ウィーンはいつもウィーン

小学校高学年になると音楽の授業は音楽室に集められて、月に1度はレコードでクラシックを聴く音楽鑑賞があった。ドキドキしながら音楽室に行って、最初の音楽鑑賞はヨハン・シュランメルの「ウィーンはいつもウィーン」だったと思う。
変なタイトル、というのが感想だった。ウィーンがウィーンじゃない時があるのかよ、と。そんなことばっかり気になって曲自体はあんまり覚えていない。

Marsch Wien bleibt Wien!
こんなだったっけね。
大人になっていろんな経験を重ねると、なんとなーーーーく、このタイトルの意味が慮れるようになる。実家はいつも実家、みたいな。久々に帰った時の安心感と、実家ってマジで昔から実家だな!みたいな驚きや呆れや嬉しさ。

だが、語りたいのはそんなことじゃない。猫のうんこの話だ。うんこはいつもうんこ、ということだ。
久々に猫を飼うことになったとき、まず調べて驚いたのは猫のトイレのことだ。昔、猫を飼っていたときにはなかった「システムトイレ」なるものがこの世に誕生していた。システムトイレ!

このタイプのトイレは2段式になっていて、上のすのこにヒノキ等のチップを入れ、うんこはチップの上に残る。おしっこはチップとすのこを通過して下のトレーに落ちるが、トレーにはおしっこシートがひいてある、という物だ。
謳い文句は「掃除が断然に楽!」「シートは1週間交換不要、チップは減った分だけつぎ足せばOK」「強力脱臭で匂わない」ということ。
はあ~、時代はずいぶん進化したのだなあ。昔みたいに固まるおしっこ砂がメインではないのだな。猫飼い先輩の友人も使用しているというので購入した。
確かにおしっこはにおわないと思う。すごい。高いだけある。が、うんこは違う。うんこの存在感。曲がりなりにも猫は肉食だ。久々に匂いをかいでオウ!!となった。
システムトイレは匂わないのではなかったか。使い方が悪いのか、と疑問にも思って調べた。使い方はあっている。
うんこのたびに毎回、オウ!と思いながら片づけて、猫には「うんこ泥棒!」とでも言うような目で見られる日が3日も続けばいい加減悟る。
現代の技術をもってしても、うんこを無臭にすることは不可能。うんこはうんこ。うんこが匂わなくなったら世も末だ。うんこは臭くてあたりまえ。
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朝、家を出て12時間後に帰宅すると、もう玄関を入っただけでわかるうんこの香り。成長とともにうんこもどんどんデカくなる。しかも二匹分だ。山盛りのうんこ。充満するうんこ臭。
この冬の間、私はどんなに寒くとも帰宅するなりすぐに窓を開け放ってきた。そしてコートも脱がぬまま、まず猫に餌をやり、大人しくさせておいてトイレ掃除に取りかかる。うんこを回収し、おしっこシートを交換する。1週間持つおしっこシートは高価な上に、1匹なら1週間もつが2匹では無理だ。それで安いシートを毎日交換することにした。
トイレがきれいになった頃、空腹も一旦落ち着いた猫たちが、追いうんこにやってくる。もう奴らの行動パターンはお見通しなので、私はちゃーーーんと待機しているのだ。そして追いうんこも回収後に掃除機をかける。

毎日の事なのでさすがに彼らももう掃除機を怖がりもしなくなった。
掃除機をかけ終わってから初めてコートを脱いで着替えるのだ。これが俗に言う「猫様の下僕」ってやつだな。まあしょうがない。
なにしろうんこが片付かなければこちらも落ち着かないのだ。
うんこの残った尻を壁にすりつけられることもある。お尻にうんこをぶらさげたまま部屋を歩き、そこらでポロリと落としてきたこともある。ゆるいうんこを踏みつけたその足で床を歩かれることも、ゆるいうんこをじゅうたんにすりつけられたこともある。

