心にかけた鍵

立春ですね。

これは長野の元善光寺近くの商店街に貼られていた立春大吉札。横の魔除け札の絵が面白くて写真を撮ったけど、調べて見たらたくさんのお寺が同じ絵柄を使っているんだな。

お寺や神社に貼られたお札を見るたびに思い出すのは、かわぐちかいじの漫画「沈黙の艦隊」の中で、アメリカ大統領のベネットが息子に話して聞かせるこのエピソードだ。

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父親は政治的にかなり難しい局面に立っているのだけれど、息子の問に真摯に答え、息子は目をキラキラさせながらそれを聞き、別れ際にちょっと振り向いて「パパ、東洋の鍵の話、友達にしてもいい?」と聞く。すごく感動的な場面であるが、なおかつ「そういや日本の鍵ってわりと物理的な守備力は弱いのかも」とハッとさせる。

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この意味のよくわからない写真は秩父三峯神社で撮ったものだ。靴箱みたいな棚の上にボロボロのバケツが置かれている。写っていないのが私の間抜けなところだが、この建物の上の方には「火除札」が貼られていて、「なるほど、火除札を貼ることで、気をつけなければという注意を促し心理的抑制をかけるためなのか」としみじみ考えてしまったのだ。

ここ数年流行りの「外国人の反応」系サイトでよく「日本は治安が良く、泥棒も少ないのか閉まっているお店でも物が置きっぱなしだったり、きちんとシャッターが閉じられていない」などという声が紹介されていて、「そう?」と思っていたが、去年の夏、スペインに行ったときに驚いた。
閉まっている店のショーウィンドウの前には軒並みこのように頑丈なフェンスが下ろされているのだ。

何かしら、ガラス窓だけじゃ叩き割られるとでも言うのかしら。

休日の市場はこう。
店のシャッターだけじゃダメなのか。こうまでして侵入を阻まなければ何されるかわからないということなのか。

極めつけに、開店前のバーの入口はこう。こんな重たそうな…、施錠に難儀しそうな極太チェーン…。こんなの初めて見たわ…。
物理的に侵入を阻止するために、人はどこまで努力を重ねなければならないのだろうか。ここまでしてもダメな時はダメなんだろう…。

そしてトイレの鍵はホテルでもなんでも軒並みこれだ。元の鍵が壊れてしまい、後から簡素な丸棒貫抜錠を取り付けてある。
鍵に対する意識が高いのか低いのか。スペイン人は元の鍵を直そうとは思わないのか、はたまた鍵と見れば老若男女問わずガチャガチャガチャガチャ壊れるまで回してみたくなる性質なのか。
物理的な鍵と心理的な鍵、どちらが有効なのか。心に鍵をかけやすいからこそ日本人は生きづらいのか。キリスト教やら西洋の宗教は自己内省や抑制は教えないのか、西洋では性悪説が根強くて基本的に人間を信用しないのか…。

西洋で鍵を見つめてぐるぐる考え、思い出すのはやっぱり「沈黙の艦隊」。