MUJI 2017夏/青春1日目①

夏と冬のみ販売され、日本全国兎にも角にも鈍行でどこまでも行ける魔法のチケット、青春18きっぷ
若かりし日には始発から終電まで電車に乗り倒したこともある。別に鉄道マニアじゃないけれど、ともかくどこか遠くへ行きたくて。
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夏が来る前は、18切符でどこへ行こう、ここへ行こう、とあれこれ夢をふくらませるが、いざ発売時期になると、腰が引けてくよくよと動けなくなる。何せあれは青春18という名の示す通り、気力体力の試される切符なのだ。
もう8月も終わりなのに5回分使いきれるかしら…、そんなに行くとこあるかしら、とかなんとか考えるけど、ええい、ままよ、と飛び出した夏の終わりの青春1回目。
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6:13 横浜駅東海道線沼津行き→8:04 沼津着→8:09 沼津発→9:02 静岡着
9:05分のしずてつバスで登呂遺跡へ。

バスロータリーに着くなり、突然現れた竪穴式住居型ゆるキャラに度肝を抜かれる。

なんでもトロベーというお米大好きな男の子らしい。頭は住居、服は貫頭衣。頭は住居!!!
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登呂遺跡は戦時中に発見された、弥生時代の集落・水田遺跡。水田や高床式倉庫が再現されていて、火おこし体験や弥生式炊飯の体験もできる。
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隣接の登呂博物館の中にも、こんな感じで水田や祭殿、住居が再現されている。
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屋根の上の鶏も。
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そして稲を穴に差し込む田植え体験も。稲っていうか、わけぎみたいだな。
この登呂博物館、入り口は本当に地味な公民館みたいだ。ミュージアムショップは薄暗い蛍光灯に照らされて、公立高校の購買のようだし、チケットの券売機は市役所の食堂みたい。
ところが展示室にひとたび足を踏み入れると。
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あらやだ。なんかお洒落気。これどこかでみたことある。…そう、これは…これは無印良品の店!
後ろの棚の土器や木製家具は複製品でお触り可、手作りハンガーにかけられた弥生時代の着物、貫頭衣も自由に着て良い。
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見れば見るほど、なんたる無印良品!と驚くが、考えてみれば自然の物しか使い得ず、シンプルな暮らし以外にない弥生人の暮らしぶりは無印のコンセプトと完全に合致する。
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無印良品[無印良品からのメッセージ]
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電気もない、水道もない。もちろんテレビもない。村の中央にはひとまたぎで越えられそうな小川がひとすじ。土壁に草葺きの屋根を乗せた住居が濃い緑の中にぽつりぽつりと顔をのぞかせます。家々の周りには家族が食べるだけの穀物が植えられ、食事時になると家々の草屋根からゆっくりと白い煙が湧き出してきます。「なにもないがすべてがある」そんな形容がふさわしい静かで豊かな光景です。

電気もない、水道もない、テレビもない。だって弥生時代だもの。
オーガニックリネンの貫頭衣、木彫りの舟、椅子、柄杓、器、土器。自然、当然。
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おいしい生活
そうか、弥生人の住む家は無印良品の家だったのか。無印の目指すシンプルライフだったのか。
妙に納得するが、それにしても、見せ方一つ、意味の与え方一つで古代人の暮らしすらこんなにもお洒落げに見せることができるのかと思うと、広告戦略とはつくづく恐ろしいものよ…。

11:01のバスで静岡駅へ戻って青春の1日目はまだ続く。

曲がり角ごとの驚きXV あの場所

ちょっと前から電車の液晶広告で「ダムパシャ」というのを見かけるようになった。
カメラ女子が八ッ場ダム建築現場で、“インスタ映え”みたいな写真を撮る、清水建設主催のイベントがあるらしい。

カメラ女子ブーム、大人の社会科見学ブーム、ダム萌え、ニッチな場所好きー、てな所を上手くつかんで、しかも場所はあの八ッ場ダム事業仕分けやら脱ダム宣言やらの中、工事中止に見舞われた「あの」。
工事再開してたんだなあ。うまく宣伝するもんだなあとしみじみしていたら、お盆休みの旅行中、うっかりあの場所を通りかかる。