だからこそ、目の前でうんこをされたらすぐに片づけることにしている。「よしわかった!あとはお任せあれ!このワタクシ目に!」と。
そしてうんこの様子には常に注意を払っている。
うんこはいつもうんこ。それは真実であって真実ではないのだ。毎日違う。ゆるければ何が悪かったか考える。硬くてもまた考える。色味を見ても考える。仕事中もふとした隙に会社のパソコンで「猫 うんこ」などと検索する。
時折ハッと我に返る。なぜこんなにもうんこの事ばかり考えているのかと。それも猫のうんこだ。
ワクチン接種も去勢も終わり、投薬期間もすぎ、最近うんこも落ち着いてきた。
「いいうんこできたね~」と、ムツゴロウさんか岩合さんのように猫に声をかけたりする。
いい日も、悪い日も、毎日うんこを見続けてきたからこそ、今私は思うのだ。
「うんこはいつもうんこ」
うんこって本当にうんこだな!その安心感、驚き、呆れ、若干の滑稽さ。
そして生きていることの実感。

息を呑む日々

昔、劇団で働いていた頃、千穐楽間近の公演のチケットを予約したお客様にこう聞かれた。
「当日はビデオ撮影してもいいですか?」
いやいや、ダメです。ダメ!何言っちゃってるのかしら、とお断りしたらお客様はちょっとお怒りで言った。
「もうすぐ千穐楽で終わっちゃうんですよね?ビデオ撮らなきゃ二度と見れないじゃないですか!!」
…そうね、そうですね。でもダメです。舞台とはそういうものなんです。一期一会だからねえ、なんて同僚たちと笑いあったけれども、あの時は一期一会の意味なんて全然理解していなかったな、と今になって思う。


ミシェル・ルグランも亡くなった。樹木希林も浅利先生も逝ってしまった。大杉漣市原悦子かこさとし菅井きんも。加藤剛もジバンシイも梅原猛も衣笠も。みんなみんな死んでしまった。
そんな訃報を目にするたびに息を呑む。そろそろかな、と覚悟はしていたって、パソコンの画面の前で「え!!」と声をあげて固まってしまう。
ちょっと前までは「もう誰が生きているか死んでるかわからなくなってきちゃった」と笑っていた。森繁久彌が亡くなったとき、久彌が死んだことだけは覚えておこう、と思った。
でももう、なんだか、生きていても死んでいてもそれで構わないような気さえしてきた。
いつだって何度だって思い出すし、死んだということさえ忘れてしまうし、昔の映画を見たり本を読んで、毎回感銘を受けたりする。それでいいわ、と思う。
それでも、時折ふと、最近見かけないあの人はお元気かしらと思うし、「生きてるうちに会っておかねばな」とも思う。
それで先日は久々に谷川俊太郎の講演会に行ってきた。
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お元気で良かった。昔、講演会で見かけたのと何も変わらないような気がしたけど、きっと本人的には大きく違うだろう。駄菓子屋のおばあちゃんが昔からおばあちゃんだったような気がするけど、自分が子供のころ、あの人まだ40代、みたいなもんだろう。
谷川俊太郎は言っていた。
「小学校に講演に行くと子供に『生きてる!』って驚かれる」と。
子供にしてみれば、教科書に載ってる作品書くような人はみんな死んでいると思うだろう。その気持ちもわかる。
でもきっといつか、本当に息を呑む日がやってくる。

あたしとあなた

あたしとあなた

装丁の美しい詩集を買ってサインをいただいて帰ってきた。
もし、いつか息を呑む日がやってきても、作品が残っているから、生きていても死んでいてもいいような気がする。もし亡くなっても生きている時と同じくらい何度だって詩を読んで胸を打たれるだろう。
そういう意味で、映画や文学は残っているからいいな、と思う。舞台は違う。
11月に友人とミュージカル「CATS」を見てきた。

