タコ その愛

友人の弟は大学卒業後、宍道湖でシジミの研究をしていると言う。シジミ!!
自分が目移りしやすいせいか、ニッチな分野で生計を立てている人や、対象物について書かれた情熱的な文章なんかに、やたらと心惹かれる傾向がある。
例えば右翼雑誌の欄外にある拡声器の広告だとか、きのこや苔について語られた文章だとか。
そのマニアックさに感心し、困惑するのが楽しいのだ。

タコの教科書

タコの教科書

そんなワケで、書架でこんな本を見つけたら、帯に書かれた「図解:タコ学決定版」というダサいキャッチコピーを見たら、冒頭の「あなたがタコをじっと見つめたら、そのタコはあなたを見つめ返してくる― 驚くことに、タコの観察にかなりの時間を費やしてきた人たちは口をそろえてそう言う。」という一文を読んだら、もう即買いだ。例え2200円しようとも。
タコの観察にかなりの時間を費やしている人たち、ね。トキめくな。

この本は「教科書」の名に恥じず、生物学、芸術、料理、飼育、と様々な角度からタコについて書かれているが、最初はもちろんタコの生態からで、シルル紀デボン紀やら、種類、部位、行動、繁殖方法等の説明が続く。
だが、そんな繁殖方法の文章の上に挿し込まれた写真は「ワインとトマトとともに煮込んだタコ(イタリア料理)」という料理写真だ。

なぜ今ここでこの写真…。

著者はスペイン在住のアメリカ人ジャーナリストで、他に「ゴキブリたちの優雅でひそやかな生活」などの著書がある。ジャーナリスト故か、外国人だからなのか、ちょっと変わったこのセンス。
この人の文章もさることながら、登場する人々のタコへの愛もおもしろい。

「地中海でとれたタコなんて買おうとしたことさえないよ」とは、バルの厨房を17年間切りまわしているルイス・ガリェゴの話だ。
「大事なのは大西洋でとれたものであり、地中海産ではないってことさ。大西洋で育ったタコならとにかくおいしいんだ」

なんだよ、このサリンジャーの小説にでも出てきそうな台詞ときたら。
また、タコをモチーフに使うニューヨークのアーティストの発言はこうだ。

自分の型がきちんとあるアーティストたちで本当にスタイリッシュな人の作品には、決まってタコが登場する

自分とタコが大好きなんだろう、そうだろう。
スペインのアーティストには若干の悲哀もある。

数えきれないほどタコを捕まえてきたけれど、もう今じゃそんな殺生はしないし、めったに食べない。タコにあまりに関わってきたものだから、食べづらいんだ。タコは僕にとって本当に大事な意味を持つ。僕は何時間もタコをじっと見ている

お前にとって魔性の女か、タコは。

タコの飼育法、タコ関連年表、タコの参考文献、タコの浮世絵、タコにまつわる伝説、ことわざ、エロス、物語…、様々な角度からアプローチするうちに著者も混乱してきたのか「タコは友なのかそれとも敵なのか、抱擁すべき相手なのか恐怖の的なのか、あるいはそのどちらでもないのか」と苦悩しだすが、私だって当惑してるよ…。

そんな迷いに対して、ヴィクトル・ユゴーは「海に働く人々」という小説の中で、こう断言している。
ちなみに主人公が獰猛なタコと激しい戦いを繰り広げる物語らしい。

神は「タコ」をつくった。
神はその気になれば、忌まわしいものにおいても卓越している。
すべての理想が認められ、もし恐怖が目的であるなら、タコは傑作である。
いったいタコとは何だろう?それは吸盤なのである。

吸盤なんだ。そうなんだ。いや、どうなんだ。
と、ますます困惑するばかり。まあそれが嬉しくて読んでるんだけど。