栗依存

ここ最近、人類の進化に興味があって、いろいろ調べたり、過去のNHKスペシャルを見漁ったりしている。
先日は2001年放送の「日本人はるかな旅」を見た。

日本人はるかな旅 DVD-BOX

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これの第3集は、かつて縄文人の大集落があったという青森県三内丸山遺跡の話で、びっくりするほど壮大。
まず、5500万年前頃に三内丸山の縄文人たちは、ブナやコナラの森を切り開き、巨大な栗林を作る。
遺跡から出土した大粒の栗のDNAを調べると、DNAパターンがほぼ一定なので、人間の手で選別され栽培されたと推測できる。実生栗からは大粒の栗は取れないため、もしかしたら既に接木の技術があったかもしれないとのこと。

5500年前、パンツだって履いていないかもしれない頃に、もうそんな品種改良みたいなことしてたのか…。
縄文人てもっと無計画なものかと思っていた。
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「栗という安定した食料」を得ることによって三内丸山の縄文人の暮らしは充実し、漆の器や編み籠を作ったりする。おまけに日本海沿岸地域との交易も活発であり、ヒスイや黒曜石を手に入れ、対価は栗。
先祖を偲ぶ盛土に1000年にも渡って土を盛り続け、土偶や土器を埋め、栗の豊穣を願う祭りや祈りを捧げてきたそうだ。

1000年も!
そして、どんだけ栗だよ!と驚く。ヒスイの代金も栗。なんか可愛い。

しかし、約4000年前ほどに気候変動によって、平均気温が3度から4度下がってしまい、栗が育たなくなって三内丸山は衰退してしまう。
NHKは冷徹に何度も何度も繰り返す。
「三内丸山の人々が栗に依存しすぎたことも衰退の一因」
「もともとは海の資源、森の資源をうまく組み合わせて生活していたが、やがて大規模な栗林を維持管理するようになり、栗にどんどん依存していって当初の多様性が失われた」
栗林への依存が大きかっただけに、その栗林が衰退すると一気に崩壊に追い込まれた」
「それ以後、森を大規模に開発するような大集落は生まれなかった。人々は自然と共存することを学んだ」

そんなに何度も「栗に依存」て言わなくても…。
だって私達の今の暮らしはそれで言うなら「米に依存」じゃないのかしら…。
米の消費量減ってるとは言え。
そのうち、5000年後の人たちに「食べ物があることに慢心した」「狩猟の能力が失われた」とか「文明に依存した」とか散々怒られるのかしら。
まったく、なんというラピュタだろうか。
飛行石が栗に変わっただけじゃないか・・・。
自然と共存しなかったから滅びた、だなんて。


そんな風に栗のことばっかり考えていた今日この頃、auのカタログを見たら、桃ちゃんが大量の栗を抱えていてタイムリーさにまたびっくり。
桃ちゃん、ちょっと栗に依存しすぎでは?

東風吹かば

今年は暖かいから、もう近所の梅も咲き始めている。

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これは3年くらい前に小田原の曽我梅林の梅まつりに行ったときの写真。
梅まつりには梅干し屋さんやら盆栽屋さんやら、オーガニックカフェやらいろんなお店が出ていたけれど、その中に小田原風鈴を売るお店があった。
NPO法人 小田原鋳物研究所

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この写真もNPO法人 小田原鋳物研究所のブログからお借りした。

本当に、ここ、この場所でこうして下がっている風鈴をおじさんが見せてくれた。
見た目はこんなに無骨で地味なのに、ともかく音色や響きや余韻の感じが素晴らしかった。
「負けておくよ、六千円でいいから」と言われたけど勇気が出ず、帰ってから「買えばよかった」と相当後悔して、もう一度行こうかと思案もし、小田原風鈴について調べたりもし。でも忘れよう、贅沢よ、と月日の流れるままにして。
けれど翌年梅が咲く頃になると、やっぱり「曽我梅林にあの風鈴買いに行こうかな」と思い出した。今年の梅まつりは今度の土曜日から。

