曲がり角ごとの驚き・20 YOUは何しにここへ

「備えよ常に」
ボーイスカウトよろしく、この言葉がモットーな私であるが、ハイキングのつもりでうっかり雪の日光に行ってしまったこともある。

しょうがない、下界は晴れてたもの。

また、旅先で「ロープウェイ乗れば千畳敷行けるって!行っちゃお!」とつい浮かれてロープウェイに乗り込んだ所、極寒の雪山にたどり着き寒さに凍えたこともある。こんなにうららかなゴールデンウィークだもの、仕方ない。

そんな訳で、人々がついついふらっと寄りたくなる気持はよくわかる。だが、自然てやつは厳しいんだぜ。
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ケーブルカーで簡単にアクセスできる大山阿夫利神社下社。初詣のついでに、つい「山頂本社まで行こう!」なんて思い立ってしまったのだろう。霜柱の解けたどろどろのぬかるみにおしゃれスニーカーを沈ませて進退窮まった方々をどれほど見かけてきたことか。

草津白根山、湯釜を見下ろす登山道を「マジキツいんだけど!!」なんて文句言いながらヒールでせっせと登る女子3人。
女3人、草津だの志賀高原だのを散策しようという車の旅に、なぜハイヒールを履く必要があったのか。それが女子力ってやつなのか、考えつつ後について登る。
思えば戸隠神社に行ったときもそんな女子たちがいた。戸隠神社と言えばパワースポットとして有名だ。特に奥社が。当然調べてから来てるんだろうと思いきや、女子たちは厚底サンダルでひーひー言いながら歩き、そして奥社で「そんなにも長く!」「そんなにも強く!」と感心するほど長い祈りを捧げるのである。

厄介なのが山道で時折見かける、スーツに革靴のおじさん、もしくはおじいさん。道に迷ったのかと心配になるがその足取りは自信に満ち、迷いなくスタスタと早足で歩いていく。…どこへ出勤しようというのか。
喪服に紙袋という、法事帰りのような出で立ちの人もたまにいる。…山で家族が死んだの?…それとも山に埋めてきたとかっていう火サス的な…?それこそ「YOUは何しにここへ」と問いつめたくなる。

そして3月に行った、金毘羅さんのこれですよ。金毘羅さんへ登る階段の途中のお店には大きな看板が出ている。「杖、はきもの貸します」
金毘羅さんへ来る人は大概「金毘羅さんへ行こう」「金毘羅さんと言えばあの階段」と認識した上で来るのかと思っていたが、そうではないのか。
「あ、金毘羅さん!寄ってこ!階段無理…足痛い。靴借りたい」
そんな人が結構な数いるってことか。こんな看板が大きく出るということは。


尚、金毘羅さんでは人は便所についても十分に注意して、早め早めに備えなければいけないし

イノシシにも注意が必要だし

境内で、「案内人を装って無礼な物言いをする者たち」にも気をつけ、備えなければいけないのである。
備えることの重要性を教えてくれる金毘羅さん。

目の前を行く蛍光色トリオの3人のあとについて降り、電車に1時間ほど揺られて戻った高松でうどん屋の開店待ち列に並んだら、なんと私の前に並んでいたのはさっきの蛍光色トリオの兄ちゃん達だった。

「お姉さんもうどんスか」と問われ、「そうなの、うどんが食べたくて、でも夜やってる店がなかなかなくて調べてきたの」と答えたら、蛍光色トリオは「僕らもです」ともじもじ言う。
もじもじしなくていいわよ。私達、きちんと事前に調べてここにきた偉い子よ。
ちゃんと備えてる。こんなはずじゃないこともいっぱいある人生だけど、それでも、出来る限りは備えて生きてるんだから。間違っても金毘羅さんで履物借りたりしないんだからね。

言った先から

巷ではよく「成功者の法則」やら「引き寄せの法則」やらで、「願望は口に出すと叶う。一日一度は口に出して言おう」とかなんとか言うけど。
…なんというか、私の場合、言った先から挫ける気がする。

