青年の主張

我が家のにゃんずが間もなく2歳になろうとしている。人間でいうと24歳だ。
もう立派な青年だ。
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まだ未成年だった昨年の夏とは違う。大人になった彼らは今年の夏、勇猛果敢に狩りを始めた。
常日頃ベランダからカラスに睨みをきかせるも相手にされず、鳩にバカにされ、雀にからかわれ、それでも「俺たちは猛獣である」という誇りを忘れたことのなかった彼ら。
そんな彼らが今年、特に情熱を注ぎ追い続けるもの、それは蜘蛛、てんとう虫、羽虫、カメムシセミ、トンボ。

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てきのけはい

てんとう虫、羽虫はいい。だがカメムシはダメだ。部屋の中で潰れたら大惨事だ。
そんな訳で私はこの夏、哀れなカメムシを何匹も猫の魔の手から救い出し、ベランダの外に逃がしてやった。
そのたびに猫は「…は?」と額に怒りマークを浮かべた驚愕の表情で私を見つめる。

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ご説明願いたい。

しかし、この夏私が何よりも苦心したもの、それはセミだ。
セミの野郎…セミファイナルを迎える前に何故よりにもよって我が家のベランダに舞い込むのだ。ベランダでがさがさとのたうつセミの羽音に猫は狂喜乱舞して、「出せ!!俺たちをベランダに解き放て!!!」と迫る。

NO!NOOOO!!
「君たちの気持ちはよくわかる!だが、ここはどうか私の気持ちを汲んでこらえてほしい。君たちが狩りの名手であるということはもちろん承知している。私にプレゼントしてくれるというご厚意も非常にありがたく思っております。ですが!!どうか!!」
冷や汗をかきながら政治家のように訴えてみるものの、シュプレヒコールの波はやまない。

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全猫共闘会議

「我々は!管理され!抑圧され!搾取されているのである!!我々は!セミを追う自由!猫としての自由!自由である権利を!主張するものである!!」
暴徒と化した彼らは自ら網戸を開け、ベランダに突進し、まだもがくセミを口にくわえて凱旋しようなどと試みるのであった。
機動隊、そこは死守。そして決死の覚悟で瀕死のセミを奪取し、屋外へ逃がす。

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おう、ババア、ワシらの蝉ちゃんどこやったんじゃ。

猫の恫喝に屈することも、「虫、さわれないー」なんて甘えた発言も許されない。この荒くれ者どもとの生活では。
羽のちぎれたセミも、もがき苦しむトンボも、新聞紙やティッシュでつまんで外に捨てるのだ。
そんなことができるようになった。いやならざるを得なかった。
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猫の成長と共に、私も強くなったのだ。

さてそろそろ猫に夜食を出す時間だ。
遅れようものならこんこんと説教されるだろう。嘘だと思うかもしれないがにゃーにゃーとよくしゃべる猫たちなのだ。
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「ねえ?愛しているというならば、まずはボクらに対してご飯を出すべきなのではないかな?誠意ってなんだろうか。」
…そうですね。すみません。誠意ってご飯ですよね。ホントすみません。只今。すぐ。

フルーティーの謎

去年の夏休みはガラスの仮面に夢中になっていたが、今年の夏休みはなんだか料理漫画ばっかり読んでいた。

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王道 美味しんぼ
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懐かしの ミスター味っ子
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信長のシェフ これハマる。
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食戟のソーマ イマイチ。
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鉄鍋のジャン 相変わらずテンションヤバい。

料理に関するものはマンガでも小説でもグルメ番組の食レポでもそうだけど、美味しさを言語化しなければならず、そしてその表現方法というのは割とパターン化されているものだなあ、と思う。
「ジューシイ」「口の中でとろける」「まったりとしたコク」「外はサクサク、中はふんわり」とか。
あまり奇抜な表現方法を用いても、他人と共有できなければ意味がないので、おのずと限られた表現になっていくんだろうか。

そういった食べ物の表現シリーズで、以前はコクに若干悩んだ。
が、ミートソースを作ってみて、なんとなく理解できたような気がする。自分が作ったミートソースがイマイチ薄いというかコクが足りない感じで、ああ、コクを求めている!と実感したのだ。
最近私が理解に苦しむもの、それは「フルーティー
昨今やたら言うじゃないですか。あれこれに。
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初めてフルーティーの壁にぶつかったのは、もう10年近く前、友人に誘われて行ったオクトーバーフェストだった。ドイツだかベルギーだかどこだかの「フルーティーなビール」を飲んでみたのだ。フルーティーというのはどんなだろうか、とその時も頭の中は疑問符でいっぱいだったが、飲んでみて驚いたのは「バナナの筋の味がする!!!」ということだった。
バナナの筋、確かにバナナはフルーツだ。フルーティというのはこういうことなのか、と衝撃を受けた。
友人にも「バナナの筋だね」と伝えたが、友人は生ぬるい目で私を見つめ、無言であった。

