君拾帖

■くんしゅうちょう■  すきなことだけてきとうに

LOVEっていうのは


母の妹、つまり叔母が、かつて米兵と結婚して横須賀の海軍基地に住んでいた。
旦那さんの名前、本名は忘れたけれどスマイリーと呼ばれていて、その名の通り笑顔の深い黒人の人。
母方の祖母は終戦後、進駐軍の売店PXで働いていたらしく英語が話せる。それである日、祖母とスマイリーは窓際でなんだかずーっと二人でニコニコ話し合っていた。

何の話をしていたの?、と後で祖母に聞いたら、「あのね、ばあちゃんね、スマイリーと『LOVEっていうのは本当にいい言葉だねえ』って話してたの」と子どもみたいな顔と口調で言うので笑ってしまった。”LOVE”という言葉について話し合う、だなんて、まるで海外ドラマみたいだし。

それももう10年以上昔の話で、今ではスマイリーと叔母は離婚してしまった。
なのに、あの時のことを急に思い出したのは、先日仕事でちょっと営業さんの手伝いをしてあげたら、電話の向こうで営業さんが「まめさん、愛してるー」なんて言ってくれたせいだ。口八丁の調子いい営業さんに、こちらも「うははは」と笑いつつ「ありがとうございます、おかげで今日一日気分良く過ごせるわ」と調子よく答えて、あの時のばあちゃんの「LOVEっていうのは本当にいい言葉だねえ」って言葉をしみじみとかみしめた。

昨今、SNSでも何でも見ず知らずの人間にやたらと厳しくて、大層な正義感を振り回したり、上から目線で難癖つけたり、民意の代弁者を気取りたがる人が多い気がする。それは心の底から思って発言していることのかもしれない。
だけど、本心でなくてもいい。口先だけでもいい。
優しい、LOVEの言葉を使った方がお互い気持ちいいんじゃないかしら。

こんな事を思うのは、私がもう相当おばはんになったからなのかもしれないけれど、見ず知らずの人のあら捜しをして、わざわざ腹を立てたり文句をつけたりするよりは、上辺だけだとしても薄っぺらくても、綺麗事でもLOVEの言葉を使いたい。
深入りしなければいくらでもそんな事言えるのに、通りすがりの人相手なんて、その場限りなんて、いくらでも優しくできるはずなのに、なんだって私は出し惜しみをしてしまうのかしら。言うだけならタダなのに。

それで、もう出し惜しみなんかやめて、口先だけでもどんどん「いいね」「素敵だね」「素晴らしいね」ってLOVEの言葉を使おう、なんてことを決意しながら自転車こいで家に帰った。

「LOVEっていうのはいい言葉」、そんな綺麗事を臆面もなく言えるのは「大人だからこそ」だと思う。昔なら恥ずかしくって照れくさくって口にできなかったことも今なら言える。
だから私もしみじみ言いたい。
LOVEっていうのは本当にいい言葉だねえ