何もかも皆懐かしい

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地球か…。何もかも皆懐かしい…。 by沖田艦長

相撲友達のつるちゃんは「日頃から相撲が好きだって公言してるとさ、誰かが余ってるチケット回してくれたり、『相撲と言えばこの人』って感じで声をかけてくれるんだよね。ありがたいよね。やっぱ言っとくもんだね」と言っていた。
私も公言していたせいか、1月にはくみちょうさん (id:Strawberry-parfait)が「大相撲カレンダーいりますか」と声をかけてくださり、ありがたく頂くことに。やっぱ言っとくもんだね。
横綱最後の大相撲カレンダー。日馬富士の勇姿にしみじみとする。ものすごく残念だけど日馬富士も、「懐かしい人」になってしまった。
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先日、会社で係長がうふうふ笑いながら誰かと電話をしているうちに「Tさんが行きますよ!ねえ、Tさ~ん」と声をかけてきた。
「週末どっちかヒマ?東京ドーム行く?巨人対楽天
え、何?オープン戦のチケットあるの?行きます!と即答。
会社が東京ドームに広告を出している関係で、時々このようにチケットが回ってくる時がある。やったー嬉しい。いやあ、本当に言っとくもんだなあ。
それで巨人ファンのいもこさん (id:xx_green-heuchera_xx)を誘って日曜日の東京ドームへ。オープン戦だからとナメていたけど、結構混んでいてびっくり。

いもこさんと二人で「井端カッコいいね~」とか言いながらお弁当食べてたら先発が発表されて、野上×岸だったのでまたびっくりして大興奮!こんな!ライオンズファンのためにあるような組み合わせって!!今日来て良かった!!

巨人のユニフォーム着た野上くんなんて初めて見たけれど、フォームや仕草は見慣れた野上くんで、なんだかもう懐かしいやら寂しいやらでちょっと複雑。

涌井くんに似てるってよく言われてたよねえ。ホントに似てる。涌井くんももうロッテに行ってしまったなあ…。

対する楽天の岸くん。すごい安定感で6回までノーヒットノーラン。そんな姿に2008年の巨人対西武の日本シリーズを思い出す。あの時の岸くんすごかったな。ライオンズの日本一が決まった第7戦を東京ドームの2階の端から見ていたな、ちょうどあの辺だったな。岸くんがみんなに胴上げされて、ものすごく高くまで飛ばされてたなあ…。あれから10年か…。何もかも皆懐かしい。あの時の勝利の立役者片岡くんも今や巨人のコーチ…。

岸くんと野上くんの対決も見れた。こんなの見れる日がくるとはね。喜ぶべきか悲しむべきか。


この人も出てきた。アイセイヤマグチユーセイシューン!ヤマグチシューン!

懐かしい人ばっかり出てくるのはヤクルト戦のお約束かと思ってたら、巨人戦も相当だな。陽岱鋼もいるし。

でも何よりこの人だ。まさか今日見れるとは思ってなかった。背番号が違うとは言え、東京ドームのマウンドに、巨人のユニフォーム着た上原がいるなんて、なんだかタイムスリップしちゃったみたい。

ああ、やっぱ貫禄が違うなあ。まさか戻ってくるなんて。


それから5日。昨日プロ野球が開幕した。
3回の終わりからテレビつけたらライオンズが8-0で圧勝してて「何がおきたのか」と驚く。オープン戦を見ていなかったのでなんだかみんなの顔が懐かしい。
ライオンズの背番号7は稼頭央。代打で出てきた。稼頭央がいるんだなあ…。栗山くんも代打で出てきた。すっかりベテランの顔をして。10年前の日本シリーズの時はまだ全然若手の扱いで「中島さんがー、片岡さんがー」って言ってたのになあ。時の流れは早いもんだ。

しつこく岸くんを貼る…
先発は菊池雄星で、解説の人が「今までは涌井さんや岸さんがいたので、自分はいなくてもいいかなくらいの気持だったけど、去年くらいから自分がやらなきゃいけないんだと意識が変わった」という雄星のコメントを紹介していた。
こうしてエースになっていくんだねえ。松坂くんがボストンに行った後の涌井くんも同じようなことを言って、すっかり見違えるエースになっていった。あの姿に「男の子ってすごいねえ、今まで子供みたいな顔していたのに突然見違えるほど立派な男になっちゃうんだもんなあ」と心底感動したもんだった。
松坂くんも日本に戻ってきたなあ。

ああ、何もかも皆懐かしい…。球春到来。

想像力より高く飛ぶ鳥

どんな鳥だって想像力より高く飛ぶことはできないだろう
                      寺山修司

ロング・グッドバイ 寺山修司詩歌選 (講談社文芸文庫)