「なんであそこあんな混んでんの」
「やんば見放題だって」
「やんば?」
「やんばってアレじゃん?あの八ッ場ダム
「ああ、あの!じゃあ寄ってくか」


こちらが水没する側。
元々は橋ももっと低くて、川沿いは温泉街で国道も鉄道も川沿いにあったけれど、すべてダムのために高地に移したらしい。

立ち並ぶセメントサイロ。

なんてことない国道に突然こんな、急ごしらえのような展望台と公園、仮設トイレ、遊具、うどん屋蕎麦屋が現れ人々が集う。それは誰もが「ああ、あの!」と思っているからだろう。

プレハブ作りの資料館の脇には工事に使う40トンダンプトラックのタイヤが無造作に置かれており、子どもが「デカーい!」と歓声をあげながら上に乗り、記念撮影をせがむ。

そして近くの道の駅に貼られたポスターにはこのように書いてある。
「数年前、ダム工事の是非で全国的に注目された“あの場所”」

はあ、上手くやるもんだなあ、全国的にあがった知名度を活かして、ただのダム建築現場なのに観光地だもんなあ、と思ったが、そう言えば黒部ダムがそんな観光地ダムの大先輩だ。
あれも関電トンネルの破砕帯のご苦労、黒部の太陽裕次郎プロジェクトX中島みゆき、そんな訳で「あの黒部ダム」だ。

観光地なんておよそどこだって「あの場所」だ。
でも、それが災害や事故や政治的問題で大きなニュースになったりすると、毎日ニュースを見続け、いろんな事情を少しづつ聞きかじる中、強烈に「あの場所」として刻まれていく。
そして人は「あの場所」を見てみたくなるものだ。
「If you build it, he will come.(それを造れば、彼は来る)」って言うけど、ただ作るだけじゃダメなんだな。途中で建設中止になったり、大変なご苦労や強い衝撃があったりしないと。そんなわけで、今年のお盆休みはあの八ッ場ダムを見て、あの白根山の湯釜を見て、NHK日曜美術館で紹介されたあの小布施の北斎館へ行って、あの青木ヶ原樹海とあの上九一色村の脇を通って帰ってきた。
結構ミーハーね。

生くる悩み

日々は大体野球とコアラでできている。
まるでストレスフリーな人生みたいだけれど、それなりに考えたり落ち込んだりすることもある。まあ、そんなに大層なことでもないけれど。

昨日は楽しみにしていた甲子園4日目。あっさり横浜高校が負けてしまうので、「なんたること!…かくなる上はコアラだ!コアラ見るしかない!!」と夕方の埼玉県こども動物自然公園へ。夏休みなのでナイトズー開催中なんですよ。

コアラに夜を認識させるためなのか赤いライト点灯中。

ベイビーコアラ、ニーナは精力的にむしゃむしゃバリバリとユーカリを食いちぎり

葉っぱを食べつくすとママのおっぱいへ。

なるほど、あなたのおデブボディはそのようにしてできていたのね。母の呆れ顔よ…。

コアラたるもの、如何に大人になろうとアイドル雑誌の表紙みたいなキメ顔

初めてコアラのランチタイムを見学したとき、その生き様に衝撃を受けた。
新しい葉っぱがくれば起きて、むしゃむしゃと食べ、何食わぬ顔でポトポトと排便し、また寝てしまう。
これこそがミニマリズムの極地だな。生きる理由なんて考える必要は何もない。ただ食べて排泄して寝る、それだけでこんなに可愛いんだからそれでいいじゃないか!

手紙

手紙

谷川俊太郎の「手紙」という詩の中に「サバンナに棲む鹿だったらよかったのに」という一文があったが、「森に棲むコアラだったらよかったのに」という手紙を書きたくなった。

しかし、何度か見ていると「あ、コアラもそれなりに大変なんだな」という事に気がつく。

新しい葉っぱに囲まれて良席ゲット!とぼんやりしていたら、後から来たおばさんにお尻でぐいぐい追い出される。



おいババア!