この前10月末に「ラジオ体操を続けてもう2ヶ月、これからも続けていきたい♡」などと意識高い系なことを書いたら、そのすぐ後に「なんでこんな事してるのか、1回位サボったっていいんじゃないか」という危機が訪れた。なんとか乗り越えたけど。
以前、会社で保険証の切り替えがあったときも、「別に医者にかかることないし!」と早々に保険証を返却した途端、「歯が痛い…」という憂き目を見た。

「この冬は風邪を引かないのが目標!風邪で有給なんて使いたくないし!」とリア充ぽく手帳に書きつけた冬、案の定、風邪で欠勤する。
なぜだろう、なぜかしら。

今年もまた「やっぱウールのコートは12月からかなーって、頑張ってるのー」と、会社で話した数日後、耐えきれずにウールのコートを出してしまった。
「石油ストーブはまだ早いよね。今から出したら冬乗り切れない」とも笑っていたが、先週出した。

9月、「ラジオ体操始めたし、冷え性改善すると思うから、この冬は長袖のヒートテックは着ないんだ。半袖でいく!」と友人に強気に宣言するも、あえなく撤回。本日ユニクロで、長袖ヒートテックを4枚購入した。今年は「ヒートテックウルトラウォーム(超極暖)」とやらもあるらしい。今回は買わなかったがきっと12月に買うだろう…。
あったかボアシーツだって昨夜出した。

引き寄せの法則とやらはどこへ行ったのか。私の場合口に出さない方がいいのか。口に出して誰かに伝えると、そのことですっかり安心して油断してしまうのかしら。
それともただの調子乗り?

写真は10月頭に夜行バスで行った尾瀬沼
「毎年尾瀬に行く、みたいな習慣あるのっていいよね。初夏と秋に1回ずつ毎年来たいな。次の夏は至仏山かな」などと計画してるけど、この調子だと、来年の夏になったら「もう夜行バスなんて無理無理」と尻込みしてしまうんだろうか。

ヤクルト飲み始めたから風邪をひかない!と決めているけど言った先からひくんだろうか。
まあいいけど。
挫けても何度でも立ち上がるけどね、言った先から転んでも。

LOVEっていうのは


母の妹、つまり叔母が、かつて米兵と結婚して横須賀の海軍基地に住んでいた。
旦那さんの名前、本名は忘れたけれどスマイリーと呼ばれていて、その名の通り笑顔の深い黒人の人。
母方の祖母は終戦後、進駐軍売店PXで働いていたらしく英語が話せる。それである日、祖母とスマイリーは窓際でなんだかずーっと二人でニコニコ話し合っていた。

何の話をしていたの?、と後で祖母に聞いたら、「あのね、ばあちゃんね、スマイリーと『LOVEっていうのは本当にいい言葉だねえ』って話してたの」と子どもみたいな顔と口調で言うので笑ってしまった。”LOVE”という言葉について話し合う、だなんて、まるで海外ドラマみたいだし。

それももう10年以上昔の話で、今ではスマイリーと叔母は離婚してしまった。
なのに、あの時のことを急に思い出したのは、先日仕事でちょっと営業さんの手伝いをしてあげたら、電話の向こうで営業さんが「まめさん、愛してるー」なんて言ってくれたせいだ。口八丁の調子いい営業さんに、こちらも「うははは」と笑いつつ「ありがとうございます、おかげで今日一日気分良く過ごせるわ」と調子よく答えて、あの時のばあちゃんの「LOVEっていうのは本当にいい言葉だねえ」って言葉をしみじみとかみしめた。

昨今、SNSでも何でも見ず知らずの人間にやたらと厳しくて、大層な正義感を振り回したり、上から目線で難癖つけたり、民意の代弁者を気取りたがる人が多い気がする。それは心の底から思って発言していることのかもしれない。
だけど、本心でなくてもいい。口先だけでもいい。
優しい、LOVEの言葉を使った方がお互い気持ちいいんじゃないかしら。