その後、なんとなくフルーティは避けてきた。フルーティは私には理解できないなにやら高尚な味覚である、と思った。
だが、またしてもフルーティと出会ってしまう。
このコロナのステイホーム期間、私中国茶にハマったのです。小さな茶壷で小さな茶碗におままごとみたいにして淹れるアレにね。
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すると鳳凰単叢というお茶についていろんな人が絶賛しているのに出くわすのです。「フルーティー」「一煎目、二煎目とどんどん香りが変わる」「マスカットのよう」「洋梨のよう」
どんなものかと試しに買ってみたが、私の淹れ方が悪いのか、すごく不思議な味がする。確かに甘い感じ。でも果物ていうかなんていうか木の実???
3日ほど考え込んでやっと思い当たった。甘栗の渋皮の味じゃない?これ?
いや、栗もフルーツだろう、フルーツだから、フルーティ。それは間違いない。
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オクトーバーフェストから約10年、またしても眼前に突き付けられる己の「フルーティーに対する感受性」の低さ。
そして様々な「フルーティー」を調べる。フルーティーな日本酒、フルーティーなビール、フルーティーな珈琲。
大体において書いてある。「フルーティーで初めての方や女性の方に大人気」
つまりフルーティーとは初心者向け、女子供向け、ってヤツじゃないですか。おかしいな、なぜ、フルーティーを感知できないのだろう。
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フルーティーさがウリのスパークリング日本酒も飲んでみた。お花とか石鹸みたいな感じで味はともかく甘い。お花っぽい感じもフルーティーっていうのかな、お花とフルーツの違いは何?
もういろいろわからない。
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これまた、フルーティーでやわらかなコクだと謳う華みやび。ふわっと米麹ていうか穀物ていうか、なんか金山寺味噌を思い出す。
金山寺味噌てフルーティーなのか。また迷宮に入る。
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イルガチェフェっていうフルーティーな珈琲も試してみた。ふわっとする。なんかふわっと広がるけどマンゴー?バナナ?私にはわからない…。

もう私、絶対にフルーティーは理解できないんだ。フルーティーと言われる食べ物飲み物を前に混乱するだけなんだ。
私の想像力では追い付かない何かなんだ、あれは。
なんかアレだろ、若い女子にしか理解できないなんかなんだろ、フェロモンみたいなやつだろ。

肉汁たっぷりとか、ジューシイとかサクサクとか、香ばしいとかそういうわかりやすい味で生きてくわ、私は。
サヨナラ、フルーティー。あばよ!

With

6月中旬に原則出社に戻ってから毎日のように「なんで行かなきゃいけないの~」「なんのためなの~」と贅沢にもイライラしたり、売り上げのため無理矢理延長された繁忙期にギャーーー!となっていたが、ここへきてようやく50%テレワークに戻った。万歳!万歳!万歳!

在宅勤務の間、初めはピアノ曲等仕事に邪魔にならない曲を流していたが、最近ではよく南野陽子やら斉藤由貴やら昔のアイドルの曲を聴いたり、中島みゆきを聞いたりしている。

フルの動画がなかったのでトレーラーだけど、3:06~
「With」という曲の中で中島みゆきは歌う。

With...そのあとへ君の名を綴っていいか
With…淋しさと虚しさと疑いとの代わりに

いい歌なんだけど、いつも「ウイーッス」といかりや長介が脳内に湧いてくるのが難点。
With…。最近の若い人は違うかもだけど、私の世代ならその後に綴られる名は「T」でしかなかった。小室哲哉オンリーだった。
今そのあとに綴られる名と言えばコロナに他ならない。望むと望まざるとに関わらず、withしていくしかないので。
旅行に行けない難点はあるけど、テレワークさせてくれるいい所もある。

