時の測り方


525600分 52万5000の大切な瞬間 525600分
あなたならどうやって一年を測る?
夜明けの数、夕焼けの数、真夜中の数、コーヒーを何杯飲んだか、
インチ、マイル、笑った回数や、諍いの数
愛はどう?愛で一年の長さを測ってみたら?
        ミュージカル「RENT」より「Seasons of love」


天皇陛下の生前退位で、新元号はどうなるのか、なんてちょっと前から世間で話題になっている。ついに三つの時代を生きることになるのだな。
で、元号と言えば必ず「わかりづらいからもう止めよう」という意見が出される。
別に元号があるのはいいのだけれど、公式の書類は便宜上西暦で統一してほしい、というのが私個人の意見であった。
毎年、初出社の日には職場のPCディスプレイに「2017年/平成29年」と、その年を書いた付箋を貼り付ける。だってわからなくなってしまうんだもの。

また、大相撲界は元号がデフォルトなので、大相撲力士名鑑のカバーに油性ペンで元号と年齢の早見表を書き込んだ。

バカ丸出しで申し訳ないが、今年が平成29年だからって、平成元年生まれが29歳なワケじゃないのね。平成元年には0歳だからね。うっかりしてた。
力士とか呼び出しさんとか結構若くてびっくりするな。

これまでの私の生活において、日本の元号は頻繁に変わるからとてもわかりづらいもので、西暦がほぼ万能のスケールだった。
しかし。
最近地球の始まりや原始時代に興味があって、年表などを見ていると、ふとした違和感に襲われる。
ちょっと前までやれ「5万5000年前」とか「3万年前頃」とか書いてあったのに、突然「前8000年頃」などという表記が現れるのだ。
「前」というのは「紀元前」だ。そして前8000年=約1万年前だ。
なんだこのトリックは。わかりづらい!
「紀元前」と「紀元後」をわけるのはもちろんキリストの誕生だ。本当の誕生は紀元前4年とか7年頃とか様々な説があるが、ともかくそういうことになっているのだ。

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別にキリスト教は嫌いじゃない。日曜学校にだって通ったし、むしろ割りと好きだ。でもどうだ。
あのお方の誕生は地球全体にとってそれほど大きなエポックメイキングか。だってあの人は「神の子」であって、神そのものではない。
100歩ゆずって、天地創造とされる年(それはどうやら黄河文明より若干前らしい)を境に紀元前、紀元後を分けるのであればまだいい。ついでに「紀元前」などという算出を取り止めて、紀元前はすべて「何千年前」にしてしまうのはどうか。
ていうか、そもそも一つの宗教がグローバルスタンダードみたいな顔をしているのはおかしいんじゃないのか。

今年は皇紀2677年。
戦中育ちの祖母は時折「紀元は2600年」と歌っていた。戦後「皇紀なんてあてにならない」だなんだ言われていたが、西暦だって同じじゃないか。
かといって、地球暦で測ろうとして「今年は地球ができてから46億○○年」なんていうのもインフレすぎる。
万人に納得のいく、中立公平性のある暦…なんてこの世に存在しないんだろうか。暦は政治と関わるから?経済活動にも影響するから?大昔の出来事にはっきりとしたスタート地点を定めることが難しいから。

大昔に興味を持ってしまったばっかりに、突然降って湧いてきた違和感。
「公式の書類は西暦で統一してほしい」という思いは変わらないのだけれど、「便宜的に」と強く前置きしたい、強く、強く。

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心にかけた鍵

立春ですね。

これは長野の元善光寺近くの商店街に貼られていた立春大吉札。横の魔除け札の絵が面白くて写真を撮ったけど、調べて見たらたくさんのお寺が同じ絵柄を使っているんだな。

お寺や神社に貼られたお札を見るたびに思い出すのは、かわぐちかいじの漫画「沈黙の艦隊」の中で、アメリカ大統領のベネットが息子に話して聞かせるこのエピソードだ。

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父親は政治的にかなり難しい局面に立っているのだけれど、息子の問に真摯に答え、息子は目をキラキラさせながらそれを聞き、別れ際にちょっと振り向いて「パパ、東洋の鍵の話、友達にしてもいい?」と聞く。すごく感動的な場面であるが、なおかつ「そういや日本の鍵ってわりと物理的な守備力は弱いのかも」とハッとさせる。

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この意味のよくわからない写真は秩父三峯神社で撮ったものだ。靴箱みたいな棚の上にボロボロのバケツが置かれている。写っていないのが私の間抜けなところだが、この建物の上の方には「火除札」が貼られていて、「なるほど、火除札を貼ることで、気をつけなければという注意を促し心理的抑制をかけるためなのか」としみじみ考えてしまったのだ。