こんな事を思うのは、私がもう相当おばはんになったからなのかもしれないけれど、見ず知らずの人のあら捜しをして、わざわざ腹を立てたり文句をつけたりするよりは、上辺だけだとしても薄っぺらくても、綺麗事でもLOVEの言葉を使いたい。
深入りしなければいくらでもそんな事言えるのに、通りすがりの人相手なんて、その場限りなんて、いくらでも優しくできるはずなのに、なんだって私は出し惜しみをしてしまうのかしら。言うだけならタダなのに。

それで、もう出し惜しみなんかやめて、口先だけでもどんどん「いいね」「素敵だね」「素晴らしいね」ってLOVEの言葉を使おう、なんてことを決意しながら自転車こいで家に帰った。

「LOVEっていうのはいい言葉」、そんな綺麗事を臆面もなく言えるのは「大人だからこそ」だと思う。昔なら恥ずかしくって照れくさくって口にできなかったことも今なら言える。
だから私もしみじみ言いたい。
LOVEっていうのは本当にいい言葉だねえ

曲がり角ごとの驚きXⅨ 命短し

人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。
                中島敦 山月記

若かりし日は山月記を読むと、胸がヒリヒリして居ても立ってもいられず、動物園の虎のようにおろおろと部屋の中を歩き回ったりしたものだったけれど、もう大概いい年で特に何かを為そうとも思っていないので、おろおろせずに読める。
うわああああああーーーっ!!!と叫びたくなる気持ちは変わらないけれど。

長野・元善光寺ジャイアンにシメられて目玉飛び出たスネ夫みたいな顔。

さて、虎の話ではなく、狛犬の話。
あちこちのお寺やら神社やらに行くたびに、何も考えず、ただなんとなく狛犬の写真を撮ったりしていた。

高知・五台山竹林寺。子ども相当悪い顔。

そのうちだんだん「変な顔の奴がいる」とか、それぞれの個性が気になり始める。

世田谷・善養寺。相当個性的。アダムス・ファミリーのフェスター似。

狛犬画像が集まるにつれて、狛犬が気にかかるようになり、本日ついに「狛犬 個性」でググってみたら、ヤバい予感。
世の中に、狛犬ファンは割りといたのだな。まあいるだろう、それはいい。それにしてもだ。
大変なことに世の中にはこんな冊子が出回っていたのだ。
狛犬ガイドブック Vol.1  狛犬の楽しみ方」
その紹介文もすごい。
狛犬ファンがさらに狛犬ウォッチングを楽しめるように狛犬の個性の解説から、狛犬の見つけ方、狛犬との接し方、石工や奉納者のドラマ、狛犬の撮り方などなど、狛犬歴35年の筆者が懇切ていねいに解説。」

狛犬界の「プロフェッショナル 仕事の流儀」みたいな。「プロジェクトX」みたいな、すごい情熱。

三崎港・海南神社土佐闘犬横綱の如くりっぱな綱をお召し。

狛犬ファンの方の個人ブログ「狛犬を10倍楽しむ」。こちらも素晴らしい。
狛犬を追いかける愛好家は、必ずと言ってよいほど個性派狛犬志向におちいるか、おちいっていると思う。
一度個性のある狛犬に出会うと、また個性のある狛犬に会いたくなる、必然の心理である。」

こういう、マニアックな趣味を持って、心からその対象を愛している人にしか書くことのできない文章、大好き。
キノコマニアやタコの研究者が書く文章に相通ずるものがある、この情熱、味わい深さ、魅力、シュールさ。
狛犬ガイドブックの著者であるたくきさんのエッセイもネットで読める。なんて便利な時代なんだ。そしてやはり、なんてすごい文章なんだ。

唐突に「狛犬」である
なぜ狛犬なのか? 狛犬のどこが面白いのか? ほとんどのかたは「?」の連続でありましょうが、それは認識があま~い。」

…本当に唐突で笑ってしまう。そして笑いつつも「ヤバい、これはヤバイ」と私は震えるのだ。

靖国神社。花見の時期は狛犬も働かされる。

まだ世の中にこんな面白いものが隠れていただなんて、どうしよう。
あそこも行きたい、ここも行きたい、あれも見たい、これもしたい。古墳も気になる。古事記も勉強したい、地学も、貝も、古代史も、戦国時代も勉強したい、キノコが気になる、タコが気になる、深海も気になる…ああ、それなのに狛犬まで!
人生は何事かを為すにはあまりにも短い、と言うけれど、才能の不足はとっくに暴露していて、何事も為せないくせにあれこれ気になって目移りしては味見したがる者にも割りと短いのね…。

