曲がり角ごとの驚きXⅦ あの日へ行きませう

あの日、青春18きっぷで行った登呂遺跡の登呂博物館では「登呂発掘と静岡市の近現代」という企画展が開催されていた。
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キャッチコピーは「あの日へ行きませう」
なんともノスタルジックで、それに相応しく、戦後のレトロな品々や映画ポスターが展示されていたが、そんな三丁目の夕日的なノスタルジイよりも心をぎゅっと掴むのは、登呂発掘にまつわる様々なエピソードだ。

この遺跡は太平洋戦争末期の昭和18年住友金属プロペラ製造所建設の折に発見されたとのことで、戦時下のため調査もロクにできず、脚光も浴びず、報告書も刊行できなかったらしい。当時ものすごく貴重だったというガラス乾板の写真がいくつも展示されていた。写真1枚撮るのもずいぶん覚悟が必要だったんだろう、と胸打たれる。

なにぶん戦時下だから、いくら本格的に調査をしたくても「非常時に遺跡なんてどうでもいいだろ」とばかりに軍需工場建設工事は進められてしまうし、発掘された丸木舟や土器も遺跡も米軍による空襲で被害を受けてしまう。

名所旧跡を訪れた時に何に腹が立つかって、戦争が邪魔をしてくることだ。「関東大震災で焼失のため再建」なら納得がいくけれど、「室町時代から続いた梵鐘が太平洋戦争時の金属供出に出されたため、戦後再建」などと言われると「何してくれてんだよ!!」とムカムカする。ISISの遺跡破壊もそうだけれど、戦争って「取り返しのつかないことを正義面して行う」ってことなのか、と思うと、本当にどうしようもない、救いようがない。

戦後、昭和22年に本格的な発掘調査が始まって、日本中に一大考古学ブームが巻き起こる。壁に貼られた昭和22年7月の毎日新聞の切り抜きには「日本のポムペイ」という見出しが躍るし、昭和24年にはなんとラジオドラマ「登呂」というのが制作されたらしい。男女の恋愛劇だそうだ。弥生版「君の名は」みたいな感じか。
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もちろんアニメじゃない方よ

ラジオドラマまで作る…とニヤニヤしていたが、「戦後、自らの歴史的認識を失った日本人にとって“自らの手で歴史を掘り起こすことの重要性”…」という説明を読んでハッとする。
そうか、今まで信じてきたものが全部崩れ去ってしまったんだよな。神様だと思っていた天皇陛下は人間になってしまったし、誇り高き大日本帝国敗戦国になってしまった。何が正しいのか何が悪いのか、何を信じればいいのか、何のために家族が死んだのか。そんな状況の中で、アイデンティティを取り戻すための大きな希望だったんだろう。
NHKのサイトにも「戦争でうちひしがれた人びとの心の拠り所になり、食料や物資が乏しい中で精力的な調査が行われたことは、多くの国民を勇気づけた」と書かれている。

当時の新聞で発掘の様子は毎日報道されたそうで、「今もってしてもこんなに注目された調査はない」との事だった。

そんな訳で当時、「登呂もなか」やら「登呂まんじゅう」やらも売られていたらしいですよ。
今は登呂ようかん。トロベーさんも好きな味だって。お前、住居じゃん…。

こちらは発掘経費の領収証。煙草が経費で落ちるのはまあいいとして、アイスキャンディー六本は自分で買いたまえよ。

最後に、出口付近に貼られていた、昭和22年12月31日付静岡新聞の「今年の縣下十大ニュース」
1.静岡刑務所脱走事件
2.縣豫算十億円を突破
3.登呂遺跡発掘
4.静岡の五人殺し
5.蜜柑の公定価格撤廃
6.知事、地方首長公選
7.第1回スポーツ祭
8.璽光尊、御殿場に出現
9.下田港の黒船祭
10.二俣町の大火

…登呂発掘もすごいけど、1と4のインパクトがすごい。
しみじみ思うことは、いろんな「あの日」が今日までにあったこと。
弥生時代のあの日生きていた人の形跡を、戦争中のあの日に見つけて、どうしてもそれを守りたかった人がいて、戦後のあの日から調査が始まって、アイスキャンディー食べてたあの日があって、そんな他愛もないあの日が、弥生時代から、もっと前から、ずっと続いているっていうこと。