ここ数年流行りの「外国人の反応」系サイトでよく「日本は治安が良く、泥棒も少ないのか閉まっているお店でも物が置きっぱなしだったり、きちんとシャッターが閉じられていない」などという声が紹介されていて、「そう?」と思っていたが、去年の夏、スペインに行ったときに驚いた。
閉まっている店のショーウィンドウの前には軒並みこのように頑丈なフェンスが下ろされているのだ。

何かしら、ガラス窓だけじゃ叩き割られるとでも言うのかしら。

休日の市場はこう。
店のシャッターだけじゃダメなのか。こうまでして侵入を阻まなければ何されるかわからないということなのか。

極めつけに、開店前のバーの入口はこう。こんな重たそうな…、施錠に難儀しそうな極太チェーン…。こんなの初めて見たわ…。
物理的に侵入を阻止するために、人はどこまで努力を重ねなければならないのだろうか。ここまでしてもダメな時はダメなんだろう…。

そしてトイレの鍵はホテルでもなんでも軒並みこれだ。元の鍵が壊れてしまい、後から簡素な丸棒貫抜錠を取り付けてある。
鍵に対する意識が高いのか低いのか。スペイン人は元の鍵を直そうとは思わないのか、はたまた鍵と見れば老若男女問わずガチャガチャガチャガチャ壊れるまで回してみたくなる性質なのか。
物理的な鍵と心理的な鍵、どちらが有効なのか。心に鍵をかけやすいからこそ日本人は生きづらいのか。キリスト教やら西洋の宗教は自己内省や抑制は教えないのか、西洋では性悪説が根強くて基本的に人間を信用しないのか…。

西洋で鍵を見つめてぐるぐる考え、思い出すのはやっぱり「沈黙の艦隊」。

栗依存

ここ最近、人類の進化に興味があって、いろいろ調べたり、過去のNHKスペシャルを見漁ったりしている。
先日は2001年放送の「日本人はるかな旅」を見た。

日本人はるかな旅 DVD-BOX

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これの第3集は、かつて縄文人の大集落があったという青森県三内丸山遺跡の話で、びっくりするほど壮大。
まず、5500万年前頃に三内丸山の縄文人たちは、ブナやコナラの森を切り開き、巨大な栗林を作る。
遺跡から出土した大粒の栗のDNAを調べると、DNAパターンがほぼ一定なので、人間の手で選別され栽培されたと推測できる。実生栗からは大粒の栗は取れないため、もしかしたら既に接木の技術があったかもしれないとのこと。

5500年前、パンツだって履いていないかもしれない頃に、もうそんな品種改良みたいなことしてたのか…。
縄文人てもっと無計画なものかと思っていた。
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「栗という安定した食料」を得ることによって三内丸山の縄文人の暮らしは充実し、漆の器や編み籠を作ったりする。おまけに日本海沿岸地域との交易も活発であり、ヒスイや黒曜石を手に入れ、対価は栗。
先祖を偲ぶ盛土に1000年にも渡って土を盛り続け、土偶や土器を埋め、栗の豊穣を願う祭りや祈りを捧げてきたそうだ。

1000年も!
そして、どんだけ栗だよ!と驚く。ヒスイの代金も栗。なんか可愛い。

しかし、約4000年前ほどに気候変動によって、平均気温が3度から4度下がってしまい、栗が育たなくなって三内丸山は衰退してしまう。
NHKは冷徹に何度も何度も繰り返す。
「三内丸山の人々が栗に依存しすぎたことも衰退の一因」
「もともとは海の資源、森の資源をうまく組み合わせて生活していたが、やがて大規模な栗林を維持管理するようになり、栗にどんどん依存していって当初の多様性が失われた」
栗林への依存が大きかっただけに、その栗林が衰退すると一気に崩壊に追い込まれた」
「それ以後、森を大規模に開発するような大集落は生まれなかった。人々は自然と共存することを学んだ」

そんなに何度も「栗に依存」て言わなくても…。
だって私達の今の暮らしはそれで言うなら「米に依存」じゃないのかしら…。
米の消費量減ってるとは言え。
そのうち、5000年後の人たちに「食べ物があることに慢心した」「狩猟の能力が失われた」とか「文明に依存した」とか散々怒られるのかしら。
まったく、なんというラピュタだろうか。
飛行石が栗に変わっただけじゃないか・・・。
自然と共存しなかったから滅びた、だなんて。


そんな風に栗のことばっかり考えていた今日この頃、auのカタログを見たら、桃ちゃんが大量の栗を抱えていてタイムリーさにまたびっくり。
桃ちゃん、ちょっと栗に依存しすぎでは?