ロング・グッドバイ 寺山修司詩歌選 (講談社文芸文庫)

何度も書いているが、うちの弟は高校受験の折にまるで勉強をせず、案の定高校に落ちた際、まるで新たな発見でもしたかのように「高校って本当に落ちるんだなあ」と呟いたし、無免許運転の車を他所の家の塀に擦りつけた際には「ゲーセンの車と本当の車って違うんだな」という名言を残した男だ。
「あの子は本当に想像力がない」「実際にそうなってみるまで、物事が理解できないのね」と、母と私は悲しい顔で語り合ったものだったが、実は自分もまったくあの子と同じで「実際にそうなってみるまで物事が理解できない」のだな、と今になってやっと気がついた。

子供の頃から、クラスの女子が「キャー!蜂!!」と逐一騒ぎ立てるのがとても不思議だった。今でもまだ「何故人はあんなにも蜂に大騒ぎするのか」と思ってしまうのは、幸いにも蜂に刺された経験がなく、蜂の怖さを知らないせいだ。心のどこかで「蜂に刺されるなんて、そうそうないでしょ」と思っている。
クラゲもそうだ。「クラゲに刺されてから海がいや」なんて話を聞いても「あんなフワフワのくらげちゃんが?」とどこか半信半疑でいる。「夏はヒルがいるから丹沢に行かない」という人の話を聞いていても「ヒルって何?そんなに人間に寄ってくるもの?」と怖さを実感できずにいる。

思えばインフルエンザのことだって最初はナメていた。「インフルって別にちょっとひどい風邪くらいでしょ?」
自分がインフルにかかって初めてその威力を思い知り、あれからはインフルを心底恐れ、毎年予防接種を受けている。
妄想力も想像力も持ち合わせているつもりでいたが、弟の何をバカにできようか。

先週は山友達のおじいさんとお姉さんと逗子の鷹取山へハイキングに行ってきた。山頂でお昼ご飯を広げた際、お姉さんはしきりにトビを気にしていたが、私はただ空を見上げて「なんて上手に飛ぶんだろうか」と感心していたのみであった。トビって本当に優雅に、ナウシカメーヴェみたいに上手に飛ぶ。
我々は全くトビに狙われなかったが、狙われそうになっている人もいた。「野菜ばっかりだったから狙われなかったのかな。タンパク質とか油ものが好きだから、そういうおかずだと狙われるんだよね」というお姉さんに「そうなのかー」としみじみ感心したものだった。

さて、本日私は久々に江ノ島に行ってきた。島内にはあちこちに「トビに注意」という看板があり、「うんうん、了解」と思っていたがお腹が空いた。リュックに入っているのはおにぎりとハムチーズサンドイッチ。
先週のお姉さんの「トビってタンパク質や油ものが好き」という言葉が一瞬頭をよぎりはした。でも、おにぎりよりサンドイッチが食べたかったのだ、私は。大丈夫だろうと思ったのだ。

そして食べ始めたら、すっかりトビのことなんて忘れていたのだ。

神奈川県のホームページにも注意情報が載っている。
「トビは、食べ物をねらって、後から飛びかかってきます。」
赤い太字でちゃんと書かれていたこの文章を、今なら心底理解できる。
奴は後ろからやってきた。そしてあの力強い羽で、私の顔を思いっきり引っ叩いて去っていった…。
一瞬何がおきたのか理解できなかった。引っ叩かれるのなんて何十年振りのことだか…。アムロの如く「殴ったね!!」と思えたのは、しばらくたってからだった。

これは吉田秋生のマンガ「海街ダイアリー」のワンシーン。読みながら「そうそう、あの辺の海はトンビに狙われる人多いんだよねえ」と他人事のように思っていた。

今ならわかる。このサンドイッチがどれほど危険な食べ物か。
鎌倉江ノ島付近にたくさんある「海の見えるレストラン」のオシャレなテラス席がどれほど危険な場所か。あれはトビに対してこのマンガの主人公たちの如くきっちり対処できる人間のみが座ることの許される席だったのだな。

夜勤明けに恋人と別れてボロボロになっていてさえ、トビと戦えるシャチ姉。いつかこうなりたい。

鳶に油揚げを攫われる
【意味】 鳶に油揚げをさらわれるとは、自分の大事なものや手に入れられると当て込んでいたものを、不意に横からさらわれることのたとえ。また、奪われて呆然としている様子のこと。
【注釈】 鳶は普段は悠々と空を飛んでいるが、ひとたび獲物を見つけると非常に素早く空から舞い降りて獲物をさらっていくことから。転じて、大事なものや当然手に入れられると思っていたものを、うっかりしているうちに突然横から奪われて唖然としている様をいう。