静岡・久能山東照宮資料館前の狛犬。すごい不細工。でも誰かに似てる。

あまり、この世界に深入りしちゃいけないと思う。でも面白いもの見つけて胸がぞわぞわトキめいているんだ。

パンダがライバル

以前はパンダの写真を集めていた。


いや、可愛いですよ、おにぎりみたいでさ。
しかし、今年、コアラにフォーリンラブしてからの私はどうもパンダがいけすかない。

コアラの方が可愛いのに…。絶対絶対可愛いのに…。
パンダの顔、よく見たらめちゃめちゃ熊なのに…。
なのにどうしてみんなあんなにパンダに夢中なの?
上野のパンダに子どもが生まれたこともあって、世間ではすごいパンダブームだ。事あるごとにパンダの成長記録のニュースが流れ、パンダグッズがどんどん作成され、パンダイベントが開催され、どこへ行ってもパンダパンダ。
コアラに赤ちゃんが生まれても騒がれないのに!和歌山のアドベンチャーワールドのパンダですら騒がれないのに…。
悔しさにキーッとなりながら思う。
「高いお金を出して中国から借りてるパンダだから、元を取らなきゃいけないんでしょう」

そうなんだろう?

そんな中、BSプレミアムの番組表をチェックしていたら、NHKがこのパンダブームに乗じてか、二夜にわたってパンダ特集の再放送をするというのを見かけた。

…逡巡したとも。これを録画すべきか。録画したら負けなんじゃないのか。でもまあちょっと見たい。…ちょっとはね。コアラの方が可愛いって知ってるけど!
録画した後だって録画一覧の番組名を見ながら、「見るべきか、見ないでおくべきか。これを見たら、やっぱコアラよりパンダだよな、って思っちゃうんじゃないのか」と、なかなか再生ボタンを押せずにいた。けど見た。
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いやあ、なんだあの中国のパンダの楽園は。パンダ保育園は。やばい!
ちょっとトキめいたけど、これは浮気じゃない。大丈夫、本命はコアラ。

…ふ~ん、そっか~。

コアラ愛が揺るがなくて良かった、とほっと胸をなでおろしつつ、またしても嫉妬に駆られもする。
パンダは1時間の特集番組を何本も作ってもらえるのに、コアラときたら15分…。何故…。
嫉妬の炎に焼かれ、大事にしていたパンダフォルダは消滅しました。

すまねえな、パンダ。心もフォルダもコアラのものなんだぜ。

C'est la vie

別にキリスト教徒ではないのだけれど、死ぬまでに一度、サンティアゴ・デ・コンポステラの巡礼路を歩きたいと思っている。
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帆立貝の殻をリュックにつけて、900kmばかりの道をひたすら、50日近くかけて歩く。最後は地の果て、フィニステラまで行くんだ。新大陸発見前まで、人々はその地が地の果てだと信じていたんですって。
先日、NHKBSプレミアムの「世界ふれあい街歩き」でサンティアゴ・デ・コンポステラの回があった。
当然、たくさんの巡礼者に出会う。アルゼンチンから来て35日間歩いた男性はこう言っていた。

「雨の日も、寒い日も、暑い日も、上り坂の日もあるけど、それでもやる価値がある」
雨の日も、寒い日も、暑い日も、上り坂の日もある。
それは人生ね。人生とおなじことね。

さて、8月末頃から始めたテレビ体操もかれこれ2ヶ月。
新しい朝 - 君拾帖
気がつけばいつしか、オープニング画面が秋色に。

お姉さんたちの背景にも落ち葉がついたり。

一部に「可愛い♡」と評判のお兄さんが髪を切っていたり。地肌透けててヤバかった…。

ああ、この先、こういうことで季節を実感したりしていくんだなあ、と先のことを考えてびっくりしたりもする。
まだ2ヶ月。たった2ヶ月しかやってないのに、来年もやってるつもりでいるんだな。本当にできるのかしら。