CATSを見るのは10年ぶりくらいだ。演出もずいぶん変わっていた。それで友人と「あの時のアレが」「あの人のグロールタイガーが」なんて話をずっとしながら、「もう二度とあのキャスト、あの日のあの舞台をみることはできないんだな」と痛感した。退団した俳優、亡くなった俳優、亡くなった演出家…もし生きていたって、毎日同じ舞台は二度とない。
それが一期一会ってことだったんだなあ、と思う。
舞台の感動、というのは見ている間に興奮して息を呑むことでも、終わった後にしみじみ良かったとため息をつくことでもなく、もしかしたら、何年も後に「あの日のあれ」と思い出して、そしてもう二度とそれが訪れないということにハっと息を呑むことなのかもしれないな、と思う。

残るもの、残らないもの、そうしてみんなそのうちいなくなる。

Sea and Sky

前述の通り、猫が来てからひきこもりなので、テレビばかり見ている。
もうNHKの虜だ。あとAmazon Prime
正月休みもどうせ家から出やしないだろうと、FireTV stickも買った。

Fire TV Stick

Fire TV Stick

正月休み前、まわりの友人たちがこぞってAmazon Primeの1か月トライアルに加入しだした。そしてある者は昼休みに職場でファーストガンダムを延々見ていたし、ある者はプロジェクトXを見て涙していた。
そんな友人たちに、家族に、私は必ず「空海を見て!」と薦める。
大概みんな言う。「ああ、去年だったかにやってたなんか中国の?」

違う!!北大路欣也の!!!欣也の「空海」よ!

空海

空海

え?北大路欣也?、とみんな驚く。いいから見ろよ。見るがいい。
古いフォントにも驚くだろう、この映画が文部省選定であることにも、見ながらドキドキするだろう。
豪華キャストにも驚くだろう。
キャスト
空海北大路欣也
最澄加藤剛
薬子:小川真由美
玉寄:上月左知子
真魚:松岡章夫
真魚の兄:立花一男
橘逸勢石橋蓮司
藤原葛野磨:成田三樹夫
石川道益:大場順
菅原清公:伊東達広
高階遠成:大林丈史
藤原縄主:滝田裕介
式子:菱谷広子
藤原仲成:原田樹世士
伊豫親王:佐藤仁哉
真如:宮崎達也
泰範:佐藤佑介
智泉:福田勝洋
実恵:御木本伸介
勤操:伊沢一郎
徳一:辻萬長
永忠:菅貫太郎
悦々:室田日出男
房女:真行寺君枝
平城天皇中村嘉葎雄
嵯峨天皇西郷輝彦
佐伯田公西村晃
桓武天皇丹波哲郎
阿刀大足:森繁久彌

北大路欣也も素敵だが、加藤剛も最高だった。小川真由美、素晴らしい。個人的には室田日出男が出てるともうそれだけで得した気分。
壮大な中国ロケも行われる。おかげで、奈良の薬師寺平山郁夫の絵を見たときに「これ空海で見た!!大雁塔!」と懐かしい気持ちにさえなった。
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Wikipediaによると公開前の東映宣伝部は「マッコウ臭い宗教映画としてではなく、日本版『十戒』、『ジーザス・クライスト・スーパースター』として見て頂きたい。」と言っていたらしい。
正にそれ。とにもかくにも見てほしい。

…と布教活動の如く周りに薦めまくったので、年末年始は友人たちから続々と空海の感想が寄せられ、それを聞いてまた空海を見る、というような有様だった。
音楽もすごい。
交響詩ツトム・ヤマシタ "Sea and Sky”」
新垣さんみたいなタイトルセンスの人って、結構いるんだな。

新垣 隆:交響曲 《連祷》 -Litany-

新垣 隆:交響曲 《連祷》 -Litany-

新垣さんがマネたのかもしれないけど。

人に薦めると、人からもお薦めをいろいろもらうので、柳生一族の陰謀砂の器を見たり。「何者」という日本映画やララランドも見た。
今は「エレメンタリー」という海外ドラマにハマっている。シャーロック・ホームズアメリカ版。
そんなわけで、テレビ見て、Amazon Prime見て、すっかりテレビ漬け。
昼寝中の猫にも呆れた眼差しを向けられる日々。…春になったら外に出るよ…たぶん。

