貝塚と坊っちゃん

先日、ふらっと出かけた東京都埋蔵文化財センターの資料スペースで、「板橋区立郷土資料館 平成21年度秋季特別展“貝塚に学ぶ -考古学者・酒詰仲男と地球環境”」という本に出会った。

ちょうどすぐ横に貝塚の貝層剥ぎ取りパネルが置いてあったこともあり、ふーん、貝塚ねえ…と何の気なしに手に取ったが、冒頭の

酒詰仲男は、当時の他の多くの考古学者がそうであったような「考古ボーイ」と呼ばれる中学・高校時代からの考古学好きの少年ではなかった

という一文でコロっとやられ、酒詰仲男本人の著書「貝塚に学ぶ」を早速図書館で借りてきた。

現在は新装版しか販売されておらず、このタイプは既に絶版だ。
発掘された人骨と同じ姿勢で映る酒詰仲男。ちょっとヒロミ似。

この本の内容を要約してあるのが、板橋区立郷土資料館特別展の資料なのだが、とにもかくにもこの酒詰仲男という人は不器用で周囲とうまく折り合えずに孤立して研究所を離職したり、貧乏なせいで嫁に逃げられたり、誤解が元で特高につかまって教職を失ったりと、苦労が絶えない。
本人は大変なのだと思うが、淡々とした口調で書かれる文章が非常に面白くニヤニヤしてしまう。

考古学を始める前は開成中学で英語教師をしていたが、当時のことをこう書いている。

人間はすくなくとも、昼食にはカレーライスくらいは食うのが常識と心得ていた。ところが昼がくると、大部分の教師は素うどん一杯である。それを二、三十秒でするすると腹へ流しこんで、あとは涼しい顔をして髯をふいている。私は天丼、親子から、あんかけくらいまでさげたが、ついにある時、「U先生ね、君も知っとるだろう。あの先生は毎日天丼を食っていてころりと若死したよ」という、変ないいまわしの皮肉を、隣りの教師から浴びせられた。ところが一ヶ月も経って気がついてみると、いつの間にかこの自分も素うどん党に同化しているのに気がついた。

夏目漱石坊っちゃんの中でも、主人公が「天麩羅四杯食べた」と生徒に囃されるが、先生もつくづく大変なもんだな。この文句の付け方も完全に坊っちゃん

到着した晩にまずわれわれの歓迎会があった。村長、校長をはじめ、村の助役、その他が集ってきて、会場は小学校の別棟の五、六十畳敷の大広間である。
 したたか酒をよばれて、その大広間の中央に二つ床を敷いてもらって寝たのであるが、夜尿意をもよおして、さてどこが出口か、燈が消えて真暗なので、これにはまいった。

このエピソードの要不要はともかくとして、これも松山に着いて旅館の十五畳敷きの部屋の真ん中に眠る坊っちゃんみたいだ。

この坊っちゃん、考古学の勉強がしたくて、大山柏公爵が主宰していた「史前学研究所」の門を叩き、無給でもよいから研究所の研究員にしてくれるように頼み込んだということもあり、入所後はりきって関東の貝塚を根こそぎ調査する。が、それが他の研究員に煙たがられて、結局研究所を辞めてしまう。
後に長谷部言人氏から人類学教室嘱託の職を紹介されたときにはようやく浪人の身から開放されたと男泣き。

また、最初の奥さんと離婚後に知人の紹介で再婚するが、新しい奥様は相当気の強い人だったのだろう。まえがきの文章がやたらと男らしい。

学問の世界で、閥も、金も、後ろ盾もない一個の人間が、一生にどれだけの仕事ができるか。なくてもこれくらいは出来るんだということを、世間の奴らに示してやりたい、とひたむきな学究生活がつづいていた。(中略)
またあるときは、天皇陛下の御前に出てこれは真なりと断言できる学問をやろうと、豚箱のなかで自分に誓ったことを述懐した。

豚箱…。奥様…。
文章の端々に周囲との軋轢に納得行かなかった憤りが表現されており、似たもの夫婦だな、と実感する。
ちなみに皇居内旧本丸西方貝塚調査の際、昭和天皇・皇后両陛下にご説明申し上げる栄誉に浴して夫婦で号泣したそうだ。

貝塚に関係有ること、ないこと。恨みつらみも晴れがましい気持もうっかり体験も尿意も書かれた、とても人間臭い貝塚の本。
こんなの読んだら、こちらもすっかり貝塚を掘ってみたい心持ちになるが、史前学研究所で疎まれるくらいに酒詰仲男が調べ尽くした後だもんな。

仕方ないから酒蒸し後のあさりを集めて、なんだか捨てられなくなる。
埋めて5000年待てばいいか。夢十夜よりも長くかかるな。

文鳥・夢十夜 (新潮文庫)

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