故事ことわざ辞典にはこう書いてある。
全く持ってこの通り悠々と空を飛ぶトビが非常にすばやく獲物を見つけて降りてきた。きっと大昔から、みんなこうしてトビに狙われ、あれこれ攫われて来たのだろう。
ツイッターで検索してさえ「トビにファミチキを奪われた」という報告がたくさんある。鳥なのに、鶏肉好き…。
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そんなのはコイツだけかと思っていた…。
こんなにもたくさんの警告があったにも関わらず、私はそれを自分の問題として捉えることができずに今日まで来た。なんという想像力の欠如。
私の乏しい想像力のはるか上からトビは私を狙ってきた。
戒めのように、私の顔には今、トビの羽による3つの傷がある。青痣になるかと心配になる程の衝撃で、若干出血もした。

でもな!それでも私はヤツにハムチーズサンドは渡さなかった!!だからイーブン。
…ええ、ええ、こんな言い訳、私には弟をバカにする資格もありませんよ…。

海街diary 3 陽のあたる坂道 (フラワーコミックス)

海街diary 3 陽のあたる坂道 (フラワーコミックス)

曲がり角ごとの驚き・24 逢いたくなった時に君はここにいない

あれは4才くらいだったかしら。風邪をひいて母と小児科に行ったら、小児科の入り口でペロペロキャンディーを舐めながら靴を履いている女の子がいて、私はそのキャンディーに釘付けだった。
帰ってから母に「何か食べたいものがあるか」と聞かれて「ペロペロキャンディーが食べたい」と行ったら「あの子が食べてたからでしょ」と見透かされていて、すごく恥ずかしかったのを覚えている。

不二家 ポップキャンディ袋 21本×6袋

不二家 ポップキャンディ袋 21本×6袋

ポップキャンディーって名前だったのか、あの不二家のペロペロキャンディー。

うちのアパートの下に自販機が2台あって、不二家の桃ネクターが入っていた。たまに無性に飲みたくなるあの飲み物。アパートの階段を降りさえすればいつでもあれが手に入るのだ、と浮かれていた時期がありました。。。
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うまく手に入れることが出来たのは1度だけ。その後、ふっつり姿を消したが、ある日戻ってきた。
「やっぱりね!なにげにニーズあるんでしょ」と調子にのってその時は買わなかった。
あー、疲れた!もうこんな時はヤケネクターだ!ネクター飲むしかない!!と自棄っぱちになった深夜、アパートの下の自販機にネクターの姿はなかった。
そのまま深夜の街を徘徊し、自販機を見かけるたびにネクターを探して、「あの先まで、あの先まで、コンビニまで…」と彷徨うもネクターは見つからなかった。

おのれ、不二家…なぜいつもそうつれないの?
昔住んでいた埼玉の田舎町には奇妙な形の不二家レストランがあった…というか、ファミレスと呼べるものは不二家レストランしかなかった。
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あの頃は「な~んか微妙…」と思いつつ仕方なく家族で不二家レストランに行き、なんだかあんまり信用出来ないままドリア食べてた。
なのに、あれから時が経ち、不二家レストランの存在をすっかり忘れた頃になって、見違えるほどきれいになったアイツに再会し、ウキウキトキめいてしまったりするのだ。
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ペコもすっかり垢抜けて今どきの女の子になっていた。私が小さかった頃、お前はしょぼい駅の踏切脇のしょぼい店舗で、妙に首が長く、なで肩の体に七五三の着物を身に着け、千歳飴をひきずっていたというのにね。
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手の長さもおかしいね、あなた。
私が18になった頃、不二家は「ペコちゃんのほっぺ」を売り出し大ヒットした。「流行りものなんて」と尖っていた10代の私があれを口にしたのはずいぶんたってからだった。頂きもので「ああ!これが例の!」と食べてびっくり。「これは…!人気があるはずだわ!おいしいわ!買いに行こう」と思った矢先、不二家食中毒騒動でペコちゃんのほっぺが販売休止になった。
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再び口にしたのは30になる頃。またしても人から頂いて「ペコちゃんのほっぺ、復活してたのか!!!」と驚いた。