飼い猫が鳴くので

猫を引き取ることに決めたのは9月の終わり。
10月の頭にはシンガポールに行ってきた。

やっぱ暑い国はいいな。いろんな文化が混ざり合ってるのもいい。イスラム寺院ヒンズー教寺院、仏教寺院が混在している。また絶対来ようと心に誓ったが、その「また」は訪れるのだろうか。

11月は台湾に行く予定だったがキャンセルした。キャンセル料はギリギリ発生しないタイミングだったので良かった。
12月末に蔵王樹氷を見に行こうと思っていたがキャンセル。これもキャンセル料なし。
問題はゴールデンウィークに行く予定だったマルタ島だ。
9月頭、来年のゴールデンウィークは10連休、という噂を聞いて速攻で予約してしまった。
マルタ島で、岩合さんの如く地中海を眺めながら猫をなでて来ようと思っていたのだ。
予約時、キャンセルできないと書いてあったが、災害でも来ない限り行くだろうと思って予約した。

だが、猫が来る。
よりによってこのタイミングか…。
もちろん猫を飼いたいとは思っていた。近所の野良猫をストーカーの如く追いかけたりもした。周囲の猫飼い友人たちにも「猫いいなあ、いいなあ」と言い続けてきた。
しかし今か!!

まるで、いつかは結婚する予定でいた彼女に「子供ができたの」と言われた男の気持ち…。
「嬉しい、もちろん嬉しいけど、今なのか…」みたいな。そんな気持ちをハッキリ理解してしまった。

そして生後2か月のニャンコがやってくる。もうカリカリも食べれるし、お留守番も大丈夫じゃない?とは言われてたけど、私が仕事に行っている間12時間留守番させるのが不安で不安で、猛ダッシュで帰宅した。
ともかくあまり留守番させてはいけないと、夜に第九を聞きに行く日は有休をとって、昼間は猫についていた。
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年始、会社で舞の海の講演会があり、どうしても参加したくて帰宅が21時半になった。
もう、講演会の途中から猫ばっかり気になっていた。ともかくシリコン入れた話が長いのだ。シリコン、もういいから!!猫まってるから!!
ダッシュで帰宅して、猫に詫びをいれ、いつもよりいいご飯をあげた。

だいぶ猫との生活ペースも落ち着いてきたが、週末2日続けてでかけようものなら猫からクレームが入る。
「うう~~~ん、もう~」みたいな鳴き方をされるのだ。お前は飲み屋のホステスか!
しかしこちらも飲み屋の客の如く「ははは、うい奴め」と鼻の下を伸ばす。

そんな日々の中で、私は決意しましたよ。
もうゴールデンウィークにマルタへは行かない。
どうせ、マルタで猫に出会っても、自分の猫が気になってしまう。
マルタ島の滞在費、オプションツアー費、猫預ける費用、等が追加されることを考えたら、これ以上のお金をはらってまで「猫が気になってあんまり楽しめなかった旅行」をする意味がない。
ダメ元でルフトハンザに電話で問い合わせをしてみたら、詳しく計算しないとわからないがキャンセル費用を払ってキャンセルできるとのことだった。
宿泊と合わせて29万円のうち、21.5万は返ってきた。良かった…。ありがとう、ルフトハンザ。

飼い犬が手を噛むので/筋肉少女帯
飼い犬が手を噛むので、私ここで帰ります!