再び始まるテレワークライフを前に私は決めました。「猫の写真をちゃんと撮る」
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旅行に行かず、外出もなんとなく気が乗らず、野球も相撲も見に行けない日々の中、カメラは棚の奥にしまい込まれたままだった。
いやいや、この可愛い猫とこんなにいちゃいちゃ過ごせる日々の貴重さよ。1歳の日はもう戻らないのだぞ、スマホなんかでお茶を濁している場合じゃないぞ、家にいるのだから、休憩がてら思う存分猫の尻を追い回そうではないか。
そう心に決めて、在宅なんちゃって岩合さんだ。
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かわいいねえ、いいこだねえ、と岩合さんぽく言いながら。
Withコロナの時代をWith猫たちで、WithカメラでWithテレワークで、淋しさと虚しさと疑いを乗り越えて生きていくのだ。

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ここ二日ほどそうして追い回していたら、猫は若干迷惑そうな顔をしていた。
今日は半日動物病院に預けている。なぜならこれからバルサンを焚くのだ。
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Gとはwithしない。その名は綴らない。決して。

色即是空

10代の頃、恋人と同棲を始めたばかりの友人が「カーテンがないので、窓に毛布をかけている。彼氏が実家からもらったらしい般若心経毛布。しかも紫」と言うのを聞いて、みんなで大笑いしたことがある。
般若心経毛布!!それも紫!!
その後深夜の通信販売番組で紹介されていた般若心経毛布を見て、そんなにも需要があることにも驚いたし、結構なお値段であることにも驚いた。
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さて、今年の四万六千日。東京生まれ東京育ちの父親が、今まで一度も浅草のほおずき市に行ったことがないというので、今年は連れて行こうと有給をとっていたが、コロナの影響でほおずき市は中止になった。
それで父を連れ出すのも止めにして、一人ふらっと横浜の弘明寺へ。不要不急で県をまたぐのも良くないだろうしね。
今年5月に亡くなった祖母が昔この辺りに住んでいた。
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小さな頃、横断歩道の向こうに祖母が見えて、嬉しくて信号無視して走り出し、祖母が悲鳴をあげたこともあったな、とか、まだ小さい弟たちと、このがちゃがちゃした商店街を歩いたな、とか、受験の時に祖母が弘明寺でお守りを買ってくれたな、とか、なんだかんだ思い出が多い。
そんなに頻繁に来たわけでもないのに、不思議なくらい景色もよく覚えていた。
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よく調べずに来たのだけれど、ラッキーなことにちょうど護摩祈祷が始まったところだった。以前成田山で偶然護摩祈祷をやってもらえたことがあって、いたく感激したので、なんたる幸運!天からの誕生日プレゼントか、と本当に嬉しかった。

若干密な空間で、お坊さんたちと参拝者が一斉に般若心経を唱えるのにはやっぱり感動して心が震える。そして太鼓が叩かれ、鐘が叩かれ、会場のボルテージとともに炎が大きくなっていく。
すごいな。完全に演出効果を計算しつくしたライブだぜ。昔の人もテンション爆アゲ間違いなしだ。
おまけに途中からほら貝まで参戦するではないか!生ほら貝!!初めて!!…と私の興奮は最高潮に。
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真鶴で一度ほら貝を吹く体験をしたことがあるが、あれは素人に簡単に吹けるものではない。すごいわー。なんという肺活量。そんな肺を持つ、あの厚みのある胸、素敵!
人生初の坊さん萌えも実感。
www.gumyoji.jp
般若心経が終わると、参拝者が護摩木を投じる番が来る。列に並んでいる間、お坊さんたちは延々と「鎮守国家、疫病退散」と繰り返す。
こんなにも必死になって疫病退散を祈る時代に生きているのだな、となんだか感慨深い。まるで聖武天皇の時代みたいじゃないか。
でも、そんな時代のあれこれのせいでこのところ暗いことばかり考えがちだった。暗い考えから逃れたくてお寺に来たので、護摩木をお炊き上げしてもらえて心が本当にすっきりした。

雷除けの札を一応買ったけれど、その後ろにある般若心経Tシャツもいいな、と密かに思っていたし、私も般若心経覚えよう、覚えてあのライブにまた参戦しようと思った。

最近ではこんな無印良品のBGMくらいオシャレ感ある般若心経もあるらしい。。。

かつて般若心経毛布をあれほど小バカにして笑っていたのに、今や般若心経Tシャツを買っちゃいそうだなんて…。
すべて世の物事は変わりゆくものね。色即是空、空即是色。

見つめるCat's eye


高校の頃の古典の先生が言っていた。
「見るってことは愛情なのよ。愛情がなくなったら相手の顔を見もしない。相手がそこにいるのに見向きもされない、そんな状態は一人でいる時より孤独なものです」
確かそんな話だったと思う。高校生の私には「二人でいるのに、一人より孤独」という言い回しが大人発言に思えて印象に残った。