前に、チリのドキュメンタリー映画監督パトリシオ・グスマンの「光のノスタルジア」という映画を見た。
映画の中には、アタカマ砂漠天文台で一生懸命宇宙の小さな電波や光を追い求める人たちと、ピノチェト独裁政権の中で殺された人々の遺骨を砂漠の砂の中から探し出そうとする人たちが描かれている。

ショッキングな映像もあったし、息を呑むほど美しい星々の映像もあった。その中で一番印象に残ったのは、この予告編の中にも出て来るが、かつて収容所だった場所にぶら下げられた何本ものスプーン。
収容所時代のままになっているのか、死者を悼むためなのかわからないけれど、曽我梅林のあの風鈴のように無骨にいくつも吊り下げられたスプーンが、砂漠の乾燥した風の中でぶつかりあって、からんからんと虚ろな音を立てる。

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今夜はあたたかい風が強くて外の工事現場の鉄骨が、あのスプーンみたいに不規則で寂しげな音を立てている。
その音を聞きながらまた迷っている。あの風鈴のこと。
もう春が近いんだな。

明日死ぬかもしれないし

進路なんて問われだしたのは小学校高学年くらいからだったと思う。
「将来何になりたいのか、そのために具体的にどうするのか、高校はどこに進むのか、大学はどうするのか・・・」
そういう事を考えるのが心底苦手だった。特に目標もなりたいものもなかったし、先のことは全くわからないんだけど、とりあえず周りの大人が納得するような答えを出さなきゃいけない、という事になにか脅迫めいたものすら感じていた。
それで進路相談の時はいつだって「だって明日死ぬかもしれないじゃん」なんてしょんぼりしながら職員室を後にした。


<サグラダ・ファミリアの螺旋階段>

大人になったら先のことも簡単に考えられるようになるのか、と想像していたけれど、まあそんな訳ない。

2000年を過ぎた頃は、PCで西暦を入力するときにしょっちゅう「2200年」なんて打ち間違えて「もう死んでるわ」としみじみした。

職場で誰かが仕事を抱えこんで、周りに情報共有しないと同僚は憤る。
「明日、死んだらどうすんの!誰もその仕事わかる人いなくなっちゃうじゃん!」

ある日突然、以前の会社の同僚が亡くなったという連絡が来た。
死因は誰も知らないみたいだった。
あれこれ考えてみると、改めて、世の中には死に至る原因が多すぎて愕然とする。
事故かもしれない、好きだった登山で山から落ちたかもしれない、病気かもしれない、事件かもしれない、自殺かもしれない。

ずっと10年日記をつけ続けてきた祖母が80を過ぎたら弱気になって「もう5年日記でいいわ。10年後死んでるかもしれないし」と言い出して、「何言ってるの、まだまだよ」とお約束の返事をしながらも、ご要望の5年日記をプレゼントしたら、5年日記が2冊目に突入…というのはいい話。

それで私も5年日記をつけ始めて今3年目。3年前の今日のことなんてつい昨日のことみたいに思える。それでもこの日記帳を書き終える、あと2年後のことはまったくわからない。

だから、来年2018年1月のアレクサンダー・ガヴリリュクのコンサートチケット買うのだって散々悩むんだよな。
「来年なんて死んでるかもしれない」って。

毎回そんなこと言いながら、それでも年月を重ねられるのは幸福なことなんだな。

見る阿呆

センバツ出場校決まりましたね。神奈川はまた出場なしか…東京は2校も出るのに。

それはともかくスポーツ観戦が好きだ。野球、相撲、ラグビー、駅伝、モータースポーツ…。
「そんなに好きなら自分でもやればいいじゃない」等と言われたりもするけど、運動神経皆無なので見る阿呆で結構です。
更に言うと、野球観戦は好きだけれど、球種とか全くわからない。
詳しい友人には「球種もわからないでよく楽しめるな」とか言われるけど、そんなのわからなくてもまあ普通に楽しいよ。

数年前、ミラーレス一眼を買った。
「涌井くんが撮りたい」という理由でコンパクトデジタルカメラを買ったらなんかイマイチで、「こんなんじゃ野球撮れないじゃん!」と思ってつい…。
そんな涌井くんはもう私の好きなライオンズから移籍してしまったけれど。
それからはスポーツ観戦のたびにウキウキしながら望遠レンズを装着して写真を撮る。
が、如何せんド素人なものだから、どの試合でも同じような無難な写真ばっかりライブラリに並んでいる。