飼い猫が鳴くので、私旅行へは行きません。
飼い猫が鳴くので、私週末に二日続けて出かけません。
飼い猫が鳴くので、私すっかりひきこもりです。
飼い猫が鳴くので、このところ動物園にも行けていません。行きつけの埼玉の動物園のコアラ舎の工事も終わったのに。

猫はもしかしたら「うぜえ、まだ出かけねえのかよ、バタバタうるせえよ!」とか思ってるかもしれないのにな。

可愛いだけじゃダメかしら

あれは9月の3連休。友人から子猫団子の写真が送られてきた。
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友人は行きつけの動物病院で保護されていた、生まれたての子猫4匹を引き取ることにしたらしい。
オス2匹、メス2匹。
毎日猫の話を聞くうちに、どうしたことでしょう。オス猫2匹を私が引き取ることになった。
猫がいてくれたらいいのに。そう思うことはしょっちゅうあったけれど。
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以前に飼っていた猫は女を作って出て行った。彼にとって私は全然いい飼い主じゃなかった。仕事が忙しくて余裕もなくて、怒ってばかりだった。
また同じことを繰り返すんじゃないかという不安も大きかったし、今から生き物を飼う責任を負えるのか、死に水とれるのか、というのも自信がなかった。

10月、仙台の友人の家まで猫に会いに行った。
…可愛い。…小さい。…不安。…でも可愛い。
大丈夫だよ、なんとかなるよ。賢い子たちだし、という友人の声に励まされながら、11月ついに我が家に猫が2匹やってきた。
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大変可愛い。可愛いけれども。
夜の大疾走に悩まされ、眠りは浅くなり、様々ないたずらに翻弄され、だんだん余裕がなくなってくる。
こちとら、長らく気ままな独り暮らしをしてきたのだ。他の生き物がいる生活には慣れていない。自分のペースを崩されることにとても心が狭くなっている。
12月のある日、羽毛布団におしっこをされ、私の心はポキっと折れた。
「どうしてこんなひどいことするのよ」と猫を前に号泣。猫は不思議なものでも見るかのような顔をしていた。
それから数日、子猫を相手に大人げなく無視したり、そんな自分を自己嫌悪したり。
可愛いだけじゃ暮らせない。人間の男が相手でも猫が相手でも、ほかの生き物と暮らすってことはいろいろとめんどくさい。

お正月休み、ようやく私も猫もお互いのペースをつかんでうまくやれるようになってきた。
まだまだ子供の猫なのに、こっちに合わせてくれて申し訳ない、猫の方が私よりよっぽど柔軟性あって賢いわ。
そうしてしばらくたったら、自分のテリトリーに猫がいること、猫にいたずらされることにも慣れてきて、あれこれ譲歩できるようになってきた。

猫と暮らし始めてもうすぐ3か月。
可愛いだけじゃ一緒に暮らせない。
そう思っていたけど、結局可愛いだけでなんでもよくなってくる。
お風呂場も、台所のテーブルも、もはや猫の手に落ちた。そのうち押し入れもトイレも陥落するだろう。
それでいいのだ。だって、可愛いは正義だもの。

扉の向こう側

昨今では宅配便を装った殺人事件などが起こる物騒な世の中なので、簡単にドアを開けてはいけないなんてよく言われるんだけど、ドアチャイムが鳴るとついうっかりインターホンも使わずにハイハイとドアを開けてしまう。ビールなんか飲んで上機嫌なら尚更だ。
そんな訳で、3月の終わり、新聞屋につかまった。朝日新聞

