新世界の神となる 2017夏/青春5日目

青春18きっぷ、最後は伊能忠敬記念館目指して佐原に行こうかと計画していたが、日光に行ったら「そもそもなんで家康は神様になって、日光はパワースポットだとか言われてるのか」なんて事が気になりだして、久能山東照宮に行ってみようと決めた。
5:48横浜発東海道線沼津行き→7:29三島発東海道線島田行き→8:30静岡着→8:51しずてつジャストライン日本平
日本平動物園に寄ってから久能山目指して日本平ロープウェイ駅へ。

籠をイメージしたロープウェイはガッツリ葵の御紋入り。

でた、「東照大権現
家康の遺言とその後の動きは大体下記の通り。

「遺体は久能山に葬り、葬儀を増上寺で行い、位牌は大樹寺に納め、一周忌が過ぎてから日光山に小さな堂を建てて勧請せよ、関八州の鎮守になろう」
1616年4月17日 家康没 久能山に埋葬 二代将軍秀忠の命により久能山東照宮創建
1617年3月15日 家康の御霊を乗せた神輿が久能山を出発
1617年4月4日 日光山座禅院に着 
 朝廷より東照大権現の神号と正一位の位階の追贈を受ける 
1617年4月8日 奥院廟塔に改葬儀式を経て正式に鎮座
1617年4月17日(一周忌) 遷座
1634年9月 三代将軍・徳川家光が日光社参
 寛永の大造替が始められ、今日見られる荘厳な社殿への大規模改築が行われた。
1644年 日光の旧社殿を群馬県太田市世良田町に移築。世良田東照宮創建。


■家康は「日光山に小さな堂を建てて」と言っているのになんであんなデッカくなっちゃったのか。周囲の人間の政治的判断によって、そうなっちゃっただけか、それとも家康的にも「小さな、って言ったけど、俺が誰だかわかってるよな、お前ら」って感じなのか…。
■大体、なんで神になる?しかもそれが未だに信仰されるのは何故?パワースポットとか言ってありがたがるのは何故?

概ねそんなところが気にかかっているが、まあ、日光だろうが久能山だろうが、東照宮に来れば家康礼賛、家康美化のエピソードしかないよな。そりゃそうだ。

唐突に現れる司馬温公の甕割り絵看板。「司馬温公の優しいエピソードが久能山東照宮拝殿正面にも彫られている!家康公から私達へのメッセージ!」っていうのは相当なこじつけじゃないのか。久能山東照宮作ったの家康じゃないし…。

尚、裏からこうして顔を出して写真撮影が可能。センターは溺れ役。

これでもか!!徳川だぞ!と言わんばかりにキンキラ。
疑問点についてネットやNHK番組等でざっと調べた。簡単に調べただけなので間違っていたらごめんなさい。

●深く関わってる人:家康、秀忠、家光、天海僧正春日局、等
●実力で権力を勝ち取る社会だと争いが絶えない。
 →・誰が権力者になるかを年功序列や肩書で決める社会の仕組みを作る
  ・武家諸法度などを取り決め、武断政治から文治政治
●西国大名が天皇を担ぎ、徳川に謀反するとまた争いが起こるので、天皇に対抗するために自分も神に!!
 →「豊国大明神」の神号が贈られた豊臣が滅亡したことを思うと「明神」は良くないから「権現」に!
●当初、日光東照宮は秀忠の建てた小さく質素なものだったが、家康を崇拝していた家光が、父に反発するためと、徳川の威信を示すために現在の絢爛豪華なものに建て替えた

それに付随して皇室との婚姻関係を結んだり、参勤交代で各大名の財力を削いだり。
風水的パワースポット感をアピールしてみたり。

東照宮に行くとあちこちで「平和を望んだ家康公」「人々が安定した暮らしができるように」と言われているが、つまり「徳川の権力が盤石で、謀反を企てるものがいなければ世は泰平」「だから徳川に逆らうなよ」ってことか。
権力の一極集中=とりあえず平和。まあ、それは確かに。
宗教は為政者が国を統治するために作った、なんて話を遠い中東の話だと思ってきたけれど、割りと身近だったんだな。

そして「じゃあ神になるわ、朝廷もOKしてくれたから」「家康公、神様だって!」「天下統一したもんね、神!」と受け入れてもらえるのは、やっぱりこの国の「死んだら神様」「すごい人は神様」「何にでもどこにでも神様はいるから一人増えても別に」みたいな「万物に神宿る、八百万の神」の考え方によるものなんだろう。

一神教の国だったら、なんと不敬な!!とお怒りになるかもしれないけれど、この国の神様は割りとカジュアルで人間臭い。
悪い神様もいるし、すぐに「山の神さまがお怒りだ」とかって怒っちゃうし。年末には出雲にでかけちゃう、神も仏も一緒に暮らすし。宣言すれば大体神様。
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万物に神が宿るので、炊飯器にもトイレにも神様がいるようなこの国で暮らしていると、連日世間を賑わす、宗教が原因の戦争やテロがどうもよく理解できない。加えて、靖国参拝があんなに騒がれるのもあまり理解できない。だって死んだら誰でも神様なんだもの…。ただそれだけの事じゃないのかしら。戦没者慰霊ってそんなにいけないことかしら。

こちらは川越の東照宮
兎にも角にもそんなわけで、家康公は神となり、神格化して祀り上げることで徳川の権力は盤石となり、全国各地に東照宮が創建され、日光は再興し、日本史における江戸時代のウェイトにより修学旅行先としても重宝され、江戸の北にあるってことからパワースポットとの称号も得て、女子たちもたくさん訪れるのでしょうね。

ちなみに久能山東照宮博物館には家康公の時計のレプリカとともに、家康愛用の鞍も展示されていた。
三方ヶ原の戦いで敗走中の家康が恐怖のあまり馬上で脱糞し、浜松城に入城した後に家臣から脱糞した旨を咎められて「これは味噌だ」と家臣に言い放った」という逸話があまりに強烈に印象に残っていたので、ああ、ここで脱糞…、としみじみ見つめてきた。
脱糞する神もいる。そう、日本ならね。