東風吹かば

今年は暖かいから、もう近所の梅も咲き始めている。

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これは3年くらい前に小田原の曽我梅林の梅まつりに行ったときの写真。
梅まつりには梅干し屋さんやら盆栽屋さんやら、オーガニックカフェやらいろんなお店が出ていたけれど、その中に小田原風鈴を売るお店があった。
NPO法人 小田原鋳物研究所

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この写真もNPO法人 小田原鋳物研究所のブログからお借りした。

本当に、ここ、この場所でこうして下がっている風鈴をおじさんが見せてくれた。
見た目はこんなに無骨で地味なのに、ともかく音色や響きや余韻の感じが素晴らしかった。
「負けておくよ、六千円でいいから」と言われたけど勇気が出ず、帰ってから「買えばよかった」と相当後悔して、もう一度行こうかと思案もし、小田原風鈴について調べたりもし。でも忘れよう、贅沢よ、と月日の流れるままにして。
けれど翌年梅が咲く頃になると、やっぱり「曽我梅林にあの風鈴買いに行こうかな」と思い出した。今年の梅まつりは今度の土曜日から。

前に、チリのドキュメンタリー映画監督パトリシオ・グスマンの「光のノスタルジア」という映画を見た。
映画の中には、アタカマ砂漠天文台で一生懸命宇宙の小さな電波や光を追い求める人たちと、ピノチェト独裁政権の中で殺された人々の遺骨を砂漠の砂の中から探し出そうとする人たちが描かれている。

ショッキングな映像もあったし、息を呑むほど美しい星々の映像もあった。その中で一番印象に残ったのは、この予告編の中にも出て来るが、かつて収容所だった場所にぶら下げられた何本ものスプーン。
収容所時代のままになっているのか、死者を悼むためなのかわからないけれど、曽我梅林のあの風鈴のように無骨にいくつも吊り下げられたスプーンが、砂漠の乾燥した風の中でぶつかりあって、からんからんと虚ろな音を立てる。

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今夜はあたたかい風が強くて外の工事現場の鉄骨が、あのスプーンみたいに不規則で寂しげな音を立てている。
その音を聞きながらまた迷っている。あの風鈴のこと。
もう春が近いんだな。

明日死ぬかもしれないし

進路なんて問われだしたのは小学校高学年くらいからだったと思う。
「将来何になりたいのか、そのために具体的にどうするのか、高校はどこに進むのか、大学はどうするのか・・・」
そういう事を考えるのが心底苦手だった。特に目標もなりたいものもなかったし、先のことは全くわからないんだけど、とりあえず周りの大人が納得するような答えを出さなきゃいけない、という事になにか脅迫めいたものすら感じていた。
それで進路相談の時はいつだって「だって明日死ぬかもしれないじゃん」なんてしょんぼりしながら職員室を後にした。


<サグラダ・ファミリアの螺旋階段>

大人になったら先のことも簡単に考えられるようになるのか、と想像していたけれど、まあそんな訳ない。

2000年を過ぎた頃は、PCで西暦を入力するときにしょっちゅう「2200年」なんて打ち間違えて「もう死んでるわ」としみじみした。

職場で誰かが仕事を抱えこんで、周りに情報共有しないと同僚は憤る。
「明日、死んだらどうすんの!誰もその仕事わかる人いなくなっちゃうじゃん!」

ある日突然、以前の会社の同僚が亡くなったという連絡が来た。
死因は誰も知らないみたいだった。
あれこれ考えてみると、改めて、世の中には死に至る原因が多すぎて愕然とする。
事故かもしれない、好きだった登山で山から落ちたかもしれない、病気かもしれない、事件かもしれない、自殺かもしれない。

ずっと10年日記をつけ続けてきた祖母が80を過ぎたら弱気になって「もう5年日記でいいわ。10年後死んでるかもしれないし」と言い出して、「何言ってるの、まだまだよ」とお約束の返事をしながらも、ご要望の5年日記をプレゼントしたら、5年日記が2冊目に突入…というのはいい話。

それで私も5年日記をつけ始めて今3年目。3年前の今日のことなんてつい昨日のことみたいに思える。それでもこの日記帳を書き終える、あと2年後のことはまったくわからない。

だから、来年2018年1月のアレクサンダー・ガヴリリュクのコンサートチケット買うのだって散々悩むんだよな。
「来年なんて死んでるかもしれない」って。

毎回そんなこと言いながら、それでも年月を重ねられるのは幸福なことなんだな。

見る阿呆

センバツ出場校決まりましたね。神奈川はまた出場なしか…東京は2校も出るのに。

それはともかくスポーツ観戦が好きだ。野球、相撲、ラグビー、駅伝、モータースポーツ…。
「そんなに好きなら自分でもやればいいじゃない」等と言われたりもするけど、運動神経皆無なので見る阿呆で結構です。
更に言うと、野球観戦は好きだけれど、球種とか全くわからない。
詳しい友人には「球種もわからないでよく楽しめるな」とか言われるけど、そんなのわからなくてもまあ普通に楽しいよ。

