悲しくてやりきれない

あの報道が出た次の日、私は何も知らずにいたら、朝会社で来る人来る人皆が言うのです。
「まめさんおはようございます。日馬富士大変ですね」「貴ノ岩ヤバいすね」
それでニュースを調べたけれど、まさかこんなことになるなんて思わなかった。

普段は相撲を見やしない、貴ノ岩の顔すら知らない人たちが口々に言う。
相撲協会がー」「モンゴル人がー」「貴乃花親方がー」
相撲友達はみんな無言だった。だってみんな傷ついていたから。
報道は日に日に加熱していって、あることないこと言うし、テレビで使われる貴ノ岩の画像だって、全然関係ない時の顔の傷のついたもので、ああ、本当にメディアって作為的なんだなあ、と呆れもしたし、怒りもした。

あの美しい背中の横綱が、こんな形で引退してしまうなんて、本当に本当に悲しくて仕方がない。
暴力を肯定しようなんて思っていない。ただただ心の底から哀しい。

仙台場所、「休場者が多くて申し訳ない」ってわざわざ横綱を締めるところを見せてくれた。責任感がとても強いんだなと思った。初めて相撲を見る友達と一緒に行ったけど、友達も「やっぱりオーラが違うね」って言ってた。

これは9月場所千穐楽の優勝決定戦。本当は自分だって満身創痍で休みたいはずなのに、三横綱が休場だから最後まで頑張って出続けて、そして勝ってくれた日馬富士

5月場所の稽古総見。大関昇進の期待がかかる高安が白鵬から可愛がりを受けて悶絶して、水をかける日馬富士
どれだけいい所があっても、どれだけ今まですごい所をたくさん見せてくれていても、一度の過ちで、こんな形であの人は引退させられてしまうの?

国技館のこの四横綱パネル。昨日、日馬富士の分が撤去されてしまったらしい。
何が一番悔しいか、何が一番嫌かって、相撲なんて見もしない人たちが、何も関係のない人たちが、正義感を振りかざして余計なことをあれこれ言うこと。
「品格がー」「品性がー」って言うその口が、下品に歪んでいることには気付かずに。
思えば歌舞伎役者の奥様が亡くなった時だってそうだった。佐村河内の時だって、不倫議員の時だってそうだ。
世の中の暇な人達は、どうして他人の所業にあれこれ言うことで、自分を「正しい人間だ」とか「心の優しい人間だ」「品格のある人間だ」と思いたがるんだろう。
罪のない者だけが石を投げればいい。自分のことを気にすればいい。
他人を貶めることよりも、自分が良くなることを考えればいい。
それが「品格」ではないかしら。

毎日、ニュースがチラっと目に入るたびに、悲しくて泣きそうになる。
これは本当に引退しなければいけないほどのことだったのかしら。殺人者のように許されないことなのかしら。人は少しでも過ちを犯したらもう二度と許されないものなの?

初場所は二日間行けることになったのだけれど、新年早々、国技館で、日馬富士の不在を本当に実感してまた泣きたくなるんだろう。
悲しい。本当に悲しい。悲しくて、悲しくてやりきれない。