完全保存版 高校野球100年

完全保存版 高校野球100年

高校野球ファンなもので、朝日新聞には分が悪い。
「今センバツ開催中なんですけど、これはうちと毎日新聞の共催なんですよー」
…知ってる。
「夏はウチの単独主催で、今年は100回記念大会なんです。」
…もちろん知ってる。
「3ヶ月だけでもいいので購読してくれませんか。紙面も野球に力をいれていきます。購読して頂くと、その分何割か、神奈川の野球部にボールを寄贈したりすることにもつながるんです」
…くっそーーーー…。そんなこと言われたら、ぐらっとくるじゃんか。
ダメ押しに、人体展と山種美術館ベイスターズのチケットくれたので、もうしょうがない。3ヶ月購読することになった。そうして届く新聞を読んで、あれこれ度肝を抜かれる。
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まず、折込チラシの中にまぎれる「定年時代」という地域情報誌。なんてタイトルだよ!!
地元の老人たちが老いてなおイキイキと過ごす様などが書かれている。「封印されたヨーデルの復活」とか。
…なんなの…?
折込チラシも墓だの介護だの。新聞紙面の広告もヤバい。
「自分の力で歩く!!本当に信じられるサプリを見極められるか!!上り下りも自分らしく。90才、ジョギング大会が楽しみ!」
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すごい迫力で薦められるオオイタドリサプリ。
その他、セサミン、コンドロイチン、キューピーコーワゴールド、ハズキルーペ。
また、朝日新聞の「4月から紙面を刷新する」旨のお知らせ欄には「若い人の声もたくさん!」などと書かれ、投書欄には「僕は13才です」だの年齢アピールから始まる、ちょっとイヤらしく狙った感のある「若者の主張」が連日並ぶ。
あまりのことに目眩を覚えつつ、しみじみ実感した。
「今、新聞読んでるのって本当に高齢者だけなんだな…。読者層に応えようとするとこうなるんだな…」
まるで老人ホームの扉をあけたような気持ち…。

細面歴写送後詳細

小さな求人欄にはこんな暗号も並ぶ。
大昔、祖母が言っていた。
「おばあちゃんね、若い頃、仕事探そうと思ったんだけど、何見ても「細面」って書いてあるからね、細面じゃないとダメかしらって鏡を見てずっと悩んでいたの。でもあれ「委細面談」の略だった!」
祖母からあの話を聞いていなかったら私は上記の暗号を解読できなかったことであろう。
祖母の若い頃から今にかけて、変わらぬものがこの新聞の紙面にあるのだな。「紙面の都合上」「紙幅の都合上」っていう言葉が、今尚リアルに存在するのだな、ここには。
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もう、驚きを通り越して、不思議な気持になってくる。なんだか生きている世界が全然違うみたい。パラレルワールドみたい。ニュースやネット記事とはまた少し違う角度のアプローチや書き方なので、書かれていることが本当に今の世の中のことなのかどうなのかもわからなくなってくる。

山極寿一×鎌田浩毅 ゴリラと学ぶ:家族の起源と人類の未来 (MINERVA知の白熱講義)

山極寿一×鎌田浩毅 ゴリラと学ぶ:家族の起源と人類の未来 (MINERVA知の白熱講義)

そんな中、一番楽しみにしているのは紙面の下にある、本の宣伝ページだ。世の中にはこんな奇妙な本があるのか、と驚くような本の紹介がたくさんある。こればかりは「新聞でしか知ることのできない情報」のような気がする。キャッチコピーがたまらなく面白い。
「霊長類学の第一人者にして京大総長、異色の火山学者と大激談 『ゴリラと学ぶ』」
すごい。なぜ火山学者とゴリラの話をするのか。もう読みたくてたまらない。
歎異抄をひらく

歎異抄をひらく

「なぜ、無人島に一冊もってゆくなら歎異抄なのか。何が、心の支えになるのか」屎尿・下水研究会なんて会がこの世にあるとは知らなかった…。非常に興味をそそられる。
家主と地主 2018年 05 月号 [雑誌]

家主と地主 2018年 05 月号 [雑誌]

「家主と地主」
こんなドストレートなタイトルの月刊誌が世の中に出回っていたことも知らなかった。

扉をあけると新聞屋がいた。そして新聞という扉の向こうには老後の世界が広がっていた。マニアックな本の世界も広がっていた。もはや指を舐めなければページがめくれないという、我が身の老いも教えてくれた。
いやあ、勉強になるなあ…。でも3ヶ月でいいや、ホント。
この扉の向こうはまだ早い気がする…。