さて、今日は久々に山友達のおじいさんとお姉さんと、お気楽ハイキングに行ってきた。
山頂でロッククライミングを眺めながらお弁当を広げたら、おじいさんがにこにこしながら「これ食べて」とお菓子を差し出してきた。
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「僕ね、最近これにハマっててね、山に行く時には必ず持ってくの。100円よ、100円。高いもんじゃないのよ」
それで二つもくれる。食べてみたら、甘すぎず、ふんわり軽くてとっても美味しい。うわー、美味しい!!これ、スーパーで売ってるんですか?と聞くとおじいさんは「不二家にしか売ってない。僕の家の近所は不二家いっぱいあるから」と仰る。
不二家不二家不二家、どこにある、うちの近所のどこにある…!すぐさまスマホで検索し、おじいさんに「何?今調べてるの?」と呆れられる。
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…ない…。不二家、ない…。
なぜ?どうして…。久々にペコちゃんのほっぺも買おうと思ったのに。

あーあ、今度伊勢佐木町でも行くかな…と思いつつ、帰宅後スーパー銭湯に行ってスッキリしたら、久々にアレがやってきた。あの「桃ネクターが無性に飲みたい病」が。
だが、こんな時に限っていつだって、うちの下の自販機に桃ネクターはない。それでまた夜の街を徘徊する。
昔のCMソングを頭の中でエンドレスに流しながら。
「ももももも もももももももも もも もも 桃ネクター 桃 桃 桃!」

…すごくハッキリ覚えているけど、もしやあれは幻だったの?youtubeではそのCMは見つからなかった。一番近かったのはこれだ。江川だったことは忘れていた…。
CMソングさえ見つからない…。そしてもちろん、今夜、不二家ネクターも見つからない。幾多の自販機を渡り歩き、コンビニを覗いても。

いつも必要なわけじゃない、甘ったるい気分じゃない、と邪険にしてしまう時もある。
でもないと困る。
時々無性にお前に甘えてしまいたくなる。
ママの味の優しさに「これが必要だったんだよ!」と泣いてすがりたくなったりもする。
なのに、逢いたくなった時に君はここにいない。
それが不二家。どんな魔性の女だよ、このやろう!

ONCE IN A LIFETIME

今はもうずいぶん安い値段で眼鏡を購入できるお店がたくさんあるけれど、ちょっと前までは全然そんなことなくて、眼鏡やらコンタクトなんて買おうと思ったら5万は覚悟しなければならなかった。

眼鏡男子、ていうか眼鏡力士ぬすくぐ。錦木
近所に「ものっすごい慇懃な南こうせつ」みたいな店長と、GLAYのJIROみたいなトガった兄ちゃんのいる眼鏡店があって、家族全員目の悪い我が家はずいぶんあの店にお世話になった。
店長はまあ、本当に気持ち悪いくらいの慇懃さで「お名前様頂戴できますか」などと言うので、我が家では「お名前様」と呼ばれていた。
ある日母がゲラゲラ笑いながら言う。
「今日、お名前様のとこ行ってきたんだけど、あの人本っ当に口がうまいわねえ。あなた白髪のことなんていうか知ってた?『おぐしにシルバーが』だって!!!」
それで「シルバー!!」と母と笑いあった後、「いや、勉強になるねえ」「いろんな言い方があるねえ」「それでお客様が気持ちよくなったり、面白がったりするなら、そういう言い方もアリだねえ」「どこでああいう言い回しを勉強してきたのかねえ」としみじみ感心した。

『四角四面は豆腐屋の娘、色が白いが水臭い。四谷赤坂麹町、ちゃらちゃら流れるお茶の水、粋な姐ちゃん立ちションベン、ってなどうだ!!』
寅さんの啖呵売もそうだけど、まあ、人間うまいこと言われたら、なんだかその気になってしまう部分はある。別に自分を褒めてくれなくとも、話が面白かったら、話芸に感心してしまったら、その通りだなあなんて思ってしまったら、ついフラフラと。いらない鍋でも、別にほしくなかったゴム紐でも買ってしまったりもする。
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さてさて、2018年も始まったばかりなのに、もう来年2019年のラグビーワールドカップのチケットが発売だ。去年もおととしもかえる姉さんと「絶対見たいよね」「チケットとれるかな」と話し合ったが、いざ発売が近づいて値段を見るとビビってしまう。
なに、国際試合ってこんなに高いの?予選4試合セットのA席が14万円ですってよ!!マジで!?二桁万円?
サッカーのワールドカップもこんな値段だったんだろうか。2020年の東京オリンピックもこんなものすごい値段なんだろうか…。
ガタガタ震えながらかえる姉さんに「ど、どうする?高すぎてヤバい」とLINE。
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「ヤバいね…でも南アフリカ×ニュージーランド、魅力的だよね…」
「海外旅行だと思えば、頑張れるんじゃない?」
…確かに、いつかニュージーランドラグビー観戦したいと思ってはいた。それを思えば宿泊なし、自宅から1時間もしない場所でラグビーの最高峰の試合が見れるなら、妥当…?
ぐらぐらと揺らぐ気持で何度も何度もチケット購入サイトを凝視した。チケット購入サイトにデカデカと書かれたスローガンはこれだ。
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なんて力強い…。
確かに言われてみれば、生きてる間に日本でラグビーワールドカップが見れることなんてもうないだろう。もしもう一度めぐってくることがあったって、その時自分が元気でいるか、お金があるかもわからない。
…最近何をするにもそんな風に考えるようになってきた。「気力のある今のうちに、体力のある今のうちに、とりあえずお金のあるうちに、やりたいことはやっておかないと」
もしかしたらこの先に「あの時のお金があれば…」と涙ながらに後悔する日がくるかもしれないけれど、少なくとも「あの時やっておけば」「あの時勇気を出していたら」とは思わずに済む…
も~う、うまいこと言うな~。畜生、ありきたりと言えばありきたりだけど、そんなうまいこと言われたらその気になっちゃうよなあ…。