ちょっとムカつき顔で振り向きざまにユーカリ食べる。


なんとか安住の地を見つけるも、憂いの表情。

また別の日。新しい葉っぱも来たし、ここ天国!とご機嫌でいられたのもつかの間。

あらー、あの辺良さそう♡おばはん、ジャンプしちゃう。

あら、なんかいる。ねえ、どいて?

おりてちょうだい。おばはんのお尻が置けないでしょ?


ああああああ!


わかればいいのよ。

ねえ、お嬢さん。子どもだからっていつまでも甘やかしてもらえると思ったら大間違いなの。生きていくってことはね、自分の居場所は自分で勝ち取るってことなの。

…。

葉っぱ…ない…。

ママも助けにきてくれない…。

ここで寝るしかないんだ。フカフカの葉っぱもないけど。

群れの中で生きる、社会の中で生きるってことは、人間だろうとコアラだろうと悩み無用じゃいられないものなんだな。いや、例え群れじゃなくて一人で生きるにしたって餌の心配やら危険やら、悩みはつきないんだろう。
どんな素敵なミニマリズムライフでもシンプルライフでも。
悩むことが生きることね。
蒸し暑いコアラ舎でそんなこと考える夏休み。

子守熊

子守熊と書いてコアラ。そのまま「コモリグマ」と呼ばれることもあるんですって。
どこのどなたのセンスだか存じないが、素晴らしいネーミングだ。

去年の9月に生まれた埼玉県こども動物自然公園の赤ちゃんコアラ、ニーナ。これは5月の写真。

3月はこんなだったらしい。ネズミみたい。

そして4月。お母さんのポッケからぴよっと足が出たり。

5月頭

5月末。子どもの成長って早いものね。

6月はまだ赤ちゃんの顔でお母さんにひっついて寝ていた。

7月は少しお姉さんの顔になったけど、まだママにひっついて眠るし、動く時はママに運んでもらう。


一人で葉っぱもたべられるようになった。

でもママと一緒に食べるのが好き。

ふくふくのワガママボディ。

まだまだママのおっぱいも好き。

8月に行ったら、あらびっくり。もうママと離れて一人で眠るようになったのね。耳もふっさり大きくなって。

2人の娘を育て上げた母、ドリー。ようやく子どもが手を離れたのね。育児、お疲れ様でした。立派な母ちゃんだった。

おたくの娘はむっちりボディのセクシーポーズでぐーすかぴーですよ。

そんで葉っぱ食べてデブい顔して笑うので、こっちはもうたまらんのです。

次に行くときは、もっとふさふさの大きな耳になって、大人びた顔立ちになっているんだろう。
この子があと2年や3年すれば母になるのだな、と思うと感慨深い。
はあ、やれやれ。子守熊の成長と巣立ちを見たくて、孫バカのばあちゃんみたいな気持で埼玉へと通い、親バカみたいな気持で写真を撮る。

そんな私を、偉大な母はクールな瞳で見つめるのだけど。

曲がり角ごとの驚きXⅣ 熱々の五平餅

郷土料理のお店で生まれて初めてきりたんぽを食べた時の感想。「あ、ご飯」
飛騨高山で人生初の五平餅を食べた時の感想。「あ、ご飯」
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どちらもつぶしたご飯を棒につけて甘辛系の味噌なんかを塗った感じの食べ物だ。

そんな五平餅、根強い人気があるのか、時々最寄り駅に露店が出ることがある。
そうなると係長が黙っていない。
「今日、駅前に五平餅の店が出てた」
うちの最寄駅にも出てましたよ、と告げると「え!!五平餅のくせに!」と各地への展開が許せない模様。
別にあの人は五平餅の地元、長野や中部の出身ではない。だが、何故だかやたらと五平餅にこだわるのだ。
そして事あるごとに言う。
「うるせえ!熱々の五平餅で引っ叩くぞ!」
営業がワガママを言えば
「五平餅フルスイングするぞ!って言え」
お取引先がやらかせば
「タレが飛び散る勢いで五平餅フルスイングだぞって伝えとけ」
…そんなこと言えるわけないじゃないですか…。