曲がり角ごとの驚き・25~苦難に耐えて~

以前、別ブログでこんな記事を書いたけれど、人間ジブリが出たら本当に危険な状態だと思う。

よしながふみ「1限目はやる気の民法」より、司法試験に失敗して精神を病んでしまった先輩の台詞。何度見てもゾッとする。やばい。
前のブラックな職場で徹夜明けの先輩がナウシカ・レクイエムを歌っていたのも怖かった。

木更津キャッツアイ 5巻BOX [DVD]

木更津キャッツアイ 5巻BOX [DVD]

宮藤官九郎脚本の「木更津キャッツアイ」の中でも、阿部サダヲ山口智充が「どうだ、女にフラれた時はジブリに限るだろう」「…なんかすいません」と二人で泣きながらジブリを見続けるシーンがある。
よしながふみ作品ほどではないが、このやり取りをみても、やはりジブリ作品にはなにかしらの廃人ベクトルがあるのだな、と実感する。ディズニーには決してない何か。
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まあ、人魚姫すら無理くりハッピーエンドにせざるを得ないディズニーにもそれなりの狂気は潜んでいるのだろうけども。
人間、生きているといろいろあるから、いろいろ乗り越えないといけないから、大人になればなるほど、それぞれの乗り越え方があると思う。ジブリまではいかなくとも。
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羽海野チカハチミツとクローバー」の中で、いろいろ訳あり女性のリカさんは気づくとぼーっと小樽のライブカメラを眺めている。帰りたいけれどなかなか帰る勇気の出ない場所。
それに気づいて強行突破してくれる若造…という形で物語は進むけれど、実際の人生だったらそんなことないかもしれない。10年も20年もライブカメラを見つめるだけかもしれない。
それでも、その事でまだもう少し頑張れるなら、それでいいと思う。
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最近気づいたけれど、私、冬はやっぱり気が滅入るみたい。2005年や2006年の冬は、毎日夜中に駒大苫小牧高校の甲子園の試合ビデオを見てから眠りについた。
そのあとはWBCのビデオを繰り返し見て泣いたり、ライオンズが優勝した日本シリーズを毎晩見て泣いたりしてるうちに2回目のWBCが来て、ムネリンの神の手やイチローの決勝打やを繰り返し見た。それから震災があって、泣きながら漢詩を写経したり、盆栽をただただ眺めたり。ラグビーワールドカップの試合も繰り返し見た。夜毎あだち充の「H2」を読み返した日もあった。去年は疲れたらなんとなく、NHKBSでやっていた15分番組のコウイカを繰り返し見た。

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ねえねえ、なんかそういう風にさあ、疲れた時ただぼーっと見るもの、ある?と友人に聞いたら、またすごい答えが返ってきた。
「PCの検索窓に“秋田 雪かき”とか入れると、ただただ延々雪かきするだけの動画が出てくるの。ジョシュ!ザー!ジョシュ!ザーってね。それを延々見てる」
…なんでしょう、その、ジブリに近い狂気具合。
…そう…。そうなの…。そんな動画見てるまるちゃんに比べたら、私なんか全然疲れてないよ。私、元気だよ。
だって、雪かきの動画、見ようと思わないもの。むしろ見たくないもの…。
そんな話をした翌日。新聞で恐ろしい見出しを見た。

眞子さま(26)公務もう出たくない。憔悴の日々 心の癒やしは毒キノコ鑑賞
ええええええ!!!
ジブリまで行ってないとはいえ、えええええ!ナウシカの研究室みたいになってるじゃない、眞子さま!!
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26の娘が、夜な夜な毒キノコ眺めてそっと涙してるとか…。
あのね、眞子さま、人生いろいろあるけども、あれこれ言う人もいるけども、あなたの立場もあるかもしれないけども。
でも好きにしていいよ。好きな男と結婚したらいいよ。毒キノコ眺めて泣かなくてもいい。どうかジブリまでたどり着かないように。
私、あなたの幸せを祈っているからね。生きているといろいろあること、わかってるからね。
キノコ眺める日も、イカを眺める日もあるよね。でもまだ大丈夫だからね。ジブリよりかは大丈夫だからね!