この世界の片隅に
最近見た映画はパラサイトとスウィング・キッズ。
どっちも結構重い。だんだん映画が「他人事」ではなくなってきているような気がする。ただただ口をあけて、楽しく夢物語を見ていられる時代じゃなくなっているような気がする。
格差社会も貧乏も不運も、戦争時代の不自由も理不尽も苦しみも、すべて明日は我が身。
そもそも映画館に行くことすら若干ためらわれるような今日この頃。上映中止になった劇場もあるらしい。払い戻しも受け付けてくれるらしい。
なんだか世の中が物騒でざわざわしている。昨日までの生活ががらっと変わるようなことが起きている。
会社だってそうだ。
「オリンピックのために時差通勤やテレワークを考えなければいけないとは言え、現状ではとても環境が整っていません。テレワークは多分無理なので、4月からなんとか時差通勤だけ実験してみようと思います。まずはアンケートをお願いします」と先週言われたばかりだが、コロナで大騒ぎになった途端、テレワークと時差通勤が急遽導入されることになった。
なーんだ、できるのかよ…!いざとなればできたのかよ…!とびっくり。世間がすごいスピードで非常時体制に入っていく中、使い捨てマスクを洗いながら思い出すのは「この世界の片隅に」だ。
最近公開された(さらにいくつもの)の方は見ていないが、以前の「この世界の片隅に」の公開中は「戦争中でも工夫しながら普通に生きようとする姿がけなげ」「当たり前の日常が愛おしい」などとよく言われていた。
でも今、私達がいる状況って正にアレなんじゃないのかな、と思う。トイレットペーパーが売り切れているのは地方だけの話かと思っていたら、スーパーでものの見事にトイレットペーパーがなくて笑ってしまった。最近では米も買い占められているらしい。ちょっと前まで米が売れない世の中だったのにな。見に行く予定だったラグビーは海外開催となり、中国語教室は休みになった。プロ野球オープン戦や大相撲春場所も無観客開催になり、友達の家でテレビで相撲見る約束をしたけれど、出歩いていいのかしら。3月のハイキングには行っていいのかしら。
不要不急の外出だからダメかしら。
もしもそれで私がコロナにかかったら「ハイキングでウイルスをばらまいた非常識な人」と世間からは非国民扱いされるのだろう。
ちょっとヒステリックになった世の中は、国粋主義のように中国を叩き、イギリスを叩き、政府を弱腰と叩き始める。ああ、なんだか本当に歴史の再現ドラマを見ているようだ。
当たり前の日常がどんどん非日常に変わっていく。
とは言え、それでもなんでも普通に生きていくより他ないですよね。
流言飛語に惑わされたり、大本営発表に翻弄されたり、不安だらけの世の中でも、なるべく普通に、粛々と、できる限り今まで通り地道に。
だってそれ以外どうしようもない。映画の世界がどんどん他人事じゃなくなっていくこの世界の片隅で、普通に。
感染には気をつけないと、うちのにゃんこ兄弟を「火垂るの墓」にするわけにはいかない。
でも明日も普通に、いつもどおりに、まともに。
いつかそんな生活を他人から「けなげだ」と評されるんだろうか。