そんな訳でワタクシ、割りと五平餅屋台が気にかかる。
目につくたびに「ああ、係長にフルスイングされる」「五平餅で引っ叩かれる」と怯えながら露店を見ている。

世の中、意外に五平餅の需要は多いらしい。靖国神社の桜の季節も五平餅の屋台が出ていた。

想定外に五平餅に包囲される日々、近所にコメダ珈琲の和喫茶おかげ庵というお店が開店した。
あら、そう、ふーーん、と適当にスルーしていたが、ある日ふとツイッターで「おかげ庵で五平餅焼きた~い♡」というTweetを見かけてしまい戦慄した。
え、何、あの店、五平餅焼けちゃうの。手焼きできちゃうの…。

それならば行ってみるか、と疲れ果てた7月の会社帰り、おかげ庵で五平餅を注文してみたところ、こんな大層な電熱器が出てきて、ちょっとビビる。

コメダの五平餅は飛騨高山とは違ってこんな団子型タイプ。お店のお兄さんによると「まず表面をカリッカリに焼き、胡桃味噌をつけて更に焼くことを繰り返して下さい」とのこと。

了解了解。結構、根気よく待つタイプよ、これ。
しかもタレが熱々で歯の裏側をやけどするヤツ。そして相変わらず五平餅ってご飯。

こんなので引っ叩かれたくないなあ、としみじみ思うのだけど、なんで7月疲れたかって、派遣の子が無断欠勤の上バックレたせいだ。派遣元も連絡が取れなくなっているらしい。
社員証も保険証も持ったまま、PCのワイヤーロックの暗証番号もわからぬままの失踪。
ねえ、係長、今こそ熱々の五平餅であの子を引っ叩いていいよ。
タレが飛び散る勢いでフルスイングしていいんだよ。

光陰矢の如し

土曜日は第99回全国高等学校野球選手権神奈川大会決勝を見に横浜スタジアムに行ってきた。
決勝の組み合わせは横浜高校×東海大相模高校。
去年は夏風邪をひいて家でテレビ観戦だったので、決勝を見に行くのは2年ぶり。
そしてこの横浜×東海大相模という決勝の組み合わせも2年ぶり。
2年前、渡辺監督勇退の年、東海大相模には現中日の小笠原くん、現オリックスの吉田凌くん、青島くん、佐藤くんという4枚看板のすごいピッチャーがいて、打つ方もすごい子がいっぱいいて、横浜高校は手も足も出ずに完封負けだった。

スタンドに頭を下げた後号泣していたキャプテンの相川くん。

2年生だった藤平くんも公家くんも立ち上がれないくらいに泣き崩れていて、

1年生の増田くんはなんだか呆然としてるみたいだった。

準優勝盾を持っての行進だって、まるで遺影を持った葬儀の列みたいにしょんぼりしていた。
あれから2年。

渡辺監督の隣であらいぐまラスカルみたいな顔してた子がずいぶん貫禄のあるお兄ちゃんになったもんだ。

それでも楽しそうないい顔は変わらないもんだね。

ていうより、どんどんいい顔になってきているんだな。

Standard Next(スタンダードネクスト) 2017年 06 月号 [雑誌]

Standard Next(スタンダードネクスト) 2017年 06 月号 [雑誌]

夏前、駅売店で売られていたこの雑誌、あんまりにいい表情で衝動買いしたわ。

外野席の声援に応えるようなエンターテイナーになっちゃって、

高校野球ニュースによると、エースの板川くんに「最後はセンターフライで終わらせてくれ」って言ってたんだってね。
そのセンターフライをつかんで


万波くんとヒップアタック。

完全に筒香くんのアレ。

みんなの輪に向って走って

走って

みんなが待ってて


今年は試合前の円陣ではこのポーズやらないんだなと思っていたら、決勝までとってあったのね。

今年、横浜高校は晴れがましい顔で閉会式に臨んで、東海大相模はお葬式みたいだった。
2年前は逆だった。決勝戦まで勝ち上がることはそれだけですごいのに、ここで勝つか負けるか、赤いリボンのメダルか紺のリボンのメダルかで、本当に天と地ほど両者の表情が違う。