今のところはなんとかかんとか朝晩続けてきている。けれどここまでだっていろんな日があった。

うまく動けなくて「こんな簡単なこともできないなんて」と自分にしょんぼりする日もあったし、今まで普通にできていたことが何故か急にできなくなった日もある。
眠くて眠くて、テレビ体操の10分間が永遠のように感じられた日、旅先でyoutubeを見ながら体操した日、余計な事ばかり考える日、昼近くまで寝ていて、昼頃ようやく体操する日。
酔っ払って体操をしたら気持ち悪くなって、途中「ここまでのところで体調に変わりはありませんか?」と問いかける、テレビの中の先生に「変わりあります、もうダメです」と答え、途中でやめてしまった日もある。あれ以来、先生の優しい問いかけがあるたびに「今日は大丈夫です」と心の中で答えている。

テレビの中のお姉さんに「タイムマシンにでも乗らなきゃそんな柄の衣装買えないでしょ」と思った日。

真ん中のお姉さんがいつもコアラに見えて、勝手に「コアラちゃん」と名付けた日。先生もわりとコアラっぽい。
帰りが夜中になった日でも、帰宅後になんとかかんとか体操をして、積み重ねてきたこの2ヶ月。
我ながら、結構偉いな、と自画自賛もしている。

これから先、寒くなって、どんどん朝起きるのがめんどくさくなって、寒さに震えながら体操したりするんだろう。
オープニングが冬の絵柄に変わったり、お正月の絵柄になったりもするのかしら。
イヤイヤやる日も、元気な日も、風邪をひいてる日もあるんだろう。雨の日も、寒い日も、暑い日も、上り坂の日も。
それが人生。

新世界の神となる 2017夏/青春5日目

青春18きっぷ、最後は伊能忠敬記念館目指して佐原に行こうかと計画していたが、日光に行ったら「そもそもなんで家康は神様になって、日光はパワースポットだとか言われてるのか」なんて事が気になりだして、久能山東照宮に行ってみようと決めた。
5:48横浜発東海道線沼津行き→7:29三島発東海道線島田行き→8:30静岡着→8:51しずてつジャストライン日本平
日本平動物園に寄ってから久能山目指して日本平ロープウェイ駅へ。

籠をイメージしたロープウェイはガッツリ葵の御紋入り。

でた、「東照大権現
家康の遺言とその後の動きは大体下記の通り。

「遺体は久能山に葬り、葬儀を増上寺で行い、位牌は大樹寺に納め、一周忌が過ぎてから日光山に小さな堂を建てて勧請せよ、関八州の鎮守になろう」
1616年4月17日 家康没 久能山に埋葬 二代将軍秀忠の命により久能山東照宮創建
1617年3月15日 家康の御霊を乗せた神輿が久能山を出発
1617年4月4日 日光山座禅院に着 
 朝廷より東照大権現の神号と正一位の位階の追贈を受ける 
1617年4月8日 奥院廟塔に改葬儀式を経て正式に鎮座
1617年4月17日(一周忌) 遷座
1634年9月 三代将軍・徳川家光が日光社参
 寛永の大造替が始められ、今日見られる荘厳な社殿への大規模改築が行われた。
1644年 日光の旧社殿を群馬県太田市世良田町に移築。世良田東照宮創建。


■家康は「日光山に小さな堂を建てて」と言っているのになんであんなデッカくなっちゃったのか。周囲の人間の政治的判断によって、そうなっちゃっただけか、それとも家康的にも「小さな、って言ったけど、俺が誰だかわかってるよな、お前ら」って感じなのか…。
■大体、なんで神になる?しかもそれが未だに信仰されるのは何故?パワースポットとか言ってありがたがるのは何故?

