君拾帖

■くんしゅうちょう■  すきなことだけてきとうに

曲がり角ごとの驚き・23 岸辺のアルバム


毎日寒くて縮こまっているけれど、駅の旅行ポスターによれば、もうちょっとしたら河津桜が咲き始めるらしい。これはいつだったかの靖国神社の桜。
ここ数年春になると、毎年出社前に千鳥ヶ淵に桜を見に行く。うっとりと桜に見とれながら、それでいて、私は目の端に、お堀にぷかぷかと浮かぶみかんの皮もしっかりと捉えているのだ。
それは毎年ある。

人は。いや、「人は」なんて大仰に言うようなことではないだろうが、しかし人は。
人には、岸辺でみかんを食べ、その皮を投げ捨てるという習性があるように思われる。

真鶴。

等々力渓谷

香川県ことでんの車窓から。反対側は海。
鮮やかなオレンジが目につくたびにいつも思う。人はそんなにもあちこちでみかんを食べるものなのか。いつもバッグにみかんを忍ばせているものなのか。そして、みかんの皮を投げ捨てたくなるものなのか。
驚いたことに、それは中国でも同じだった。

蘇州、平江路歴史街区の1本裏通りの民家の窓。干してあるのか捨ててあるのかわからないが、この家の人はみかんの皮をここに溜め込むのだな。

蘇州、北塔報恩寺の裏の庭園、池のほとりの置物の下にそっとみかんの皮。
こんなのを見ると、国粋主義者は眉を吊り上げて言うでしょう。「日本に落ちてるみかんの皮も全部中国人が捨てたんだ!!」

いいや、違うね。
中国人が大挙して日本にやってくるもっとずっと前から、20年も30年も前から、子供の頃からずっと、私は水辺でみかんの皮を見てきましたよ。
この日本のあちこちに、常にバッグにみかんを忍ばせ、隙あらばみかんを食べ、皮をぽいと投げ捨てる人々がいるのだよ、間違いなく。

食堂でご飯を食べてさえ、手持ちのみかんを取りだして食後のデザートにしてしまう者がいるのだよ。
みかんの皮はいくつもいくつも見てきたが投げ捨てる決定的瞬間は見たことがない。しかしきっと投げ捨てる人たちは言っているのだろう。「みかんは土に還るから」「みかんは自然のものだから

そうね、みかんの皮はいつか土に還るでしょう…。
けれど私の心の岸辺にはいつも、黄色いみかんの皮が咲いているの。

…まあ、別に「ゴミを捨てるな!」とか目くじら立てているわけではないのです。ただ、いつも、ちょっとしたシュールさと鮮やかな色が思い出になって心に積み重なっていく、ただそれだけのこと。

岸辺のアルバム (光文社文庫)

岸辺のアルバム (光文社文庫)

TBSオンデマンドで「岸辺のアルバム」を見始めた2月。