数年前、ミラーレス一眼を買った。
「涌井くんが撮りたい」という理由でコンパクトデジタルカメラを買ったらなんかイマイチで、「こんなんじゃ野球撮れないじゃん!」と思ってつい…。
そんな涌井くんはもう私の好きなライオンズから移籍してしまったけれど。
それからはスポーツ観戦のたびにウキウキしながら望遠レンズを装着して写真を撮る。
が、如何せんド素人なものだから、どの試合でも同じような無難な写真ばっかりライブラリに並んでいる。

アサヒグラフ 甲子園の夏 2012 2012年 9/5号 [雑誌]

アサヒグラフ 甲子園の夏 2012 2012年 9/5号 [雑誌]

 

最近では発売されていないという噂も聞いたけれど、ひと頃は夏の甲子園が終わると必ずアサヒグラフから出ている「甲子園の夏」やら「甲子園Heroes」やらを購入していた。
飛び散る汗の粒、舞い上がる砂埃、雨粒…と、一瞬を捉えた写真の、ものすごい迫力と愛情に「これがプロのカメラマンってやつかあ」と打ち震えたものだ。
その「甲子園の夏」の中にはカメラマンのコメント等も載っていて、一試合で何十本ものフィルムを消費する、だとか、まるで自分の子どもみたいに見つめている、とか、決定的瞬間を捉えるためにボールカウントから次の動きを予測して云々、なんて書いてあったのが印象に残っている。

そうよねえ。
「いい写真」というか、スポーツの醍醐味に満ちた写真を撮ろうと思ったら、そのスポーツのことよく知ってないと無理よねえ…というのを最近痛感している。


私に撮れる写真は野球だったらこんなのとか

こんなのとかばっかりで

たまにこんなの撮れるとちょっと嬉しい。

相撲にしたってこんなのばっかりで、大概決定的な瞬間は撮れていない。
なぜなら決定的瞬間には「あーーー!!」とか「わーーー!!」とか奇声を発していて、写真どころではないので。

もっと躍動感のある写真が撮りたい、とはいつも思っている。
「好きこそ物の上手なれ」という諺もあるから、そのうち上手になるかしら、と期待したりもする。
でも、何年見続けてもいまだ球種もわからない私が、決定的瞬間を捉えるために次の動きを予測するなんてこと、できるようになるのかしら、いつまでもただ見る阿呆のままなんじゃないかしら、と絶望したりもするんだけど。

ぬくぬく

ぬくぬく (こどものともコレクション2009)

ぬくぬく (こどものともコレクション2009)

 

さむがりのようかいがいた。
からだにいっぱいわらをまきつけ、「ぬくぬく、ぬくぬく」とつぶやきながらやまのなかをあるきまわった
ぬくぬくがとおったあとは、なつでもひんやりつめたいかぜがふく

この奇妙な物語に、子供の頃、どうにも心をつかまれた。高校生になっても成人しても三十路をすぎても折に触れて思い出すくらいに強く。

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これがぬくぬく。
小心者で寂しがりでお人好しで、腰に山いもをぶら下げた原始人スタイルで、最終的には村の子どもに受け入れられたのが嬉しくて寒さも忘れるくらいウキウキして終わる、というハートウォーミングだが地味な物語。

自分が寒がりのせいもあってか寒くなるとふと、このしょぼい妖怪を思い出してきたのだけれど、暖冬かつ気忙しい日々の中でさすがに忘れていたら、ある日、弟から「長芋もらって」とLINEが来た。
なんでも弟の高校時代の先輩が網走農協で長芋を作っていて毎年送ってくださるとの事だ。
網走=極寒の地、刑務所、高倉健、というお約束イメージしかなかったので、なんてスゴい先輩だ!と感動しつつ長芋を頂いたが、ひと目見てハっとした。

これってぬくぬくが腰から下げてたアレだね?
まあ厳密に言うと、ぬくぬくが持っていた山芋は別名「自然薯」、日本原産の芋で、長芋は中国原産の芋なので違うのだけれど、見た目は完全にぬくぬくのアレ。

あまり馴染みのない食材だったが、食べてみたらとっても美味しい。
しかも相当保存も効くらしく、弟宅では1年ほど保管しているそうだ。
それならば、と弟経由で先輩に長芋を追加発注した。
ついでに懐かしの絵本「ぬくぬく」もamazonで購入。
相変わらず、絶妙に人の心をつかまえる表情してやがるぜ、ぬくぬくめ。

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ダンボール箱の蓋を押し上げるほどパンパンに詰め込まれたおがくずの中から、立派な長芋を掘り出しては、その立派さに「ぬくぬく、ぬくぬく!!」と浮かれたりする、ハートウォーミング且つ地味な生活。