概ねそんなところが気にかかっているが、まあ、日光だろうが久能山だろうが、東照宮に来れば家康礼賛、家康美化のエピソードしかないよな。そりゃそうだ。

唐突に現れる司馬温公の甕割り絵看板。「司馬温公の優しいエピソードが久能山東照宮拝殿正面にも彫られている!家康公から私達へのメッセージ!」っていうのは相当なこじつけじゃないのか。久能山東照宮作ったの家康じゃないし…。

尚、裏からこうして顔を出して写真撮影が可能。センターは溺れ役。

これでもか!!徳川だぞ!と言わんばかりにキンキラ。
疑問点についてネットやNHK番組等でざっと調べた。簡単に調べただけなので間違っていたらごめんなさい。

●深く関わってる人:家康、秀忠、家光、天海僧正春日局、等
●実力で権力を勝ち取る社会だと争いが絶えない。
 →・誰が権力者になるかを年功序列や肩書で決める社会の仕組みを作る
  ・武家諸法度などを取り決め、武断政治から文治政治
●西国大名が天皇を担ぎ、徳川に謀反するとまた争いが起こるので、天皇に対抗するために自分も神に!!
 →「豊国大明神」の神号が贈られた豊臣が滅亡したことを思うと「明神」は良くないから「権現」に!
●当初、日光東照宮は秀忠の建てた小さく質素なものだったが、家康を崇拝していた家光が、父に反発するためと、徳川の威信を示すために現在の絢爛豪華なものに建て替えた

それに付随して皇室との婚姻関係を結んだり、参勤交代で各大名の財力を削いだり。
風水的パワースポット感をアピールしてみたり。

東照宮に行くとあちこちで「平和を望んだ家康公」「人々が安定した暮らしができるように」と言われているが、つまり「徳川の権力が盤石で、謀反を企てるものがいなければ世は泰平」「だから徳川に逆らうなよ」ってことか。
権力の一極集中=とりあえず平和。まあ、それは確かに。
宗教は為政者が国を統治するために作った、なんて話を遠い中東の話だと思ってきたけれど、割りと身近だったんだな。

そして「じゃあ神になるわ、朝廷もOKしてくれたから」「家康公、神様だって!」「天下統一したもんね、神!」と受け入れてもらえるのは、やっぱりこの国の「死んだら神様」「すごい人は神様」「何にでもどこにでも神様はいるから一人増えても別に」みたいな「万物に神宿る、八百万の神」の考え方によるものなんだろう。

一神教の国だったら、なんと不敬な!!とお怒りになるかもしれないけれど、この国の神様は割りとカジュアルで人間臭い。
悪い神様もいるし、すぐに「山の神さまがお怒りだ」とかって怒っちゃうし。年末には出雲にでかけちゃう、神も仏も一緒に暮らすし。宣言すれば大体神様。
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万物に神が宿るので、炊飯器にもトイレにも神様がいるようなこの国で暮らしていると、連日世間を賑わす、宗教が原因の戦争やテロがどうもよく理解できない。加えて、靖国参拝があんなに騒がれるのもあまり理解できない。だって死んだら誰でも神様なんだもの…。ただそれだけの事じゃないのかしら。戦没者慰霊ってそんなにいけないことかしら。

こちらは川越の東照宮
兎にも角にもそんなわけで、家康公は神となり、神格化して祀り上げることで徳川の権力は盤石となり、全国各地に東照宮が創建され、日光は再興し、日本史における江戸時代のウェイトにより修学旅行先としても重宝され、江戸の北にあるってことからパワースポットとの称号も得て、女子たちもたくさん訪れるのでしょうね。

ちなみに久能山東照宮博物館には家康公の時計のレプリカとともに、家康愛用の鞍も展示されていた。
三方ヶ原の戦いで敗走中の家康が恐怖のあまり馬上で脱糞し、浜松城に入城した後に家臣から脱糞した旨を咎められて「これは味噌だ」と家臣に言い放った」という逸話があまりに強烈に印象に残っていたので、ああ、ここで脱糞…、としみじみ見つめてきた。
脱糞する神もいる。そう、日本ならね。