そんな残酷さの中で、幼い顔つきだった男の子はすぐに青年の顔に変わり、次のステージへ進んでいってしまうし、「夏が始まった!」と人をそわそわさせる県大会が終ってしまったら、なんだかもう空も少し高いような気がする。

7月が終わる。

二度訪れる夏

学生の頃、夏休みはいつも、7月はすごくゆっくり感じられて「夏休みが始まった!」「まだこんなに夏休みが残ってる!」と思っていたのに8月に入ったらあっという間だった。

きっと学生さんたちは今「夏休み始まった!」とのんびり構えているんだろう。大人たちはビヤガーデンのオープンや子どもの夏休みや蝉の声や、学生がいなくなって空いた電車に「夏が来たのか」としみじみしているんだろう。

けれど、もう夏は相当たけなわだ。都市対抗も終った。みんな、甲子園が始まるまではまだ本当の夏じゃないと悠長にしているかもしれないが地方大会も相当進み、各地で決勝戦が行われ出場校が決まってきている。
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これは今年の愛知県大会の熾烈なベスト8組み合わせ。
今日、愛知県大会で愛工大名電中京大中京に負けた。名電OBの同僚タカハシさんは「夏、終わったな」と言っていた。
そうだ。
高校野球の地方大会が始まると夏が始まる。そして地方大会で負けると夏が終わる。
やってる選手達は本当に夏が終わって、高校3年間の部活が終わる。
見ているだけの人間は地方大会の終了と共に1度夏が終わり、甲子園の開幕でまた夏が始まる。

これは2014年
高校野球を地方大会から見るようになって、最初は自宅にテレビがなかったこともあり、なんとしてもこの目で見届けなければ、と有給をとって球場へでかけた。
テレビを買ってからもTVKの放送がなければ「絶対行かなければ!」と有給をとった。
だんだん年もとってきて、夏の日差しが億劫で「テレビでいいかな」と尻込みしたり、面倒くさいなあと思ったり。
けれどそんな私を急き立てるようにGoogleフォトが言うのです。
「2年前の今日はこうだったよ」

これは2015年の相模原球場

今は楽天イーグルスの藤平くん。

2013年、カメラを買って、嬉しくて撮った現日ハムの浅間くんと高濱くん。
毎年毎年この時期の写真フォルダには代わり映えしない写真が並ぶ。代わり映えしないけど確実に変わっている世代、確実に変わっていく高校生のお兄ちゃんたち。

だから今年も球場に行くんだ。「暑いんだろうなあ」とめんどくさがりつつ。曇り空に感謝しつつ。

若いってことにやたら圧倒されつつ。
やっぱ野球のユニフォームは高校生の太ももパツパツな着こなしが一番いいよな、とかちょっと変態みたいに思いつつ。

0-2のビハインドから同点2ランホームラン打ってベンチで監督におそらくチューされてる増田珠くん。1年の時からレギュラーだったけどもう3年生か。このままプロに行くかしら。

双方必死の形相でアウト、セーフアピール。

去年スーパー1年生って鳴り物入りで入ってきた万波くんの3ラン。


最後のボールをキャッチする増田くん。

土曜日の決勝戦のために予定は空けてあるけど、決勝まで行くかしらね。
きっと暑くてうんざりして面倒くさいって思いながら出かけるくせに、見てる間は暑いのも忘れてるんだろう。
勝っても負けてもそこで一旦夏が終わる。
あとはテレビで甲子園見ながらアイス食べている間に決勝が来て、そして本当に夏が終わる。
それは「水戸黄門」を見るのと同じくらいの様式美で、そんな繰り返しがしみじみ幸せ。