幸福な蕎麦屋


世界じゅうがだれもかも偉い奴に思えてきて
まるで自分ひとりだけがいらないような気がする時
突然おまえから電話がくる 突然おまえから電話がくる
あのぅ、そばでも食わないかあ、ってね
(中略)

風はのれんをばたばたなかせて ラジオは知ったかぶりの大相撲中継
くやし涙を流しながらあたしたぬきうどんを食べている
おまえは丼に顔つっこんでおまえは丼に顔つっこんで
駄洒落話をせっせと咲かせる

            中島みゆき蕎麦屋

つくづく中島みゆきは恐ろしい。
大事なことは何も言っていないのに、情景も心情もすごくよく伝わってくる。
老夫婦の経営する、少し薄暗い蕎麦屋だ、きっと。
まちがっても小奇麗で気取って、そばにうるさい店主のいるようなこだわりの蕎麦屋じゃない。
歌詞に「とんがらし」とでてくるが、きっとひょうたん型の入れ物に入ってるんだろう。
この曲をいつもドリカムの「なんて恋したんだろ」と比べてしまうのは多分にうどんのせい。

最後の夜 話し疲れて ふたりでおうどん泣きながら食べた 今思うとなんか笑うよね
それでもお互い 思い遣ってえらい、おわりまでずっと気遣いあってた
        DREAMS COME TRUE「なんて恋したんだろう」

こちらはずいぶんカジュアルだ。こんな別れ話、「味の民芸」ですればいい。
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増田屋でもまあいいんだけど、できることなら別れ話中のカップルには増田屋のことはそっとしておいてほしい。
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子供の頃、ある日突然近所に増田屋ができた。
あれが生まれて初めて見た増田屋で、なんだか普通の蕎麦屋とはちょっと違う感じに見えた。中に入ると、優しい親戚の家に来たみたいないい匂いがして、人の良さそうな夫婦が経営していて、行くといつでもこけし型の容器に入ったお子様セットを頼んだものだ。
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ちょっと違うけどこんな感じの。
吉本ばななの小説「キッチン」の続編にものすごく美味しいカツ丼屋さんが出て来るシーンがある。新しくて白木の匂いがして清潔で手入れの行き届いた感じのいい店だ。主人公は、母を亡くした友人にその店のカツ丼を届けに行き、友人が少し元気を取り戻す。

キッチン (角川文庫)

キッチン (角川文庫)

私にとって増田屋はあの小説の中のカツ丼屋のように、なんだか夜道にぼうっと光っていて安心させてくれたり、懐かしくてキュンとしたり、幸せの象徴のように思える店だ。
増田屋を見かけると「あ、ここはいい町だ」と思えるくらいに。
ちなみにあれはチェーンじゃなくて暖簾分けなんですってよ。

さて先日、そんな思い入れのある増田屋にふらっと入った。ガラッと扉をあけたら、大相撲中継の声が聞こえて、おじさんとおばさんがそそくさと立ち上がる。
あ、相撲見てたのか…とちょっと嬉しくなりながら、大相撲中継の見える席に着いて、最後の3番くらいを見た。

高安のお母さんの表情に涙ぐむし、白鵬と玉鷲の真剣な立会いにも胸を震わせながらそばをすする。
冒頭に引用した中島みゆきの「蕎麦屋」でも大相撲中継が流れていた。
梅にうぐいす、蕎麦屋に相撲。
相撲の結果が気になって、時々そわそわと厨房から出て来るおじさんとおばさん。

かまぼこ板とガムテープで修復されたテーブルのガタつき。
清潔な店内。手入れの行き届いた鉢植え。
世界じゅうがだれもかも偉い奴に思えてきて、まるで自分ひとりだけがいらないような気がしたとしてもここのおじさんとおばさんは優しくお蕎麦を出してくれるんじゃないか、みたいな安心感。

完璧だ。
今、私は完璧な場所にいる、完璧な夕方、と幸福感でちょっと胸がつまるくらい。
こうしてまた増田屋に幸福の思い出が積み重ねられていくんだ。