そんなワケでかえる姉さんと「よし!一生に一度だよ!!申し込もう!」と二人揃って勇気を出して申し込んだ。
チケットサイトは「ワールドカップのチケットは世界が相手の争奪戦」とまで煽ってくる。勢いのままに、勇気を出して申込んだけど、心のどこかで「抽選はずれたら、ちょっとホっとするんだろうな、お金払わなくて済むし」とも思っていた。
…それなのに…抽選が外れた日、自分でも意外なくらいガッカリしていた。「ああ、見れないのかー、テレビで見るのか…、一生に一度なのになあ。せっかく勇気だしたのになあ」
もうすっかりあのスローガンに洗脳されて、行く気満々でいたのだ。あーあ…と思いながら洗濯物をたたんでいたら、かえる姉さんから「とれてた!」との吉報が。
キャーーーーー!!一生に一度!!!一生に一度のラグビーワールドカップ!!!

浮かれた勢いのまま、姉さんはすぐさま2人分28万円のカード決済を済ませ、私は次に会う時に14万円持参の約束をする。そして恐ろしいことに私たちは言うのだ。
「ユニフォームも買わなきゃねえ」
「決勝戦も横浜開催だからさー、見たいよねえ!」
勝戦のチケットはA席10万円…。目眩がしそう…。でもきっと大会が近づくごとに「あー、幾ら払ってでも決勝戦が見たかった」「チケット買っておけば良かった」とか思うんだろう。だんだん「ワールドカップなら10万くらい普通でしょ」とか思うようになるんだろう…。
2015年イギリス開催のワールドカップのチケッティングスローガンは「Too Big to Miss」だった。「見逃すにはあまりにデカすぎる」…ああ、ああ、そうでしょうとも。そして「一生に一度」でしょうとも…。
そんな言葉でついついその気になってしまって、今では思っている。「4試合も見れて14万なんてお得!!」…自分が怖い…。
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「アリとキリギリス」のキリギリスだな、って人は言うだろう。耳障りのいい、お上手なセールストークに簡単に踊らされちゃってさ。
でも後悔なんかしていない。むしろとっても楽しみにしている。だって一生に一度だもの!
…さて、頑張って働くか…。

Memento Mori

ある日、友人から相次いで連絡が来た。前の会社の営業さんが急に亡くなった、死因は不明だと言うのだ。
「Sさん、結婚してたよね」「辞めてからはどこどこで働いてたらしいよ」「山に登るみたいだから、山で何か事故があったのかしら」
そんな事をひとしきり話した後でも、まだ延々と考えてしまう。事故なのか、病気だったのか、自ら死を選んだのか…。
そうしてあれこれ考えて愕然とする。なんてたくさんの「死ぬ理由」があるのかと。
「生きる理由」「生きる意味」を誰もが探し求めていると言うのに、死んでしまう理由はいくらでもある。

そう思ったら、今この世界にいる人は自分も含めてもうみんな、「偶然今日も生き延びているすごい人達」なんだな、とまたしても愕然とする。
それなのに「生きる理由」なんて考えてしまうのは、まるで当たり前のように生きていられるからなんだろう。