さて、そんな大人発言について書いて置きながらここのところの私ときたら、全然大人ではなかった。
ずっとゲームをしていたのだ。今流行りのどうぶつの森などではない。スマホでチマチマやる地味なパズルゲームだ。数字を動かして大きくしていくような。
1年に一度、または2年に一度くらい、こういうゲームにアホほどどっぷりハマる時がある。熱病のように延々とやり続けて、そしてフッと熱が覚める。

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今回はこれ。あとは2048とか
先週末、朝から夜まで延々とずっと、徹夜をしてまで、無心にやり続けた。
お前どんだけヒマだよ、どんだけヘタクソだよ、と人は言うだろう。
私だって自分でそう思う。

もちろん最低限猫にご飯をあげたし、猫のトイレの掃除もした。そんな時ふと鏡に写った自分の顔をみると生気のない死人のようで「ああ、ゲーム廃人ってこういう顔をしているのか」と怖くなる。
だが、狂ったようにまた延々とゲームを繰り返すのだ。ニャーニャーと訴える猫に生返事を返しながら。
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呆れ果てた猫が、もうにゃーとも言わなくなった頃、20時間ぶりくらいに猫の顔を見て、あれ!と驚く。顔が妙にやつれている。いつものふっくらした顔ではなくなっている。目つきもなんとなく鋭くなっている。
椅子の上で寝る姿も、いつものように無防備でだらしない感じではなく、若干警戒態勢だ。

週末の間、最低限ご飯の世話とトイレの世話はしたけれど、こっちがキリのいい時、気づいた時だから、いつもの時間とも随分違っていたし、猫をよく見ることもなかった。毎日バカみたいに「可愛い子、大事な子」と繰り返しかけていた言葉をかけることもなかったし、撫でくりまわすこともしなかった。
そうすると1日ちょっとで、こんな顔になってしまうのか。与えられるべき愛情が与えられないとこんな顔になるのか、とショックを受けた。
そうして先生の言葉を思い出すのだ。
「見つめることは愛情なのよ」
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ただ世話すればいいってもんじゃない。見つめて愛情をかけなければそれはネグレクトに当たるのだな、と改めて猫に申し訳なく思った。
ご飯の時間がズレたことで、吐いたりもしていたし、愛情不足のせいか、やたら大食いになったりもしていた。
いつもどおりのふっくらした顔、甘えた態度、だらけた寝相に戻るまで半日くらいかかった。

申し訳なく思いながら、でも少し驚きも感動もしたよ。
自分に愛情が向けられているかどうか、猫はちゃんとわかるんだな。
そして君たちは「愛情は無条件に与えられて当然」と思いながら生きることができているんだな。

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フュージョン!!
元気を取り戻した猫たちは、最近毎朝ベランダに出て、通学途中の子どもたちを見守っている。
そして「猫ちゃん!かわいいー!」とか言われてアイドル気取りでいい気になっている。
見てもらって「可愛い」って言われて、そうだよな、それが愛情だよね。

Let It Go〜ありのままで〜

安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは、生のよろこびを書きつづる。
              太宰治 「葉」

葉

全くもって本当にそのとおりだな、とこのコロナ自粛生活で思う。
小沢くんが出るからとつけたミュージック・ステーション。

いやはや驚いた。リモート出演する誰も彼もが真面目な顔で、時には素敵な笑顔で口を揃えて言うじゃないか。
「医療従事者の皆さん、本当にありがとうございます」
それだけならいい、その思いは私だって同じだもの。
でも、どうして誰も彼も自分の歌すら歌わずに「手を洗おう」だの「お家ですごそう」だの歌い始めるのか。あなたたち、そういうキャラ設定でしたっけ、と驚いてしまう。
だけどひしがれた暮らしをしていたら、そんな風に「善きこと」を口にして素敵な笑顔を浮かべたくなるものなんだろうね。

震災の後もそんな風だったっけね、絆、絆って言われたっけね。
そういう役目は由紀さおり安田祥子姉妹とか、NHK東京児童合唱団とかにおまかせでいいじゃない。花は花は花は咲けばいい。


そんなのばっかり見てるとね、私、キノコパワー!キノコパワー!!って叫びたくなるのよ。
盗んだバイクで走り出してもいい。「お前を蝋人形にしてやろうか!!」って大見得切るのもいいよね。


ママ、俺は今日人を殺しちゃったんだ、ママミア、ママミア!!とかバイシコーバイシコーって飛び跳ねるのもいいよね。
フッジッサーンフッジッサーン!と意味なくはしゃいだりね。
こんなに引きこもってたら「俺にカレーを食わせろ!俺はいつでも辛さにこだわるぜ!」ってキレたくだってなるじゃない?

