見つめるCat's eye


高校の頃の古典の先生が言っていた。
「見るってことは愛情なのよ。愛情がなくなったら相手の顔を見もしない。相手がそこにいるのに見向きもされない、そんな状態は一人でいる時より孤独なものです」
確かそんな話だったと思う。高校生の私には「二人でいるのに、一人より孤独」という言い回しが大人発言に思えて印象に残った。

さて、そんな大人発言について書いて置きながらここのところの私ときたら、全然大人ではなかった。
ずっとゲームをしていたのだ。今流行りのどうぶつの森などではない。スマホでチマチマやる地味なパズルゲームだ。数字を動かして大きくしていくような。
1年に一度、または2年に一度くらい、こういうゲームにアホほどどっぷりハマる時がある。熱病のように延々とやり続けて、そしてフッと熱が覚める。

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今回はこれ。あとは2048とか
先週末、朝から夜まで延々とずっと、徹夜をしてまで、無心にやり続けた。
お前どんだけヒマだよ、どんだけヘタクソだよ、と人は言うだろう。
私だって自分でそう思う。

もちろん最低限猫にご飯をあげたし、猫のトイレの掃除もした。そんな時ふと鏡に写った自分の顔をみると生気のない死人のようで「ああ、ゲーム廃人ってこういう顔をしているのか」と怖くなる。
だが、狂ったようにまた延々とゲームを繰り返すのだ。ニャーニャーと訴える猫に生返事を返しながら。
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呆れ果てた猫が、もうにゃーとも言わなくなった頃、20時間ぶりくらいに猫の顔を見て、あれ!と驚く。顔が妙にやつれている。いつものふっくらした顔ではなくなっている。目つきもなんとなく鋭くなっている。
椅子の上で寝る姿も、いつものように無防備でだらしない感じではなく、若干警戒態勢だ。

週末の間、最低限ご飯の世話とトイレの世話はしたけれど、こっちがキリのいい時、気づいた時だから、いつもの時間とも随分違っていたし、猫をよく見ることもなかった。毎日バカみたいに「可愛い子、大事な子」と繰り返しかけていた言葉をかけることもなかったし、撫でくりまわすこともしなかった。
そうすると1日ちょっとで、こんな顔になってしまうのか。与えられるべき愛情が与えられないとこんな顔になるのか、とショックを受けた。
そうして先生の言葉を思い出すのだ。
「見つめることは愛情なのよ」
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ただ世話すればいいってもんじゃない。見つめて愛情をかけなければそれはネグレクトに当たるのだな、と改めて猫に申し訳なく思った。
ご飯の時間がズレたことで、吐いたりもしていたし、愛情不足のせいか、やたら大食いになったりもしていた。
いつもどおりのふっくらした顔、甘えた態度、だらけた寝相に戻るまで半日くらいかかった。

申し訳なく思いながら、でも少し驚きも感動もしたよ。
自分に愛情が向けられているかどうか、猫はちゃんとわかるんだな。
そして君たちは「愛情は無条件に与えられて当然」と思いながら生きることができているんだな。

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フュージョン!!
元気を取り戻した猫たちは、最近毎朝ベランダに出て、通学途中の子どもたちを見守っている。
そして「猫ちゃん!かわいいー!」とか言われてアイドル気取りでいい気になっている。
見てもらって「可愛い」って言われて、そうだよな、それが愛情だよね。