君拾帖

すきなことだけてきとうに

閑かさや

「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」

というあまりにも有名な芭蕉の句を、先生がカツカツと音をたてて黒板に書いて、「なぜ蝉がやかましく鳴いているのに、“閑か”なんだろうか」と問うてきたのは、高校生の夏、それこそ蝉が鳴き始めるくらいの頃だったと思う。
言われてみればどうしてだか、言葉では説明できないけれどその光景も蝉の声もまるで自分が見ているかのように鮮明に想像できた。

あれから随分時がすぎた今でも、やっぱりうまく言葉にできないけれど、よくわかる、ような気がする。
詩人の大岡信は下記のように述べており、NHK 100分de名著の中で俳人長谷川櫂も同じ内容の説明をしている。

芭蕉秀吟中の秀吟。断続するサ行音が、日本詩歌の鍵ともいえる「しみ入る」感覚、その澄明幽遠さを表現する。蝉が鳴きしきっていても、その声のかまびすしさがきわまる所には浄寂境そのものが出現するという宇宙観。
                  大岡信ことば館より

「宇宙観」と言われるとなんだか大きなことになりすぎて、イマイチ掴みきれないけどそうなのか…。
ちょっと違うかもしれないが、将棋の羽生名人が昔、「集中したい時はパチンコ屋に行く」と、どこかで発言していて、あんなうるさい場所で!と驚きつつ、「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」状態なんだろうか、と妙に納得したことがある。
あれも宇宙観てやつなのかしら。

さて、昨日はサントリーホールでチョン・キョンファのヴァイオリン・リサイタルを聴いてきた。
聴いている間、今まで見てきた本当にいろんな、忘れていたような景色や瞬間が次々とイメージビデオのように頭の中をめぐるのに、そのどれもが耳鳴りがするくらいに無音で、音楽を聴いているのに音のない風景を感じているってなんて不思議なのか、幸福なのか不安なのか、よくわからないまま胸がいっぱいになった。

それで、あの句を思い出してしまったのだ。
「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」

蝉がうるさく鳴いているはずなのに、ヴァイオリンは鋭い音をたてているのに、恐ろしく静かで孤独で、がらんとした白い部屋みたいな、ひんやりした石みたいな、そんな感じを。

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