岸辺のアルバム DVD-BOX

岸辺のアルバム DVD-BOX

なんだか突然、各所で評判の高い、山田太一脚本の昔のドラマ「岸辺のアルバム」が見たくなって、今月だけTBSオンデマンドを契約して見た。
1977年のドラマで背景は1974年の多摩川水害だ。今とは言葉使いも結構違うし、何より戦争の記憶の強い人が多くいた時代で、息子役の国広富之は父親役の杉浦直樹を激しく糾弾する。
「父さんの会社が何をしているか知ってるか、自衛隊の小銃の受注や輸入を請け負って人殺しの手助けをしているんだ!」と。
杉浦直樹はそんな仕事をしなければならないことに苦悩している。
戦争が終わって30年たっても、まだ戦争の記憶が生々しくて「生きていることが当たり前でなかった時代」が近かったんだろう。
今、自衛隊の小銃の受注云々の話を聞いても、正直言ってそんなに衝撃を受けない。本当は衝撃を受けるべきことなんだろうけれど。「日本で使うわけじゃないから」「自衛のためだから」「有事のときしか使わないから」
でも、きっとどこかで誰かは死んでいるだろう。銃を持ってどこかへ行くってことは、そういうことだもの。
金曜日の妻たちへ DVD-BOX

金曜日の妻たちへ DVD-BOX

岸辺のアルバム」を見終わってまだ月末まで時間があるので「金曜日の妻たちへ」を見始めた。1983年のドラマで、「岸辺のアルバム」の時代設定とは10年弱しか違わないのに、生活水準も使う言葉もずいぶん違う。バブル期ということもあって、パソコンや電話機や車は古いけれど、今とほとんど違わないような感覚で「いろいろあるけど豊かな生活」を見せてくる。
第一話、ホームパーティーの片付けも終った夜更け、いしだあゆみが突然台所で泣き崩れる。「誰とも別れるのいや!ずっとこのままがいい」

岸辺のアルバム」では「汚い部分は見ないようにして取り繕ってきた家族」が描かれていて、「金曜日の妻たちへ」では「都会的でおしゃれでそれぞれが自立した大人の暮らし、と見せかけて不器用な大人」が描かれている。気づかないふりで綺麗事だけ積み重ねてきても、そんな綺麗事が簡単に崩れてしまうことにある日気づいてしまうから、夜中の台所で不安に駆られもするんだろう。

どんなにアーバンライフを気取ろうが、オシャレに決めようが、誰も彼も結局おしっこしてうんこして生きて死ぬ。あと150年もすれば、昨日生まれたばかりの子どもだって死ぬ。今生きている人はみんないない。それを忘れていられることを「豊かさ」と呼ぶんだろう、きっと。

この前ようやくお母さんのポッケから出てきたばかりの埼玉のコアラの赤ちゃんが、2日ほど前に亡くなってしまった。丁度写真の整理をしていた時に知って「この子がもういない…」と絶句した。
子どもが大きくなるなんて、当たり前のことだと思っていたけれど、そうじゃない。
そうじゃないからこそ「七五三」なんて行事があるんだろう。3歳まで元気で来れたこと、5歳になれたこと、7歳になれたことは当たり前じゃなくてお祝いすべきことだったんだよな、乳幼児の死亡率の高かった昔。
今だって、突然命を落としてしまう子どもはずいぶん多くいるんだろう、私が知らないだけで。そして知りたくないから見ていないだけで。

死んでしまう理由の多い世の中で、一生懸命それを見ないふりして日々を積み重ねているけれど、ある日突然、「生きていることが当たり前でない」ことに気付かされる。
1歳半になるニーナの顔立ちが最近大人びてきたことを少しさみしく思っていたけれど、それがどれだけ贅沢でありがたいことか。「交通費かけて埼玉に行きさえすればいつでもコアラに会える」、それがどんなにすごいことか。
明日会社に行けば、同僚たちがみんないつも通り出勤してくる、それだって当たり前でないすごいこと。
いつか私が死ぬ日まで、いつかあなたが死ぬ日まで、お互い生きて、また会えたら、もうそれだけで奇跡のようなことなのにいつだって忘れてしまう。「いろいろあるけど豊かな生活」の中で。
誰かが死んでしまうまで。

さようなら、まだ名前もなかった小さな子。

なんでカンガルー

昔飲み屋で、ジャズとブリティッシュロックと村上春樹が好きな意識高い系、自称ピアニスト(無職)のヤマちゃんと「村上春樹の作品って唐突に動物出てくるよね、カンガルーとか」なんて話をしていたら、ヤマちゃんが「カンガルーのこと歌ってるバンドとか結構多いスよ、俺、結構カンガルーの出て来る歌、チェックしてるんス」とか言い出し、驚いたことがある。

そ、そうなの、みんなそんなにカンガルーのこと歌ってたの…。スピッツ渡辺美里くらいしか知らなかったよ?

