日々を数える

このブログを始める前は「90億の神の御名」というブログを書いていた。
タイトルはアーサー・C・クラークの短編小説からもらった。小説の中ではチベットの僧侶たちが90億の神の御名をリストに抽出する作業を何世紀も行っていて、すべての名前をリストに載せ終わった時、世界は終わると信じている。

夏目漱石の「夢十夜」の中で一番好きなのは第一夜。女が死んで「百年、私の墓の傍に座って待っていてください」と言う。男はずっと座って待っている。

自分は苔の上に坐った。これから百年のあいだこうして待っているんだろうなと考えながら、腕組みをして、丸い墓石を眺めていた。そのうちに、女の言ったとおり日が東から出た。大きな赤い日であった。それがまた女の言ったとおり、やがて西へ落ちた。赤いまんまでのっと落ちていった。一つと自分は勘定した

そうして一つ二つと数え、だんだん数もわからなくなってくるが、ある日気が付く。
「百年はもう来ていたんだな」
百年という長さが、とても幻想的なもののように思える。

ミュージカル「RENT」の中で歌われる有名な曲「Seasons of Love 」の中では「Five hundred twenty-five thousand Six hundred minutes」と繰り返し歌われる。
525600分。1年間を分で換算した時の長さ。

Seasons of Love (HD)

数値化することで実感できるものもあれば、数字にすることで幻想的になるものもある。
よく言われる東京ドーム何個分、レモン何個分なんて「なんとなくすごいけどよくわからない幻想的なもの」だし、90億の神の名前だって荒唐無稽で幻想的だ。
108個の煩悩も、よくわからないけどなんだか感心せざるを得ないような雰囲気がある。
浅草寺の四万六千日も。
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7月10日生まれの私、ずっと自分の誕生日は納豆の日だと思ってきたが、前のブログを書いていた頃、コメント欄で他の方に「四万六千日の日だ」と教えていただいた。
浅草寺の公式サイトによるとこういう謂れのある功徳日らしい。

7月10日は最大の功徳日で、46,000日分の功徳があるとされることから、特に「四万六千日」と呼ばれる。この数の由来は諸説あり、米の一升が米粒46,000粒にあたり、一升と一生をかけたともいわれるが、定かではない。46,000日はおよそ126年に相当し、人の寿命の限界ともいえるため、「一生分の功徳が得られる縁日」である。

1日で46000日分だ。すごい。そのため江戸時代の人が前日から押しかけて大騒ぎだったので、7/10だけじゃなく7/9、10の二日間を縁日にしたらしい。
そういえば雲田はるこの「昭和元禄落語心中(3) (KCx)」でも四万六千日が描かれていた。もちろん落語「船徳」の出だしと一緒に。
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杉浦日向子の「百日紅 (上) (ちくま文庫)」でも歌川国直が四万六千日の日に浅草寺で昔の友人と再会する場面が出てくる。
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今年は有給をとって、人生初の四万六千日に行ってきた。
外国人も含めものすごい人手だった。江戸時代もきっとこんなだったんだろうか。
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百日紅を読み返してから行ったから、200年前の人、それも架空の物語がなんだか現実みたいに思えて「国直もここでほおずき買ったんだなあ」なんてしみじみする。

とにもかくにも、あと20年くらい、猫を看取るまで猫も私も健康で心穏やかに暮らせますように。猫と暮らす終の棲家としての家を買いたい、冷蔵庫も大きいのに買い替えたい。あ!宝くじも当たりたいです!
せっかく46000日分の功徳があるのに、思いつく願いなんてそれくらいのことだ。昔からきっとみんなそんなささやかな願いを観音様に託してきたんだろう。
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1年は525600分。365回、日が昇って沈む。
毎日いろんなことがありながら、ささやかな願いを重ねながら、日々を重ねて100年がすぎる。四万六千日がすぎる。
江戸時代から300年。3回くらいの四万六千日が過ぎたろう。
たくさんの人達がささやかな願いと、ささやかな日々を重ねて。