そんなのテレビで歌ったら話題の自粛警察や不謹慎厨がイヤってほど湧いてくるんだろう。
でも本当の本当に、みんなそんなに幼稚園児みたいに「手を洗おう」って言われたがっていたんだろうか。
会社に言われるのはわかる。保健所に言われるのも政府に言われるのもわかる。
でも「イケてるアーティスト」にそんなこと求めていたんだろうか。
少なくとも私はゴスペラーズに素敵なハーモニーで「手を洗おう、しゅわしゅわあわわ」とか歌われるのにうんざりしたわ。
悪いけどそういうの求めてないんだ。
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私はね、私はね、ブリジット・ジョーンズにおけるコリン・ファースのごとく、そのままのありのままのあなたたちを求めていたわよ。
レリゴー!レリゴー!ありのままでー!ってあの頃、みんな言ってたじゃない。
どうしてそんないい人笑顔マスクみたいなの誰も彼もが装着してしまうの?
シェリー、俺ははぐれものだからお前みたいにうまく笑えやしないよ。


緊急事態宣言も解除された今、これでようやくあれこれの芸能人の方々も自らのアイデンティティを思い出して、悪ぶったりはっちゃけたりしてくれるだろうか、もうあんな作り笑いで「ステイホーム」とか口にしないでくれるだろうか、と胸をなでおろしている。

そしておかげさまで安楽な暮らしをしている私は絶望に満ちた顔で叫びたい。
言いたいことも言えないこんなポイズンな世の中で。
「満員電車乗りたくない!!!ずっとテレワークがしたい!!キノコパワー!!」

あたりまえ

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5月の満月はフラワームーンと言うそうで、5/7の日だった。
何度も何度も「危ない、もう持たない」と言われながら持ちこたえてきた祖母はフラワームーンの日に旅立った。
「そうか、ついにか。満月の日に旅立つなんておばあちゃんらしいな、猫もたくさん連れてジェリクル舞踏会かしらね」なんてしみじみした。
www.tokyo-zoo.net
その翌日、多摩動物園のコアラのニーナが亡くなったというニュースを見て驚愕した。
正直祖母の死よりもショックだった。

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2017年7月1日
人生で初めて出会った赤ちゃんコアラで、可愛くて可愛くて埼玉の動物園まで毎週通い詰めた。
2018年に多摩動物園に移ることになって、多摩にも何度も会いに行ったけれど、埼玉の時みたいにみんなと遊んだり飛び跳ねたりするでもなく、一人でじっと眠っていることが多くて心配だった。
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2018年7月28日
そうこうしているうちに、我が家に猫が来ることになり、動物園から足が遠のき、ニーナに赤ちゃんが生まれたというのも風の噂で聞いただけ。
埼玉にまた赤ちゃんがたくさん生まれているのも、ニーナのお母さんのドリーが亡くなったことも知らずにいた。
猫も大きくなってきたし、そろそろまた出歩けるかな、コアラにも会いたいなと思っていた。そんなの月並みすぎるけど。
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2017年10月21日。私の一番お気に入りの顔。

大体12年位だというコアラの寿命だけど、ニーナまだ3歳じゃないか。人間で言ったらハタチかそこらじゃないか、ちいさい子供残してさ…。
ショックを受けながら久々に動物園関連のニュースを見ていたら、埼玉の動物園にクオッカが来たらしい。

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オーストラリアの島にのみ生息するめちゃめちゃ可愛い生き物よ。
すごいことだよな、これからは埼玉に行けばクオッカに会えるのだ。会う気があれば会えるのだ。
当たり前のように会えるかもしれないけど、それは全然当たり前のことじゃないのだ。
ニーナが生きていたことも当たり前のことではなかったし、祖母がなんだかんだ長生きできたことも当たり前じゃないのだ。
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象が日本にいることも。
このコロナの日々で、「今まで当たり前だったことが当たり前じゃない」ことにたくさんの人が何度も気がついただろう。
その一方で「あの発言はおかしい」「あの人はおかしい」「それは常識がない」と、自分の「当たり前」を押し付けあうことも横行している。

当たり前なんてこの世に一つもない。本当にない。それがこの世の「当たり前」

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にゃんこ警察
猫にお茶を零されて腹を立てたり、風呂を覗かれたりした日々をいつか「あの日に戻りたい」と思い出すんだろう。
そんな当たり前が失われたときに。