♪君はセンチメンタル・カンガルー tiny tiny tiny tiny kangaroo…♪
…そんなに小さかったら、それはカンガルーではなく、ワラビーなんじゃないのか。カンガルーより小さいのがワラルー、さらに小さいのがワラビーで、あの種族は大きさで呼び名が変わるだけで特に明確な定義付けはないんだって。この前wikiで見た。

♪飛びすぎたあとの若いカンガルー…♪
なんでも発情期のカンガルーは1日に100km走ることもあるんですって。すごい若気の至り。エロで頭がいっぱいでムハー!!!っとなった勢いのまま東京から静岡あたりまで走れるんだな…。何が草食系だ!!草食系男子って結構すごいじゃないか。
他にもSKE48「12月のカンガルー」とか、ダニー飯田とパラダイス・キング とやらの「悲しきカンガルー」、くるり「かんがえがあるカンガルー」とか。
こんなこと言ったら怒られるかもしれないけれど、カンガルーの出て来る歌は大概「別にカンガルーでなくてもいい」。なんでカンガルー?

俗説によると、カンガルーの名前の由来は「オーストラリアに上陸したキャプテン=クックがカンガルーを見て「この動物は何か」と現地のアボリジニに聞いた際に「カンガルー(分からない)と言われたのを勘違いした」との事らしい。
カンガルー、わからない。

マンガにも唐突にカンガルーは現れる。中原アヤラブ★コン」では主人公リサが、恋人が受験に落ちて失踪しカンガルーを育てているという悪夢を見る。…なんで?

何か意味ありげな顔でじっと見つめてくるから?
でもね、そんなこと言ったら、動物ってわりとみんな、何かしら哲学的な顔をして、ふと立ち止まったり見つめてきたり、いきなり伏し目がちになってみたり、意味ありげな顔をしているものよ?うんこ中ですら。
アルパカだって、鹿だって。亀も牛も、コアラだって。

けれど牛よりも、鹿よりも、カンガルーを題材にした時に醸し出されるニューエイジ感。
それはやっぱり村上春樹のせいなんだろう。

カンガルー日和 (講談社文庫)

カンガルー日和 (講談社文庫)

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)

この2冊の中に含まれている「カンガルー日和」と「カンガルー通信」という短編。なんでもサリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日」のオマージュなんだとかで、それも納得な頭のおかしさ。
どちらも、4匹のカンガルーのいる動物園が出て来る。一頭が雄、二頭が雌、もう一頭は赤ちゃんカンガルー。カンガルー日和では、恋人と一緒にカンガルーの赤ちゃんを見に行くのに相応しい日を検討して、ようやく訪れたカンガルー日和に動物園に行くんだけど、赤ちゃんはもう結構大きくて袋に入ってなくて、彼女ががっかりする。

我々が立ち去る時にも父親カンガルーはまだ餌箱の中に失われた音符を探し求めていた。母親カンガルーと赤ん坊カンガルーは一体となって時の流れに体を休め、ミステリアスな雌カンガルーは尻尾の具合を試すように柵の中で跳躍を繰り返していた。
 久しぶりに暑い一日になりそうだった。


…何を言っているんですかねえ。
カンガルー通信の方はもうちょっとヤバくて、デパートの商品管理課の男性が、苦情を寄せた女性に手紙を書くのだ。

とにかくカンガルーを眺めているうちに、あなたに手紙を出したくなりました。
あるいはあなたは不思議に思うかもしれませんね。どうしてカンガルーを眺めていたら私に手紙を出したくなるのか、カンガルーと私のあいだにいったいどんな関係があるのか、と。でも、そんなことは気にしないで下さい。どうでもいいことなんです。カンガルーはカンガルーだし、あなたはあなたです

いや、気にするよ。でも気にしたらダメなんだろう。「カンガルー(わからない)」んだから。
カンガルーも大変だよ。じっと見られてこんなこと考えられていたらね。なぜ人は動物を見ながら、何らかの意味をそこに見出したくなるのかしら。

コアラを好きでいると、オーストラリアの動物に関する写真や情報がどんどん入ってくるようになるし、大体動物園のコアラのそばにはカンガルーがいるもので、この前久々にカンガルーを見てきた。そして「なんでカンガルー?」と思いながらカンガルー達を見つめる。
しどけなく横たわるもの。尻をかくもの。大きく真っ黒な目でじっと見つめてくる。まつ毛は長い。ときどき唸り声をあげて喧嘩をする。ゆっくり2,3歩飛んでは立ち止まってじっと虚空を見つめる。

