら何やら置いてあるが、驚いたのはこれだ。
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伊勢海老の抜け殻。「すごい…、完全な抜け殻なんて初めて!」
王蟲の抜け殻を見つけたナウシカみたいに言いたくなる。
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幼少より魚貝に囲まれて育った、地元出身の遠藤晴雄さんはずっと自宅を私設博物館にして、自分の貝コレクションを公開していたんだけれど、それを真鶴市が譲り受けたのですってよ。

真鶴町立遠藤貝類博物館

すごい。「幼少の頃より魚貝に囲まれて育ち」なんて言われる人、そうそういない。さかなくんだって別に魚貝に囲まれて育ってないだろう。すごい。
そして、海に生きる貝だけでなく、陸に生きる貝、カタツムリも出て来る。そうか、カタツムリって貝だよな。貝殻ついてるもんな。展示の脇に書かれた貝の豆知識がいろいろと面白くて、カタツムリが雨上がりにコンクリートの上に出てくるのはカルシウム摂取のためなんだそうだ。カルシウム摂らないと殻が維持できないから。
なるほど…!!とものすごく感心した。
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嬉しかったのは法螺貝。自由に吹いていいらしい。ちなみに上手く音が出れば非常に大きな音がするが、吹くのには才能が必要らしい。…いろいろ試したけれど鳴らなかった。

ホラガイが鳴らなくて、切なめクリスマス。
この館で一番うやうやしく展示されているのはオキナエビスガイで、これは絶滅したかと思われていた古代の貝なんですって。世界で最初に発見されたのは、古代の貝殻をヤドカリが使っていたものらしい。リノベーション…。
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そして世界で3番目に見つかったのは江ノ島の土産物屋に置いてあったものだって。江ノ島の土産物屋、すごい…。
この貝はマニア垂涎の貝らしく、遠藤さんは世界の30種類のオキナエビスガイのうち、27種類集めて展示してるらしい。あと3種類はどこにあるんだ。そしてどんな価格で取引されるものなんだ…。
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また、人間の生活と貝との関わりについても展示されているのだけれど、その中でこれ。貝ボタンをとったあとのサザエ。
カーディガンとかについているあのステキな貝ボタン。あれ、サザエだったのか…。もっと平らな貝からとっているのかと思ってたらこんなにも器用に…。
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こじんまりしているけれど、遠藤さんの情熱がすごく感じられて、とても面白い。帰りに自分にクリスマスプレゼントを買う。 

遠藤さんの描いた貝の絵葉書図譜。その名も「海の貴婦人」

毎年遠藤さんが送った年賀状の貝の絵が収められている。「海の貴婦人」というタイトルもたまらない、古いフォントもたまらない、そして何より、添えられた説明の、味のある文章がたまらない。
ああ、ここに来れて良かった。なんて素敵なクリスマス貝。

曲がり角ごとの驚き・21 コクとは何か


12月頭に久々に山に行ってきた。久々なのでお気楽に行ける丹沢。

甲子園風に言うなら3年ぶり2度目のコース。地味にキツいの忘れてた。

でもまあ、今年は見れないかなあと思っていた紅葉も見れて。

全長17kmのコース、最後は若干へばりながら舗装路へ出てバス停へと向かう。
バス停へ近づくとだんだん家々も増えてきて、あちこちに無人の野菜売り場がある。
こういうの、いつもとても魅惑的なのだけれど、山歩きで疲れた身では大根背負って帰れない。今野菜売り場に並ぶのはみかんばかりだけど、みかんもちょっとね、うちにまだあるし。
この辺みかんが採れるのかしら、みかん畑は見当たらないけど…。

などと思いながら歩いていたら、バス停横の売店のおじいさんが「みかん食べていきなよ!!」と声をかけてくる。
あー、それじゃあ、と頂いた所、とても甘い。
「おいしいですね!」と言うと、おじいさんは「あったりまえだよ!おいしいから薦めてんだ!おいしくなかったら売らねえよ!」と威勢よく仰る。
はあ、なるほど。この辺て、みかんがとれるんですね、と言うとおじいさんは・・・、今にして思えばだけれど、一瞬ふっと黙った。そして言うのだ。
この辺じゃ採れねえよ!これは三ヶ日!!」
三ヶ日・・・ってどこでしたっけ?と聞くと「静岡だ!ここのみかんが一番うまいね!甘いだけじゃなく、コクがある。甘いだけのみかんなんて、世の中に山ほどあるけどよ!やっぱりコクがなくっちゃよ!
はあ、そうですね。コクね、ええ、ええ。勢いに押されてみかん背負って帰ることに。みかん、うちにあるのに・・・。

そうして、みかん背負って乗り込んだバスが動き出した後、我が目に飛び込んできたのは大きな「歓迎 みかんの里」という看板だ。みかん園やらみかん狩りの看板もある。
待って!ねえ、待って!!
さっき、あのおじいさん、「この辺じゃみかんは採れない」って言ってたんだけど!?

・・・。
買ったみかんを見つめて、しみじみ考える。おじいさんにとって、ここのみかんは「甘いだけでコクがない」のだろうか。「おいしくなかったら売らねえよ!」という言葉に嘘偽りなく、自分が美味しいと思った三ケ日のみかんを売り、地元のみかんは売らないのか、例え地元を敵に回しても・・・?
バス停横なんて一番いい立地に店を構えておいて、地元のみかんを売らないばかりか「この辺じゃみかんは採れない」とまで言うからにはご近所と相当な軋轢もあるのでは・・・。

そうまでしても、それでもコクは譲れないのか・・・。そもそもコクってなんだよ・・・。
おじいさんをそこまで駆り立てるコク、それは旨味のハーモニー、らしい。
なるほど、コク、ねえ。これがコクってやつね・・・と、おじいさん推奨の三ケ日みかんを噛みしめるが、本当はコクなんてよくわからない。
ただ、甘くて瑞々しいみかんの中に、おじいさんの断固としたこだわりと決意を感じて、「三ケ日すげえ!」とか思うだけ・・・。