アサヒグラフ 甲子園の夏 2012 2012年 9/5号 [雑誌]

アサヒグラフ 甲子園の夏 2012 2012年 9/5号 [雑誌]

 

最近では発売されていないという噂も聞いたけれど、ひと頃は夏の甲子園が終わると必ずアサヒグラフから出ている「甲子園の夏」やら「甲子園Heroes」やらを購入していた。
飛び散る汗の粒、舞い上がる砂埃、雨粒…と、一瞬を捉えた写真の、ものすごい迫力と愛情に「これがプロのカメラマンってやつかあ」と打ち震えたものだ。
その「甲子園の夏」の中にはカメラマンのコメント等も載っていて、一試合で何十本ものフィルムを消費する、だとか、まるで自分の子どもみたいに見つめている、とか、決定的瞬間を捉えるためにボールカウントから次の動きを予測して云々、なんて書いてあったのが印象に残っている。

そうよねえ。
「いい写真」というか、スポーツの醍醐味に満ちた写真を撮ろうと思ったら、そのスポーツのことよく知ってないと無理よねえ…というのを最近痛感している。


私に撮れる写真は野球だったらこんなのとか

こんなのとかばっかりで

たまにこんなの撮れるとちょっと嬉しい。

相撲にしたってこんなのばっかりで、大概決定的な瞬間は撮れていない。
なぜなら決定的瞬間には「あーーー!!」とか「わーーー!!」とか奇声を発していて、写真どころではないので。

もっと躍動感のある写真が撮りたい、とはいつも思っている。
「好きこそ物の上手なれ」という諺もあるから、そのうち上手になるかしら、と期待したりもする。
でも、何年見続けてもいまだ球種もわからない私が、決定的瞬間を捉えるために次の動きを予測するなんてこと、できるようになるのかしら、いつまでもただ見る阿呆のままなんじゃないかしら、と絶望したりもするんだけど。

ぬくぬく

ぬくぬく (こどものともコレクション2009)

ぬくぬく (こどものともコレクション2009)

 

さむがりのようかいがいた。
からだにいっぱいわらをまきつけ、「ぬくぬく、ぬくぬく」とつぶやきながらやまのなかをあるきまわった
ぬくぬくがとおったあとは、なつでもひんやりつめたいかぜがふく

この奇妙な物語に、子供の頃、どうにも心をつかまれた。高校生になっても成人しても三十路をすぎても折に触れて思い出すくらいに強く。

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これがぬくぬく。
小心者で寂しがりでお人好しで、腰に山いもをぶら下げた原始人スタイルで、最終的には村の子どもに受け入れられたのが嬉しくて寒さも忘れるくらいウキウキして終わる、というハートウォーミングだが地味な物語。

自分が寒がりのせいもあってか寒くなるとふと、このしょぼい妖怪を思い出してきたのだけれど、暖冬かつ気忙しい日々の中でさすがに忘れていたら、ある日、弟から「長芋もらって」とLINEが来た。
なんでも弟の高校時代の先輩が網走農協で長芋を作っていて毎年送ってくださるとの事だ。
網走=極寒の地、刑務所、高倉健、というお約束イメージしかなかったので、なんてスゴい先輩だ!と感動しつつ長芋を頂いたが、ひと目見てハっとした。

これってぬくぬくが腰から下げてたアレだね?
まあ厳密に言うと、ぬくぬくが持っていた山芋は別名「自然薯」、日本原産の芋で、長芋は中国原産の芋なので違うのだけれど、見た目は完全にぬくぬくのアレ。

あまり馴染みのない食材だったが、食べてみたらとっても美味しい。
しかも相当保存も効くらしく、弟宅では1年ほど保管しているそうだ。
それならば、と弟経由で先輩に長芋を追加発注した。
ついでに懐かしの絵本「ぬくぬく」もamazonで購入。
相変わらず、絶妙に人の心をつかまえる表情してやがるぜ、ぬくぬくめ。