そんな姿を見ていたら、うっかり何か意味を見つけたくなる。
でもそんなものいらないんだ。カンガルーはカンガルー。「カンガルー(わからない)」
それでいい。

仁義なき戦い

友人ヤマダは学生時代明治大学に通っていて、時折講義の途中にヘルメットを被った学生運動の人が教室にやってきてあれこれ主張を叫び出すのだと言っていた。
もう20年近く前だが、その当時でさえ「え!!学生運動の人ってまだいるの?」と驚いた。ヤマダはしみじみと「何と戦ってんだろうな、アイツら」と言っていた。

ホント、何と戦っているんでしょう…。
友人はどういうわけだか一回り以上年上の学生運動あがりの男性とお付き合いを始めてしまった。これがまた面倒くさい人で、政治や世間やあれこれに不満は尽きないが、最近では自転車の運転マナーにうるさく、自作のビラを配りながら辻辻で説教をするのだ。私も説教をされた。
何なの?戦うことが生きることなの?何でそんなに戦いたいの?

…ウザいです…サンタマリア…。
不毛な戦いと言えば、課長が先月からずっと咳き込んでいたのだけれど、なかなか病院に行かなかった。「ただの風邪だから」「薬飲んでるから」「俺は病院なんて滅多にかからないから」と強がって。
男の人って時々そういう不思議な戦いをしていることがある。「風邪は気合で治す!」とか「薬なんて飲まない!」とか「エアコンは使わない!」とか。「花粉症って認めたら負けだから」とか言いながら鼻水をズルズルすすっていたり。
なんでもいいから鼻かみなさいよ!

しかし、そんな事を言いながら、私もまた不毛な戦いをしていたのだ。これはきっと女性に多いと思うけれど「そんな贅沢するなんて!」という悲しい意地。
食洗機なんて贅沢、フードプロセッサーなんて贅沢、湯沸かしケトルなんて、ホットカーペットなんて。「全自動洗濯機なんて贅沢だ」と最近までずっと二槽式洗濯機で頑張っていた友人もいる

去年買って一番良かったものは電動アシスト自転車。2桁万円。山坂の多い街なのに無理する必要なんてないや、行動範囲も広がるからいいや、と勢いで買ったら「どうしてもっと早く買わなかったの?」と思った。
いやあ、こんなに快適で、しかも年間のバス代を考えたら1年位で元がとれるんだから、戦う必要なんてなかった。何と戦ってたのよ、私。

去年友人が「うちもついに家の電気をLEDにしちゃったわ、リモコンで調光もできるし便利なのー」と言い出した時、「わざわざそんなのにする必要ないし。まだうちの電気使えるのに贅沢だし」と嫉妬混じりに思っていた。
が、先日雪の日に、帰宅後ウキウキ浮かれて長靴履いて雪をかきわけて遊んでいたら、うっかり39度の熱を出してしまった。インフルじゃなかったのがせめてもの救い。

高熱に震え、少し眠っては起きて水を飲んだり体温を測ったりするときに、逐一起き上がって壁のスイッチで電気をつけなければならないのが本当にしんどくて、「ああ、こんな時こそリモコンで操作できる電気が必要なんだ」と痛感した。
それで熱が下がるなりすぐに、LEDシーリングライトを探す。

驚いたことに、今LEDのシーリングライトって5000円もしないんですよ!!!調色ができるやつだともうちょっと高いけど。
なーんだ、こんなお値段で買えるのか…もっとずっとお高いのだと思っていた。
考えてみれば我が家の電気は私が高校生の頃からもう四半世紀ほど使用していた、紐がついてるナショナルのやつだ。ナショナル!
…いいよね、そろそろ買い替えても。いいよね、もうリモコンで操作しても。いいよね、いつまでも戦わなくても。
それでニトリ通販で即購入した。

そんな話を相撲友達にしたら、友達がふふっと笑って言った。
「私もね、今の会社に入って初めてのボーナスで食洗機買ったの。一人暮らしで食洗機なんて贅沢だってみんなに言われるんだけど、私はずっとアトピーで辛かったから、洗い物から開放されるってだけで本当に嬉しくてね」
その嬉しそうな顔を見たら、ああ、そっか、それは良かったね、いい買い物したね、と胸がきゅっとした。

ねえ、私達もう、そんなに無理してあれこれ戦わなくていいよね。楽に生きていいよね。
生きることって別に戦うことじゃないわよね。
便利さを享受することは何も悪いことじゃないよね。

さ、リモコンで電気消して寝よう。これからは病に臥しても寝たまま電気がつけられるんだ!