君拾帖

すきなことだけてきとうに

東風吹かば

今年は暖かいから、もう近所の梅も咲き始めている。

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これは3年くらい前に小田原の曽我梅林の梅まつりに行ったときの写真。
梅まつりには梅干し屋さんやら盆栽屋さんやら、オーガニックカフェやらいろんなお店が出ていたけれど、その中に小田原風鈴を売るお店があった。
NPO法人 小田原鋳物研究所

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この写真もNPO法人 小田原鋳物研究所のブログからお借りした。

本当に、ここ、この場所でこうして下がっている風鈴をおじさんが見せてくれた。
見た目はこんなに無骨で地味なのに、ともかく音色や響きや余韻の感じが素晴らしかった。
「負けておくよ、六千円でいいから」と言われたけど勇気が出ず、帰ってから「買えばよかった」と相当後悔して、もう一度行こうかと思案もし、小田原風鈴について調べたりもし。でも忘れよう、贅沢よ、と月日の流れるままにして。
けれど翌年梅が咲く頃になると、やっぱり「曽我梅林にあの風鈴買いに行こうかな」と思い出した。今年の梅まつりは今度の土曜日から。

前に、チリのドキュメンタリー映画監督パトリシオ・グスマンの「光のノスタルジア」という映画を見た。
映画の中には、アタカマ砂漠天文台で一生懸命宇宙の小さな電波や光を追い求める人たちと、ピノチェト独裁政権の中で殺された人々の遺骨を砂漠の砂の中から探し出そうとする人たちが描かれている。

ショッキングな映像もあったし、息を呑むほど美しい星々の映像もあった。その中で一番印象に残ったのは、この予告編の中にも出て来るが、かつて収容所だった場所にぶら下げられた何本ものスプーン。
収容所時代のままになっているのか、死者を悼むためなのかわからないけれど、曽我梅林のあの風鈴のように無骨にいくつも吊り下げられたスプーンが、砂漠の乾燥した風の中でぶつかりあって、からんからんと虚ろな音を立てる。

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今夜はあたたかい風が強くて外の工事現場の鉄骨が、あのスプーンみたいに不規則で寂しげな音を立てている。
その音を聞きながらまた迷っている。あの風鈴のこと。
もう春が近いんだな。

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