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ダンボール箱の蓋を押し上げるほどパンパンに詰め込まれたおがくずの中から、立派な長芋を掘り出しては、その立派さに「ぬくぬく、ぬくぬく!!」と浮かれたりする、ハートウォーミング且つ地味な生活。

付加価値と専門性

昨日こんなニュースを見かけた。

カレー汚れに特化した洗濯機をインドで販売ですって。
カレーでインドっていう、この安心感。鉄板感。
しかし、インド人は今更「こういうの待ってたー!」とか思うんだろうか。むしろカレーの汚れには慣れっこなんじゃないのか。

それにしても昨今の家電の迷走ぶりというか、奇妙な付加価値には驚かされる。
「洗えるスマホ」とか「喋る家電」とか「自分で立ち上がるバイク」とか。
そこまで余計な機能をつけないと物が売れない時代ってことなのか。

余計な機能に溢れた世の中では、むしろ「それしかできない」専用機の方が新鮮に映るような気がする。

これは伊豆修善寺の椎茸に特化した店。重厚な専門性。

こちらは閖上漁港で見かけたホッケ専用の冷凍ケース。
こんなにも無造作に裸のままのホッケ…。NAKEDホッケ。こんなの初めて…。

そして江戸東京博物館に展示されていた、東芝の戦後の大発明、電気ゆで卵器。
清々しいほどゆで卵しかできないこのフォルム。こたつみたいなコード。
どこのどいつがそんなにもゆで卵を欲しているんだよ…と展示の前でしばし立ち尽くしたが、世の中にはゆで卵器の需要はそれなりにあるらしい。

昭和30年代に登場したゆで玉子器、現在は象印からこんな物が販売されている。

象印 エッグ DODODO マイコン温泉たまご器 EG-HA06-WB ホワイト

象印 エッグ DODODO マイコン温泉たまご器 EG-HA06-WB ホワイト

温泉卵、固茹で卵、半熟卵が作れるという付加価値はついているが、卵に特化していることに変わりはない。
SOLEIL(ソレイユ) 電気たまごゆで器 SL-25

SOLEIL(ソレイユ) 電気たまごゆで器 SL-25

尚、昭和の面影を未だ色濃く残すこのような商品も販売されているようだ。ゆで卵専用機。
購入者のレビューを読むにつけ「ゆで卵にはそんなにも需要があったのか」「ゆで卵にそこまでのこだわりと情熱を…!」と驚愕する。
その驚きとインパクトは喋る家電、歌う炊飯器、洗えるスマホを遥かに凌駕するものだ。

例えば業務スーパーに心躍るように、ホームセンターや東急ハンズの業務用工具に胸トキめかせるように、人は付加価値よりも専門性の方に心ひかれるものなのではないか、とかなんとか、ゆで卵器のamazonレビューを読みながら考える冬の夜。

しゃべるな

かつての職場の先輩であり、人生の師でも良き友でもある“かえる姉さん”と昔
合コン的なものに参加し、解散後、二人揃ってうなだれながら喫茶店で反省会をした。
かえる姉さんは深い溜め息と共に言ったものだ。

「あたしさあ、いつか恋愛マニュアルを書くチャンスがあったら表紙開いた所にでっかく書いとくわ。
“喋るな!!”ってね…」

…そうだね、我々、沈黙が怖くてやたらと喋り続けてしまったね…。
ホント、どうしてこういつもいつも、黙っているということが出来ないんだろうね。
黙っていることは日本人の美徳であるのにね。

お地蔵様の如く、野に咲く花の如く、ただ黙って生きていこう、と今まで何度誓ったか知れないのに、その誓いはいつも脆く崩れ落ち、己の成長のなさを眼前に突きつけるばかりで、今日はまた職場で余計なこと口にして、あーあーあー。

私は貝になりたい」とか言うけど、
まあ、毎回その心境になるんだけれども、
でも「口あけぬ蜆死んでゐる」って尾崎放哉が詠んでたもの…と開き直る不惑


閖上漁港の蜆。驚くほど大きいので、喋りそう。

尾崎放哉句集 (岩波文庫)

尾崎放哉句集 (岩波文庫)